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夢幻の果て  作者: 大田牛二
最終章 天下統一

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嫪毐の乱

 秦王・せいがまだ即位した頃、彼の母である趙姫ちょうき呂不韋りょふいとの私通を続けており、政が成長してもその関係を止めようとしなかった。


 そんな彼女を呂不韋は宴に呼んだ。そして、倡(役者。道化)に音楽を奏でさせる中で秘かに大陰の者(陰茎が大きい者)として見つけた舍人の嫪毐に芸を披露させた。その芸とは、陰茎を車軸に見立てて桐輪(桐木の車輪)に挿し、車輪を回して歩かせるというものである。


 その芸を見て興味を持った趙姫は秘かに嫪毐を得たいと思うようになり、呂不韋に相談した。


 呂不韋は喜んで、部下に嫪毐が腐罪(去勢の刑に値する罪)を犯したと告発させて、同時に呂不韋は趙姫にこう伝えた。


「偽りの腐刑(宮刑。去勢)を行えば、給事(宮中で働く使用人)の中から彼を得ることができましょう」


 それを聞いた趙姫は腐刑を執行する官吏に厚い礼物を贈って嫪毐に刑を施したふりをさせた。彼に鬚や眉を抜いて宦者に似せてから(宦官には鬚が生えず、眉も薄くなる)趙姫に侍らせた。


 やがて趙姫は嫪毐と関係を持ち、寵愛するようになり、暫くすると趙姫は嫪毐の子を妊娠した。人に知られることを恐れた趙姫は、


「卜を行ったところ、住む場所を変える必要があると出た」


 と偽り、雍の宮殿に遷った。そこへ嫪毐は趙姫に従い、豊富な賞賜を与えられるようになった。


 嫪毐は趙姫の傍にいることにより、大きな権力を掌握するようになり、趙姫の命令と偽り、政治の決定を降すようになった。そのため、嫪毐の家僮は数千人に膨れ上がり、官職を求めて嫪毐の舍人になる者も千人を越えるようになった。


 呂不韋は政に嫪毐を長信侯に封じるように進言し、山陽の地を与えてそこに住ませた。宮室、車馬、衣服、苑囿、馳猟が全て嫪毐の意思に委ねられ、事の大小を問わず全て嫪毐が決定するようになった。また、河西(または「汾水西」)の太原郡を毐国に改めた。


 紀元前238年


 秦王・政は雍に泊まり、そこで冠礼を行い、剣を帯びた。通常は二十歳で冠礼を行うが、政は既に二十二歳であった。


 それほどに呂不韋の権力が強かったこともあるが、合従軍との戦いの後では彼の権力は大きく増し始めていた。


 冠礼の記念と称して、政は羌瘣きょうかい楊端和ようたんわに魏への侵攻を命じた。羌瘣は魏の垣(「首垣」)と蒲陽(または「蒲」)を取り、楊端和は魏を攻めて衍氏を取った。


 段々と政の権力が増していることに趙姫は恐れるようになった。何より最近の政は淡々と公室の人間で自分に従わない者への粛清を行っており、趙姫は嫪毐との間に二子をもうけている。政ならばこの子供たちを殺しかねないという恐怖があった。


 呂不韋に相談すると彼は政ならばやりかねないと言い、彼女の不安感を煽った。趙姫はやっと子供に愛を注ぐ余裕が出てきており、二人の子供を失いたくなかった。


 そのため彼女は嫪毐に政への不満をぶちまけるようになり、彼に子供たちが殺される危険性を説いた。


 嫪毐は彼女の言葉を受け、政という人物の危険性を認識し、また、自分の今の豪華な生活が脅かされることになることを恐れた。そして、


(秦王を王座から引きずり下ろし、我が子を王位につけてはどうだ?)


 と考え始めた。しかしながら彼には気弱な部分があったのか。中々実行することができなかった。


 ある時、政の侍中や近臣、貴臣と博飲(博打と飲酒)し、酒に酔って言い争いになった。嫪毐が目を見開いて彼らにこう怒鳴った。


「私は秦王の假父(仮の父)である。窭人子(貧しくて賎しい者)が私に逆らうのか」


 酒に酔っていたことで本音が出てしまったのだろう。しかし、そのような失言を見落とすほどにこの場にいる者たちは甘くない。特にこの宴の場にたまたまいた趙高ちょうこうは。


 彼は急いで政の元に訪れるとこう言った。


「嫪毐は宦者ではございません。しばしば太后と私乱し、二人の子が産んでおり、この二人は隠されています。嫪毐は太后と謀って『王が薨じたら(死んだら)この子を跡継ぎにしようではないか』と申しています」


(ふふふ、これでご褒美がもらえるぞ)


 趙高はそう想像していると、玉座に座る政は彼を冷たく見下す。


「お前の言はまるで以前から知っていたような言葉であるな」


 趙高は震えた。


 元々彼は呂不韋が用意した宦官の一人であり、自身の性癖に従って政と好を通じているが呂不韋の命令を度々受けることもあった。


「噂程度でしたので……」


「まあ良い」


 政は玉座から立ち上がり、趙高の近くまで降りる。


「乱の芽が出たというのであれば、摘めば良いだけだ」


 そう言って彼はそのまま趙高の横を通り過ぎ、せんが後を付いていく。政はそのまま去っていった。


「えっご褒美は」


 趙高は一人そう呟いた。









 政は尉繚うつりょうを始めとした官吏に嫪毐の調査を命じた。


 この動きを知った嫪毐は処罰を恐れ、秦王の御璽と太后の璽を盗用して県卒(支配下の県兵)および衛卒、官騎、戎翟の君公、舍人を動員し、蘄年宮を攻撃しようとした。


 蘄年宮は秦の恵公けいこうが雍に建てた宮殿であり、政が住んでいるところである。


 それを知った政は昌平君しょうへいくん昌文君しょうぶんくんに討伐を命じた。どちらも名が伝わっておらず、経歴も不明である。しかし、昌平君は楚の公子であるとされている。


 昌平君と昌文君は兵を発して咸陽で嫪毐と戦い、数百人を斬首し勝利した。嫪毐らは逃走を図った。


 政は勝利を収めた昌平君と昌文君に爵位を与え、戦いに参加した宦者にも全て爵位一級を与えるという気前の良さを発揮し、続けて国中に、


「毐を生きて得た者には銭百万を下賜し、殺した者には銭五十万を下賜しよう」


 と令を出した。これは先に気前よく出したことでこの令の効力は強めてある。


 その結果、素早く嫪毐らは全て捕えられた。


 嫪毐は見せしめのため車裂の刑に処され、三族までも滅ぼし、嫪毐に与した者たちも皆、車裂の刑に処されて、その宗族までもが滅ぼされた。


 衛尉・竭、内史・肆、佐弋・竭、中大夫令・斉等二十人も梟首(斬首して首を晒される刑)にされた。


 嫪毐の舍人は全て家財を没収され、罪が軽い者も鬼薪(三年の流刑)として蜀の房陵(巴蜀の境)に遷された。その数は四千余家に登ったという。


 政の母・趙姫は雍の萯陽宮(「萯陽宮」、「雍」、「咸陽宮」)に遷された。萯陽宮は秦の恵文王けいぶんおうが建てた宮殿である。同時に政は母が生んだ二人の子供を殺す決定を下した。


 その決定に対して、趙姫は懇願したが、政は聞き入れない。その態度に趙姫は政に向かって、


「人でなし」


 と罵ったが、政は、


「その通りですが何か?」


 と言ってそのまま二人の子供を処刑した。


「政様……」


 その夜、旃は政の元を訪れた。政は相変わらず、木簡の山の中で淡々と処理を行っていた。


「旃か?」


「はい」


 政は木簡の山から旃を見て、ぎこちなく笑う。


(政様はあの夜から表情がぎこちなくなった)


 前ほど自然な形で笑いや怒りの表情など表情筋が刺客に襲われてから上手く動かせなくなっていた。


「どうした何かあったか?」


「いいえ、ただ今回の反乱で政様が心を傷められたと思いまして」


「そんなことはない」


 政はふっと笑い、言った。


「母上が私のことを「人ではなし」と言って下さった。始めて私について述べて下さったのだ」


(これほど悲しい人がいただろうか……)


 旃は政を見ながらそう思った。


 



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