合従軍
最後の合従軍、思ったよりも長くなってしまいました。
ついに楚軍が合従軍に合流した。楚軍の気合の入れようは中々であり、大軍容と言えた。
また、大将が戦死してしまった韓軍の指揮を趙の慶舍が代理で率いることが決定した。
この時、趙の李牧は楚軍の大将であり、合従軍の総大将でもある楚の春申君のその決定に反対し、韓軍を帰国させるべきと進言を行ったが、却下されている。
(今の韓軍はただでさえ大きく消耗しており、将兵の信頼が厚かった開地将軍を失い意気消沈している。正直言って彼らの期待はできないでしょう)
それでも韓軍を維持させるのは何故なのか。恐らくそれは大軍としての数を保つため。
(相手は秦です。数だけで勝てるような相手ではない)
念には念を押して行った策であった龐煖の山越えの良い報告はない。
(最初に相手の策を見抜くことはできた。しかし、その後にどの手を打っても成果を出すことができていません)
特に龐煖の山越えにより、函谷関の秦の将軍が誰一人救援に向かわなかったことが一番の誤算であった。
「秦の王はあの状況で函谷関の将兵を動かさないという決断を行った。秦の相国・呂不韋が政治を牛耳っていると聞いていただけに驚きですね」
李牧は勝利が遠く感じた。
「楚軍が合流したことで益々合従軍の軍容は増していますが、既に我々は韓軍に大きな損害を与えており、合従軍はそんな彼らを未だに活用している。それに反対した者もいたとか、これは以前としてまとまりがないことを示唆しています」
尉繚は諸将に向かってそう言った。
そんな彼の説明に蒙武はむすっとした表情で聞いている。
「次、出撃した時は韓軍を中心に攻めて相手の軍容を崩すということでよろしいか?」
張唐がそう述べると尉繚は頷いた。
「そのとおりです。韓軍の崩壊をどうにか食い止めようとして、隙が出てきたところを……」
そこまで言った時、蒙武はいきなり立ち上がり、言った。
「私はその方針に反対だ」
「何故かな?」
自分が気に入らないから反対しているのではないかと思い、尉繚が言うと蒙武はこう言った。
「私は韓如きに集中するよりも楚軍への大打撃を与えるべきだ。連中はまだ、到着したばかりであり、疲労をしているはずだ。そんな彼らを叩けば、合従軍の総大将でもあることから合従軍は浮き足立つ可能性が高い」
思ったよりも考えた発言であることに尉繚は気づいた。
「しかしながら楚軍は強兵……いや楚軍はここに来るまで桓騎のおかげで遅れてきた……」
因みに桓騎はまだ戻ってきていない。
「それにここの地形なら麃公将軍を討った項燕の騎兵隊も上手く動くことができないだろう……」
尉繚は部下に敵の陣の置き方を教えるよう指示を出した。そして、合従軍は楚軍が真ん中で先鋒を勝手でて、その左右に四カ国が並ぶという形になっていた。
「蒙武将軍」
「なんだ?」
蒙武が尉繚を睨む。
「あなたの提案は理解しました。しかし、そこに私の考えを加えてもらう。あなたの軍は真っ向から楚軍と相対してもらいます」
「ほう」
尉繚の言葉に彼は笑う。久しぶりに自分にとって面白そうな提案をされたためである。
「あなたは最も激戦となる場所にいることになる。それでも構わないか?」
「お前の陰険で慎重過ぎる策に比べれば良い」
「わかりました。では、提案します。あなたは門が開くと同時に楚軍の先鋒と真っ向からぶつかってもらいます。その間に張唐将軍、王翦将軍は左右の四カ国へ攻撃を仕掛けてください。そしてそのまま楚軍の本陣に向かってまっすぐに突撃を仕掛けてもらいたい」
二人に困惑の表情が浮かんだ。そうだろう。それぞれ二カ国の陣を突破してその先にある楚軍に攻め込めというのである。
「両将軍が楚軍に至るまで、あなたは楚軍の猛攻に函谷関という壁を背にして戦わなければならない。それでもよろしいかな?」
「ああ、構わん」
蒙武は己の胸を叩き頷いた。
「よろしい。あなたの奮闘がこの戦いにおける転換点になることでしょう」
「門が開くか」
項燕は前方の門が開いていくのを見て、そう呟く。城を攻めるよりは直接、戦うことの方が好みである。
「秦の旗の中に見えるのは、蒙か」
前方に筋骨隆々の大男が見えた。彼は馬の上で両腕を組み、背の布がはためいている。
「我が名は蒙武」
大男が突然、叫んだ。
「国の陵墓が焼かれたにも関わらず、何もできなかった楚の腰抜けども、この私を殺せるというのであれば、参れ」
それを聞いた楚軍の将兵は激高した。かつて白起によって行われた屈辱を忘れはしない。項燕も同じである。
「あいつを殺せぇ」
楚兵は一斉に蒙武へ襲いかかった。そこに矛が大地に向かって振り下ろされ、それにかすっただけで大怪我を負う兵が出るほどの威力であった。
「そう簡単にこの私の首は取れんぞ」
蒙武は不敵な笑みを浮かべならが矛を肩に置いた。
蒙武の挑発により、楚軍が彼の軍に一斉に襲い掛かった中、共に出てきた張唐と王翦の軍はそれぞれ左右に別れて、合従軍に襲いかかった。
左から攻める張唐は韓、趙へ、王翦は燕、魏へそれぞれの軍に突撃を仕掛けた。
「さあ、華麗なる花の如く散りなさい」
張唐は韓軍の陣営を突破していく。
「させません」
李牧は盾を一斉に並ばせ、その後方から一斉に矢を放たせる。それによって本来は止まる騎兵であるが、張唐だけはその矢の雨の中を悠々と進んでいく。
花を加えながらまるで矢の雨の中を踊るように馬を操る。
「すごい」
副将・内史・騰は呟く。
張唐はそのまま盾の並ぶところに近づくと跳躍させて、盾に乗って駆け出す。
「あれを止めろ」
慌てて趙の司馬尚は叫び、指示を出すが、絶妙な体幹の持ち主である張唐は乗っている盾を揺らされようが矢が振ろうが槍が突き出されようが馬からも落ちることもなく、趙兵を切り捨てていく。
「さて、蜜を啜る鳥の気分はこれまでですな。一旦、退くとしましょう」
そう言って張唐は悠々と盾の上から立ち去っていった。
そのようにしている一方、王翦の方は魏軍、燕軍に対して圧倒的差を見せつけていた。今回は騎兵ではない。彼の軍は淡々と敵のやることをつぶしながら進んでいく。
(これが本来の王翦将軍の戦か)
どっしりと構え、相手の行動を片っ端から叩き追っていく。正に不沈艦の如く戦場を進んでいく。
燕軍の大将・将渠が一気に王翦軍の横っ腹に突撃をかけた。しかし、王翦の軍はそのような一撃を受けても崩れることはなく、相手が疲れたと見るやすぐに攻勢に出て、たたきつぶした。この戦いの中、燕軍の大将・将渠は戦死し、燕軍は大きく崩れた。
張唐も趙軍の陣が容易く崩せないと見ると韓軍への集中攻撃を仕掛けた。ただでさえ元々大将を失い、代理は他国の人間である。士気は低下しているために張唐の攻撃についに崩壊した。
さて、楚軍の猛攻を函谷関の前で一心に受けている蒙武は楚軍に対して一歩も引かず奮闘していた。
「どうした楚の腰抜けども。この程度か」
「父上、これ以上、煽ってどうなさるのですか」
蒙恬は父の代わりに指示を出しながら叫ぶ。
「ふん」
息子の声に蒙武は答えず、矛を振るう。そこに項燕が矛で突いてきた。
「お前が項燕か」
「如何にも」
二人の矛が唸りをあげながら激突する。
「さっさと死ね」
「お前がな」
その様子を城壁から眺める蒙驁と尉繚は頷く。
「随分と楚軍はこちらに前のめりだ」
「ええこちらの矢が当たりやすく素晴らしいことです」
「私であれば、ここで退却を指示するかもしれん」
蒙驁の言葉に尉繚は同意する。
「ええ、私もここで退却を考えます」
現在、合従軍は三方向から攻め込まれており、相手の後方に軍を回すのは地理的に難しい。ここは一旦、退却して陣を整えるべきである。
「しかし、春申君はそちのない戦を行う方です。そのためかいつの時も物事の両天秤にかけて上手く調律してどちらの成果も得ようとするところがあります。そのため今の段階での決断ができない」
それが命取りであると尉繚は考える。ここで合従軍に動きがあった。趙軍が一旦、後退したのである。それによって張唐の軍が楚軍に届いた。
しかし、それは趙軍の狙った展開であった。彼らは一旦、後退してから再び前進し、張唐の軍を襲った。
(楚軍に敢えて襲わせその後ろから包囲する気だな)
悪くはない。しかし、
「こちらには人材が多いのさ」
突然、趙軍の後方から桓騎の軍が現れ、趙軍に襲いかかった。
楚軍の時間稼ぎを行っていた彼は見事にその職務を果たすと共に自分の率いる兵の数をできるかぎり消耗させず、適度なところで退却。そして、近くで戦の推移を見ていた。
趙軍は後方からの桓騎に対処しなければならなかった。その隙に右から王翦の率いる軍が楚軍の本陣に襲いかかった。
これによって楚軍は前方の他に左右の敵とも相対することになった。
「ここまでですね」
副将の周章が春申君に言った。
「そうだな」
もはや合従軍は機能していない。これ以上の継続は軍の崩壊を招くだろう。
「撤退する」
「撤退ですか……」
李牧は憂いの表情を浮かべながら呟いた。それは秦を滅ぼせる最大の好機が失われることを意味していたからである。
「仕方ないですね。このまま戦の継続することは難しいのは事実ですから」
それでもあの函谷関一つ抜けることができない。
「司馬尚、合従軍の退却する道を作ります」
「承知した」
趙軍は合従軍の退却を助けるため、後方の桓騎の軍とその後、合流を果たした楊端和の軍を突破し、退却路を作った。
合従軍の殿は項燕が受け持ち、合従軍は撤退した。
「父上、大丈夫ですか?」
血だらけの蒙武に蒙恬が駆け寄った。
「勝ったか?」
「ええ、敵は退却しました」
「そうか……」
蒙武は天を仰ぐ。
「そうか。勝ったか」
同じ頃、函谷関の上でも兵たちの歓声を聞く蒙驁も天を仰いでいた。
「麃公、摎、勝ったぞ、勝ったんだ」
彼は拳を強く握りながら天に向かってそう言った。
五カ国の全力を出した合従軍は秦への大攻勢に出たが函谷関を抜くことはできず、これ以降、合従軍は結成されることはなく、もはや秦を止めることはできない状態となった。
「もはや歴史の流れは止まらない」
黄色い服を着た男が風に吹かれながら呟く。
「決して止まらないこの流れの中、人よ。それでも抗い続けるのか」
彼にはわからない。それでもなお抗う人間たちがいることに、それでも諦めずにいる者たちがいることに、
「人はなぜ、絶対なる強者を前になお抗おうとするのか。それは人が死ぬからだろうか」
彼の目には撤退の中、毅然と秦への怒りの炎を燃やし続ける猛将の姿が見える。兵に指示を出しながらも次の秦の手にどう対抗するかを考えている男の姿が見える。遺体となって帰ってきた老将に泣きながら縋る子供の姿が見える。
「数多の悲しみがあるから抗うのか」
ならば悲しみが無くなれば戦いは無くなるのだろうか。
「では、あれはなんだろうか?」
彼は西の方を見る。
淡々と目の前のことを作業を行うかの如く処理していくそうまるで機械の如き王。何も感情を感じさせず淡々とどこまでも淡々と行っていく王。
「そして、あっちにも」
彼は東の方を見る。
一見、平凡なる青年である。実家の農作業を手伝いもせずにいるぐうたらの青年。しかし彼は王たる資格を天から与えられている。あれほどの寵愛を受けている男がいないだろう。
「この時代の果てに何があるのか」
天はその問いに何も答えることはなかった。




