戦下手の戦い
男の周りにたくさんの木簡が運ばれていく。男はそれらの尽くを自ら読み、記入を行っていく。
男とは秦王・政である。
彼は無能と判断した文官の粛清の後、彼らの行っていた事務処理を自ら行っていた。中には王が採決を行う必要性の無いものばかりである。しかしながら文官が行う採決よりも彼自ら行った採決の方が遥かに優れたものとなっていた。
「王様、少しお休みになられた方がよろしいかと」
旃がそう言ったが政は聞き入れずに木簡の内容に採決を行っていく。
そこに急報がもたらされる。
「報告します。趙軍総大将・龐煖が蕞に襲来しました」
残された群臣たちに動揺が走った。
「合従軍は函谷関にて食い止められているはず」
群臣がそう言った時、政は言った。
「誰かこれを予見していた者はいるだろうか?」
群臣は沈黙した。
「誰もいないか」
また、粛清が行われるのではないかと群臣たちは恐怖する。
「それは良かった。もし予見していた者がいたにも関わらず、それを無下にしていたとすればまた、粛清を行わなければならなかった」
政はそう述べると群臣を見回す。
「趙軍に相対する将に誰かいるか?」
「将軍らのほとんどが函谷関に集結しており、おりません」
「函谷関から向かうにしても時間的猶予はないと思います」
政は目を細めながら考え始める。そして、旃を見た。
「旃よ命じる。軍を率いて趙軍と相対せ」
「私がですか」
旃は思いっきり首を振る。何せ自分は一度たりとも軍を率いたことがない。
「私は軍を率いたことはありません」
「兵法は尉繚から共に学んだであろう?」
「ですが……」
所詮は机上でのことであり、実際の戦とは違う。
「それがわかっているだけでもお前はマシだ」
そう言って政は考えを改めようとしない。
「それに蒙恬の弟の蒙毅と李信をつける。心配はするな」
「ですが王様……」
「いつもどおり、お前は真似をすれば良い。諸将たちの戦をお前は真似すれば良いのだ。時間稼ぎに徹すれば、函谷関からの援軍を回すことができる」
説得は不可能と思い、旃はついに引き受けることにした。
「では、頼むぞ」
「はい……」
こうして旃が大将として秦軍が咸陽から出発した。
「函谷関へ書簡を」
政は群臣にそう言った。
函谷関でも龐煖が蕞に至ったことを知った諸将は大いに動揺した。
「どこから趙軍が出てきた。しかも総大将が別働隊を率いているとはどういうことか」
「そもそもあそこらへんは険しい山々があり、とてもではないが軍が通るのが難しいはずだろう」
諸将が動揺する中、総大将である蒙驁が言った。
「今は趙軍の別働隊に対してどのように対応するかが問題ではないか」
それを受けて蒙武が発言した。
「早速こちらから援軍を派遣するべきです」
「いや、それはならない」
尉繚が彼の意見を却下した。
「貴様、援軍を出さなければ、蕞を突破されて都までの侵攻を許す可能性があるのだぞ」
「それでも援軍を出してはならない」
かっかする蒙武に尉繚は言う。
「現在、合従軍のうち韓軍の総大将を戦死に追い込んだとはいえ、以前、趙軍が合流したこともあり、驚異は取り除かれてはおりません。そんな中、戦力を割くのは得策ではないと考えます」
「では、咸陽を見捨てろと申すか」
「そうではない。しかし、ここで戦力を必要以上に割くことは危険であると申しているのだ」
二人が激しく意見を衝突させる中、使者が軍議の会場に訪れた。
「王よりの命令をお伝えします」
使者はそう言ってから政の言葉を伝えた。
「諸将は合従軍との戦いに集中し、合従軍を叩くことのみに集中し、こちらへの援軍は無用とする」
「大将軍・蒙驁。謹んで王命に従います」
彼が拝礼すると諸将も拝礼を行った。皆、内心では自分たちの王の勇気を讃えた。
「諸君」
蒙驁は諸将に言った。
「我らが王は後方を気にせず戦えと申している。以前に王は我らの実力を証明せよと申されており、もはやこの戦いは勝利のみを持って王の期待に答えねばならない。諸君、王はただ勝利のみを望んでおられる」
諸将の士気は大いに高揚した。
その様子に尉繚はほっとする。
「王に助けられたか……」
まだまだ未熟と思っていた政に救われてしまった。人の成長というものは誠に速いものである。
「これではますます勝たねばならないな」
尉繚はそう言って一人微笑んだ。
「緊張するなあ」
蕞城に入った旃は城下から見える趙軍を見ながらそう言う。
「さて、相手は猛将の龐煖が相手。難しいけど期待に答えないと」
翌日、龐煖による攻撃が始まり三日三晩に渡っての猛攻撃に蕞城はボロボロとなってしまった。正直言って、旃の戦いは拙い。そもそも兵が上手く動すことさえできていない。そのため龐煖に好きなように城を破壊されていく。
「このままでは後数日で陥落する可能性があります」
蒙毅がそう指摘した。
「やっぱりそう上手くはいかないよね」
言わんことないとばかりに旃は頭を抱える。
「さて、どうしたものかな」
それからも猛攻撃が進み、蕞城はもはやこれまでというぐらに至るところの城壁が破損し、陥落は時間の問題であった。
そんな中、旃は城の中に密かにやって来た男に会っていた。
「つまりあなたが王からの援軍というわけですか」
「そうです。正直、私も困惑している部分があるのですが……」
男の名は鄭国。そう韓からやって来たあの鄭国である。
「いや、あなたが来てくれて良かったです」
旃はそう言って彼の手を取って喜んだ。その翌日、彼は趙軍の本陣に出向き拝礼して言った。
「蕞城が城主・旃と申します。趙軍への降伏の意を述べるため参上致しました」
彼は降伏することを龐煖に述べた。
(これが戦下手の戦いだ)




