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夢幻の果て  作者: 大田牛二
最終章 天下統一
153/186

天涯で再び会う時まで

 秦王・せいが即位した直後、太原郡の晋陽が秦に背いた。因みに上党の北にある地域である。


(愛しい人の儀式を穢しおって)


 呂不韋りょふいは珍しく激怒し、紀元前246年。蒙驁もうごうに晋陽を攻めさせ、平定させた。


 そんな中、韓から秦に水工・鄭国(ていこく)が来た。


 鄭国は王宮にて、仲山(地名)から涇水を引き、北山を沿って東の洛水に繋げることで秦の発展につながると主張した。


 多くの者はあまりにも大規模な水利工程であるとして、難色を示す中、秦王・政は許可を出した。


「やってみよ」


「感謝します」


 こうして鄭国によって渠が作られることになった。しかし、完成する前に鄭国が韓の間者だということが発覚した。


「秦を疲弊させようとしているのだ」


 秦の大臣たちは鄭国を処刑しようした。呂不韋も彼の処刑に関しては口を出さなかった。


 そんな中、鄭国がこう主張した。


「私が来たのは確かに韓の数年の命を延ばすためです。しかしながらこの渠が完成すれば、秦にとって万世の利となりましょう」


 確かに彼は使命を果たすためにやっていた。しかし、秦王・政は彼の事業に対して相当な大金を与えていた。そのため元々技術者である鄭国は本当に完成を目指したいと考えるようになっていたのである。


「間者にしては正直過ぎるな」


 秦王・政は笑った。


「間者として殺すより、働かしてから殺す方が楽しそうだ」


 そう言って彼の事業がそのまま進行させることを決定させた。こうして鄭国は水渠(人工の河川)を完成させた。完成したのは三百余里におよぶ大水渠で、「鄭国渠」と呼ばれる。


 この鄭国渠によって豊かな水が四万余頃の地を潤し、一畝で一鍾の収穫を得られるようになった。それにより関中がますます豊かになり、秦の天下統一の基礎が作り出されることになる。


「如何なる処分も」


 鄭国が秦王・政に密かに呼ばれてそう言うと、


「あれの維持する者が必要だ。お前を殺してどうする」


 そう言って彼を処罰しなかった。


 そのことはやがて天下に広まり、多くの技術者の類が秦に集まるようになった。やがて彼等技術者によって阿房宮、兵馬俑などが作られることになる。


「王としては微妙ですな」


 政に対して、尉繚うつりょうはそう言った。


「なぜだ?」


「お前はただただ呂不韋に意趣返ししているだけだ」


 政は面白くなさそうな顔をする。


「それだけでは呂不韋には勝てない。王としても人としてもだ」












 紀元前245年


 秦の麃公ひょうこうが魏の巻(邑名)を攻めて三万を斬首した。


 それを受けて、趙は廉頗れんぱに魏を攻めて繁陽を取った。


 更に魏への侵攻を行おうとした時、廉頗の元に訃報が届いた。趙の孝成王こうせいおうが死に、子の偃が即位した。これを趙の悼襄王とうじょうおうという。


 即位したばかりの悼襄王は廉頗よりも武襄君・楽乗がくじょうを重用しようと考え、廉頗の地位を楽乗に代えさせて、魏への侵攻軍の大将も代えることにした。


 怒った廉頗はやって来た楽乗を攻め、楽乗は逃走し、廉頗も罪を恐れて魏に出奔した。


 しかし久しく経とうとも魏は廉頗を用いなかった。


 この頃はまだ、信陵君しんりょうくんが生きていたことを思うと魏には二人の名将がいたことになる。


 その後、趙はしばしば秦の攻撃を受けるようになっていた。そこで悼襄王は再び廉頗を用いたいと思った。廉頗も趙に帰りたいと思っていた。


 悼襄王は使者を送って廉頗の様子を探ることにした。


 それを邪魔したものがいる。昔から廉頗と仲が悪かった郭開かくかいである。彼は使者に多額の金を贈って廉頗の悪い情報を報告させた。


 廉頗は使者に会うと、一回の食事で一斗の米と十斤の肉を食べ、また、甲冑を身に着けて馬に乗って、未だ武人として健在であることを示した。


 使者は帰国して悼襄王にこう報告した。


「廉頗将軍は老いたとはいえ、善く食事をとっておりました。しかしながら私と一緒に座っている間に、三回も尿のため席をはずしておりました」


 悼襄王は廉頗が老いたと思い、呼び戻すのをあきらめた。


 それを知った楚は人を送って秘かに廉頗を招くことにした。


 楚の項燕こうえんが手を回したものである。


 廉頗は楚の将になったが、功を立てることなく、しばしば、


「私は趙人を用いたい」


 と言って嘆いたままその後、楚の寿春で世を去った。


 どこまでも不遇という名が付きまとった人であった。


 紀元前244年


 秦に大飢饉が襲う中、秦は蒙驁を大将として、韓を攻めさせ、十二城を取った。


 王齕おうこつが副将として付き従っており、彼は十三番目の城を落とそうとした。


白起はくき殿は死に、廉頗は不遇となり、国のため戦った者ばかり不幸になっていく」


 そう嘆いている中、韓軍による奇襲を受けてしまった。その戦いの中、油断もしていたとはいえ、王齕は戦死した。


「王齕が……」


 蒙驁は白い髭を撫でながら戦友の死を悼んだ。


(白起殿が死に、王齕も死んだ。それにも私は生きている……)


 運命の不思議さを感じながら彼は杯を掲げる。


「天涯で再び、会うときまで」


 杯を傾け中の酒を飲んだ。


(この戦場で生きていこう)













 

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