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夢幻の果て  作者: 大田牛二
最終章 天下統一

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151/186

英雄失脚

 遅くなりました。

 魏の英雄の帰還。


 魏はそのことに湧いていた。


 信陵君しんりょうくんはそれだけ魏において人気があったのである。


 人々は囁きあう。


 信陵君ならば、虎狼の国である秦を打倒できると、魏の戦意は大きく盛り上がっていった。


 やがて信陵君を総大将とした大軍勢を組織され、秦への侵攻が開始された。その最初の侵攻先が管であった。


 管城は大した規模の城ではない。その城で魏の大軍勢を見る男が二人。


「ふむ、少し煽り過ぎたかもしれん」


 そんなことを言うのは尉繚うつりょうである。そして、横で冷めた目で見るのはせんである。


「どうするんですか?」


「まあ、当初の予定通りにいくしかあるまい。こういう時こそ平常心でやらないとな」


 そう言うと尉繚は城壁を指差し言った。


「取り敢えず、あそこの城壁に穴を開けろ」











 魏軍による管攻略が始まった。信陵君率いる魏軍は管城を包囲すると一気呵成に管城を攻め込んだ。


「報告します。城壁に軽く修復されたような後があります」


「雨か何かで崩れたものを慌てて、修復したのでしょう」


 副将が報告を聞いて、信陵君にそう言った。


(そんなことがあるか?)


 信陵君はそう思い、様子を見るように指示を出した。しかしながら戦意が高揚して、新たに魏軍の徴兵に参加した若き兵たち、そして、信陵君を慕い集まった若き将校。彼等は信陵君のために功績を上げようと管城の城壁の脆い部分に襲いかかった。


「穴が空いたぞ」


 魏兵たちは管城をこれで落とせると思い、穴に向かって駆け出していく。しかし、彼等は気づいていない。その穴が妙に整った形をしていることをそして、穴に入って両側に小さな穴があることを。


「来たな。やれ」


 尉繚が合図を出した。すると穴を通って城の中に入ろうとする魏兵に向かって左右の小さな穴から槍が飛び出し、魏兵たちを貫く。


「罠だったのか」


 若い将校が気づくと撤退を指示する。その隙を突いて城壁の上から一斉に矢が射られていく。


「さて、次だ」


 尉繚は次の指示を出した。


 被害を出した若き将校は撤退してから被害を出したことを悔いていた。信陵君は特に彼を処罰しなかったが、貴族としての矜持が強いその将校は汚名を挽回しようとしていた。


 そこに管城の城内の民から秘密裏に書簡が届き、明日の夜中に合図を頂ければ門を開けると書かれていた。若き将校は大いに喜び、翌日の夜。自身の軍だけを連れて管城に近づき合図を出した。すると門が開き始めた。


 魏兵は湧いた。しかし、その門が開き見えたのは矢を構えた秦兵たちであった。


「放て」


 一斉に魏軍に向かって矢が射かけられていく。


「またもや罠とは」


 若き将校は悔しがりながらもなんとか挽回しようとその場で留まったが敢え無く戦死した。


「しまった殺してしまったか。良いカモだったのだが」


 尉繚は相手の死を悲しんだ。


「さて、次だ」


 それも一瞬のことである。











 被害が出た魏軍に対し、信陵君は下手に攻撃をさせず、包囲するように指示を出した。しかし、元々戦意の高い魏軍である。その指示に不満を持つ者も多かった。そんな彼等の元に書簡が届く。


 曰く城内から内応する。曰く城の何とかに亀裂や穴がある。などなどの内容が届き、功を焦ってそれに乗って皆、罠に嵌っていく。


「希望という餌に食いつく魚どもだ。実に大量と言えよう」


 尉繚はそんな彼等をそのように嘲笑う。


 信陵君はこの状況に短期決戦での決着を図った方が良いとして、連日連夜の大攻勢に出た。


「予想通りに物事が動くことは良いものだ」


 しかし、その動きは尉繚は予測している。守りをしっかり整えて大攻勢を耐える。そのため魏軍は管城を中々陥落させることができないまま、数日が経過した。


(この城を落とすのは難しい)


 信陵君がそう考え始める。


「そんなことを考えているだろう」


 尉繚としてはここで撤退してもらっては困る。そこで信陵君の食客の一人に賄賂を渡して、信陵君に管城の城主に降伏勧告の書簡を出すことを提案させた。


「さて、書簡がこうして届いた」


 尉繚は旃にそう言った。


「お前にはこれから私の言うとおりのことを以前に言ったように模倣して書いてもらう。最後に書く名も忘れるなよ」













 信陵君を昔から支持していた大物がいる。その大物のことを安陵君あんりょうくんという。魏の襄王じょうおうの時、自分の弟をここに封じたことから始まる家である。


 その彼の元に信陵君から書簡が届けられた。


 その書簡は安陵君のかつて臣下であった縮高しゅくこうに見せられた。


「確かにこれは息子の字です」


「そうか……」


 信陵君から届けられた書簡は管城の城主であり、縮高の子のものであった。


 そのため信陵君に確かであったことを伝えると信陵君は人を送りこう言った。


「縮高を渡せば彼を五大夫に封じて執節尉に任命しよう」


 縮高を使って管城の城主に投降を勧めるためである。


 しかし、安陵君は、


「安陵は小国です。民に強制することはできないため、使者が自ら訪ねてください」


 安陵君は官吏に命じて使者を縮高の家に案内させた。


 使者が信陵君の命を告げると、縮高はこう言った。


「信陵君が私を重んじますのは、私を使って管を陥落させたいからです。しかし、父が攻めて子が守るようでは人に笑われます。もし我が子が父を見て降るようならば、父は子に主を裏切らせたことになります。父が子に裏切りを教えますのは、信陵君が好むことではないはずです。よって命を受けることはできません」


 使者が帰って信陵君に報告すると、信陵君は激怒した。ただでさえ、苦戦している中で見つけた活路であるためである。


 信陵君は安陵君にこう伝えた。


「安陵の地も魏の一部である。今、管を攻めても攻略できず、もし秦兵が魏に来れば、社稷が危うくなる。縮高を生きたまま縛ってここに送れ。もしも彼を送ってこなければ、私は十万の軍を発して安陵の城下に迫ることだろう」


 安陵君が答えた。


「私の先君・成侯せいこうは襄王の詔を受けてこの城を守ることになり、太府(書籍を保管する府)の憲(法)を頂きました。憲にはこう記されています。『臣が君を殺し、子が父を殺せば、常法によって裁かれ、赦すことはない。国に大赦があろうとも、城を挙げて降った者と敵前から逃亡した者は赦されることがない』今、縮高は大位(爵位・官職)を辞退して父子の義を全うしようとしているにも関わらず、あなたは『生きたまま送れ』と命じておられる。これは私に襄王の詔を裏切らせ、太府の憲を廃させることになります。たとえ死のうとも実行することはできません」


 これを聞いた縮高は、


「信陵君の為人は悍猛(凶暴)かつ自用(誇り高く驕っていること)である。この返事が届けば、国(安陵)の禍となることだろう。私は既に己を全うし、人臣の義を違えなかった。我が君(安陵君)に魏患(魏国がもたらす禍)を受けさせるようなことはあってはならない」


 縮高は使者の館舍に行って自刎した。


 使者の報告を聞いた信陵君は、素服(白服。喪服)を着て舎を避け(舎を避けるとは、寝室を避けて生活するという意味であり、哀惜を表す)、使者を送って安陵君にこう伝えた。


「私は小人であるため、思慮が窮して失言しました。再拝して謝罪します」


 結局、管城を攻略できず、信陵君は撤退した。











「良しこれで信陵君を支持する最大の大物との間を裂いたぞ」


 尉繚は信陵君の最大の支持者であった安陵君の支持を失わせることが狙いであった。


 安陵君は彼自身の誠実さが最も売りの人であり、彼を慕う人物も魏には多い。


 その彼の支持を失うことは多くの人の支持を失うことを意味する。


「さて、呂不韋りょふいに金をせびるとするか」


 管城での戦いを終えた尉繚は呂不韋から大金をもらうと人を放ち、信陵君に殺された晋鄙しんぴの門客を探し出すると魏の安釐王あんきおうにこう言わせた。


「信陵君は国外に十年も亡命しておりましたが、今、再び将となり、諸侯が皆属しています。天下は信陵君の名を知っていても、王の存在を聞いたことがございません。しかも信陵君はこの機を利用し、南面して王になろうとしております。諸侯も彼の威を恐れているため、共に信陵君の擁立を欲しています」


 同時に尉繚は呂不韋を通じて、荘襄王そうじょうおうは頻繁に人を送って信陵君を祝賀することを進言し、信陵君に、


「まだ魏王になれませんか」


 と問うた。安釐王は日々讒言を聞いているうちに信じるようになり、信陵君が指揮する軍を他の者に委ねることを決定した。


 信陵君は讒言によって廃されたと知ると、病と称して入朝しなくなって日夜、酒色に溺れる生活を送るようになって、その四年後に死んだ。


 信陵君が死んだ時、韓王が弔問に行った。信陵君の子はこれを栄誉と思って孔斌に話した。しかし、孔斌はこう言った。


「礼に則って辞退なさるべきです。『隣国の国君が弔問すれば、国君が主となる(隣国の国君が弔問したら、受け入れる側も国君が葬儀を主宰する)』というのが礼でございます。しかし今、国君はあなたに葬儀の主宰を命じておりません。よって、あなたは韓君の弔問を受けるべきではありません」


 信陵君の子は韓王の弔問を辞退した。


 それから数年後。信陵君の食客であった張耳ちょうじが信陵君の武勇伝を話している中、それに目をきらめかせてそれを聞く青年がいた。青年の名は劉邦りゅうほうという。後に漢の礎を築くことになる人物である。










(本当は魏王に処刑されるという形が良かったのだが、まあ上手くいったと言えるだろう)


 尉繚はそう思いながらせいの元に戻ったが、それから数日後、驚くべき報告がもたらされた。


「王が亡くなった……」


 政の父である荘襄王が死んだことがもたらされた時、尉繚は、


(やられた)


 と思った。


 (呂不韋の方が一枚上であったか)


 




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