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夢幻の果て  作者: 大田牛二
最終章 天下統一

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評価されなかった思想

 良いものを得た。


 目の前で様々な演技や踊りを見せるせんを見ながら政は思った。


 しかしながらこの旃は本当に面白い。最初は周囲の人の真似をさせていたが、飽きてきたところで、


「犬になれ」


 と、無理難題を言ってみた。すると旃は、


「一日頂けるのであれば」


 と言ったため許してみた。その一日後、犬のような泥まみれになって戻ってきて犬のような真似をする旃の姿があった。


 政は笑った。彼の滑稽さを笑ったのである。


「次は魚の真似をしてみろ」


「一日頂ければ……」


 またもや許して見せると旃は一日後に川で魚のように泳ぐ姿を見せた。


 政はまたもや笑った。


「鳥の真似をしてみろ」


 と言った。今度は、旃は難しい顔をしてから言った。


「一日、いや三日下さい」


 これを許すと三日後に旃は腕に板を着けて飛ぶ真似をしたが、もちろん飛ぶことはなかった。


「鳥にはなれんか?」


 すると旃はにっこり笑うと鶏の鳴き声をした。


 政は笑った。


「なるほど、飛べぬことを強調してから鶏の鳴き声をしたのか」


「はい」


 旃はほっとしたように言った。


(苦労しているなあ)


 そんな二人を見ていたのは尉繚うつりょうである。


(旃は以前、見ただけで真似ると言っていたが……)


 犬も魚も鳥も旃は時間をかけて観察、しかも魚は冬であるにも関わらず、川に飛び込み、鶏の鳴き真似をするために一度、喉を潰すような真似をしている。


(演技をするだけでここまでの真似をするのは見たことないな)


 そう思いながら彼は二人の元に歩いていく。


「さて、今日も来たぞ」


 最近、週一で尉繚は二人の元に出向き、教鞭を取るようになっていた。政の口があまりにも王子としては口が悪いからである。


 元々政は頭は悪くなく礼儀作法はほとんど学んで見せた。


「今日も礼儀作法か?」


 政がそう言うと尉繚は首を振った。


「せっかくだから、今回はある男に会うことにする」


 彼がそう言うと二人を連れ、平原君へいげんくんの屋敷に連れて行った。


 平原君の屋敷は騒がしかった。


「また、盗賊に入られたのか?」


 政はそう尉繚に聞くと、彼は首を振る。


「違う。ここに大層、立派なやつが来るのさ」


 そう言うと屋敷の部屋をどんどん進んでいき、儒者たちがいるのが見えた。


「儒者か」


 政はそう呟いた。昔から儒者が嫌いである。


 そんな儒者たちの横を通り過ぎて尉繚は部屋の中に入った。中には一人の男がいた。細い体つきの男であり、木簡を読んでいた。


「久しぶりだな」


 尉繚が声をかけると男を彼を見た。目に感情の無い男である。


「やあ、久しぶりですね。何年ぶりでしょうか……」


 男はそう呟く。


「まあ、結構経っていると思うがな。もう忘れてしまったよ。なあ荀況じゅんきょう、いや荀卿じゅんきょうの方が良いか?」


「どちらとも……」


 荀卿は尉繚の連れて行った子供たちを見た。


「彼等は?」


 そう言うと尉繚は政の首根っこを掴み言った。


「こいつはどうだ?」


 荀卿は感情の無い目を政に向ける。そして、こう言った。


「誰もが己の視野の限界を、世の中の視野の限界だと思っている」


 政はその言葉を聞いて不快そうな表情を浮かべる。


「見下すか」


 そう言うと荀卿は薄く笑いながら、首をかしげる。


「決めつけは良くない」


「し、」


 政が言おうとする前に尉繚は政を旃へ投げた。


「政様を連れて部屋を出て待っていろ。良いな」


「はい……」


 旃は頷いて目を回している政を連れて部屋を出た。


「口が悪くてすまんな」


「いいえ、お気になさらず」


 荀卿は首を振った。


「だが、あの政という餓鬼は秦の王子でな。中々に執念深いぞ」


「私をいずれ殺すと、それとも儒教を滅ぼしますかね」


 そう荀卿は呟いた。


「かもしれんぞ」


「そうですか……」


 尉繚の言葉を聞いて荀卿は木簡に目を移す。


「だが、お前のあの言葉が政様には必要だった。頭は悪くないが、誰に対してもああいう感じでな」


「彼は不安なのでしょう」


「不安?」


 あれが不安を覚えているというのは尉繚としては想像できなかった。


「自由というものは不安という幻覚を見せるもの。彼は子でありながら親という束縛がない。そのために自由ではあるものの、同時に聡明であるがためにどこまでも飛べる翼を持っていることを知っている。故に大きく飛ぶことを、千里を駆け抜けていくこともできる。そこまでいってしまう不安を感じている」


(父は秦に、母である趙姫ちょうきは日夜、男遊び……そうかもしれんな)


「あなたが彼の傍にいることはとても良いことだと思いますよ」


「へっ、だが良いのか。あんな言葉を言ってしまったことであれは儒を憎んで滅ぼすかもしれんぞ」


「あれほどの言葉でなければ、あの子の成長には繋がらないでしょう。高い壁があればあるほどに彼は成長することができる。人の成長こそがもっとも美しいのです」


「相変わらずだなお前は」


 尉繚は呆れるように言った。


 実は二人は同じ机の上で勉学に励んだ中である。


「お前というやつは相変わらず優しいな。だから弟子にも舐められるのではないか?」


 彼の言う舐められているというのは荀卿の弟子から儒教以外の思想へと走ることが多いことを言っている。


「それで彼等の成長につながるというのであれば、私はそれで構いません」


 例え、手を伸ばしたその手を叩かれたとしても、それが彼等の成長のためと言うのであれば、許すのである。


「そうかい」


「あと、彼にこう言っておいて下さい。私たちはそう簡単に滅びるようなものではないですよ、と」


「ああ、伝えておくよ」


 尉繚が背を向けて部屋から出ようとすると、


「なあ、なんで法家を学ぼうと思ったんだ?」


 幼い頃、法家で学んでいた彼の隣に儒者の格好で座ってきた荀卿の姿を思い出しながら彼はそう問いかけた。


「大した理由ではありませんよ……ただ、法家の人々と話して見たかっただけです」


「そうかい」


 尉繚は部屋を出た。








 荀卿の唱えた思想に法家思想が含まれているのは前に述べた。彼の言葉がまとめられている『荀子』は漢代では大きな名声を得ていたが、唐代になると『孟子』よりも読まれなくなっていった。それは唐の韓愈かんゆの影響もある。


 彼は儒学復興を掲げたがその際に荀子に関しては孔子、孟子の流れを伝えることができなかったと批難しているのである。


 その主張は宋代における儒学にも影響を与え、荀子の考えは否定されていき、宋代の政治家・蘇軾そしょく王安石おうあんせきへの批難を行う際に荀子を持ち出し、彼のことも批難している。


 更に朱子学も荀子の思想を批難したため、長い間、荀子は読まれなくなっていった。清代になってやっと日の目を見ることになった。


 日本でも荻生徂徠おぎゅうそらいなどが荀子の思想を認めたが、やはり朱子学か陽明学が主流で、読む人が少なかった。


 それほどに荀子の主張は歴史上においては力を持つことはなかったのである。







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