荀卿
大変遅くなりました。最近、忙しく中々時間を取れません。
数ヶ月で宰相の地位を失った蔡沢であったが、秦から排除されることはなく、一定以上の地位には置かれていた。
その理由は呂不韋が彼を助けたからである。
(この方のおかげで金の消費を抑えることができた)
前宰相・范睢を貶めるために王稽が諸侯に通じていると人を使って密告させたのは呂不韋である。その後、范睢を潰そうと考えた際に蔡沢がやってきたのである。
(思ったよりも平和的に范睢を排除できたのは素晴らしいことだ)
できれば、呂不韋としては范睢を平和的に宰相から引きずり降ろしたかった。理由は単純に邪魔であるということもあるが、
(范睢の戦略は悪くないが、実行する武人らに反感を持っているのは問題であった)
彼は秦に入ってから情報を集め、軍部と宰相・范睢を始めとする官僚が対立していることを知った。そこで彼は軍部にも官僚らにも顔を売り、時には金を渡して信望を集めた。
それからゆっくり范睢を始末することを考えていた。
(だが、蔡沢のおかげで手間が省けた)
処刑という形ではなく引退をさせたことで呂不韋が評価していた戦略は維持され、軍部と官僚との関係は自分が取り持てば良い。
(愛しい人が受け継ぐものに駄目なものが混じってはね)
全ては政が受け継ぐ国の安定のためである。そのためにも悪いところは早く取り除かなければならないのである。
ここで呂不韋の面白いところは政の継承を上手くいく用意しながらも彼自身がその継承において邪魔な存在であるとしていることである。
(さあここに来て、愛しい人はどのような目で私を見てくれることか)
呂不韋は笑った。
楚の春申君が荀卿を蘭陵令にした。
荀卿は趙の人で名を況といい、後世では荀子と呼ばれ、「卿」は尊称である。
荀卿は十五歳になって初めて斉で遊学した。
斉は彼を前後して三回、祭酒にした。祭酒というのは、本来、宴席の前に行われる、酒を供えて地を祭る儀式を指すが、この儀式は最も尊敬されている年長者が主宰したため、その人も祭酒とよばれるようになり、その後、広く長官を意味する言葉となり、官名にも使われるようになった。つまり彼が三回勤めた「祭酒」というのは、「諸学者の長」という意味に近いだろう。
その後、荀卿は燕に行って燕王・噲に会ったが、燕王・噲が用いなかったため、再び斉に行き、そこで稷下の列大夫になった。そんな彼を斉人の中には讒言する者が現れるようになると、荀卿は斉から楚に遷った。
こうして春申君は荀卿を蘭陵令に任命したのである。
荀卿は孔子、孟子に続く儒学の大家の一人である。しかしながら荀卿の思想は先の二人と大きく異なる部分がある。
孔子は「仁」を説いた。「仁」は「愛」に置き換えることができ、人間関係を維持するために必要な感情とされた。君臣間の愛、夫婦間の愛、親子間の愛、兄弟間の愛等、それぞれの立場、状況によって異なる愛の形が存在し、それを守ることで社会の秩序が維持されるとした。
その愛を不平等の愛であるとしたのが墨子である。
墨子の思想に圧倒された儒教の改革のため孟子は、「仁(愛)」と更に「義」が大切だと主張した。「義」は君臣、夫婦、親子、兄弟等の間で守るべき道徳・規範のようなものであり、二つの言葉がくっつき「仁義」という言葉になった。そして、孟子はこうした道徳観を成り立たせるために教育を重視した。
孟子の根底には「性善説」がある。
「人は生まれた時は皆、同じように善い本性を持っているが、成長の過程において善悪が分かれる。善の本性が悪に変わることがないように、幼い頃から『仁義』を教育して道徳観を育てる必要があるのだ」
というものである。
これに対して荀卿は「性悪説」を説いた。
「人の本性とはもともと悪である。それを制御するためには道徳教育だけでは不十分である。社会が明確な規則、約束事を作り、人々はそれを共有する必要がある」
というものである。
彼の言葉からわかるとおり、彼は今までの「仁」「義」から更に発展させて、民衆に対して強制的な拘束力を持つ「法」の重要さも主張したのである。
ある意味、彼は儒教の人でありながら法家思想も取り入れようとした人なのである。
但し、「法」だけを重視すれば、国民は統治者についていかない。そこで伝統的な「礼(社会的な道徳とそこから生まれる礼義作法。人間関係における規則)」の大切さも説いた。
つまり、人間社会のつながりにおいてはまず「礼」があり、それを助けるために「法」が必要だということである。ここが「法律」「刑罰」を最重視した法家と決定的に異なる部分である。
ある意味、彼は当時の儒教と法家が対立している状況において、儒教側から妥協点を出した人というべきかもしれない。しかしながら荀卿の門下からは有名な法家である韓非子や李斯が生まれ、荀卿の「法」の部分を発展させていくことになる。
そのことから後世では、荀卿を儒家に入れることに否定的な意見もある。




