蔡沢
紀元前255年
「おい、金目のものを出せ」
ある趙から韓、魏へと続く道で馬車に乗って移動していた一団の前に盗賊が現れ、襲撃した。
「金目のものなどもっておらん」
一団の代表者らしき男が進み出て、そう言った。
「うるせぇとにかくてめぇらの馬車の中見せてもらうぞ」
そう言って馬車から男たちを引きずり出して、中を物色し始めた。
「本当に金目のものがねぇな」
「全くだ」
族たちは呆れながらも仕方なく彼等は一行が所持していた釜や鍋を持っていくことにした。
「おい、金目のものがないということは本当だった。偽りがないってことで命までは取らねぇでおくぜ」
そう言って彼等はそのまま立ち去って行った。
「馬車をもってかれなかっただけ、マシか」
そう言ってため息をついたのはこの一団の代表者である蔡沢である。彼は燕の人である。自信家で己の才覚を信じて諸国を巡っていたが中々日の目を見ることはなかった。
そんなある日、唐挙という人相見に人相を見てもらうことがあった。唐挙は、
「あなたの寿命は今から四十三年でしょう」
と言った。蔡沢は笑いながら礼を述べて立ち去ってからこう呟いた。
「良い服を着て、肉を食って、宰相の印綬を結んで君主の前に侍ることができるほどの富貴を極めるには、あと四十三年の寿命で充分だ」
大した自信と言いたいところであったが、釜や鍋を盗賊に取られてしまう始末である。
正直、くじけそうな思いを持ちながら彼は馬車に乗り込み韓、魏へと向かった。その道中、黄色い服を着た男がいた。その横を馬車が通り抜けようとしている時、男の呟きが蔡沢の耳に届いた。
「恩人を用いたために、恩人に足を引っ張られている男を知っているか?」
蔡沢は馬車を止めさせ、振り返った。しかし、そこには誰もいない。
彼は首をかしげるとそのまま馬車を再び走らせた。そして、道中の邑に立ち寄るとある話しを聞いた。秦の河東守・王稽が諸侯と通じているとして棄市されたというものである。棄市というのは市で処刑されて死体が晒される刑のことである。
「恩人を用いて……」
蔡沢は閃くと韓、魏から方向を変えて、秦に向かうことにした。
秦の宰相・応侯・范睢の立場は微妙なものとなっていた。范睢は王稽によって秦の昭襄王に推挙されて宰相になったためである。しかも同じく自分を援けてくれた鄭安平は趙に降っており、今回、王稽も秦の罪を得て処刑された。
今はまだ、昭襄王は彼のことを信頼しているために処罰されずに済んでいるが、いつ処罰されてもおかしくないと范睢は不安な日々を送るようになった。そのためか最近、体の調子も悪い。
ある日、昭襄王が朝廷に臨んで嘆息した。范睢が理由を聞くと、昭襄王はこう答えた。
「武安君(白起)は既に死に、鄭安平や王稽等も裏切った。国内には良将がなく、国外には多くの敵国がある。それを憂いているのだ」
白起は范睢と対立していた人であり、昭襄王は今、その白起を想っている。范睢はますます恐れて意見を出せなくなっていった。
そんな状況の中、蔡沢は秦に入った。そして、昭襄王に謁見する機会をどうにか作った後、人を使って范睢にこう宣伝させた。
「燕の客・蔡沢は天下における雄辯の士というべき人物。彼が王に会えば、あなたを追いつめてあなたの位を奪うことだろう」
ただでさえ、不安で一杯な范睢はこれに激怒、部下を送って蔡沢を招いた。
(思ったよりも不安そうじゃないか)
范睢の心うちを察したつもりの蔡沢はわざと驕慢な態度をとった。范睢はますます不快になり、蔡沢に問うた。
「汝はしばしば私に代わって秦の宰相になるとふざけたことを申しているそうだが、意見を述べてみよ」
蔡沢は答えた。
「ああ、あなたの判断はなぜこのように遅いのでしょうか。四時(四季)には序(秩序)があり、功を成したら去るもの。春に生まれ、夏に成長し、秋に実を結び、冬になったら収穫されるのです。あなたは秦の商君(商鞅)、楚の呉起、越の大夫・種を知らないのでしょうか。なぜ彼等と同じようになろうとされているのか」
彼はやれやれと首を振る。彼の一挙一動に苛々している范睢は、
「なぜそれがいけないのか。三子は義の至、忠の尽である。君子はたとえ身を殺されようとも名を成すことができれば死んでも恨まないものである」
と言った。蔡沢はそれに対してこう言った。
「人は功を立てて成全(天寿を全うすること)を求めるものでございます。身と名のどちらも全うできれば上です、名を残して身が死ぬのは次です。名が辱められて身を全うするのは下です。商君、呉起、大夫・種は人の臣として忠を尽くし功を成しました。これは人が望むことです。しかし閎夭や周公も忠を尽くした聖人というべき人たちです。人は三子のようになりたいと思いますが、閎夭や周公には劣ると言えましょう」
范睢は、
「その通りだ」
と頷いた。蔡沢が続けた。
「あなたの主は、旧故を厚く想って功臣を裏切らないという点において、孝公、楚王、越王と較べてどうでしょうか?」
范睢は首を振る。
「それはわからない」
「それでは、あなたの功は三子と較べてどうでしょうか?」
范睢はまたもや首を振る。
「三子に及ばない」
蔡沢は一気に話し始めた。
「それにも関わらず、あなたが身を退けなければ、三子よりも大きな禍患が訪れるでしょう。『日は昇ったら傾き、月は満ちたら欠けるものだ』と申します。進退嬴縮(五星が早く出ることを「嬴」、遅く出ることを「縮」という)は時と共に変化するのであり、これをわきまえるのが聖人の道というものです。今、あなたは既に怨に報い、徳にも応えておられます(魏斉を殺した事と王稽、鄭安平を推挙した事を指す)。あなたは意を達したにも関わらず、変化の計を持っていないため、あなたに代わって危険を心配しているのです」
「そのとおりです。先生」
范睢はそう言うと、蔡沢を上客にして昭襄王に推挙した。蔡沢と語り合った昭襄王も悦び、蔡沢を客卿にした。
この後、范睢は病と称して相の職を去り、昭襄王は蔡沢を相国に任命した。
その後、范睢は病で世を去った。
そのことに深い悲しみを持ったのか昭襄王は。蔡沢を数カ月で宰相を免じた。




