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夢幻の果て  作者: 大田牛二
第一章 戦国開幕
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矛盾

 魏の文公ぶんこうが世を去り、子の武公ぶこうが立った。


 文公は誰よりも人材を集めることを望み、彼等の言葉を聞き入れた。そのため戦国において真っ先に強国化に成功させることができた。


 さて、彼の後を継ぐことになったのは、武公である。彼は武勇に優れ、剛毅な人物であった。しかしながらかつて呉起ごきが言ったように細やかさに欠ける人物でもあった。


「良し、魏の太子が去ったぞ」


 若い男の言葉に数人の男たちが頷く。


「今こそ我が祖国を復興させるのだ」


 若い男は中山の桓公かんこうという。魏に滅ぼされた中山の武公ぶこうの末子である。彼は臣下たちに守られて生きていた。彼等の捜索に甘さがあったのも大きかったであろう。その捜索を担当したのは、魏の武公である。


 まだ、中山征伐の功労者である楽羊がくようが生きていれば、話は違っただろうが、彼は既に世を去っている。


 その結果、中山の桓公は約二十年間に渡り、祖国復興のため戦い続け、中山復興を成し遂げることになるのである。


 紀元前396年


 鄭の子陽しようの党が繻公(または「繚公」)を殺した。楚への言い訳として扱われたことへの怒りであった。

 

 繻公の弟である康公こうこうが立てられた。康公は鄭国最後の国君となる。


 紀元前391年


 田和でんわが斉の康公こうこうを海上に遷し、一城から得る収入だけを与えて祖先の祭祀を行うことを許した。

 

 田一門による斉の統一はほぼ完成したと見て良いだろう。後は諸国から諸侯として認められるだけであった。


 宋の悼公とうこうもこの年、世を去り、子の休公きゅうこうが立った。



 



 一方、その頃、魏、韓、趙の三晋が楚へ侵攻した。


 総大将を任されたのは、呉起ごきである。大梁と楡関で楚軍はこれと対した。楚の兵は強兵であったが、呉起は難なくこれを破って見せた。


 三晋による進撃が続く中、楚の悼王とうおうはある一団に救援を求めた。彼等に依頼することは楚の群臣たちから大いに反対されたが、彼は断行した。


「あれは……」


 呉起は目の前の城が掲げている旗を見た。その旗には「墨」の文字があった。


「墨家か」


 彼はにやりと笑った。どんな城でも難攻不落に変えるという墨翟ぼくてきが相手なのである。


(これを破れば、私の名は天下に鳴り響くだろう)


 呉起は兵たちに休息を与えるよう命じながら、目の前の城をどのように破るのか思考を巡らし始めた。


 墨家は今まで小国を救うために戦ったために良く楚と戦った。そのため墨家に属す者たちは、楚への協力を嫌がったが、墨翟は楚からの要請に迷うことなく受け入れた。


 小国のために、戦ってきてくれた彼が強国側に立つということは弟子たちからも衝撃であった。しかし墨翟からすれば、飽くまでも戦が無くすために戦っているのであり、小国だろうとも強国だろうと関係無いのである。


「でも、本当にこんな風にして戦が止まるとあなたは思っているのかい?」


 一人、墨翟が廊下を歩いている時、奥からそんな声が聞こえた。


 奥から見えたのは髪の長い少年と青年の間のような風貌をした男であった。


「あなたは強国から小国を何度も救い、皆、あなたに感謝の声を上げる。しかしそれは戦によって名声を得た結果であり、あなたの主張する非攻には皆、耳を傾けることがない」


 その男は笑う。


「誰よりも戦を憎むあなたに戦の才を与え、戦によって名声と共に称賛されるようにする。なんという皮肉だろうか。実に天は滑稽な我々を見るのを好まれるのでしょうなあ」


「天は滑稽を望まれるのではない」


 それに対して、墨翟は言った。


「天は私の考えを貫くための才をお与えになられたに過ぎない」


 そのまま男の横を通り過ぎていった。


「矛盾に向かってそのまま突き進むか……それがあなたの選択か」


 男はそう呟くと暗闇の中に消えた。


「どこに行っておったのだ。荘周そうしゅう


 青い牛に乗りながら老人が男、荘周に訪ねた。


「もうすぐ、二人の天才がぶつかるよ」


 荘周は目の前の戦場を眺めながらそう言う。


「戦などくだらんものに興味を持つでないぞ。見すぎると戦に参加するだけでなく、業を背負うぞ」


「人はなんでそんなくだらいものに、業を背負うものにあんな必死になるんだろうね」


「さあ、そんなことよりも早く行くぞ」


 老人はそう言って、荘周を連れて行こうとするが、彼は動こうとしない。そのことに老人はため息をついた。









 墨翟が篭る城への呉起による攻撃が始まった。


 最初に呉起が行ったことは特に無い。普通に力攻めである。


 城壁に向かって、兵たちが駆け寄り、門には破城槌をもってこじ開けようとしながら城壁に門をかけ、兵はそれを登って乗り込もうとする。


 しかし、城側からは矢や油、糞などが降り注ぎ、それを阻む。


「やはり今までとは違い、簡単にはいかないか」


 陣幕の中にいる呉起は攻城戦を眺めながらそう呟いた。


 楚という国は強兵として知られるが、実際のところ守りの戦、特にこの篭城戦などにおいては苦手としていた。そのため楚の城は結構簡単に落ちる。


(だが、流石は墨子というべきか。その苦手とする篭城戦で見事に楚兵を操っている)


 城攻めも得意ではない楚兵相手だからこそ、難攻不落でいられるのだと内心では、思っていた呉起だが、流石にそれは見当違いであることを理解した。


「さて、どうしたものか」


 呉起がそう呟いた。その瞬間、空から何か音が聞こえた。


「なんだ」


 その音はひゅうううという音をし、やがて轟音が轟いた。


「将軍、城から大岩が降ってきます」


 兵が慌てて、駆け込みそのように言った。。


「大岩だと」


 呉起が陣幕を出ると確かに大岩が軍に向かって、降り注いだ。


「くそ、全軍に通達、大岩が届かないところまで慌てず、乱れず、騒がず、退け」


 彼はそう命じながら、


「あのような兵器があるなど、聞いていないぞ。我が国の間者どもは何をしているのか」


 呉起は憤りを顕にしながら、陣を後退させた。







 呉起は魏の間者の怠慢を罵ったが、彼等を責めるのは苦というものであった。魏軍に降り注いだ大岩を発射した投石器は、天才技術者である公輸盤らによって一日で作り上げられたからである。


 因みに彼等は城の中で死にかけている。


「敵軍が退いていきます」


 その報告に墨翟は頷きながら後退していく敵軍の動きを観察する。


「流石は呉起か。投石器の岩を受けながら、あれほど乱れずに後退するとは」


 呉起の率いる軍は大岩を浴び続けながら、想定していたよりも混乱せずに大岩が届かないところまで後退してみせた。


「だが、後退してしまえば、近づくのは更に困難となる」











「岩を受けて、慌てて後退したが、後退するよりも前に行って激しく攻め落とした方が良かったか」


 呉起はそう呟いた。後退してから再び城に近づこうとしたが、投石器に阻まれてしまっていた。命中率はあまり高く無いがこちらは大軍であり、何より兵が怖がってしまっていた。


 被害を度外して、攻め立てるということも考えたが、ここには自身の兵だけでなく韓、趙の兵まで預かっている彼等を必要以上に犠牲にするのは、好ましいものではない。


 また、例え近づいたとて、そう簡単に突破させるような真似を墨翟が許しはしないだろう。


「ここはもう一つの正攻法で行くとしよう」


 呉起は韓、趙のそれぞれ率いている将軍に命じて、周囲の小城を攻め落とすように命じた。


 そして、それらを取ったあとに少数の兵を起き、彼等に楚の援軍が来ないかを見張らせた。そして、そのまま大岩が降り注がない距離を維持したまま、包囲することにした。


「難攻不落……落ない城などは無い」


 呉起は力攻めではなく、持久戦によって墨翟の篭る城を落とすことにした。


 しかしながら投石器の届かない距離での包囲ということはその包囲のための陣は薄くなることを意味した。これは釣りでもあった。


 もし、この陣の薄さを見て、包囲されることを望まなければ、打って出るだろう。そこを叩こうと呉起は考えたのである。


 しかし、城から打って出る様子は無い。


「それはそれで良いさ。時間が経てば、この城は自然に落ちる」








 墨翟に対して、弟子が進言した。


「包囲に持ち込まれ持久戦となれば、この城は陥落します。包囲を突破するために打って出るべきでは?」


 しかし、墨翟は首を振り、同意しなかった。


 このように包囲による持久戦に持ち込む際、陣の再編成を行う必要がある。その時の僅かな隙を突いて、後方で火を付けたりして混乱させるというのが、今までの彼の行った戦ではあるが、相手は呉起である。


 彼は例え、後方でそのようなことが行われても冷静に対処されることだろう。また、その包囲形成時の陣の再編成の隙さえも策に変えてしまうことであろう。


 打って出ることを呉起が望んでいることを彼は見抜いていた。しかし、呉起の恐ろしいところは見抜かれることを前提で包囲を行っていることである。


「だが、包囲形成時の隙はどんな名将であろうとも生まれるもの、さて、仕事を君に任せるとしよう。既に楚王には話はつけてある」


 彼は後ろにいた醜い顔をした男にそう言った。


「いやはや、こんな篭城戦に付き合わされた次は、包囲を突破しろなんてひどくはありませんかね。そもそも自分、楚の人間でもなければ、あなた方、墨家に組みしたことないというのに、はあ、こんな時に斉に来たのが、運のつきだったのか。いや、ここで運を使い果たしたとは限らないですけどね。どうやって運を見れば、良いのかわかりませんし。でも、包囲をこれから突破できるかどうかは運ですよね。もし、ここで運を尽きていたら、死ぬってことですよね。あああ、怖い、怖い、本当に嫌になりますよ。はい」


 男はぐちぐち言いながら、頷いて包囲を突破するために城を出た。


「あの男、本当に成し遂げることができるでしょうか。しかも風貌はあんなですし」


「見かけで判断してはならん。あの男の顔を見て、笑うものはいても彼の言葉を聞いて笑う者は天下にはいないとまで言われた淳于髠じゅんうこんだ」


 墨翟はそう言った。










 淳于髠という男は斉の出身で、若くして奴隷であった男である。しかしながら奴隷でありながら弁術に優れていたようで、顔は醜いが口は上手いと評判であった。


 ちょうど楚から要請を受けて楚に向かおうとしていた時にそんな話を聞いた墨翟は、彼を買って連れてきたのである。


 包囲を突破するときに指示された方角に行くと難なく包囲を突破すると楚が事前に用意していた礼物をもって、秦に向かった。そして、得意の弁術をもって楚との和を請うた。


 秦はそれに同意して、楚と和を結ぶと魏への侵攻を行った。


「おおできた。自分の舌も中々だな」


 淳于髠は自分の舌を指で触りながら、自信が付いたのか。諸侯の間で使者を度々買って出るようになり、諸侯の間で評判になっていくことになる。


 さて、秦への侵攻によって魏の武公ぶこうは元々西の守りを任せていた呉起を急遽呼び戻すことにした。


「これが難攻不落の墨翟か」


 彼は自分と相対しておきながら、その外を見ていたのである。


「目の前のものに囚われ過ぎていたか……見事であるな」


 呉起は墨翟のことを讃えた。


「だが、負けたわけではないぞ。取り敢えず引き分けとしようか」


 彼はすぐさま、魏に戻ると秦の侵攻を食い止め、そのまま破ってみせた。


 こうして、不敗の呉起と難攻不落の墨翟の戦は終わった。










 

 

 



 

 

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