侯嬴
楚は春申君に兵を率いさせ、趙への援軍とし、それに合わせるように魏も将軍・晋鄙に兵十万を率いさせ、趙へ向かわせた。
この事態に対し、秦は使者を送って魏の安釐王にこう伝えた。
「我が国は趙を攻めており、旦暮(朝晩)には降すことができる。もし諸侯で趙を援ける者がいれば、私は趙を攻略してから兵を移して真っ先に攻撃することだろう」
安釐王はこれに恐れて晋鄙の進軍を止めさせ、鄴に陣を構えるように命じた。名義上は趙を救援すると言いつつ、実際は成り行きを見守るということである。
また、将軍・新垣衍を間道から邯鄲に派遣し、平原君を通して趙の孝成王に謁見させた。
新垣衍は魏と趙が共に秦を尊んで帝号を贈ることで秦の兵を退かせるように勧めた。
この時、斉人である魯仲連が邯鄲にいた。新垣衍の動きを知った魯仲連はすぐに会いに行ってこう言った。
「秦は礼義を棄てており、首を献上することを功績としている国です」
秦では斬首の数が多ければ多いほど、戦功も大きくなる。ある意味、殺人を奨励しているようなものである。
「もしも秦が公然と天下の帝になるというのならば、私は東海に飛び込んで死にましょう。秦の民になるつもりはありません。それに、魏はまだ秦が帝を称してから害されることに気づいておりません。私が秦王を使って魏王を烹醢(烹は煮殺すこと。醢は肉醤にすること)にすることもできます」
昭襄王が安釐王を殺すことは間違いないということである。
新垣衍が不快な顔をして問うた。
「先生はどうして秦王を使って我が国の王を烹醢にできると申されるのでしょう」
魯仲連は言った。
「それは明らかなことです。今から説明しましょう。昔、九侯、鄂侯、周の文王という紂王の頃、三公を勤めていた方々がおりました。九侯には容姿が優れた娘がいたため、紂王に献上しました。しかし紂王はその娘をきらい、九侯を殺して醢(肉醬)にしました。鄂侯は九侯のために紂王を強く諫めて、彼の冤罪を訴えました。すると紂王は鄂侯を脯(干肉)にしてしまいました。それを聞いた文王も長らく嘆息したことで紂王の怒りを買って牖里の庫(倉庫)に百日も幽閉して死を望むほどになってしまいました。今、秦は万乗の国であり、魏もまた万乗の国です。共に万乗の国であり、それぞれが王の名を称しておられます。なぜ一戦の勝利を見ただけで秦に従って帝号を贈ろうというのでしょう。これでは、最後は脯醢の地(別の者に生殺の権限を握られた状態)に陥ることになります。しかも、秦を制する者がなくなり、その秦が帝を称してしまえば、天子の礼を用いて天下に号令し、諸侯の大臣を交代させ、秦が不肖とする者の官を奪って秦が賢とする者に与え、秦が憎む者から奪って秦が愛する者に与えるようになりましょう。また、秦の子女や讒妾(讒言を好む女)を諸侯に送って妃姫とさせ、魏の宮に住ませるようになるでしょう。そうなれば、魏王は晏然(安泰・安寧)でいられましょうか。将軍も寵を得ることができなくなりますよ」
新垣衍は立ち上がって魯仲連に再拝すると、
「私は今、先生が天下の士であることを知りました。私は帰国します。二度と帝号を秦に贈るという話は口にしません」
と言って趙を去っていった。
『史記』ではこの後、新垣衍が魯仲連の諫言に納得したため、それを知った秦が軍を五十里撤退させたとある。これに対して意見を述べたものがいる。『資治通鑑』に注釈を行った胡三省である。
「魯仲連の言は秦が帝を称すことの利害を説いただけで、新垣衍が後悔して去ればそれで充分なはずである。秦が五十里撤退する必要はない。これは游談の者が誇大に伝えた言であろう」
流石に行き過ぎと指摘したのである。
「動きませんかのう」
魏の信陵君に侯嬴がそう言った。
「既に進言はしている」
「義兄上の言葉もな」
平原君の夫人は信陵君の姉で、その姉を通じて平原君は頻繁に使者を出して、彼にこう伝えていた。
「私が公子と婚姻を結んだのは、公子が高義によって困窮した人を援けることができると思ったためです。今、邯鄲が旦暮(朝晩)にも秦に降ろうとしているにも関わらず、魏の援軍はまだ来ておりません。これでどうして公子が困窮した人を救えると言えるのでしょうか。公子が私を軽視し、私を捨てて秦に降伏させるのは構いません。しかし公子の姉を憐れだとは思わないのでしょうか」
信陵君は屋敷で横になりながら侯嬴に言う。
「だが、王が動かないのであれば」
「動くことはできない」
信陵君は既に何回も安釐王に趙救援を進言していた。自分の賓客・弁士も進言を繰り返しおこなわせても秦を恐れて安釐王は晋鄙の兵を動かそうとしなかった。
「ほっほほほ、全く難しいものですなあ。天下の大盗賊のように自由に現の世を歩き回れないというものは」
侯嬴はそう言って笑った。
(そんなあなたが動けるようにせねばならない)
数日前、彼が屋敷の外にいる時、黄色い服を着た男が眼の前を歩いて行った。そのとき、男は自分を見てこう言った。
「あなたの寿命はもうすぐ尽きるだろう」
「ほう、そうですか」
侯嬴は男の言葉を嘘とは思わなかった。
「私は、その前にお仕えしている方のために命を使うことはできましょうかのう」
「できる」
黄色い服の男はそう言うとどこぞへと去っていった。
(命が尽きる前にこの方に命を使わねばならん)
そう思いながら、侯嬴は信陵君と始めて会った時のことを思い出した。
侯嬴は才覚を有していたが、七十歳になっても家は貧しく、魏都・大梁の夷門(北門)で監者(門衛)を勤めていた。
そんな中、信陵君は侯嬴が賢人だと聞いて会いに行き、彼に厚い礼物を贈った。しかし侯嬴は拒否してこう言った。
「私は身を修めて行いを潔くし、数十年が経っております。監門を勤めて困窮しているからといって公子の財を受け取ることはできません」
信陵君はその言葉に特に答えず、そのまま去っていった。
その後、信陵君は家に戻ってから酒宴を開くことにした。賓客は集まって席に就き始めた。すると信陵君は車騎を準備させ、左の席を空けて、自ら夷門の侯嬴を迎えに行った。
左の席を空けたのは左が上位を表すためで、侯嬴を尊重する意思を示す。
「どうぞお乗りください」
「ぜひとも」
優しい響きを込めながら信陵君から二つの声が聞こえる。
「ではでは」
侯嬴は笑いながら古くて粗末な衣冠を着たまま直接、馬車の上座に座り、敢えて謙遜する姿を見せずに信陵君の様子を窺った。しかし、信陵君は自ら馬車を御してますます恭しい態度を取った。
道中で侯嬴が言った。
「私の友人が市で屠殺業を行っておりましてのう。車騎を遠回りさせてもらいないかのう」
信陵君は車を御して市に入った。
侯嬴は車から下りて友人の朱亥に会いにいった。
侯嬴は信陵君を横目で見ながらわざと久しく朱亥と立ち話をした。
正視しないというのは不遜な態度を表す行為である。しかも長期間待たせるという無礼を持って、彼は信陵君の態度を観察した。
この間、魏の将相・宗室といった賓客が既に信陵君の屋敷に集まっており、堂を埋めて公子が酒宴を始めるのを待っていた。
市では人々が集まり、轡を持って侯嬴を待つ信陵君を眺めている中、信陵君の従騎(従者)が侯嬴の陰口をたたき始めたが、信陵君はますます和やかな様子を見せた。
暫くして侯嬴は朱亥と別れを告げ、やっと車に乗って信陵君の家に行った。
信陵君は侯嬴を酒席の上座に座らせ、賓客に侯嬴を紹介して褒めたたえた。賓客は皆、みすぼらしい老人が上座に座るのを見て驚いた。
宴が始まって酒がまわると、信陵君が立ち上がって侯嬴の前に行き、寿を祝った。
侯嬴が信陵君に笑いながら言った。
「今日、私は公子を敢えて困らせました。それだけで充分ですので、祝寿は必要ありません。私は夷門で関を守る者に過ぎず、しかしながら公子は自ら車騎を御し、衆人広坐(広坐は人が集まる場所)の中で私を迎えました。また、本来遠回りをするべきではなかったにも関わらず、公子は私のために敢えて遠回りをしてくれました。私はこの時点で、あなた様の人徳に感銘を受けておりましたが、公子の名声を成就させたいと思い、わざと久しく立ち話をし、公子の車騎を市中で待たせました。客(友人)に会うという理由で公子の様子を観察しましたが、公子はますます恭敬になられ、市の人々は皆、私を小人と思い、公子は長者で士に対してへりくだることができると判断したことでしょう」
「先生は賢者でございます」
酒宴が終わると、信陵君は侯嬴を上客とした。
(あの時の御恩をまだお返して出来ていない)
彼がそう思っている中、信陵君は言った。
「しかし、姉上も趙も見捨てるわけにはいかないな」
「秦がこれ以上、強くなれば難しくなる」
信陵君は立ち上がり、食客たちだけで趙を救援しに行くことにした。
「ほっほほほ」
侯嬴は笑うだけであった。
準備を終えて、信陵君が夷門を通ろうとした時、彼は侯嬴が老年のため、ここで残ってもらい、自分は秦軍と戦って死ぬつもりであることを伝えた。ところが、信陵君が彼に別れを告げて出発しようとしても侯嬴は、
「公子は努力してください。老臣が従うことはできません」
と言うだけであった。
信陵君は城を出て数里進んだ。しかし、侯嬴の態度を不満に思って、こう考えた。
「私が先生を厚遇していることを天下で知らない者はいない」
「しかし今、私が死を覚悟したにも関わらず、先生は一言半辞も送ってくれなかった。これは私に問題があるのではないか」
信陵君は引き返して再び侯嬴に会いに戻ると 侯嬴は笑って言った。
「私は公子が戻って来ると知っていました。公子が士を愛していることは天下に知られています。しかし今、難に遭遇した公子は策も持たずに秦軍に立ち向かおうとされています。これは肉を餒虎(飢えた虎)に向かって投げるようなもので、何の功を立てられましょう。また、我々客を用いてきたことに何の意味があるのでしょうか。公子は私を厚く遇してきました。公子が去るのに私が送らなかったため、公子は恨んで必ず引き返して来ると思っていました」
侯嬴の言葉に信陵君は首を振った。
「恨んでいない」
「私の落ち度がないかと恐れただけに過ぎない」
信陵君は再拝して計を問うた。
(優しい方じゃ)
侯嬴は人払いさせてからこう言った。
「晋鄙の兵符はいつも王の臥内(寝室)にあるとのことです。如姫は最も魏王に寵幸を受けておりますので、自由に臥室に入って符を持ち出すことができます。以前、公子は如姫の父の仇を討ったことがあると聞いております。如姫は公子のためになるのならば、命を落としても文句を言いません。今までは恩に報いる機会がなかったのです。公子が口を開けば如姫は必ず同意します。虎符(兵符)を得れば、晋鄙の兵を奪い、北は趙を援け、西は秦を退けられます。これこそ五伯(覇)の功というものです」
かつて如姫の父が人に殺される事件があった。如姫は仇討ちを誓い、可愛い彼女のために安釐王も群臣も仇討ちの機会を探した。しかし三年が経っても実行できず、そこで如姫は信陵君に泣いて訴えた。
信陵君は門客を使って仇を討ち、その首を如姫に献上した。この事があってから、彼女はこの恩に報いたいと思っていた。
信陵君は侯嬴の言に従って如姫に請うて、如姫は兵符を盗んで信陵君に渡した。
信陵君が改めて出発しようとすると、侯嬴が言った。
「将が外にいる際は、君命でも聞かないことがあると言います。公子が兵符を合わせても、晋鄙が兵を譲らず、逆にもし王の指示を求めれば、事が危うくなります。私の友人であります朱亥は力士ですので、彼を同行させるべきです。晋鄙が指示に従うのならば、それが最善ではございますが、もし従わないようならば、朱亥を使って撃つことができましょう」
侯嬴は上客になった際に信陵君にこう言っていた。
「私が会いに行った屠者・朱亥は賢者です。しかし世が彼の能力を知らないために屠夫の中に隠れております」
そのため信陵君は何度も朱亥を訪ねて仕えるように誘ったが、朱亥は辞退し続けていたという人である。
すると信陵君は涙を流し始めた。
「公子は死を畏れおられるのですかな。なぜ泣くのでしょうか?」
信陵君は首を振り言った。
「晋鄙は経験の多い宿将というべき方だ。恐らく私の言うことを聞かないだろう」
「そのため私は彼を殺すことになる。だから泣いたのです。死を畏れることはありません」
彼は侯嬴の進言に従い、朱亥に会って同行を請うた。
朱亥が笑って頷いた。
「私は市井で刀を振るって屠殺を行う者に過ぎないにも関わらず、公子は何回も自ら会いに来てくださり、私はそれに応えませんでした。それは小礼(小さな礼節。恩返し)では何の役にも立たないと思っていたからです。公子に急難がある今こそ、自分の命をかける時です」
朱亥は彼に従った。
信陵君が侯嬴に会いに行って別れを告げた。
「本来は私も従うべきではあるものの、老齢のためできません。公子が行軍する日数を数え、晋鄙の軍営に到着する日に北を向いて自剄し、公子を送り出す代わりとさせてくださいませ」
これは信陵君が行うことの安釐王への謝罪を自ら行うということである。
「先生……」
信陵君は涙を流しつつも拝礼し、出発した。
鄴に到着すると安釐王の命令を偽って晋鄙に兵権を譲らせようとした。しかし晋鄙は兵符を合わせても信用せず、手をかざして遠くを眺めて言った。
「私は十万の衆を擁して境上に駐軍しております。国の重任いも関わらず、単車だけで来て交代するというのはどういうことでしょうか?」
「本来ならば、もっと人が多く来るべきであろうということである」
「そうか、あなたの言うとおりだ」
「残念なことだ」
信陵君がそう言うと後ろで控えていた朱亥が袖の中に隠していた四十斤の鉄椎を振り上げ、晋鄙を撃殺した。
「あなたの功績は忘れることはない」
「されど、あなたが死なねば趙を救えない」
信陵君は軍中に命令した。
「父子ともに軍中にいる者は父が帰れ。兄弟ともに軍中にいる者は兄が帰れ。獨子(一人っ子)で兄弟がいない者は父母を養うために帰れ」
国に守るべきものがあると命を欠けることに躊躇する可能性がある。激戦を前に信陵君は兵の質を高めることにしたのである。こうして八万の兵が選ばれ、趙に向かって進軍を開始した。
ちょうど、この時、侯嬴は北を向いて自剄した。




