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夢幻の果て  作者: 大田牛二
第六章 決定的一撃

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孔斌

 秦が趙を攻撃した際、魏の安釐王あんきおうが諸大夫の意見を求めた。諸大夫は秦による趙攻撃は魏に利があると言った。


 そんな中、孔斌が諸大夫に、


「それはなぜだ?」


 と問うた。


 諸大夫は、


「秦が趙に勝てば、我々は秦に服せばいいでしょう。もし秦が趙に勝てなければ、秦の疲労に乗じて撃つことができます」


 と答えた。それに対して、孔斌は、


「それは違う。秦は孝公こうこう以来、戦って屈したことがない。しかも今は良将である白起はくきが出陣している。疲労に乗じることなどできようがない」


「秦が趙に勝とうとも、我が国に損はないでしょう。隣国の羞は我が国の福というものです」


 孔斌は首を振った。


「秦は貪暴の国であるため、趙に勝てば他国に地を求めるだろう。その時には、魏が秦軍を受けることになる。先人がこういう話を残している。『燕雀が家の屋根に巣を作り、親鳥が子鳥に餌を食べさせている。その様子は仲睦まじく楽しそうであり、鳥たちは安全だと思っている。ところが竈の煙突から炎が上がった。棟宇(家。ここでは燕雀の巣)が焼かれようとしているにも関わらず、燕雀は様子を変えようとしない。禍が迫っていることに気づいていないからだ』と、今、汝らは趙が破れ、魏に禍が訪れるということに気づいていない。汝らは人でありながら燕雀と同じというのか」


 そう言った孔斌は字を子順といい、孔子こうしの六世孫にあたる人物である。


 かつて安釐王が孔斌の賢才を聞き、使者に黄金や束帛を持たせて相に任命すると伝えた時、孔斌は使者にこう言った。


「王が私の道(意見)を実際に用いることができると申されるのであれば、私の道は世を治めることができますので、蔬(野菜)を食べて水を飲むだけの生活を送ろうとも願うところです。しかしただ私の身に服を着せて重禄を与えるだけでしたら、私は一夫(庶民)と変わりがありません。魏王が一夫を不足しているということはないでしょうか?」


 孔斌は虚名を嫌って出仕を拒否したが、使者が頑なに請うため、ついに魏に行った。


 安釐王は郊外で迎え入れて彼を宰相にした。


 宰相になった孔斌は安釐王の嬖寵の官(寵臣)を廃して賢才を登用し、功績がない者の禄を廃して功績がある者に与えた。その結果、職や秩を失った者達が孔斌を怨んで讒言を始めるようになった。


 文咨が孔斌にこのことを伝えると、彼はこう答えた。


「昔から民とは始めを共に考えるということができないものだ。古の世で政治を善くした者でも始めに誹謗を受けなかった者はいない。子産しさんは鄭の宰相となり、三年後にやっと誹謗がなくなった。私の先君(孔子)も魯の宰相になったが三月経ってやっと誹謗が止んだ。今、私は日々政治を新しくしている。私は賢人に及ばないが、誹謗があるのは当然のことである」


 文咨が、


「先君が受けた誹謗とはどのようなものがあったでしょうか?」


 と問うと孔斌は言った。


「先君が魯の宰相になった時、人々はこう歌った。『麛裘(鹿の皮衣)を着て身分が高い者は、捕まろうとも、罪を問われることがない。身分が高くて麛裘を着ている者は、捕まっても過ちを咎められることがない』と、しかし三カ月が経って政治が改められると、民はこう歌った。『裘衣(皮衣)を着て章甫(冠の一種。殷冠)を被っている者(孔子)は、我々の願いをかなえて下さった。章甫を被って裘衣を着ている者は、我々を恵んで私欲がないものばかり』」


 文咨は喜んだ。


「先生が聖賢と変わらないことを知りました」


 孔斌が魏で宰相を勤めてから九カ月が経ったが、大計を述べても用いられることはなく、彼は嘆息して言った。


「進言しようとも用いられないのは、私の言がふさわしくないからだ。主にとって言がふさわしくないにも関わらず、人の官となり、人の禄を受けるのは、尸利素餐(主にとって利益がなく、ただで食事を採ること)というものである。私の罪は深い」


 すると彼は病と称して致仕(引退)した。


 ある人が孔斌に言った。


「王があなたを用いませんでしたが、あなたは去るのですか?」


 孔斌は、


「どこに行くというのか。山東の国はやがて秦に併呑されるだろう。しかしながら秦は不義の国だ。義によって秦に入ることはできない」


 と言って孔斌は家で寝て過ごすようになった。


 そんなある日、新垣固が孔斌に会いに来た。彼は孔斌に言った。


「賢者がいる場所は教化が行き届いて政治が修まると申します。今、あなたは魏の宰相になりましたが、異政(政治が改まること)を聞くことなく自ら退きました。志を得ることができなかったのでしょうか。なぜこのように早々と去るのですか?」


 孔斌は、


「異政がないから自ら退くのです。死病(不治の病)にかかれば、良医と言えども、手が出せず。今、秦には天下を吞食しようという野心があるため、義をもって魏に仕えても安全は得られません。滅亡から救う時間もないのですから、教化を興す余裕もありません。昔、伊尹いいんは夏に仕え、呂望りょぼうは商にいましたが、二国が治まることはありませんでした。これは二人が夏・商の変革を欲しなかったからではありません。時勢がそうさせなかったのです。今の山東諸国は疲弊して振るわず、三晋は地を割いて安寧を求め、二周も屈して秦に入っています。燕・斉・楚も既に秦に屈服しており、二十年を超えることなく、天下は全て秦のものとなりましょう」


 実際には三十八年後に天下は統一される。だが、それほどに秦には勢いがあったということである。




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