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夢幻の果て  作者: 大田牛二
第六章 決定的一撃
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長平の戦い

 趙軍の大将・廉頗れんぱは秦軍を前にして、営塁を固めて出撃しようとはせず、秦軍の疲労を待った。


 趙の孝成王こうせいおうは趙軍の損失が増えているにも関わらず、打って出ない廉頗れんぱが臆病になっていると思い、怒って頻繁に譴責するようになった。


「あまりにも分かりやすぎる」


 秦の宰相・范睢はんしょはそう笑うと、趙に人を送り、千金を使って反間(離間)の計を施した。


 趙国内にこういう噂が流れた。


「秦が畏れてるは、馬服君(趙奢ちょうしゃ)の子・趙括ちょうかつが将になることだ。廉頗と交代すれば、すぐに降伏することだろう」


 その噂は孝成王の元に届いた。


「ふむ、あの者の名声はよく聞いている。趙括を大将としよう」


 この噂を信じた孝成王は趙括を将に任命し、廉頗と交代させることにした。


「それはやめた方がよろしいと思いますぞ」


 新たに宰相となっていた平原君へいげんくんがそう忠告したが、孝成王は聞き入れない。


「ふむ、仕方ないか」


 平原君はこの決定を病に伏している藺相如りんしょうじょに伝えた。自分では説得は無理であるため彼になんとかしてもらおうということである。平原君にはこういう狡さがある。


 話しを聞いた藺相如は体を奮い立たせ、宮中に向かうと孝成王に言った。


「王は名声だけを信じて趙括を用いようとされていますが、それは琴の柱を膠で固定して弾くようなものです。彼はただ父が残した書を読めるだけであって、機に応じて動くことができません」


 琴柱は音色を調整するものだが、それを固定したら音色も調整できなくなる。つまり臨機応変な対応ができないということである。しかし、孝成王は諫言を聞き入れなかった。


 さて、趙括という人物について説明をしよう。


 彼は幼い頃から兵法を学び、天下に並ぶ者がいないと自負していた。


 以前、父の趙奢と兵事について語りあったところ趙奢は趙括に敵うことはなかった。それにも関わらず、趙奢は趙括を褒めようとはしなかった。趙括の母がその理由を問うと、趙奢はこう答えた。


「戦とは命をかけて行うものである。それにも関わらず、括は戦のことを簡単に語りすぎている。我が国が括を将にしなければいいが、もし将にすることがあれば、趙軍を崩壊させるのは括であろう」


 そんな今亡き夫の言葉を今でも覚えていた趙括の母が息子を大将にするのをやめるように上書した。


 本来、母は子の出生を喜ぶものだと考えていた孝成王は疑問に思い、趙括の母に問うと彼女は答えた。


「私が彼の父(趙奢)に仕えていた時、父は将を勤めておられましたが、自ら食事を準備して招待した者は十数人おり、友として交わった者も百人を数えるほどでした。そして、王や宗室によって与えられた賞賜は全て軍吏や士大夫に与え、命を受けた日には家事を問うことはなく、君命を第一にしました。しかしながら今、括は将になるとすぐに東を向いて高位に座り、軍吏は畏れて仰ぎ見ることもできず、王に下賜された金帛は家に隠し、日々、利のある田宅を探して買いあさっております。王は父に匹敵すると思っておられますが、父と子ではあまりにもその心のあり方が異なっております。王は彼を派遣するべきではありません」


 しかし孝成王は、


「母はこの事に関わるな。私は既に決定しているのだ」


 すると趙括の母が言った。


「もしも任を全うできなくとも、私に罪を及ばさないことを請います」


 敗軍の将は罪が家族に及ぶこともあったため、彼女はこう言ったのである。息子の成功を喜ぼうとしない彼女を見下しながら孝成王はこれに同意した。


 見下されるのはどちらであったのだろうか。


 廉頗の元に若き貴公子が現れた。


「廉頗将軍。此度、後任の将となります趙括でございます」


 彼はにかっと笑った。


「王命で既に聞いております。それでは引き継ぎを行うとしましょう」


 廉頗は引き継ぎを進めて最後に言った。


「趙括殿はどのように戦を行われるのでしょうか?」


「柔軟にして臨機応変な戦を行うと思います」


 趙括の白い歯が煌く。


(むう、猛烈に王命に背きたくなったぞ)


 しかしながら王命は王命である以上、逆らうわけにはいかない。こうして廉頗は長平から離れた。












「良し、鉄壁の城が土の城に変わったぞ」


 范睢は大いに喜び、秦の昭襄王しょうじょうおうに秘かに武安君・白起はくきを上将軍に任命し、王齕おうこつを裨将(副将)にするように進言し、更に軍中に、


「武安君が将になったことを漏らした者は斬る」


 という命令が出させた。


 こうして白起が陣中に入るとそこには王齕の他に蒙驁もうごう王翦おうせん麃公ひょうこう張唐ちょうとうがいた。


 白起の旗下で働いたことのある将軍たちである。更にここには司馬梗しばこうもいる。彼は司馬錯しばさくの親戚である。


「宰相も人が悪い」


 白起は皆を眺めてそう言った。


「これでは主上のご意志をあまりにも完璧に果たしてしまうではありませんか」


 范睢は舞台を整えることにおいては、天才的である。しかし、彼の欠点をあげるとすれば、それは軍人という存在への軽視である。それがなければ、彼が宰相の時代に秦は天下を得たかもしれない。


 趙括は軍営に入ると全ての軍令を改め、軍吏を置き替え、廉頗が率いていた時の趙軍が一変した。


「これではあまりにも将兵に混乱が起きませんか?」


 馮亭がそう諌めたかが、趙括は聞き入れなかった。


「さて、攻めなければ相手に勝てないのだ。行くぞ」


 準備が整うたと判断した趙括は積極的に兵を出して秦軍への攻撃を始めた。


「麃公、あれの攻撃を耐えながら後退していくぞ。負けているように見せるのだ。良いな」


 白起の指示に麃公はふた振りの矛をかち合いながら、応と答える。


「蒙驁、王翦の二人はそれぞれ部隊を率いて合図があるまで道中にて待機」


「承知しました」


「仰せのとおりに」


 白起の指示のとおりに破れたふりをしながら撤退していく。


「秦めそれでは強兵の名が泣くぞ」


 趙括は勝ちに乗じて秦の陣営に向かっていく。


「司馬梗。営塁はよろしいか」


「既に完成しております」


 秦軍は陣営に入ると営塁を固く守り、趙軍の攻撃を耐えた。


「いけいけ、どんどん攻めるのだあ」


 趙括は攻め落とせないでいる中、次から次へと兵に突撃を仕掛けさせる。


「おうおう、ここに来るまでに追いかけっこしたばかりであるというのに、元気なことだ」


 王齕は皮肉を込めながら言った。


「しかし、目の付け所は悪くありませんね。こちらの弱いところを重点に突撃を仕掛けさせている」


 白起の言葉に王齕はからからと笑う。


「よくもまあおっしゃられるものですなあ。その弱いところをわざと見せつけて、突撃を仕掛けたところでその弱いところを塞ぎ、相手の突撃を無駄骨にしておられるというのに」


「いえいえ、兵に余裕があるためにできることですからこの勢いのまま続けてこられれば、きつくはなります。まあそれまであちらの兵の体力が持てばの話しですがね」


 ここまで秦軍を追ってくるまでに体力を使い、更にここを攻め落とすために休みなく攻撃を仕掛けている。果たして、趙括には兵の疲れが見えないのだろうか。


「人は見たいものしか見ないと言いますが、敵将は目の前の兵士すら見えないご様子」


 白起は張唐を呼んだ。


「合図を出してから五千騎を率いて間道を塞いでください」


「承知しました。美しき運河を飛び越えるほどの速さで参りましょう」


 彼は花を咥え、飛び出していった。


「変わった人ですね」


「そ、そうですな」


 白起の言葉に王齕は慌てて頷いた。


 合図を受けて、別働隊合計・二万五千を率いる蒙驁、王翦が趙軍の後方を攻めて退路を断ち、同時に張唐が率いる五千騎が趙の営塁に通じる間道を塞いだ。


 趙軍は二分され、糧道が絶たれた。


「なんだと」


 そのことを知った趙括が驚いた瞬間、秦軍が営塁から出てきた。


「突撃」


 白起の言葉に答え、王齕と麃公がそれぞれ兵を率いて趙軍に襲いかかった。


「やっぱ、戦場というものは良いな」


「誠にそのとおりですなあ」


 二人は散々に暴れまわったことで趙軍は破れて営にこもり、塁壁を堅くして援軍を待つことになった。















「白起が糧道を絶ったか」


 昭襄王は白起が趙の糧道を絶ったと知ると自ら河内で十五歳以上の民を総動員して長平に向かうことを決定した。趙の援軍と糧食を阻止するためである。


 それに対して、斉と楚が趙を援けようと動き出した。


 趙は食糧が不足していたため、斉に粟(食糧)を求めた。しかし斉王・けんは食糧の提供を拒否した。


 周子しゅうしが進言した。


「趙は斉・楚にとって扞蔽(壁)であり、歯に唇があるようなものでございます。唇がなくなれば、歯が寒くなります。今日、趙が亡んでしまえば、明日は禍が斉・楚に及びます。趙を援けるのは漏甕(水が漏れている甕)で焦げた釜の火を消すようなものであり、一刻の猶予もございません。趙を救うのは高義なことであり、秦軍を退ければ名声を挙げることができます。義によって滅亡に瀕した国を救い、威によって強秦を退けるのです。このような事に力を尽くさずに、粟を惜しむことは国の計とするのは誤りでございます」


 しかしながら斉王・建は拒否した。


 九月、趙軍の食糧が絶たれて四十六日が経った。もはた食料は底をつき、趙軍内で混乱に陥り始めた。


「恐れることはない。秦軍さえ破れば良いのだ」


 趙括はそう言うと秦の陣営を急攻することを決定し、全軍を四隊に分けて順番に攻撃を繰り返させた。しかし五回、攻撃を行っても秦軍を突破できなかった。


「あきらめず、戦え、戦え」


 趙括は自ら鋭卒を率いて戦ったが、彼の額に矢が射られ、死んだ。呆気ない死であった。


 馮亭はなんとか大将亡き後の趙軍をまとめようとしたが、麃公によって討たれた。


 大将と副将が戦死したことにより、もはや勝てないと判断した趙軍・四十万の兵は秦軍に投降した。


 すると白起は、


「秦が既に上党を取ったにも関わらず、上党の民は秦に帰順することを願わず趙に帰順した。趙の士卒は反覆して一定ではないことがこれからわかる。全て殺さなければ乱の原因となることだろう」


 と言った。


「皆殺しにせよと申されるのですか」


 蒙驁が慌てて説得に当たったが、


「主上のご意志です。主上は愛を知らぬものを許しません」


 白起は断固として譲らなかった。すると王翦が言った。


「彼等のような間違いを犯すものが今後出ないように、年が若い者だけは残して知らしめてはどうでしょう」


「いいでしょう。これで主上のご意志を理解してくだされば良いのですが」


 王翦の言葉に白起は頷いた。


 こうして白起は四十万人を坑殺(生き埋め)にし、年が若い二百四十人だけが趙に還された。


 秦は廉頗と対峙していた時から趙括を大破するまでの間に前後して四十五万人を殺し、趙の若年層がほとんど壊滅することとなった。


 しかしながらこの四十万の坑殺に関しては古くから疑問視する意見が多く出ており、『資治通鑑』の注釈を咥えた胡三省こさんしょうも、


「兵が大敗したわけでもないにも関わらず、四十万人が手をこまねいて死を受け入れるはずがない」


 としている。


 それから後世においても、この戦における合計が四十万の戦死をもたらしたという説や四十万人の坑殺は不可能などといった説もある。


 しかし、この戦いの結果が時代の勝者を決定づける一撃であったことは言うまでもない。





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