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夢幻の果て  作者: 大田牛二
第六章 決定的一撃
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奇貨置くべし

 秦の太子・柱の妃(夫人)を華陽夫人かようふじんという。華陽とは恐らく湯沐邑の名で、それが号になったと言われている。


 大いに寵愛を受けていたのだが、華陽夫人には子ができなかった。


 太子には他にも多くの妾がおり、その一人に夏姫かきという妾がいて、彼女は異人いじんを産んだが、身分が低いために異人は人質として趙に送られた。


 秦は頻繁に趙を攻撃していたために趙は異人を礼遇することはなかった。


 また、異人は庶孽孫(庶孫。太子の庶子なので秦王の庶孫になる)として諸侯の人質となったため、車馬や日常に必要な物の供給もままならず、生活は苦しかった。


「うふふ、何を見ていらっしゃるのですかあ?」


 秦の公子・異人に関する情報が書かれている書簡を見ていた呂不韋りょふいに一人の女性が寄りかかった。彼女はかつて買った少女で、後世では趙姫ちょうきと呼ばれる。


「いや何、未来の売り手の情報を見ていただけさ」


「そうでしたか。それよりも早く、床に行きませんかあ?」


 趙姫は呂不韋の耳に息を引きかける。


「仕方ないな」


 そう言って彼は彼女と共に床へ趣いた。











 呂不韋は趙から離れ、実家である濮陽に戻った。そして、父に会うとこう切り出した。


「耕田の利益は幾倍になることでしょうか」


「十倍になるだろう」


「珠玉の儲けは幾倍になることでしょうか」


「百倍になるだろう」


「国家の主を立てば場合は幾倍でしょう」


「数え切れないだろうな」


 それを聞き、呂不韋は、


「田圃で汗を流して働こうとも暖かい衣服とありあまる食料を得られるとは限らないものです。ここで国君を立てることができれば、その余沢は子孫に及ぼすことができます。今、趙には秦の公子がおり、人質となっております。私は彼に仕えようと思います」


「存分にやると良い」


 そう言って父は彼に千金を与えた。呂不韋は深々と頭を下げた。











 呂不韋は異人の屋敷を訪れた。


「商人の呂不韋でございます。此度、公子様に献上致したい物があり、参上致しました」


 すると異人が扉を開いて現れた。


(使用人を雇う金にも苦しむ状況か)


 呂不韋がそう思っていると、


「献上したいものとはなんだ?」


 異人はそう訪ねた。


「あなた様の門を大きく(家を豊かに)する方法を献上致したく参りました」


 異人は苦笑した。


「あなたはまず自分の門を大きくすれば良いだろう」


 それから来いとばかりの言葉である。


 すると呂不韋はこう返した。


「あなた様は知らないのです。私の門はあなた様によって大きくなるのです」


 異人は無言になり、じっと彼を見た。一体、何が目的なのかを考え、


「良かろう話しを聞こう」


 わからないため、取り敢えず屋敷に入れることにした。


「もてなしは期待しないでもらいたい」


「構いませんよ」


 二人は向かい合うように座った。呂不韋が切り出した。


「秦王は既に年老いております。太子は華陽夫人を愛しておられますが、夫人には子がおらず、あなた様には兄弟が二十余人がおり、子傒(恐らく太子の諸子の中で最も年長の者)に国の業を受け継ぐ資格があり、士倉しそう士会しかいの子孫という説もある)が補佐しています。あなた様は中間に位置しており、それほど寵愛も受けておらず、しかも久しく諸侯の質になっておられます。太子が即位してもあなた様は後嗣の地位を争うことができないでしょう」


 異人は不満げに、


「それではどうすればいい?」


 と問うと、呂不韋はこう答えた。


「適嗣(後嗣)を立てることができる力を持っているのは、華陽夫人だけです。私は貧しい身ではございますが、千金を使ってあなた様のために西遊し、あなたを後嗣に立ててみせましょう」


 異人は笑った。そんなことはできるわけがないと思うがためである。しかしながら彼の心の中からこの貧しさから開放されたいという思いがあったのだろう。


「もしもあなたの策の通りになったとすれば、国を分けてあなたと共に治めることだろう」


「では、始めさせていただきましょう」


 そういうと彼は手元にあった五百金を差し出した。


「先ずはこちらの五百金で広く賓客と交流させられませ」


 公子にも関わらず見たこともない大金に異人は頷いた。


 もう五百金を持って呂不韋は秦を向かう途中で、これらを使って奇物玩好(珍宝)を買い集めると秦に入り、華陽夫人の姉に会った。


 姉を通して奇物を華陽夫人に献上し、異人が賢人であること、天下の賓客と交流があること、日夜泣いて太子と夫人を想っていることなどを伝えさせた。そして、呂不韋は最後にこう加えた。


「異人は夫人を天とみなしています」


 これを聞いた華陽夫人は笑みを浮かべ、姉に面白い人ねと言った。


 呂不韋はそれを聞いて手応えを感じ、姉から華陽夫人にこう言わせた。


「色によって人に仕えている者は、色が衰えれば、愛も緩むもの。今、夫人は愛されおられますが、子がいません。繁華な時(容色が盛んな間)に諸子の中から賢孝な者を選んで適(嫡。後嗣)に立てれば、色が衰えて愛が緩んだとしても、一言を述べることができるでしょう。異人には賢才がありますが、彼自身も自分が中子(兄弟の中間の子)なので適になれないことを理解しております。もし夫人が彼を選んで推薦されれば、異人は国がない状態から国を有する状態になり、夫人も子がない状態から子を有する状態になります。そうなれば終身、秦の寵を受けることができましょう」


 納得した華陽夫人は機会を探して太子にこう言った。


「異人は絶賢で、往来する者が皆、褒めたたえているそうです」


 そう言ってから泣き出すとこう言った。


「私は不幸にも子がおりません。異人を後嗣に立てて私の身を託したいと思います」


 太子はこれに同意し、すぐ華陽夫人と共に玉符を作って後嗣にすることを約束した。厚餽(厚い財物)が異人に送られた。また、華陽夫人は呂不韋に異人を援助するように請うた。


 この後、呂不韋が貴人と関わらせたため、異人の名声は諸侯に知られるようになっていった。


 だが、呂不韋の狙いは異人の名声だけではない。貴人を集めた宴を開くと多くの者が集まった。


「ようこそいらっしゃいました平原君へいげんくん


「汝が公子・異人の後ろ盾の呂不韋か」


「左様でございます」


 なぜ、平原君が異人の元を訪れたと言えば、秦との交渉に重要と判断したためである。


「秦との交渉の切り札とお考えでしょうが、まだ公子にはそれほどの権力はありません」


 呂不韋の言葉に平原君は頷いた。


「そうだな」


「しかし、公子を下手に扱えば今後の秦と趙との関係が揺らぐ可能性がある。そうですね」


「そうだな」


「このようにあなた様がここへ参られたのは今の戦いの後の秦と趙の関係のためでございますね」


「そうだ」


 平原君は頷いた。


(秦との戦いで起こりうる結果に不安があるのだな)


 呂不韋はそう思いながら言った。


「では、如何なる事態になろうとも守ってくださる。それでよろしいでしょうか?」


「そうだ。君の商談にもできるだけ乗ろうではないか。だが、こちらの頼みも聞いてもらうぞ」


 呂不韋は拝礼した。


「承知しました。では今後共ご贔屓に」











 宴が始まると呂不韋の使用人たちが異人の使用人として客人をもてなした。そして、芸女が出てきた。その中に趙姫がいた。


 それを一目見て、異人は宴の後、呂不韋に言った。


「先ほどの女子はなんという?」


「趙姫と申します」


「では、その女子をもらってもよろしいか?」


 その時、異人は何かを見た。


「お、怒っているのか?」


 あまりにも恐ろしい何かを見てしまったと思った震えながら異人は呂不韋に言った。すると呂不韋はにっこりと笑った。


「構いませんよ」


「そうか」


 こうして趙姫は異人に献上されることになった。


「どういうことよ」


 趙姫は呂不韋に掴みかかった。だが、そうする前に呂不韋に手を掴まれてしまう。


「どういうこととは?」


「私は、あの秦の公子に献上するってことはどういうことかって聞いているのよ」


「ああ、それか。良かろう。これから王になる方の妻となるのだぞ」


 呂不韋は笑う。


「ふざけないで、何様のつもりよ」


 彼女はなおも激高するが、呂不韋は素知らぬ顔である。


「あなたにとって私はなんだったの?」


 呂不韋は首を傾け言った。


「品物かな」


「人を人とも思っていないのね……あはははっ」


 趙姫は狂ったように笑い、最後に言った。


「この報いは絶対に受けてもらうわよ」


「楽しみにしているよ」


 趙姫は呂不韋の元を去った。一人となった呂不韋は思う。


(芸術とは悲劇を持って、芸術となる)


「さあ、趙姫はこの悲劇によって芸術となる」


 そして、自分を破滅へと追い込む。


「なんと素晴らしい。実に楽しみだ」


 屋敷の中、笑い声が轟く。



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