無言の敬意
明日は新春スペシャルとして0時と12時の二話投稿をします。
ストックとは消費するためにあるのです。
斉の安平君・田単が趙軍を率いて燕を攻め、中陽(または「中人」)を取った。その後、韓を攻めて注人を取った。
この戦いの間、斉の襄王が死に、子の斉王・建が即位した。
彼はまだ若く、国事は全て母の君王后によって決定されることになる。
因みにこの斉王・建が斉の最後の王となる。
田単はその後、君王后に趙と良好な関係を結ぶため、自分を趙の宰相に据えるように趙へ通達を行うことを願った。
「いいでしょう」
(邪魔なやつが消えるならば結構)
「感謝致します」
(引き際というやつだな)
この翌年、太后が世を去ることになるため趙は田単を宰相に据えることを受け入れることになる。救国の英雄である田単は何とかその首の皮を一枚繋げることができた。
田単はそれからしばらくして世を去ることになる。
秦の宰相・范雎は韓への侵攻を行うことを決定し、彼を信頼している昭襄王もこれに同意した。
だが、軍人たちからは少しばかり反発が起きた。
理由は簡単である。范雎が鄭安平を大将として行かせると述べたためである。
素人が大将ということに反感を持ったのである。
「素人が率いるということで反感を覚えるのはわかる」
范雎は白起の屋敷を訪れて彼にそう言った。
「だが、誰もが最初は戦の素人であろう」
「まあ、そうかもしれません」
初陣からとんでもない結果を出し続ける白起からすると素人どうのこうのは理解できない。
「優秀な将兵の数が多い分には良かろう。鍛える意味でも必要であると私は考えているのだ。経験を積むことが戦を勝つには必要なことだと私は考えている」
「そうですね。しかしながら戦に勝つには(主上への)愛を理解し、(主上の)ご意志を理解できるように勤めれば良いのです」
「確かに(将兵への)愛を理解して、(国の)意思を理解して行動することも重要ではあるな。しかし、そのためにも経験を積むことは大切であろう。どうだろうか。誰か鄭安平の傍で補佐してやれる副将候補はいないだろうか?」
流石に素人同然の鄭安平がしっかりとした結果を残せるとは范雎とて思っていない。そのためにも優秀な補佐が必要であると考えていた。
「彼は真面目で実直な男だ。補佐の言うことはよく聞くであろう」
「そうですね。では、王翦はどうでしょう」
「王翦……確かこの前二十代になったばかりと聞いているぞ。若すぎはしないか?」
もっと歴戦の将を候補にしてくれると思っただけに范雎は疑問に思う。
「確かに若いのですが、私は彼の軍ほど静かな軍は知りません。初陣ですし、あまり扱いづらそうな軍を率いるよりは良いのではないでしょうか」
「そうだな。そのとおりだ。感謝する」
「いえいえ、戦は何よりも(主上の)愛を知ることです。鄭安平殿にもよく聞かせてあげてください」
「ああ、(将兵たちへの)愛を知ることだな。伝えておくとしよう」
すると白起はにっこりと笑って言った。
「宰相は戦に出たことはないと聞いていましたが、(主上の)愛をしっかりと理解されていますね」
「ああ、(将兵への)愛は軍を率いる上で大切なことであろうからな」
「では、王翦の方へは私が伝えておきますので」
「感謝する」
こうして范雎が去ると白起は王翦の元に向かった。
「私を副将にですか……」
相変わらずの無表情で王翦は言った。
「そうだ。気が進まないか?」
「命令とあらばそれに答えるのみでございますので、気が進まないなどということは申し上げることはございません。副将としての任務を果たすのみでございます。ただ宰相様は……」
王翦はそこまで言ってからこう言った。
「鄭の子皮の間違いを成されようとされており、誰も子産に成ろうという方がいないのだなと思いまして」
かつて鄭の子皮が自分が寵愛している臣下に大仕事を任せようとしたことがあった。それを子産が諌めて子皮が受け入れたという逸話のことである。
「私は書物を読まぬため、そういった方々を知らないが、宰相も深く考えての判断であろう。宰相の言うには鄭安平は真面目で実直な方であると申されている。あなたの兵術を実際に見ることで成長してもらいたいとのことだ」
(ますます子皮の失敗を真似ているようだ)
王翦は范雎の言葉を聞いて内心、笑う。
「しかし、なぜ私を副将に推薦されたのですか?」
「あなたが初陣を飾る際に蒙驁を副将としたいと言ったことと同じことですよ」
王翦が初陣を飾る時に彼は白起に自分の副将に蒙驁を据えて欲しいと願ったことがあった。それを聞いた他の諸将は初陣もまだにも関わらず、蒙驁を副将にしたいと大将になったつもりで願ってきたことを笑った。しかも副将にしたいと言ったのは白起の副将である蒙驁をである。
結果だけを見れば彼が副将として蒙驁を従えることはなかった。だが、白起は蒙驁を大将とし、その副将に王翦を据えた。
「あなたが大将としての器がどうかはまだ判断ができませんので、あなたの願いは聞き入れることはできませんでしたが、蒙驁の副将として彼から大いに学ぶことはできると思います。存分に己の糧になされよ。あなたが副将の人選に拘ったように副将は大将の元で責任の思い立場です。そのことを自覚して励まれますように」
かつて初陣時のかけられた言葉を思い出しながら王翦は静かに頭を下げた。
「ご期待に添えるように致します」
こうして鄭安平を大将、王翦が副将として韓へ侵攻した。
これに韓は鷹の兜が印象的な暴鳶を派遣した。
(経験豊かな将が相手か……)
王翦としては分が悪いと感じつつも副将として期待に答えなければならない。素人大将である鄭安平に進言した。
「少曲と高平へ銅鑼を鳴らしながら降伏勧告してください」
銅鑼を鳴らすのは白起が来たと思わせるためである。
「それでは私が臆病な将と思われてしまう。どうしても宰相の恩義のためにも戦果を挙げたいのだ」
しかし、鄭安平はこれを却下する。
(余裕がないな)
この進言は初陣時の経験によるものである。蒙驁はできる限り最初に降伏勧告を行うようにしている。
「これで降伏してくれるならば良い。降伏しなくとも……こちらに余裕があるように見える。そうは思わないか?」
彼の言葉に王翦は初陣時の緊張が少し解けたことを覚えている。
(大将は余裕を持たねばならない)
彼としてはそう考える。
(だが、大将の方針には従わなければならない)
「では、敵将は暴鳶です。堅実な戦をすることで有名な方です。どのように戦われましょうか?」
「韓兵は弱く、秦兵は強い。真っ向から叩けば良かろう」
鄭安平の言葉に王翦はやれやれと頭を抱える。
(なんと考えなしの言葉か……)
そうも戦が単純ならば物事は簡単なのである。
「承知しましたでは、真正面からの決戦ですね。指示の助言は行いますので、実際に指揮をしてみましょう」
王翦は鄭安平のやりやすい形を取ることにしつつ自分の旗下の兵たちに準備を始めさせた。
因みに王翦の旗下の軍には他の軍にはない軍令がある。
「主将への称賛の言を述べることを禁ずる。批難の言葉を述べることを許す」
というものである。
そのため兵たちは王翦がどのような戦果を挙げようとも称賛の声を挙げず、彼に似て淡々と己の任務を行う兵たちである。
その後、秦軍と韓軍がぶつかった。
「右へ兵を送るよう指示を出してください」
「わかった」
王翦の助言を受け、鄭安平は指示を出す。
(ぎりぎりだな)
現状、韓軍の動きに秦軍は後手に回ってしまっている。
「鄭将軍。相手の動きを予測することが重要です」
「わかっている」
(前進させた方が……)
王翦は鄭安平の鈍感さに表情こそ変えないが、焦りを覚える。
「鄭将軍。ここは一気に前線を押上げて秦兵の強さを韓兵に見せつけましょう」
「そうだな。全軍前進」
その間に王翦は自分の兵に韓軍の後方に兵を回すように指示を出した。
(ここは鄭将軍の兵に犠牲になってもらおう)
多少の被害は仕方ないと判断し、王翦は勝負に出た。
しかし、この動きが見抜けないような暴鳶ではなかった。
「秦軍め素人を大将にしたようだな」
わかりやすい策ではないかと思いながら後方から襲ってこようとする兵への備えを行った。
「良し、これで相手の策は封じれるな」
そう言った瞬間、王翦は鄭安平に進言した。
「そのまま一気呵成に突撃を指示してください」
「わかった」
王翦は一気に前方の兵へ一気呵成に突撃を仕掛けることを指示した。
「おのれ、別働隊は囮か」
暴鳶は舌打ちする。秦兵の強さは本物であり、被害を恐れずに攻めかかれてしまっては韓軍の前線が崩壊し始める。
だが、ここで後方の備えを解けば、別働隊が襲いかかるだろう。
「後方の部隊を意識した時点で負けていたか」
暴鳶は天を仰ぎ、退却を決めた。
「引き際の早いことだ」
王翦はそう呟くと鄭安平に助言しながら少曲と高平を落とした。
鄭安平の兵たちからこの結果への称賛が鄭安平へ向けられる。
「真面目で実直か……」
称賛の言葉を聞いて喜ぶ鄭安平を横目で見た後、自分の旗下の軍へ戻りながら思う。
(真面目にこの結果を自分の結果として、ここで得たであろう自信で実直に戦を行うか……それが上手くいくならば良いだろうか……)
静かな自分の軍に着くと兵たちに労いの言葉を述べていく。
それに対して静かに兵たちは王翦へ敬礼を持って答える。軍令によって称賛の言葉を述べることは禁じられている。
なぜ、王翦はそのような軍令を行うのか。それは自分にとって勝利というのは当然あるべき結果であると考えているからである。呼吸をすることに人は力を用いることはない。食事をする時に人は力を用いることはない。
それと同じである。勝利とは当たり前にあるべきものなのである。だからと言って彼はうぬぼれているわけではない。だからこそ批難を行うことを兵たちに許している。
静かに淡々と戦を行い、当たり前のように勝利を得ようともそれを誇ることはなく、淡々とあるこの若き将軍に対して、兵たちは静かに敬礼を行い、頭を下げる。
無言であることこそが王翦への最大の敬意なのである。