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夢幻の果て  作者: 大田牛二
第六章 決定的一撃

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觸龍

 一つの星が落ちようとしている。


「あいやぁ王様。ご機嫌は如何ですかな?」


 道化のように平原君へいげんくんは兄・趙の恵文王けいぶんおうに言った。


「今は兄と呼んでも構わない」


 恵文王は細い声で横になりながらそう言った。


「では、兄上。ご機嫌は如何ですかな?」


「良好だよ」


 平原君の言葉に静かに恵文王は笑みを浮かべた。


「それはそれは……」


 兄の言葉に平原君は目を細める。


「お前の食客たちも十分増えたようだな」


「ええ、まあ孟嘗君もうしょうくんほどではありませんがね」


 平原君に食客を集めるように言ったのは恵文王である。彼が即位してから父・武霊王ぶれいおうが死んでから平原君のことに頭を悩ましていた。


 父に甘く育てられたためか世間知らずなところが多く、自尊心も強い部分があった。そのため人の上に立たせると危険であろうと考え、弟の性格を熟知している恵文王は、


「孟嘗君という凄い人がいてだな」


 と、食客を集めるとそんな凄い人と肩を並べるかもしれないと言うと平原君はあっさりと乗られて食客を集めるようになった。


 恵文王は彼等を通して世間を知ってもらい。人をまとめる難しさを理解してもらおうとした。意外にも平原君は身分の低い者とも付き合えるところがあったため、以前ほどではなくなった。


(それでも色々と問題のあるのがなあ)


 どうも弟の変な甘さが未だに残っているのが気になるが……


しょう。お前はどうも人に頼られると安請け合いするところがある。これからお前も国家の重責を担う。慎重に、慎重に行動を行うように……それが兄としてお前に残せる言葉だ。良いな」


「はい……」


 この数日後、恵文王は世を去った。我慢に我慢を重ねた人生でありながら数多の名臣と協力しながら秦と渡り合った人であった。


 太子・丹が立った。これを趙の孝成王こうせいおうという。










 紀元前265年


 秦が趙を攻めて三城を取った。


 孝成王は即位したばかりであるのを狙ったものである。彼は若いため太后が政治を担う政治体制を敷いていたが、その太后はちょうど病に倒れており、強い指導者に欠けていた趙は斉に援軍を求めた。


 すると斉はこう要求した。


「長安君を質(人質)として送れ」


 長安君は恵文王の少子(孝成王の弟)である。母の太后は長安君をとても寵愛していたため、斉に送ることに反対した。そのため斉は出兵を拒否した。


 平原君を始め、趙の大臣たちは太后を強く諫めたが、太后は左右の者にこう宣言した。


「今後、再び長安君を質にするように勧める者がおれば、老婦はその面に唾をかけてやろう」


「あいやぁ。気の強い姉上だ」


 平原君はこの宣言に肩をすくませた。


「それでも何とかしなければならないでしょうなあ」


 そう言ったのは左師(左師公)・觸龍しょくりゅうである。


「国のためじゃあ。この老骨が骨を折りましょうぞ」


「感謝致します」


 觸龍はほっほっほと笑いながら太后への謁見を求めた。


「宣言したのに来るなんて」


 太后は觸龍が諫言に来たと思って不快になり、気を荒くして觸龍を待った


 觸龍はゆっくり歩いて入室し、座ってからこう言った。


「老臣は足が不便でございまして、早く歩くことができず(貴人の前では速足で移動するのが当時の礼)、久しく謁見もしてまいりませんでしたが、自分で自分を赦してきました。しかし太后の体に苦があることを心配しまして、こうして謁見を願った次第でございます」


 太后はきりきりしながら、


「老婦は輦に頼らなければ動けませんよ」


 と言った。すると觸龍は世間話をするかの如く問うた。


「食は減っていましょうか?」


「粥を食べるだけです」


 觸龍は笑って言った。


「ほっほっほ、私は最近は食欲がないのですが、自分を奮い立たせましてな。毎日三四里は歩き、少しでも食欲を出そうとしています。おかげで体も楽になりました」


 すると太后は、


「老婦にはとてもできませんね」


 と笑いながら言った。


 世間話をしているうちに、太后の顔から不和の色が少しずつ消えていった。ここで觸龍はこう切り出した。


「私には賎息(愚息)の舒祺がおりまして、最も年下で、不肖な子です。しかし私は老衰したために彼を憐愛しています。黒衣(衛士)の欠員を補って王宮の守りに就かせたいと思いますので、このことを敢えて太后にお願いしとうございます」


 太后が問うた。


「わかりました。年はいくつでしょうか?」


「十五歳です。まだ若すぎますが、溝壑を埋める前に(死んで骨を埋められる前に)託したいと思っております」


「丈夫(男)でも少子を愛すものでしょうか?」


 觸龍は笑みを浮かべた。


「婦人より愛すものと言えましょうなあ」


 太后は笑った。


「婦人も甚だしいものです」


 すると觸龍は、


「私が見るところ、媼(老婦人。ここでは太后)は長安君よりも燕后を愛しているようですな」


 燕后は太后の娘で燕の国君に嫁いでいる。


 太后は首を振った。


「それは誤りです。長安君に対する愛の方が大きいです」


 子供への愛情の差を言葉にしてしまうところがこの人の面白いところである。


 すると觸龍はこう言った。


「父母が子を愛する際には深遠の計を考えるものです。媼が燕后を送り出した時、踵にすがりついて泣かれましたのは、遥か遠い燕に行ってしまうために哀しくなったからです。燕に去ってからも子を想わなかったはずはございません。しかしながら祭祀のたびに『娘を帰らせないでください』とお祈りをされました。これは長久の計のためであり、娘の子孫が王位を継承して欲しいと願っているためではありませんかな?」


 太后は頷いた。


 觸龍は続けて言った。


「今から三世前までさかのぼってお考えてください。趙王の子孫で侯になった者の中に、今まで爵位を継承している者はおられましょうか?」


「いませんね」


「趙だけでなく、諸侯においてはどうでしょうか。王の子孫で侯を継承している者はいるでしょうか」


「聞いたことがありませんね」


 觸龍は言った。


「禍が近い場合は己の身におよび、禍が遠い場合は子孫に及んでいるために侯を継承している者がいないのです(侯の爵位に就いても本人か子孫に禍が起きているから爵位が続かないのです)。人主の子でありながら侯になった者は皆、不善(能力がない)であるためでしょうか(国王の子で侯になった者は能力がないから子孫が継承できないのでしょうか)。そうではないと私は考えております。位が尊いにも関わらず、功がなく、俸禄が厚いにも関わらず、労がなく、それにも関わらず、多数の重器(宝器)を享受しているからです。今、媼は長安君に尊位を与え、膏腴(肥沃)の地に封じ、多数の重器を与えておられますが、国に対して功を立てる機会を与えておりません。もしも一旦に山陵が崩れますれば、(太后が死んでしまえば)、長安君は何に頼ってこの国で位を存続されれば良いのでしょうか。媼が長安君のために長い計を立てようとしないため、私は長安君に対する愛が燕后に対する愛に及ばないと思ったのです」


 これは今まさに病に犯されていると言っても良い太后にとってきつい言葉であった。確かに自分が死んだ後、あの子はどうなるのかと考えると心配になった。


「わかりました。あなたの自由にしなさい」


「承知しました」


 こうして長安君が人質となり、車百乗を率いて斉に赴いた。すると斉は約束通り兵を出し、秦軍は撤退した。


 この話を趙の賢人・子義しぎが聞いてこう言った。


「人主の子には骨肉の親情があるものの、それでも無功の尊位と無労の奉禄に頼り、玉のような重宝を守ることはできない。我々のような庶人ならなおさらであろうな」


 この翌年、太后は世を去っている。




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