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夢幻の果て  作者: 大田牛二
第一章 戦国開幕
12/186

分水嶺

大変遅れました。

 紀元前403年


 周の威烈王いれつおうが晋の大夫である魏の文公ぶんこう(魏斯)、趙の烈公れつこう(趙籍)、韓の景公けいこう(韓虔)を諸侯に封じた。

 

 三卿は晋で権力を握り、国君を無視して国を三分するようになった。本来であれば、周王は彼等三卿を誅殺するべき立場にいたが、威烈王は三卿を誅滅せず、逆に諸侯に封じた。


 この事件を『資治通鑑』は名分を重んじて、この事件を筆頭に置いた。これを書いた(編集したというのが正確)人物は司馬光しばこうという。彼は北宋時代の人で、この時代からは遥か後の人である。


 彼が『資治通鑑』を書いた上で、最初に持ってきたのは、この三晋の建国を持ってきたというのが、この『資治通鑑』のテーマに関係している。


『資治通鑑』における司馬光の込めたものは歴史上で起こった事柄から君臣関係とはどうあるべきなのか。人とはどうあるべきなのかというものである。


 彼のこの『資治通鑑』の面白いところは司馬遷しばせん以来、歴史書の作成において主流であった紀伝体ではなく、編年体で作ったことであろう。


 まあ、司馬光に言わせれば、『春秋』、『春秋左氏伝』の頃の本来の歴史書の書き方に戻っただけだと言うだろう。


 因みに司馬光が七歳の頃、『春秋左氏伝』の講義を受けると家に帰って、家族に暗証して見せたという。


 彼もまた、『春秋左氏伝』に魅せられた一人なのかもしれない。


 紀元前402年


 威烈王が世を去った。子の安王・驕が立った。


 その頃、楚が宋へと大侵攻を行おうとしていた。そのため宋はある一団に助けを求めた。


 その一団の名は墨家である。


「しかしながら本当に勝つことができるでしょうか?」


 墨家を率いる墨翟ぼくてきにそう言ったのは弟子の鬼谷きこくである。


「楚軍は相当な大軍で参るとのことです。師の戦における強さは存じておりますが、それでも相当な被害が出ることでしょう」


「そうならぬために私たちは来たのだ」


 墨翟はそう言うが、鬼谷は不満そうな表情を浮かべる。


「されど、師といえども戦となればどうしても被害が出てしまいます。それを望まぬが故に師は非攻を主張されているはず、これは師のおっしゃられる理想とは合わないのではありませんか」


「何が言いたい」


「このように虐げられている小国を助ける。確かに美徳かもしれません。しかし、それだけではとても根本的な解決にならないと申しているのです。もっと確かな解決を図るべきではありませんか?」


 墨翟の行っていることは目の前の小国の危機は救えても戦争を無くすことにはならない。


「具体的には?」


「今できることでは、楚王暗殺」


 鬼谷の考えは戦争を求める楚の声王せいおうを暗殺し、新たに即位するであろう新たな楚王との交渉をもって、平和的な解決または妥協を図るというものである。彼は弁術には自信があった。


「ならぬ」


 墨翟は首を振った。


「なぜです」


「そのようなことでは憎しみの連鎖を増すばかりだ」


「ここを血の海にするよりは確実ではありませんか」


「鬼谷よ……」


 墨翟は彼を諭すように言った。


「目の前のことを解決するだけが目的を果たすということではない」


「目の前の問題を解決しなければ、先にも進めないのでは?」


 鬼谷はそれでも納得しないでいたが、墨翟は楚との戦いの準備をするよう命じて、彼から離れていった。


「たった一人の死でここにいる多くの者を救うほうが、血が流れる量は少なく済むではないか」


 彼はそう呟いて、城から出た。








 鬼谷は色んなところで声王を暗殺するための刺客を用意しようとしたが、中々用意はできなかった。


 そんな彼が最後の望みを賭けて出向いたのは、大盗賊・盗跖とうせきの根城であった。


「これが盗跖の根城か……」


 盗跖の根城は天下の至るところにあるため、中々尻尾を掴むことができないが、地元の者の噂ではここに戻っているとのことであった。


 彼は自分の弁に自信があったが、ほとんどの者に相手にされてこなかった。だが、それでも諦めるわけにはいかないそう思いながら乗り込んだ。


 盗跖には結構簡単に会うことはできたが、周りは剣を持った手下ばかりであった。


(ここで恐れるわけにはいかない)

 

 鬼谷は勇気を振り絞り言った。


「この度、大盗賊でございます盗跖殿にお会いしに参りましたのは、お願いがあってのことでございます」


「願いとは?」


「楚王の暗殺」


 盗跖の問いかけに彼がそう答えると周囲の部下たちはざわつく。


 一方、盗跖の様子は周りとは違うものであった。


「楚王の暗殺は確かに困難でございますが、それ以上に大きな名誉が与えられるものでございます。何せ、この一挙によって多くの民が救われることになるのです」


 鬼谷はそう熱弁を奮う中、盗跖は考え込むように顎に手を当てた。


(これは今までと違っていけるのではないか?)


 彼はそう思って更に熱弁を振るう。


 だが、この時、盗跖は彼の言葉をほとんど聞いてはおらず、前に来ていたある者の言葉を思い出していた。







 その者が来たのはつい数日前のことである。そいつは長い髪をした童子であった。


 子供がこんなところに来るのも可笑しいが、そんな子供に誰も気付くことなく、盗跖の元まで来たのも奇妙であった。


「おじちゃんが盗跖って人?」


「そうだぞ、糞餓鬼。俺が天下第一の大盗賊の盗跖だ。ところでどうやってここにやって来た?」


 盗跖の言葉を特に気にせず、童子は言った。


「大盗賊なら、何でも盗むことができるの?」


「俺を誰だと思ってやがる。天下第一の盗跖だぞ。当たり前だ。どんな富豪の宝だろうが、命だろうが、盗んでみせるさ」


 すると童子は笑いながら言った。


「じゃあ、天を盗んでみてよ」


 彼の言葉に思わず、盗跖は面を食らった。


「天だと、天を盗めってか。そんな形の無いもの盗めるかよ」


 童子はけらけらと笑いだした。


「じゃあおじちゃんは大盗賊じゃないね」


「おいおい、糞餓鬼、いつまでもお前の屁理屈を聞いているほど俺は心は広くねぇぞ」


 盗跖は馬鹿にされたと思い、剣を取った。その時、童子は上に右手を伸ばし、拳を開いた。


「だって、大盗賊は天の時を盗んでみせる者のことを言うんだよ?」


「天の時を盗む……」


 盗跖は何故か全身に何かが走ったかのような衝撃を受けた。一方、童子はにへらと笑うとどこぞへと去っていった。







(天の時を盗む)


 それが何なのか盗跖は未だにわからないでいた。


 たかが子供の屁理屈に何故、こんなにも悩むのか盗跖は理解できていない中、鬼谷がやって来た。何でも楚王を暗殺を依頼したいというものであった。


(楚王の暗殺)


 流石の盗跖もやった事の無い仕事である。以前、手下が間違えて、晋君を殺したことはあったが……


(あの時のことがきっかけで魏君は発言力を強めた)


 天の時を盗むというのは、歴史を動かすということではないか。今の魏の成長ぶりを見れば、自惚れるわけではないが、そのきっかけの一旦に自分は関わった。


(あの童子は天の言葉を伝える使者だったのか?)


 自分に歴史を動かす一助を担えという天の意思。そして、今、目の前に来ている楚王の暗殺。それを行うことが歴史を動かすことなど、童子は言っていたのか。天の意思が言っているのか?


(こんなことで歴史が動くというのか。そんなことが……)


『だって、大盗賊は天の時を盗んでみせる者のことを言うんだよ?』


 あの童子の言葉が頭から離れない。


(天の意思だと、俺は天下の盗跖様だぞ。この俺が何故、そんなことをしなければならない)


 彼は歯を食いしばり、立ち上がった。


「良いだろう。その仕事受けてやる」


「なんと、流石は盗跖殿」


 鬼谷は喜ぶが、周りの手下たちは驚く。


「流石に楚王の暗殺は拙いですぜ首領」


「そうです。危険すぎる」


 手下たちが止めようとするが、盗跖は聞き入れず、


「俺一人でやる。皆、ここは頼むぞ」


 そう言って、根城を出ると進軍を始めようとする楚軍の元に向かった。






 夜の帳が降りる楚の陣地にて、


「さて、見回りの時間だ」


 一人の楚兵がそう言って立ち上がり、見回りを始めてた。するとその時、何か赤いものが見えた。


「なんだ……」


 楚兵は目を細めてみるとその赤いのはだんだんと大きくなっているのに気づいた。そして、叫んだ。


「火事だ。火事が起きたぞ」


 彼の叫び声に寝ていた兵たちも一斉に起き上がり、大混乱に陥った。


「王をお助けしなければ」


 楚の将軍は消火活動に追われる中、一人の兵が言った。


「将軍、自分が王を迎えに参ります」


「うむ、汝に任せよう。何人か連れて行け」


「はっ」


 兵は敬礼し、そのまま一人で声王の陣幕に向かった。


「何事だ」


 兵が陣幕に入ってきたため、声王がそう言うと兵は言った。


「陣で火事が起きました。将軍方が消火にあたっておりますが、混乱しており危険とのことですので、王を安全な場所に案内するよう命令されました」


「そうであったか。では、案内せい」


 声王はそう命じると兵は跪き、


「では、こちらへ」


 と言った。声王が兵に近づいた瞬間、兵は短剣を取り出し、声王の胸を刺した。


「何を」


「恨みが無いが仕事でね」


 兵はそう耳元で言うと更に剣をねじ込んだ。声王の口から大量の血が吹き出し、そのまま声王は絶命した。


 倒れこむ死体を見ながら兵……盗跖は、


「こんなことで、天を盗んだことになるのかねぇ」


 そう呟くとそのまま風の如く去っていった。






「何があったのか?」


 突然、楚軍が撤退したという報告を受けた墨翟がそう言うと弟子の一人が言った。


「何でも楚王が急死したそうです」


「楚王が……」


「しかも賊に殺されたという噂です」


 墨翟は少し考え込んでから、鬼谷をここに呼ぶように命じた。そして、鬼谷が来ると他の弟子たちは下がらせ、二人だけになった。


「楚王が急死したそうだ」


「はい」


「お前の仕業か?」


 鬼谷は少し無言になってから、隠すことは無理と思い言った。


「はい、盗跖の依頼をしました」


「なんということを……」


「お言葉ながら師よ。一人を殺すことで宋を救えたのです。ここで血の海に変えることより、マシでしょう」


「なんと愚かな。血の量で戦など止まらない」


 墨翟がそう言うと鬼谷は睨みつけるように言った。


「流れる量が少ないほうがましではございませんか。それともここで多くの兵の命を喪わすことが戦を無くすためにも必要な量だとお考えか」


「お前は勝手なことを行い、教えに背いた。破門とする」


 墨翟は手で、去れという仕草をすると鬼谷は拝礼して、部屋を出て墨家から去っていった。


「理想と現実があまりに隔離しすぎている。泥船にいつまでも乗って、溺死するのは勝手だ。だが、溺死するなら一人でしろ」


 鬼谷はそのままどこぞへと消えていった。本来であれば、この時点で彼は歴史の深淵の中に消えていくはずだった。しかし、彼が後に二人の人物を世に放ったことで、彼の名は不朽のものとなる。










 その頃、童子はどこかの崖で座っていると後ろで青い牛に乗った老人がやって来た。


「こんなところにおったか。お前さんはその若さで奥義を会得しているようだが、まだまだのようじゃ。そこで儂と一緒に」


 すると突然、童子は立ち上がった。


「おじいさん。今、気づいた?」


「何をじゃ?」


 童子は手を上に上げた。


「今、天の時が動いたよ」







 楚の声王の後を継いだのは、楚の悼王とうおうという。楚の歴史の分水嶺を担うことになる人物である。

 


 

 

 




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