新たな将たち
遅れました。一回、執筆中にデータが消えてしまいまして。
紀元前277年
秦による楚攻略は続いていた。現在、巫と黔中を攻略していた。
「中々ですなあ。白起殿の軍は」
合流を果たしていた司馬錯が白起と隣り合わせで座りながら戦場を眺めつつ言った。
「いえいえ、そちらの軍も中々に主上のご意志を果たしておいでだ」
現在、二人は直接は指揮を取らず、それぞれの旗下にいる諸将に攻略を任せていた。
白起の旗下にいるのは兵を操ることが上手い、副将の蒙驁、絶大なる体躯の持ち主である王齕、陰気な印象を受けるが策略に富んだ胡傷がいる。
司馬錯の旗下には政治手腕にも長けている張若、守りの戦を得意とする麃公、そして剣術に長けた張唐がいる。
「少しお聞きしてもよろしいですかな?」
白起が司馬錯に聞いた。
「なんですかな?」
「あなたの旗下にいる張唐なのですが……」
その問いかけに司馬錯は苦笑する。大抵の者はその質問をしてくるからである。
「なぜ、花を咥えたまま戦っているのですか?」
「さあ?」
司馬錯はいつもの答えを返した。
張唐は花を咥えながら髪を撫でつつ、花の模様の鎧を着て、楚兵を斬り殺していく。
「花のように華麗に、そして美しく死になさい」
その時、たまたま地面に花が見えた。
「美しい花だ」
彼は律儀にその花を避けながら戦い、楚兵が踏みつけるとすると全力で斬り殺す。
「真面目にやらんかぁ張唐」
麃公が片手で掴んだ楚兵の頭をそのまま握りつぶした。
「真面目にやっている。なぜ、わからないのか。この美しい花のために戦っていると言うのに」
「相変わらず何を言っているのか。こやつは」
因みにこの当時の中国人は自然美を褒めたりするという感覚は無い。なぜならば、その当時の人々にとって自然とは未知のものであり、恐怖の対象だったのである。そのため山や大河などの絶景に感嘆するなどという感覚はない。
当時の書物の一つである『詩経』は植物の名前が使われているが、あくまでもこれは隠語としての扱いである。そもそも『詩経』自体が恋愛の歌、もっと正確に言えば、男女関係の歌である。それを真面目に国への不満などと言った歌と真面目に解釈したのが儒教である。
古代の人々が自然美の目覚めるのは四世紀に入ってからであり、その時の文化作品を山水詩、または田園詩という。やがてそれが発展して、唐の詩人たちによって開花していくことになるのである。
そのため当時、張唐は花といった自然への美しさに気づいた数少ない一人であるが、皆は気づいていないために彼は変人だと思われている。
「変なやつが司馬錯将軍のところにいるなあ」
王齕は矛で数人の楚人を吹っ飛ばしながら言う。
「いいから敵を殺せ、全く、こんなやつと一緒に戦わなければならないとか。全く、なぜ私がこんなやつと……」
胡傷が愚痴りながら指揮を行う。
そんな新たな世代の将軍たちを使う余裕が秦にはあった。そして、彼等の活躍によって巫と黔中は攻略された。
「さて、次は一体どこに首都を移すのだろうな」
「どこに行こうとも主上のご意志を果たすのみです」
二人が次の楚の攻略を考え始めると、秦から使者が来た。宰相・魏冄からの命令が伝えられた。
「両将軍は帰国されたし」
「あと、少しで楚を滅ぼせるというのにですかな」
その命令に不満を持った司馬錯が言うと使者が白起に向かって言った。
「白起将軍、あなた様は帰国された後に魏を攻めるようにとのご命令です。全ては主上の意思だと宰相は申しておりました」
「そうですか。それが主上の意思ならば、異存はございません」
白起が退却することに異存を述べなかったために司馬錯もこれに従った。
こうして秦の楚攻略は終わった。
紀元前276年
「ふうぅ助かった」
春申君は汗を拭いながら呟き、楚へ帰国した。
彼は今まで秦に行っていた。楚への侵攻を止めるためである。彼は宰相・魏冄には会わずに彼の姉であり、秦の昭襄王の母である宣太后に会って楚の状況を訴えた。
楚の人である宣太后は同情し、弟に楚への侵攻をやめるように言った。それだけでは楚から退く可能性が低いと考えていた春申君は宣太后に二つの情報を話すように言っていた。
一つは魏の昭王が無くなり、魏の安釐王が即位したこと。二つ目は趙で疫病が流行り、国力が落ちていることである。
つまり攻める機会がある国を教えたのである。
「これで何とか楚から兵を退かせることができた」
春申君は帰国すると楚の頃襄王に東地(楚の東境。淮水、汝水一帯)の兵を集めることを進言し、十余万を得ると、
「失ったものを取り戻すとしよう」
彼はその兵を西に向けて江南(黔中など)の十五城を取り返した。この時、江南の留め置かれていたのは麃公である。
彼は流石に楚が来るとは思っていなかったために対応に遅れてしまった。しかし。ぎりぎりのあたりで戦線の後退を止め、踏ん張った。
「おのれ、楚の狡い連中めが」
楚から軍を退いた途端、攻めてくるとは、男のすることではない。
そう思うがために麃公は楚との国境沿いで奮闘し、これ以上の楚の侵攻を止めた。
「思ったよりも取り戻せなかった」
意外な守りの阻まれて春申君は悔しがった。