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夢幻の果て  作者: 大田牛二
第五章 名将協奏曲
117/186

屈原

「さあ、行くぞ」


 荘周そうしゅう黄石こうせきにそう言った。


「一つ聞いても良いですか?」


「なんだ?」


「なぜ、そのような格好を?」


 黄石は荘周の今の格好を指摘した。今、荘周は漁師のような格好をしている。


「気にするな」


 荘周はそう言うとある場所へ指を指して言った。


「あそこにいる者に会いに行くぞ」


 彼の指を指した先に一人の老人が歩いていた。













 大いなる大河である長江が流れる傍で髪を乱しながら歩く老人がいる。老人の名は屈平くつへいというが、字の原で呼ばれる方が後世おいては有名であろう。そのため彼を屈原くつげんと呼ぶことにする。


 彼は楚の王族と同姓であり、楚の懐王かいおうの頃、左徒を勤めた。左徒というのは楚の官職のだが、詳細はわからないが高位の地位であるようである。

 

 屈原は博学で記憶力が善く、治乱の道理に精通しており、辞令(文書)も得意としており、入朝すると王と国事を議論して号令を出し、朝廷を出れば、賓客の対応をして諸侯間の外交に関する政務を処理を事も無げに行ってきた。

 

 そのため懐王は彼をとても信任した。

 

 屈原と同列の地位に上官大夫がいた。彼は王の寵信を欲し、屈原の才能に嫉妬していた。

 

 ある日、懐王が屈原に命じて憲令(法令)を作らせたことがあった。彼が草藁(草稿)を書きあげると、上官大夫が自分の功績にするために奪おうとした。それを屈原が拒否すると上官大夫が彼を讒言してこう言った。


「王は屈原に法令を作らせておりますが、そのことは誰もが知っております。いつも法令が発表されると彼は自分の功績を誇って『私以外にできる者はいない』と驕っておるからです」

 

 懐王は怒って屈原を疎遠にするようになった。


 真面目に職務を行ってきた屈原からすれば、意味のわからないことであり、上官大夫の讒言によるものだと知ると彼は懐王に対して憂いを抱き、『離騷』という詩を書いて苦悩を表現した。


 しかしながら屈原は懐王に疎遠にされたとはいえ、彼を憎まず、いつも楚を、懐王を想っており、王の傍に帰りたいと思っていた。


 そして、懐王が突然悟って悪習を改める日が来ることを願っていた。国君を援けて国を興し、情勢を一変させたいという想いは一篇の文章の中に再三現れていることからもわかる。


 しかし結局、懐王が悟ることはなく、屈原が王の傍に帰ることもできなかった。


 懐王が秦の張儀ちょうぎに翻弄され、大いに領土を失い、最後には秦に囚われて死ぬことになったからである。


 その死のきっかけを作った子蘭は令尹の地位にいた。そのことに屈原は彼を以前から嫌っていたこともあり、大いに憎むなど、屈原は懐王を憎まず、彼を惑わしてきた者達を憎んだ。

 

 彼の心情を知った令尹・子蘭は逆に激怒した。子蘭は上官大夫を使って懐王の後を継いだ楚の頃襄王けいじょうおうの前で屈原を讒言させた。それによって頃襄王も怒って屈原を放逐することになった。

 

 絶望に淵へ叩き込まれた屈原は楚の中をさまよい続け、各地で悲痛の歌を歌い続けた。










 やがてこの年、秦の白起はくきによって楚の都が落とされた頃、彼は江濱にいた。髪も束ねず沢畔を歩いて悲痛の歌を歌い、その顔色は憔悴し、枯れ木のように痩せ細っていた。彼は川岸まで至るとその辺の石を拾い始めた。


「汝は三閭大夫ではないだろうか。なぜこのような場所に居るのか?」


 黄色い服の青年を傍にいる漁師の格好をした髪の長い男が屈原に訪ねた。荘周と黄石である。

 

 因みに三閭大夫というのは楚の王族三姓(昭氏・屈氏・景氏)を管理する官である。

 

 屈原は生気の無い目を向けながら、


「世を挙げて混濁としているというのに、私だけは清いまま。衆人が皆、酔っているにも関わらず、私だけは醒めている。だから私はここに放逐された」


 荘周は言った。

 

「聖人というものは、一つの事物にこだわり、停滞するようなことはなく、世と共に推移できるものだ。世を挙げて混濁としているというのならば、なぜ流れに従って波に乗らないのか。衆人が皆酔っているのならば、なぜ糟(酒粕)を食べて醨(味が薄い酒。残り物の酒)を啜らないのか。なぜ瑾を懐に入れて瑜を握ったまま(瑾も瑜も美玉。美徳を棄てないという意味)、自らを放逐させるのか」


 そう問いかける荘周は黄石はじっと見つめる。この人との対話で何を見ようとしているのかと思ったからである。

 

 屈原は、


「沐(頭を洗うこと)したばかりの者は冠についた埃をはらい、浴(体を洗うこと)したばかりの者は必ず衣を振るものだ。既に清潔になった身をもっているにも関わらず、外物の汚れを受けたいと思う者がいるだろうか。長流(長江)に赴いて死に、江魚の腹中に葬られたとしようとも、潔白の身をもって世俗の温蠖(昏迷愚昧)を蒙ることはできない」

 

 と言ってから彼は「懐沙の賦」を歌いだし、その歌に自身の悲壮と死の決意を述べるた。因みに「懐沙」は「沙石を懐に入れる」という意味だという。


 そして、彼は集めた石を懐に入れると汨羅に身を投げた。


「あっ」


 黄石は助けようとするとそれを荘周が止めた。


「死んでしまいますよ」


「それが彼の望みだ」


「しかし」


 荘周は静かに首を振る。


「私たちは彼のような者たちが彩る光の影でしかない」


 彼は川に背を向け歩き出した。


「私たちにできるのは彼の死を歴史に埋もれさせないことしかない」


 そんな彼に黄石は言った。


「あなたの死も……」


「私は良いよ」


 二人はその場から消えた。

 

 屈原が死んだ日付は後世において五月五日に汨羅に投じて死んだとされている。楚の人々はそれを哀れみ、五月五日になると竹筒に米を入れ、川に投じて屈原を祭ったという。

 

 現在でも五月五日の端午節に中国では粽を食べる習慣があり、屈原の祭りが由来になっていると言われている。



 

 


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