童子
大変、遅れました。そして、話がほとんど進んでません。すいません。
紀元前404年
宋の昭公は四十七年に渡って治世を行ってきたが、もうすぐ世を去ろうとしていた。宋の人々は彼の命がもはや少ないことを悲しみ涙を流していたが、この昭公は実は即位して若い頃嫌われて、鄙(辺境)に出奔する羽目になったことがあった。
「くそ何故、私が出奔しなければならんのだ」
若い頃の昭公は真面目に政治を行わず、佞臣の言葉ばかりに耳を傾けたため、人々に嫌われた結果、宮中に兵が入り込み兵に殺されかけたため、出奔することになった。
「国君になりたくてなったわけではないのに」
昭公が即位する過程は宋の貴族たちの思惑によって即位させられており、彼の意思などは関係なかった。
「それで、国君に相応しくないだと、ふざけるな」
そんな彼の後ろで笑い声が聞こえた。
「おほほほ、主公は言い訳ばかりですわね」
昭公はその笑い声の主である女官を見た。
「その口を閉じろ」
「まあまあ、お酷いこと、私が主公を助けたというのに」
女官は目元を手で隠しながらしくしく泣き始めた。
彼女の言葉は事実である。兵が宮中に乗り込んだ時、女官が逃げ道を教えてくらたために逃れることができたのである。
そもそもこの女官は常に昭公に対して口やかましく、疎んじられていた女官である。しかし、そのような経緯があるために彼は彼女に頭が上がらない。
「けっ」
「まあ、はしたないこと」
女官は先程までの嘘泣きをやめ、そう言った。その彼女の言葉に昭公はただただため息をつく。
そうこうして昭公と女官と数人の従者と共にある村についた。
昭公は村の様子を興味深そうに見た。正直言って、貧しいの一言であった。
「ここは何だ?」
「村です」
女官が答えた。
「村とは、こんなにも汚く、ボロいのか?」
「そんなとこで民は暮らすものです」
「そうなのか……知らなかった」
昭公がそう言うと女官は言った。
「知らないのは当然のことですわ」
「何故、当然なのだ?」
「主公は教えてくれる人を近づけなかったではありませんか」
女官はそういうとすたすたと歩いて行った。昭公はむっとした表情を浮かべながら従者に命じて、村の中に入っていった。
村人は女官から事情を話されると村人は昭公らを暖かく迎え入れた。
「村人と知り合いなのか?」
「いいえ、しかり主公の事情をお知りになられて、同情されたに過ぎません。そのようなことを気にするよりも、村人の暖かい心に感謝するべきです」
「お前は一言多いぞ」
村人たちは精一杯のもてなしを行うと料理を用意したものの、出されたものは決して宮中に出ていたような豪華な料理ではなかった。そのため従者たちはもっと良い料理を出すよう言ったが、それを昭公は制した。
「これで良い、私は腹が減った」
昭公は村人の食事を食べると味はとても良く、宮中の食事の方が味が薄いぐらいであった。
「いつも民というものはこういうものを食べているのか?」
「いいえ、これは村人があなた様をもてなそうとしたがためのもの。決して毎日食すことなどできません」
女官が答えた。
「他者をもてなすということは自分の生活を苦しくしてまで行うことだろうか?」
「主公は食料や金のことを削ることをおっしゃられているのでしょうが、それは違います。他者をもてなすということは自分を苦しくすることなどとは真逆のものです」
昭公はそう言われながらも器を持ち上げ言った。
「しかし、この器がなければ村人のもてなしを感じることはできない」
「器があろうとも村人にあなた様をもてなす心がなければ、これなど何の意味を持ちません。目の前にある飾りなどに惑わされてはなりません。目の前の食事一つとってもその奥にあるものを感じ取らねばならないのです」
「そうか……」
目の前にある器に盛られた料理は宮中に出てくるような豪華はなくとも美味いと感じるほどの味はある。それは目で見ただけではわからず、舌で感じなければわからないだろう。
(形だけ見てもわからぬものというのがあるのか……)
その後も昭公はこの村で滞在しながら女官から民の暮らしぶりを聞きながら暮らした。女官の言葉は宮中での暮らしを皮肉るような言葉ばかりであったが、昭公は怒らず聞いた。
しかしながら流石に女官という身分の割には、口が悪いため従者たちは女官を除くべきと思い、昭公に言った。すると昭公はため息をついた。
「私はなぜ、亡命することになったかやっとわかった」
従者が、
「どうしてですか?」
と問うと、昭公は言った。
「私には侍御(従者や妃妾)が数十人(または数百人)もいたが、私が服を着て立てば、誰もが口をそろえて『我が君はとても立派です』と言い、我が朝臣たちは数百人(または千人)もいたが、政事を行う時、誰もが口をそろえて『我が君は聖者です』と言った。内外とも私の過失を責めることがなかったためにこういう事態を招いたのだ」
昭公は続けてこうも言った。
「人主の周りに媚び諂う者が多ければ、人主は国家から離れて社稷を失うことになるのだ」
そのため女官の口ぶりは媚びへつらうものではない。故に聞くべき言葉なのだと考えた昭公は以前のような行いを改めて節義を守るように心掛けた。
すると二年もせずに彼の名声は宋に拡がっていき、宋は昭公を迎え入れて復位させることにした。
「まさか私に戻れと言うとは……」
「おめでとうございます。主公」
女官はそう言った。しかしながら彼女は昭公と共に、帰ろうとはしなかった。
「何故、共に帰らないのだ?」
「私は一女官の身ながら主公へ何度も諫言しましたそのような者がいつまでも一緒にいては困りましょう」
そんなことはないと昭公は言ったが、女官は聞き入れず、そのまま去っていってしまった。
昭公は死の淵でそのようなことを思い出しながら思い出にふけっていた。
そんな時、扉が開いた。そして、そこから童子が顔を覗かしてきた。髪は長い事以外にはそれほどに特徴的なところはないが、奇妙な童子であった。何故なら、その手に木に括りつけられた骸骨を両手に持っていたからである。
「おや、北斗星君か。いや、これほど可愛らしい童子ならば、南斗星君かな」
北斗星君、南斗星君とは、中国における生と死を司る二人の神である。前者は氷のような透き通った服を着た醜い老人と言われ、死を司っている。後者は炎のような燃え上がるような服を着た美青年(醜い老人という説もある)だと言われ、生を司っている。
この二人が同意すれば、人の寿命が延びると言われている。
さて、このような神の名で言われた童子は首を傾げるだけである。とことこと昭公が横になっているところに近づくと右手にある骸骨を近づけた。
「これ、お祖母ちゃん」
次に左手にある骸骨を近づけた。
「これ、母ちゃん」
童子はそう言ってにっこりと笑うと言った。
「二人共最後に会いたかったと言ってた」
それだけ言うと童子は部屋を出ようとした。
「待て、童子よ。最後に名を聞かせてくれ」
すると童子は間延びしたような声で、
「荘周」
と名乗って、そのまま去っていった。
(荘周……確か女官は荘氏であったはず……まさかな)
夢か何かと思いながら昭公は目を閉じた。
昭公はそのまま世を去り、子の悼公が立った。
両手に骸骨を持った童子は夜道を軽やかに歩く。そして、目の前に蝶は飛んでいた。
「蝶さん。蝶さん。今日、夢を見たの。蝶になる夢。それとも蝶が僕の夢を見たのかな」
童子は蝶に向かってに言うが、蝶はひらひらと飛ぶだけである。それに対して気にしたようでもなく童子は笑う。それを遠くから見つめている男がいた。
その男は青い牛に乗っていた。
「ほう、あの年で奥義を会得しているのか」
男は白い髭を撫でながらそう言って、童子に近づいた。
「坊や。こっちに来なさい」
しかし、童子は男の言葉を聞かず、そのまま駆けていく。
「またんか坊主」
男は青い牛と共に童子を追った。