完璧
遅くなりました。
因みに最近、中国の怪異として出てくる生物たちの話しを書く『志怪』も書いてます。そちらもお楽しみに
趙の使者として藺相如は秦に入った。
「藺相如?」
趙の使者の名を聞いて、宰相である魏冄は首をかしげる。知らない名であるためである。
「まあ良い。楚と趙の間を裂ければ良いのだからな」
特に気にせず、彼は秦の昭襄王に章台で会うように進めた。
章台で座って昭襄王は藺相如と接見した。
秦の大臣たちが居並ぶ中、藺相如は恐れることなく進み出て行く。
「秦王に拝謁致します」
「表を挙げよ」
「感謝します」
藺相如は昭襄王に和氏の璧を見せた。
「おおあれが」
「美しい」
そんな声が周りの大臣から漏れる。
昭襄王はそれを手に取って大いに喜んだ。そして、美女を呼び、左右の側近にも璧を回し見せた。秦の側近達は璧が手に入ったことを祝賀して万歳を唱えた。
その様子を静かに藺相如は見つめる。
(秦に城を譲る意思無し)
彼は秦に十五城を譲る気がないと判断を下した。そして、拝礼しながらこう言った。
「実はその璧には瑕(傷)があるのです。王にお教えますので一度渡してくださらないでしょうか?」
「おお、そうか」
と言って、昭襄王は璧を藺相如に渡した。
「では」
藺相如は璧を受け取るとそのまま退き、柱の傍で髪を逆立て、激情の表情を浮かべて言った。
「秦王が璧を得んとして、書を我が王に送ったために王は群臣を集めて議論された。皆、『秦は貪欲であり、その強さに頼っているため、空言で璧を求めているだけである。恐らくは城を得ることはできないであろう』と言い、秦に璧を与えることに皆、反対した。しかし私が王に『布衣(平民)の交わりでも偽ることがないのに、大国ならばなおさらである。また、璧一つのために秦の不興を買うべきではない』と説得した。それを受け、我が王は五日間の斎戒をして身を清めてからこれを託し、私を使者として璧を奉じさせ、秦の朝廷に書を届けたのだ。これは大国の威を尊重して敬意を修めるためである」
どれほど趙が秦に配慮してきたのか。彼はそう言ったのである。
「ところが今、私が参ると秦王は列観(台観。普通の宮殿の一室)で私に会い、礼節にも驕りがあり、璧を得れば、すぐさまに女達に見せびらかした。これは私を侮る行為である。それ故、王には城邑を譲るつもりがないとわかったため、私はこうして璧を取り戻した。秦王が私に強要すると言うのであれば、私は頭と璧を一緒に柱にぶつけて砕き壊すことだろう」
ここまでの迫力に秦の大臣たちは腰が引け、何もできず、藺相如は璧を持ったまま柱をにらみつけた。今まさにそのまま打ち付けるが如きであった。
昭襄王は璧が壊されることを恐れて藺相如に謝罪し、有司(官員)に地図を持ってこさせて趙に与える十五城を指で示した。
「これでどうだろうか?」
しかし、この時の昭襄王の表情は引きつっている。
(本心にあらず)
藺相如は本心ではないと見抜き、こう言った。
「和氏の璧は天下に伝わる宝でございますが、我が王は秦王を恐れて献上することにしました。王は璧を送る前に五日間斎戒しました。秦王も五日間の斎戒を行い、朝廷に九賓(九儀。九牢の礼。外交上の礼)を設けてくださいませ。さすればこれをお渡ししましょう」
これでも無理やり取ろうというのならば、このまま打ち付けるということである。
「わかった」
昭襄王はここで思ったよりも理解を示し、五日間の斎戒を行うことにした。
藺相如には広成の伝舍(客舎。広成は伝舎の名)が与えられた。
さて、伝舎に入った藺相如は昭襄王が斎戒をしても約束を破ると思い、従者の懐に璧を隠して近道から帰国させるように命じた。
「あなた様はどうなさりますか?」
そう聞くと、藺相如は、
「趙に正義を、秦に不義を示させるのみである」
と答えた。
五日間の斎戒を終わらせた昭襄王は朝廷に九賓の礼を設けて藺相如を招いた。
(さあ、死ぬときだ)
藺相如は拝礼して言った。
「秦は穆公以来二十余の君主が立たれましたが、約束を守った方は誰もおられませんでした。私はそのため王に欺かれて趙を裏切ることになるのを恐れ、部下に璧をもって間道から帰らせました。秦は強国で趙は弱国です。秦が一介の使者を趙に送っただけで、趙は直ちに私に璧を持たせて秦に遣わせたのです。もし秦の強さをもって先に十五城を譲れば、趙は璧を留めて大王の罪を得るようなことはしなかったでしょう。私が秦王を欺いた罪は死罪に値するもの。私は湯鑊(大釜)に赴くことを請います。秦王は群臣とよく計ってくださいませ」
この言葉に昭襄王は驚き、群臣と顔を見合わせた。左右の近臣たちはこれに激怒、藺相如を殺すために連れ去ろうとした。
「待て」
その時、秦の昭襄王はそれを止めさせた。
「今、この者を殺したところで、璧を得ることはできず、秦・趙の交歓を絶つだけであろう。逆に厚く遇して趙に帰らせるべきだ。趙王が一璧のために秦を偽ることはなかろう」
そう言って、昭襄王は朝廷で藺相如を接見し、礼を行ってから帰国させた。
これには秦の大臣たちも藺相如も驚きであった。
(このような大度なことを行える方だったのか)
この時の昭襄王は名君の輝きを放っていたと言っても良いだろう。
さて、藺相如の従者が璧を持って帰って来たことに当初、趙は驚いた。しかし、藺相如が帰ってこないのを知り、趙の恵文王は感動した。
(あれほどの義士がいたのか)
藺相如は秦で死ぬだろう。それでも秦が要求してくるようならば、一戦も辞さない。恵文王は藺相如の覚悟を思った上で、そう考えていた。
ところが死ぬどころか全くの無傷で藺相如が帰って来た。
恵文王は大いに喜び、その賢才を認め、諸侯の中で辱めを受けなかったことを称えて彼を上大夫に任じた。
国家の間を往復した時点でほぼ無位無冠であった男が上大夫になるということに人々は驚き、元の状態のまま璧を持って帰って来たことへ、
「完璧」
と称して称えた。
因みに結局は秦は魏冄の反対もあり、趙に城を与えず、趙も秦に璧を譲ることはなかったという。