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夢幻の果て  作者: 大田牛二
第一章 戦国開幕

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呉起

 紀元前405年


 魏は宰相を選ぶことになった。宰相になる上で、李悝りかいと翟璜が争っていた。

 

 魏の文公が李悝に問うた。


「先生はかつてこう申されました。『家が貧しければ良妻を思い、国が乱れれば、良相を思う』私は宰相を置こうと思っておりますが、成(魏成ぎせい)でなければ璜(翟璜)でしょう。二人のどちらが相応しいでしょうか?」

 

 李克はこう答えた。


「身分が卑しい者というものは、尊貴な者の事に参与せず、疎遠な立場にいる者は親族の事に参与しないと申します。私は闕門(宮門)の外にいるため、命に応えることはできません」


 自分は主公から疎遠な立場にいるため質問に答えることはできないということである。

 

 文公としては彼をそのように扱ったことはないため言った。


「先生は事に臨みながら避けるのですか」

 

 李悝は首を振った。


「主公は人をよく観察しておりません。平時は誰と親しくしているかを観察し、富貴の時は誰に与えているかを観察し、官に就けば、誰を推挙するかを観察し、窮すれば、何をしないかを観察し、貧困になれば、何を取らないかを観察する。この五者の観察がしっかりできていればおのずから決められるはずです。私の答えを待つ必要はございません」

 

 文公は納得し、


「先生は舍にお帰りください。私の相は決まりました」


 と言った。

 

 李悝が退出すると翟璜に会った。翟璜が問うた。


「主公は先生を招いて相を卜った(選んだ)とお聞きしましたが、誰に決まりましたか?」


「魏成です」

 

 翟璜が顔色を変えて不満そうに言った。


「西河の守に呉起ごきを私が進めました。主公が内地の鄴を心配した際には、私は西門豹を進めました。中山を攻略してから誰に守らせるか困った際には、私は太子を進め、太子に傅がいなかった時には、私は屈侯鮒を進めました。これらは耳で聞き、目で見ることができる事実です。私のどこが魏成に及ばないのでしょうか?」

 

 李悝は言った。


「あなたが人材を主公に進めるのは、周(徒党)を作って大官を求めるためですか。主公が相について私に意見を求めましたので、私は自分の意見を述べたのです。主公は魏成を相に選びます。なぜなら、魏成は千鍾(一鍾は六斛四斗)を禄としながら什九(十分の九)を外で使い、什一(十分の一)だけを内(家)で使っています。その結果、東で子夏、田子方、段干木を得ることができました。この三人は全て主公の師です。あなたが進めた者たちは皆、主公の臣です。どうしてあなたが魏成に匹敵すると言うのでしょうか?」

 

 翟璜はその場を行ったり来たりしてから再拝し、


「私は鄙人(浅はかな小人)なので失言しました。生涯、先生の子弟にさせてください」


 と言った。こうして魏の宰相は魏成が努めることになった。











 政治に置いて魏の筆頭は李悝である。一方、軍事において筆頭は呉起ごきである。


 彼は衛人で、先祖は陶朱公に仕えていたらしい。しかし、彼の生まれた頃は家は貧しかった。それでも彼の母は自分の子に才能あると思い、苦しい生活であっても彼を魯に行かせて、儒教を教えている曾参そうしんの子である曾申そうしんの弟子にならせた。


「あなたはきっと立派な人物になりますよ」


 そう母は呉起に言って、信じた。呉起は母のそんな思いに答えようと努力した。そんな時、母の訃報を知った。


 呉起は母を思い、慟哭したが、母の葬儀のために衛には戻らなかった。彼は母の言う立派な人物になることこそが、母の願いである。帰る時には母の言う立派な人物になって帰る。故に帰るわけにはいかなかった。


 しかしながらそのことは孝を重視する儒教の考え方だと問題ありとされ、彼は親を思いやる孝が無いとされ、破門されてしまった。


 その後、魯に仕えた。

 

 魯は斉など周辺の諸国からの攻撃を受け、その領土は削られていった。彼は魯にいる間、度々負け戦のことを聞き、その詳細を知るうちに、自分が将として戦に参加すれば、勝てると思うようになった。


 彼は儒教を破門にされた後、色んなところで学ぶうちに兵法について学ぶことがあり、彼はそう思ったのである。


 そんな時、斉が魯を攻めた。呉起は自分を将に任命して欲しいと願った。しかし、魯は彼の妻が斉人であるとして、その願いを聞き入れなかった。


(妻が他国の人間というのは、戦と何の関係があるのか)


 呉起は憤りながら家に戻ると家人が慌てて、やって来た。なんでも妻が急死したというのである。


「そうか……」


 彼は唖然としながらも妻が亡くなったといことは、


「斉人の妻はいなくなったということだ」


 呉起は戻って、再び将になることを求めた。そして、妻が死んだことを伝えた。魯は斉人の妻がいることを理由に断ったため、斉軍と戦って大勝しました。

 

 ところがある人が魯君(恐らく穆公ぼくこう)に言った。


「呉起はかつて曾子に師事していました。しかし母が死んだにも関わらず、故郷に帰って喪に服さなかったため、曾子は彼を破門にしました。今回、彼は妻を殺して国君の将となりました。呉起は残忍薄行の人です。そもそも小国の魯が敵に勝つという名を上げれば、諸侯が魯を狙うようになるでしょう」

 

 そのことを知った呉起は魯で罪を得ることを恐れた。ちょうどその頃、魏の文公が賢人だと聞いたため、魏に行くことにした。

 

 文公が呉起についてに問うと、李悝はこう答えた。


「呉起は貪欲で好色ではございますが、用兵に関しては司馬穰苴しばじょうしょも及ばないでしょう」

 

 文公は呉起を将に抜擢した。


「流石は魏君だ」


 呉起は秦を攻めると瞬く間に五城を攻略してみせ、将としての力を見せつけてみせた。

 

 呉起は本当に戦においては強かった。その理由は常に士卒の最下級の者と衣食を共にし、寝る時も臥床を作らず、行軍も車に乗らず、自ら食糧を担ぎ、士卒と苦労を分けあうことで、兵の心を掴んでいたためである。

 

 こんな話がある。ある時、一人の兵卒に疽(腫れ物)ができた。それを見た呉起は自ら口で膿を吸い出した。

 

 それを聞いた兵の母が哀哭したため、周りにいた人が問うた。


「あなたの子は兵卒に過ぎないにも関わらず、将軍は自ら疽を吸ってくれたというのに、なぜ哀哭するのですか?」

 

 母はこう答えた。


「往年、将軍はあの子の父の疽も吸い出したことがありました。そのため、あの子の父は戦場で踵を返すことがなく、勇敢に戦い、敵に殺されました。今回も将軍は子の疽を吸いました。私は我が子の死に場所が分からなくなると思い(家で死なず戦場で死ぬことになったと思い)、痛哭したのです」


 呉起のために命をかけさせるほど、呉起は兵の心を掴むことが上手かったのである。



 

 


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