1-6 ここにいる理由2
2/25 レト・ガーネットの台詞変更
街を眺めながら、ふと思う。自分がハンターにならなかったら、一体どんな人生を送っていたのかと。
1番最初に思いついたのは『彫り師』ーーハンターの武器に紋章を刻む仕事だった。オレを育ててくれた人の1人がそうだからだ。本人は儲からない日陰仕事と言っていたが、彼を隣で見ていたオレには立派な仕事に映った。
まあ、紋章を刻む仕事に人形が台頭してきてからは彫り師という職業そのものが絶滅危惧種になったので、オレが彫り師として大成することは無かっただろう。
2番目に思いついたものは、特になかった。
特にない。何故かハンター以外の職に就いている自分を想像できないのだ。
そもそもの話、『ハンターにならなかったら』という前提が間違っていたのかもしれない。ハンター以外に自分が生きて行ける道は無いのだから。
そこで不毛な考えだと気がつき、思考を打ち止めにした。
『まもなく、アメジスト・東動物公園前に到着します。お降りの方は、飛行船が完全に止まってからお立ち下さい。』
スピーカーから飛行船ーー巨大な絨毯。公共交通機関ーー内にアナウンスが鳴る。目的の場所に到着し、料金を払って飛行船を降りた。
メリコイル・東区・『アメジスト・東動物公園』。
ここはペット連れがよく訪れる大型の公園。敷地内には人工芝が敷き詰められており、子供がペットと共に走り回っている姿が見える。
案内板を見て待ち合わせの場所向かう。
筋肉質な体躯に、スラッと伸びた4本足。薄紫の毛並みと爬虫類の目を持つ雑食動物ーーコイル。そのコイルと共に座っている1人の女性が目に映る。
年はオレとあまり変わらないくらいだろうか。赤味がかった髪に、全身を覆うライトグリーンの貫頭衣を身に纏っている。
「すいません。あなたがシオン・アメジスト・4級ハンターですか?」
「そうです。あなたが噂のリーフィリアスさんですね。会えて光栄です」
会えて光栄。その言葉に、思わず面を食らう。
「どうかしましたか?」
「あ、いや。光栄、なんて言葉を貰えるとは思わなかったので」
「やだなあ、謙遜しちゃって。あなたはジェノの怪事件を解決した同年代のハンター。そりゃあ尊敬もしますよ」
コイルを撫でながらシオン・アメジストは答える。
光栄や尊敬といった賛美の言葉は言われたことがなかった。だから、例えお世辞だと分かっていても調子が狂ってしまう。
「立ち話も何ですし、取りあえず座ってどうぞ」
言われた通りに芝生の上に座る。草と土の匂いが鼻に届く。顔を上げると、何故かコイルと目が合った。ギョロギョロとこちらを観察しているようだ。
「そのコイルは貴方が飼っているんですか?」
「はい。この子は私の相棒です。ピーちゃんって言います」
主の言葉に応えるように「ピー」と鳴く。成る程、鳴き声から名前をとった訳か。
「私の家は、代々メリコイルで調教師をやっている家系なんです。俗に言うビーストテイマーって奴ですね。私はこの子の嗅覚や聴覚を頼ってハンターの仕事をしているんです」
「珍しいですね。オレの周りは武器を持って、魔獣を討伐しているような年上ハンターばっかりだったから。ああいう人達ばかりじゃないんだと思うと、ホッとします」
「そうですか? 私のような『捜査専』のハンターは少数派ですから、正直なところ、肩身が狭いです」
シオン・アメジストは日々の苦労を思い出したかのように苦笑いをする。
一昔前は『ハンターは魔獣狩りと人助けの両方が出来て初めて1人前』なんて言われていた。今は時代に合わせて犯罪捜査専門のハンターが生まれはしたが、まだ数が少ないのも事実だ。
だが、オレは極めて優秀なルーネ・スピツリアという『捜査専』ハンターを知っている。
「確かに少数派かもしれないけど、あなた達の犯罪捜査に特化した能力は貴重だと思いますよ」
現にジェノの事件解決は彼女の活躍に寄る所が大きい。オレの活躍など微々たるものだ。
「そうですね。少数派とか多数派とか関係なく、私は私の仕事を頑張らないと。それで、メールで言ってた話っていうのは?」
「ああ。オレ達に1つ策があるんです。ただ、その為にはこの事件に関わっているハンターに、北区以外で捜査活動をしてもらわなきゃいけない」
「成る程、北区以外ですか。……あの、それは被害場所の統計を見て決めたりしたんですか?」
「被害場所の統計?」
「あれ、違うんだ」
思いもしなかった言葉に、少し大袈裟に反応してしまう。
資料を見た限りでは被害者に共通点はなく、消失した場所もバラバラだったはずだ。単にオレが読み飛ばしただけだろうか?
「何故、そう思ったんですか?」
「ええっと、資料にあると思うんですけど、犯人の犯行に少し偏りがあるんです。このメリコイルを北区、西区、南区、東区、中央区の5つに分けると、中央区は全くと言って良いほど被害が出ていないんです。逆に西区や北区になると、東区や南区に比べて比較的被害者の数が多い。資料に纏められないほど小さな傾向ですけどね。だから北区に的を絞って捜査を進めるものとばかり」
成る程。それは昨夜資料に目を通しただけでは分からなかった。治安維持局の局員をも消失させるこの事件の犯人。そのインパクトと被害者の人数に気を取られ、細かな傾向など気にしてはいなかった。
だが、そうか。消失事件の犯人は直接的な手掛かりを絶対に残さない。だからこういう小さな傾向にこそ目を光らせなければいけないのだ。
「ありがとう。参考になりました」
「本当ですか? 私は成果を出せていませんから、少しでも力になれたのなら良かったです」
主の心中を読み取ったのだろうか、ピー、と悲しげにコイルが鳴く。
彼女にとっては生まれ育った街で起きている事件だ。この事件は切実な問題だろう。
上昇志向の強いハンターは、手柄を独占したいがために他人と協力することを拒む傾向がある。少数派である『捜査専』の彼女も競争意識は高い筈なのに、先程の言葉に嘘は感じられなかった。そのくらい切羽詰まっているのだろう。
子犬と追いかけっこをしていた少年が目の前で転ぶ。シオン・アメジストはすぐに立ち上がり、少年の元へ向かう。
「大丈夫、ぼく? 怪我してない?」
優しい声が聞こえる。
「ああ、膝から血が出てる。………ごめんね、こんな事しか出来なくて」
己の無力さを嘆くように、彼女はハンカチで少年の傷を手当てする。泣きそうになっていた少年も、落ち着きを取り戻す。
「これでよし。他に痛む所はない?」
「ううん。ありがとう、お姉ちゃん」
「どういたしまして」
少年は立ち上がり、手を振りながら、また子犬の元へ走って行く。それを見送りながら、彼女もこちらに戻ってくる。
「そろそろ行きましょうか。私達には、やるべきことがありますから」
「そうですね」
熱に当てられ、オレもゆっくりと立ち上がる。それに合わせてコイルも立ち上がり、主の元へ駆けていく。
そこには1種の鉱石のような、艶やかな輝きがあった。
揺れる薄紫色の毛並みは、シオン・アメジストの家名である『アメジスト』を簡単に連想させる。色濃く、深遠な色をした絆が見て取れる。
アメジスト。……アメジスト? その単語に妙な既視感を覚える。
「すいません。最後に1つ」
「何ですか?」
「この公園の名前の『アメジスト』って」
「ああ、気がつきましたか。この公園の管理人が私の父なんです。と言ってもうちは女系ですから、父は調教師じゃなくて、アイス売りをやってたりするんですよ。今は南区で商売してるので、見かけたら声を掛けてあげて下さい」
炎天下の中外に出て、ただ当てもなく街を歩く少女が1人。日に照らされている彼女は、自称第2の太陽を宣言してるが如く笑顔を辺りに振りまいている。スキップで大地を蹴る所作すら、輝かんばかりの気品を周囲の者に感じさせる。
もちろん嘘である。
部屋に籠もることに退屈さを覚えた私は、不快ながらも街の大通りを歩いていた。
暑い、動物がうるさい、人がゴミのようにいる。3拍子揃った私の周囲は、不快感を感じない要素が1つもなかった。特に不快に感じるのが動物の鳴き声。
「おーい、お嬢さん! 昨日ここを通ったお嬢さん! 赤いフードを被ったお嬢さん! 今日こそうちのアイスクリームはどうだい?」
先程から耳を劈くような類人猿の声が聞こえる。飼い主にはしっかりと躾をして欲しいものだ。
赤い頭巾を深く被る。
人の波を避けてこの場を立ち去ろうとした時、迫ってくる足音が微かに聞こえた。
「こんな暑い中フードなんて被ってたら死んじまうぞ、お嬢さん。ほれ、持ってきな」
キーキーうるさい類人猿、もといエプロンをしたアイス売りの男がバニラのアイスクリームを持て来た。私は反射的に身を引いてしまう。
「そう警戒しなくても大丈夫よ。この人はやる気と真心くらいしかアイスに入れられないんだから」
背後からの声に、ビクッと体が反応する。振り返ると、買い物袋をぶら下げたおばさんが立っていた。
「ああ、今日は捕まっちゃったのね。昨日のあなたの逃げっぷりも凄かったけど、この人の商売根性は底なしだからねえ」
「商売根性っていうか、お節介根性じゃない? いくら自分のアイスを食べて欲しいからって、普通ただであげるかしら?」
「おうよ! このダージ・アメジストの売るアイスクリームは世界一! だから初顔の人にこの味を知ってもらうのは、俺の義務みたいなもんよ!」
餌に群がる鯉のように、周りにいた2人のおばさんも集まってくる。この場合、餌はエプロン男に絡まれている私だろうか。これでは頭巾で顔を隠している意味がまるでない。
「そんなのいりません。早く屋台の方に戻ったらどうですか?」
「なんだい、店の心配してくれるのかい? それなら安心、相棒がちゃんと店番してっからよ」
確かに、店の方ではコイルがピーピーと鳴きながらアイスを売りさばいている。何という珍しい光景だ。
って、そうじゃなくて!
何故この人には『関わらないでくれ』というメッセージが届いてくれないのか。心底不快だ。
「それによ、要らぬお節介と思われようが、人に親切にするのは良いことだろ? だから、ほら。貰ってくれや」
「あらやだ、格好付けちゃって」
「貰っておきな。味が世界一かどうかは知らないけどね」
「ある意味世界一かも。まずさの世界一」
「うまさの世界一に決まってるだろーが!」
私の、否、エプロン男の周りが賑やかになる。
ああ、何となく分かった。この人を不快に思うのは、きっと蛮族さんに似ているからだ。親切とか善意とか、そういった正しさを身に纏って私を取り入ろうとする。
私のこと、何も知らないくせに。
ならば、ここはアイスは受け取るのが吉だ。この手の人間を手早く引かせるには、あえて口車に乗るに限る。でなければ、理屈めいた事を言って粘着してくるのだ。
「じゃあ、貰っておきます」
「今度来た時はちゃんと買ってくれよな」
「聞かなくって良いからね、この人の言うこと」
「あんたの暑苦しさでアイスが溶けるってのよ」
「買って欲しかったら値段下げなさいよ、値段」
賑やかになり始めたこの場に長居するのは良くない。すぐに立ち去ろうとするが、おばさん達に阻まれて身動きが取れない事に気がついた。
この人達は肉体的にも、精神的にも、私を圧迫していることに気がつかないのだろうか?
いや、気づけという方が酷な話なのか。赤の他人と意思の疎通など出来はしない。もし出来たとしたら、それこそ私にとっては地獄みたいなものだ。だから、この距離感で丁度良い。
右手から細い糸を出し、その糸で周囲の大人達に触れる。
「『退いて下さい』」
左手人差し指に填まる『支配の指輪・原典』の効果を発動させる。
「おお、悪いな」
「あらやだ、ごめんなさい」
「邪魔になってたわね」
「悪気はなかったの」
行ったのは意思の疎通ではなく、一方的な命令。
周囲の大人達は体を退けて道を開ける。そこをアイスを落とさないようにしながら早足で立ち去る。母様譲りの美貌を、そう易々と大勢の前に晒す訳にはいかないのだ。
半分くらい本気の戯言を頭に思い浮かべ、目的地を定めることなく歩を進める。そう言えば、昨日もこの道を通った気がする。この奥には『ガーデン・ビスマス』という名前の庭園があったはずだ。時間を潰すには丁度良い。
行き先を見据えながら、無意識の内にアイスを口に運ぶ。冷たい甘さが口の中に広がる。
「……おい、しい」
不覚にも、そう思ってしまった。
影のかかった細道を、携帯端末の地図を見ながら歩く。
この辺は道が入り組んでいてすぐに迷いそうになる。少し外れた道には昼間にも関わらず薄汚れたシートの上に横になっているホームレスが何人かおり、その人達にあまり近づかないようにしながら目的地を目指す。
メリコイル・東区・宿屋『コイルの里』の裏手。
メリコイルにはオレ達が泊まっている南区の他に、ここ東区に『コイルの里』が存在する。先に建てられた南区よりも東区の『コイルの里』の方が綺麗で、宿泊しているハンターもこちらの方が多い。オレ達と同じ依頼を受けている2組目のハンターもここに泊まっているとのことだ。
レト・ガーネット・3級ハンター。
ラト・ガーネット・3級ハンター。
兄弟でハンターをやっている彼らは、『厄災型の魔獣・砂獅子』討伐で有名だ。
厄災型の魔獣ーー特定の形を持たない魔の獣。古くより自然現象や病として観測されてきた実体無き紋章の獣。
怪凶型の魔獣ーー繁栄と進化を続ける魔の獣。強靱な肉体と凶暴性を併せ持ち未開の地に巣くう紋章の獣。
この国『インフェカ』西部の『境界』を度々破壊していた『厄災型の魔獣・砂獅子』。シンボルはハンターを組織しこれを討伐。ガーネット兄弟はその討伐隊の一員だった。
割と最近の出来事だったので、他人について疎いオレでも覚えていた。まあ、それ以外のことは何も知らないのだが。
「お。来たぜ、兄ちゃん」
「やっと来たか」
地図に記された地点に到着すると、十字架のペンダントをしたオールバックの男が、木の樽に腰掛けているメガネをした男に話しかけていた。
似ている点を上げるなら2人とも金髪、というだけで、2人とも雰囲気が異なる。オールバックの男からは大きめの口や目から明るく活発そうな印象を覚えるが、メガネの男には一の字に閉ざされた口やギラついた目から寡黙で攻撃的な印象を受ける。
「すいません、遅れました」
「全くだ。5分42秒の遅刻。それだけあれば魔獣の1匹は狩れているぞ」
「よく言うよ、兄ちゃんがこんな場所を指定したくせに」
2人の会話から、メガネをかけた方が兄で、オールバックの方が弟だと把握する。兄の方が、オレが遅れたことに気を悪くしているようだ。
「俺はラト・ガーネット。んで、こっちが俺の兄ちゃんのレト・ガーネットだ。よろしく」
弟のラト・ガーネットが気さくに話しかけてくる。
「オレは、」
「あいさつはいい。アンタのことは色々と知っているからな。用件を言え」
兄のレト・ガーネットは変わらず攻撃的な口調で話を進める。
色々と、か。含みのある言い方だったが、深くは考えないようにした。
取りあえずシオン・アメジストにしたのと同じ要領でこちらの考えを伝える。説明中は2人とも静かに、たまに互いの顔を見合わせたりしながら話を聞いていた。
話し終わると、レト・ガーネットが樽から腰を上げる。
「君の提案は理解した。だが、それを飲む前に1つ確認したい」
「どうぞ」
「その策を考案したのは君か? それともルーネ・スピツリア・3級ハンターか?」
奇妙な質問をレト・ガーネットがする。策の考案者はルーネだが、それが何だというのだ? 何故、策の内容よりも考案者について問われている?
「……すまないが、質問の意図がよく分からない。それはあなた達にとって重要な事なのか?」
「ああ、重要だとも。スピツリア・3級ハンターは非常に優秀なハンター。その名声を聞く限り、彼女だけなら十二分に信用できる」
厳しい剣幕でこちらを責め立てるように、蔑むように、レト・ガーネットは話を続ける。
「だが君は、卑しくも紋章を体に宿した氷の悪魔だ。人間の、敵だ。自分の立場は自分が1番分かってるはずだろう? 悪いが、俺は君をハンターとは認めない」
冷たい風が、細道を通り抜ける。冷ややかにオレを嘲笑って、どこか遠くへ行ってしまう。
ああ、久しぶりに思い出した。
これが本来、オレに向けられるべき感情だった。そう、シオン・アメジストの光栄や尊敬なんて言葉は、本来オレに向けられて良いものではないのだ。
ならば、何故だろう? 今、ようやく慣れ親しんだ感情を向けられているはずなのに、心臓が軋むような痛みを覚えている。
痛覚など、とうの昔に凍りついているのはずなのに。
平常心を失う事など、何一つ起こってない。そう、自分に言い聞かせる。
「なら問題はないですよ。この策はルーネが考えたものですから」
心の揺らぎを表情に出さないよう、笑顔をつくって答える。
レト・ガーネットは驚いたような表情をしてから、小さく舌打ちをした。
怒るとでも思ったのだろうが、生憎と感情の起伏なんてものは波風立てる前に凍ってしまっている。オレを怒らせたいのなら、オレの大事なものを壊すくらいしないと駄目だ。
「……話は終わりだ。行くぞ、ラト」
「はいはいっと。ま、そういう訳だからお互い頑張りましょうや」
中身の籠もっていない言葉が、オレに向けて投げつけられる。その言葉がオレに届く前に、空中で霧散して消えていく。
2人ともこちらに背を向け、オレが来た道とは反対方向へ進んでいく。
「……少し、寒いな」
暖炉で温まりすぎたのだろう。
それと同じ温かさを他人に求めるなんて、全くもってどうかしていたのだ。