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雪の涙は葉に落ちて  作者: 大塚 博瞬
第1章 メリコイル
29/30

1-28 星の使徒

 この街の心臓部には、天を突き破らんばかりの巨塔が屹立している。

 それは新しい開拓の時代の象徴として、ひいてはこの街の象徴として街を見下ろし、見守る存在である。


 メリコイル・中央区・『シンボル・メリコイル支部』ーー通称、ハイタワー。

その中層に位置する『9階2番会議室』には、シンボル、治安維持局の2組織が集い、開拓領域に侵入した魔獣への対策本部が設置されていた。


 現在、街の通信網は完全に麻痺している。端末間での通信は行えないので、情報の伝達は非効率的な方法を用いるしかない。例えるならば、そう、大掛かりな伝言ゲームである。

 現場のハンターや治安維持局局員から、シンボルの職員へ。シンボルの職員から、この部屋へと最新の情報は伝達される。我々はそれらの情報を整理し、組織の方針を定め、伝言ゲームの新たなお題を伝えるのである。

 どうか、少しでも状況が良くなりますように。そんな無責任な祈りを、無力感と同時に込めながら。


「……厳しいか」

 

 部屋の中央に投影された地図を見て、雄々しい顎髭を蓄えた男が項垂れている。

 治安維持局・メリコイル支部・局長ーーイバドラ・サファイア。この街の治安維持を司る組織のトップである。

 普段は熱血漢である事で有名なイバドラ氏だが、今は額に脂汗を滲ませ現状を悲観している。


「マカライト副局長。魔獣が姿を現して3時間経った今、現状をどう見る?」


 そう言ってイバドラ氏は、シンボル・メリコイル支部・副局長である私ーーペルム・マカライトに視線を送る。


「貴方と同じですよ。初動が遅れた分、こちらは後手に回らざるを得なかった。この真冬の寒風が如き厳しさは、言ってしまえば必要経費のようなものでしょう」

「反撃の、かね?」

「いええ、防衛のですよ。我々の勝利条件は唯1つ。持久戦に持ち込み、外から援軍が来るまで街と市民を防衛する事ですから。その点で言うなら、消失事件に魔獣が絡んでいると知れたのは大きいでしょう。予め、警備人形に『武器』を持たせて待機させる事が出来ましたからね。あれが無ければ、事態は更に深刻なものになっていたかと思います」

 

 自分でそうは言いつつも、気休めにもならない事は理解していた。

 何とか中央区は防衛出来ているが、それも時間の問題だ。今のこの街には、奴らに反撃できるだけの戦力は揃っていない。情けない話ではあるが、外からの助けを待つ事が最も堅実で、かつ現実的な解決方法だった。

 

「情けない話だな……」

 私の思考と、イバドラ氏の言葉が被る。

「治安維持局は対人を想定して作られた組織であって、魔獣にはとことん無力だ。『不可逆の紋章』を刻んだ『武器』は持たず、魔獣を止めれるだけの装備もない。……正義の執行者としての職務を真っ当出来ない自力を、私は酷く恥じるよ。……消失事件に続いて、君達シンボルには迷惑をかける」


 勢いよく頭を下げる彼を見て、私はある種の罪悪感を覚える。

 魔獣を狩るのはハンターの、ひいてはそれを統率するシンボルの領分である。一方、治安維持局は住民の避難誘導や物資の運搬、救護活動などを行っており、それが彼らの領分。戦力にならないとはいえ、こうなった落ち度は我々にある。

 そもそも、消失事件から始まった一連の騒動の裏には、解決の妨げとなった要因が少なくとも2つ絡んでいる。


 1つは、チェインという裏社会の人間が持ち込んだ隣国の技術によって、我々の動向が筒抜けであった事。

 そしてもう1つは、メリコイル市議会・代表者の圧力によるものだ。


「……本当に情けないですわね。魔獣など、さっさと片付けて頂きたいものですわ」

 

 理知的な金髪の女性が、私達に威圧的な檄を飛ばす。身体のラインを強調する黒のスーツと化粧気の少なさからは、自らに対する絶対的な自信を感じさせる。

 彼女ーーカラディーナ・モルガナイトは市議会メンバーの1人。メリコイル市議会・市長ーールーター・ビスマスの助役であり、市長不在時にこの街の運営の任を任されている、この街の副市長である。


「いいこと? この街『メリコイル』は、国内で唯一『パクタン』と貿易をしている都市。技術大国である隣国の製品を輸入し、この国『インフェカ』の新たな血肉としているのよ。貴方達はこの街の価値を、本当に理解していらっしゃるのかしら?」


 それは、彼女の口から何度も聞かされた話だった。

 隣国『パクタン』は10年前に起きた魔女の嵐をきっかけに、魔獣の侵攻と人間の犯罪に対して強い防衛意識を見せるようになった。メリコイルが消失事件を引き起こすような雑菌の温床だと知れれば、貿易に支障をきたしてしまう。

 それは耳にたこが出来る程聞いた話であり、今はそんな事を考えている場合ではなかった。

 

 イバドラ氏は僅かに眉を動かし、カラディーナ女史を静かに睨む。

「カラディーナ副市長。貴方はまだ、()()()()を考えておいでか?」

「……何ですって? いま、()()()()と仰しました?」

 気に触ったのか、カラディーナ女史も静かにイバドラ氏を睨む。それに対し、彼は反発するように言葉を発する。


「……旧人類が滅んで以降、この世界には4つの国が生まれた。未開の地で分け隔てられ、僅かながらに支え合いながらも、それぞれが独自の発展を遂げてきた。神と巫女の国『バルバリエル』は神代から引き継がれる加護によって世界を支え、医療と幸福の国『アドモルヒネ』は高水準の医療技術を提供している。隣国『パクタン』は言わずもがな、紋章技術に対して深い理解を持っており、4カ国の中で最も発展した国と言っていいだろう。その中で、だ。我らが祖国『インフェカ』が、かの3カ国と対等の立場でいられるのは何故だと思う? それは、『開拓』だよ。シンボル発祥の地であるこの国は、『開拓』という名の事業を3カ国に向けて展開し、発展してきた。この国は、言わば『開拓』の本流なのだよ。もし、今回の件で魔女の嵐のような死傷者数を出せば、この国の信頼は地に落ちる。『パクタン』との貿易に支障をきたす所の話ではない。『開拓』という、この国の根幹が揺らいでしまうのだ」

 イバドラ氏の言葉に、カラディーナ女史は見下すように答える。

「ええ、開拓事業を世界に展開するこの国は、決して魔獣に屈してはならない。()()()()は端から分かっていますのよ。それを踏まえた上で、『多少・・無理・・をしてでもこの事態を収拾なさい』と私は言っているのです」

 その言葉で痺れを切らし、イバドラ氏は嫌みをぶちまける。


「……はっきり言ったらどうだ。貴様らが護りたいのは市民の命ではなく、この街の利益だとな」


 その声は、明らかに敵対する意思を含んでいた。

 私も6日前にルーター氏についての不満を述べはしたが、それはリーフィリアス・4級ハンター、及びルーネ・3級ハンターへ向けた事件概要の説明の一貫だった。だが、今のイバドラ氏はカラディーナ女史を目の前にして、不満を隠す気がない。まるで、喧嘩を売っているかのような風貌だった。


 彼の嫌みに対し、カラディーナ女史は鼻で笑って言葉を返す。

「そうは言ってませんわ。……ただ、この街の未来を見据えるのであれば、利益を優先して動くのは至極当然かと。正義だけで街興しは出来なくてよ、イバドラ・サファイア局長」


 彼女の嫌みな言い分は、私も分からなくはなかった。5年後、10年後の街の在り方を考えた場合、これ以上魔獣の存在を大きくするのは得策ではない。

 だがそれを、少なからず市民の血が流れているこの瞬間に、市民の命を守る事こそ正義とする治安維持局のトップの前で言ってはいけなかった。


 まずいな。そう思い、静止しようと彼の方を向いた時には、既に遅かった。 

「屍の上に成り立つ街など、砂粒程度の価値もないわッ! 物事の程度を知れいッ!」

 イバドラ氏は資料が並べられた机に拳を叩き付け、顔を振るわせながら立ち上がっていた。この場にいる全員が、今にも殴りかかりそうな彼を見て硬直する。宙を舞う数枚の資料のみが、自由気ままに動いている。


 昔から、メリコイル市議会のやり方には強引な所があった。


 『パクタン』との唯一の貿易地であるこの街には、なにも隣国の製品だけが流通するのではない。文化や移民、そして行き過ぎた技術すらもそこには含まれる。

 10年前に魔女の嵐が起きた時、魔女の一族や犯罪者達が不法移民となってこの街に逃げ込んできた。それ以来、この街では隣国の技術を用いて行われる犯罪件数が増加し、治安維持局がその対処に追われてきた。

 メリコイル市議会もそれを認知している筈なのだが、流れ込んでくる『モノ』に対して、規制が追いつく事はない。むしろ、彼らは目の前の問題を隠そうと、治安維持局に圧力をかける始末である。そのの横暴な姿勢からは、利益を生み出せるならばこのままで良い、という気概さえ覗える。


 そんなメリコイル市議会に対して、治安維持局が不満を募らせるのは当然の流れだった。

 対立する利害。積み重なった不平不満。そして、カラディーナ女史の挑発が起爆剤となり、イバドラ氏は怒りを爆発させたのだ。 

 

 しかし、どちらか片方に肩入れする事は、私には出来ない。街の発展も、市民の安全も、秤に掛けられるものではないのだから。

 何より、今は互いに手を取り合い、目の前の脅威を乗り越えねばならない。仲違いをしている場合ではないのだ。


 激しく火花を散らす2人に向け、私は冷静に意見を述べる。

「双方、お戯れはそこまでにお願いします。人命も利益も、それを論じるだけでは護れません」


 その言葉を聞き、イバドラ氏は鋭い眼光を放ったまま私の目を見る。私は目を逸らさず、視線で己の意を伝える。

 彼自身、納得いかないのだろう。彼は拳を強く握りしめる。しかしながら、「熱くなるのは、私の悪い癖だな……」とだけ呟き、再び席に座った。

「……すまない。取り乱した」

「まったくですわ。地方支部とはいえ、治安維持局のトップを務める御方がその様では、組織の程度が知れてしまいますわ」


 その言葉につられ、イバドラ氏は再び鋭い眼光を発する。2人のやり取りに内心、ヒヤリとする。しかし、先の行動で頭が冷えたのか、再び激情を見せる事はなかった。


「……ふん、そういう貴様らのトップはどうなんだ。このような非常時だというのに、召集の義務すら守らんではないか」

「それは私の与り知らぬ事ですわ。毎年、祭りの最終日には市長自ら参加なさいますので。ここに来ないと言う事は、まぁ、お怪我をなさってお休みになられているのでしょう。もしくは、他に……来れない事情がお有りなのかもしれませんわね」


 市長の安否など気にする様子も無く、淡々と彼女は語る。その言葉からは、ある種の冷酷さすら感じる程だ。

 それもその筈である。市長であるルーター・ビスマスが死ねば、彼女は繰り上げでこの街のトップとなる。花香る動物の街と言われ、この国で最も勢いのある貿易街『メリコイル』をその手中に収める事が出来るとあれば、他人の不幸を望む事に違和感はない。彼女の場合、それが似合っているとさえ言える。


「そういえば、シンボルの局長もお出ででないですわね。何かあったのかしら?」

 そう言って、彼女は私の方を見る。私は内心の焦燥を隠しながら、

「あの方は今日、『パクタン』から帰ってくる予定でしてね。如何せんこの騒ぎですから、入国前に立ち往生を食らっているでは、と考えているのですが……」

 語尾を濁らせ、願望を口にする。

 

 シンボル・メリコイル支部・局長ーーコフィン・スクローラス。彼女は『悪魔』や『言霊遣い』のように特異な能力を持ち、それを活かして特別な職務に当たっている。

 自分の上司をこう言うのも何だが、彼女の異名である『地獄耳の老婆』というのは的を得ていると思う。

 人の声であれば、死者生者に関係なくそれを聞き取る事が出来る異能持ち。神に使命を与えられ、その使命を果たそうとする者。

 つまり、『星の使徒』に連なる者である。


 肩書きだけで言うなら、彼女の右に出る者はそうそういないだろう。

 しかし、私はあの方の、螺旋階段のように捻れ曲がった性根を知っている。私はあの方の、例えるならば『協調』という単語が載っていない不具合だらけの辞書を知っている。


 ああ、思い出しただけで、ため息が漏れる。

 私とて、彼女の直属の部下だ。魔獣の出現によって、彼女が帰国出来ないだけだと信じたい。しかし、あの方なら連絡も入れず、1人で身勝手に行動していても不思議はないと思ってしまう。もしや、あの方が予測不能イレギュラーな行動をするのではないかと、私は3時間あまり悩まされているのだ。


「ふむ、それは変ですな」

 そんな私の考えを察してか、1人の男が声を上げる。


 全身を漆黒の鎧で包み、長剣を腰に携えるベテランハンター。作戦の立案と対策本部の護衛を兼ねて、この部屋に招いた人物ーーアゼル・エメラルド・2級ハンターである。


「変、とは?」

 反射的にそう答えた瞬間、寒気が全身を襲う。

「2時間ほど前になりますかな。コフィン局長なら中央広場で見かけたものでして……」


 頭が、真っ白になった。先程の小競り合いがどうでも良くなる程の、強烈な衝撃を受けたのだ。

 今、何と言った? あの方を見た、だって?

 あまりの衝撃に言葉を失い、数回唇を開け閉めしてから、やっとの思いで心の声を言葉にする。


「…………今、何と?」

「ですから、コフィン局長に会ったのですよ。何でも、私の弟子であるヌワラを借りたいとの事でして。2つ返事で承諾したら、ヌワラの手を引いて人混みに消えていきましたな。……勘違いだったら良いのですが、もしや聞かされていないのでは?」

「…………」

 絶句であった。

 強く意識を保たねば、卒倒しそうであった。


 嫌な予感はあったのだ。あの方の非常識さは、私が身をもって知っているのだから。

 だが……だが、だ。仮にも組織のトップに立つ者がこれ程までに身勝手な行動をする事など、誰が受け入れられると言うのだ。

 怒りを通り越し、呆れすら置き去りにし、無の境地を超えた先で、再び怒りが沸き上がる。

 

 ……何、やってるんだ、あの老害はぁぁぁぁッッ!!!


 自分の立場も職務も忘れ、そう叫び狂いたい衝動に駆られる。しかし、それを何とか理性で殴り抑え、平常心という名の仮面を荒れ狂った精神に被せる。


 落ち着け、ここで取り乱して何になる。あの方の下に着くとはそういう事なのだと、何度も肝に命じた筈だ。


 何とか自分の心と折り合いをつけ、アゼル・2級ハンターとの話に戻ろうとする。しかし、何故なのか。こういう時に限って、不運は連鎖的に続くものである。

 ドタバタと騒々しい足音が、この部屋の前でピタリと止まった。


「た、大変です!」

 1人の男性職員が、顔を青くしながら告げる。再び、寒気が身体を襲う。

「『狩人の門・管理局』から2名が帰還したのですが、その……彼らが言うには、コフィン局長とルーター市長が魔獣に狙われているらしく……」

「…………」

 その言葉を聞き、また卒倒しそうになる。


 あの方の命が狙われているだと? この混乱極まる状況下で? 誰か、冗談だと言ってくれ……


 机に手をつき、何とか身体を支える。そして、他人に聞かせられない内容の罵詈雑言を心の中で吐き出しながら、即座に指令を飛ばした。


「アゼル・2級ハンター! ここの護衛はもういい。至急コフィン局長の元に向かい、彼女を護衛していただきたい!」

「承知」


 そう短く答え、彼は迅速に立ち上がる。兜によって表情は見えないが、その様子はどこか嬉しそうに見えた。

 彼は廊下に出て、堂々と正面の窓を開け放つ。

「お、おい、下に行くんじゃないのか!?」

 突然の出来事に、動揺したイバドラ氏が言葉を掛ける。

「ええ。しかしながら、差し迫った状況のようですからな。最短で向かわせて頂きます」

 さも当然の如くそう答え、アゼル・2級ハンターは窓から身を乗り出す。


「『紋章起動エンブレム重力操作エメラルド』」


 漆黒の鎧に、深緑色の紋章が浮かび上がる。

 絨毯に用いられる紋章技術を応用して作成されたその鎧は、アゼル・2級ハンターの周囲の重力を変化させ、高度50メートルを超えるハイタワーの壁面に立たせたのだ。

 彼に臆した様子は無く、その場でトントン、と軽くジャンプしてみせたかと思えば、次の瞬間には壁面を走って下に降りていった。


 この場に残されたほぼ全ての者が、おおよそ人とは思えない動きを目の当たりにし、互いの顔を見合う。平然としているのは、既に驚く気力すら残っていない私と、そもそも彼など眼中になかったカラディーナ女史だけだ。

 彼女は先程の報告で、市長の安否に確信を持ったのだろう。手で覆いながらも、化粧気のない顔に卑しい笑みを浮かべていた。


 まったく、呆れて物も言えん。私の頭を悩ませるのは、あの方だけで充分だというのに……

 頭痛に加え、キリキリとした胃の痛みまでも感じ始める。


 この街に魔獣がいると分かってから不眠不休で働いているせいか、体調が優れない。身体が切に休息を求めている。

 しかし、悲しいかな。私が求める休息は、この事態を収束した先にしかない。街の平穏と賑やかな市民の中にしか、私は安らぎを見出せないのだ。


 私は身体に鞭を打ち、気を引き締め直す。それから、イバドラ氏と会議室の前に佇む男性職員に向けて、新たな指令を飛ばすのだった。




 


 老婆が、笑っている。

 皮と骨と、微量の肉しか残っていない、痩せこけた青白の相貌。背はくの字に曲がり、枯れ枝のような細脚と木製の杖で老婆は身体を支えている。髪の毛も瞳も白く染まりきり、おおよそ生命力と呼べるものは抜けきっているように思える。


 その老婆が、私の目の前で笑っている。

 不気味に、不敵に、他者に思考の一切を読み取らせぬまま笑っている。

 

「……クカッ……クカカカカッ」

 

 笑いながら、老婆は細腕で香炉をぶら下げている。そこから発せられるのは、脳が蕩けそうなくらい優しく甘美な香り。

 いや、実際にこの香りは脳を蕩けさせているのだろう。お香の香りを嗅いだ市民は、恐怖を抱く事もなく、狂騒する事もなく、糸の切れた人形のように佇んでいる。


「強制的に精神を落ち着かせる香り……で、良いのかな?」


 私が尋ねると、老婆は首をコキリ、と回して私と視線を合わせる。


「……人間とは、実に多面的な生き物。様々な感情が表裏一体に存在し、その時々で思考にぶれが生じる。統率を計る上で最も肝要なのは、その思考のぶれーー感情の波を起こさせない事なのじゃよ」

「思考の均一化。感情の波の抑制。人間を多面的でなく、単一的な生物に変化させる神秘物か。……なかなかどうして、旧人類の遺物というのは、なんでこうも箍が外れているのかな」

「普通の人間が扱うには手に余る代物じゃろうて。じゃから、こうしてわしらが使っておる」

「随分と楽しそうに語るんだね。状況、分かってる?」

「よぉく、分かっとるよ。10年ぶりの特異点おまつりさわぎ。大人しく塔に籠もれと言うのは、酷な話だと思わんか?」

「アッハッハ……はぁ。やっぱり分かってないや」

 

 その気になれば、この街をゴーストタウンにしてしまう程の遺物を扱っているくせに、なんか浮ついてると思ったんだよね。まぁ、この人の場合は普段から浮ついてる訳なんだけど。

 軽薄という言葉そのものを体現したような老婆だけれど、その行動原理は複雑怪奇だ。自身の好奇心を満たす一方で、ちゃんと人の未来を見据えている。腐っても、この世で最古の『星の使徒』だ。


「……どうなるんだろうね、この街は」

 ふと、私はそんな事を口にする。

「さぁの、わしに分かるのは過去と現在だけ。未来はお主の領分じゃろうて」

「そりゃ、そうなんだけどさ……」

「相談事なら、相手を間違っとるぞ」

「……残念だけど、例え天地がひっくり返っても、貴方にだけは相談しないって決めてるんだ。私は」

「じゃろうな……クカカッ」


 自身の考えを煙に巻きながら、のらりくらりと会話を続ける。

 この人に少しでも気を許せば、全てを見透かされてしまう。彼女の耳は相手の心の声すら拾ってしまうのだ。会話をしている私としては、全くもって生きた心地がしない。

 あーあ、私にも人の心を読む能力があったら良かったのに。そうすれば、こんなに悩みを抱える事もない。


「そうかの? わしからすれば、お主のも充分に魅力的じゃが」

「相変わらず、悪趣味な人」


 隣の芝生は何とやらってね。持ってない物を羨んでも、意味はない。

 私は私の持てる力で、与えられた使命を果たす。それが、私のやるべきことだから。それが私の、生きる意味だから。


「局、長。準備、出来た、よ」

 くぐもった声が背後から聞こえる。

 声の主は、緑のマントを身に纏った片目の隠れた少女ーーヌワラ・グリレッジ・5級ハンター。漂うガスを嗅がないようにガスマスクをし、両手にはチェーンソーを抱えている。彼女の静かなイメージとは、かけ離れた武器だ。


「クカカッ……相手もそろそろ痺れを切らす頃合いじゃろうて。人造物とはいえ、その眼の力は頼りにしとるぞ」

「うん、分かってる、よ。怒りの、色は、とっても、分かりやすい、から」

 歯切れの悪い言葉が聞こえる。乗り気でないのか、調子が出ないのか。他人の心を見通せない私では、彼女の心は分からない。

 ただその声は、獲物を目の前にした狩人にしては、酷く落ち着いた声だった。


 ドルルン、とチェーンソーが起動する。この静寂には不釣り合いな、騒々しい吃音。それが戦いの鐘の音となって広場に行き渡り、次の瞬間には獣の咆吼とハンターの掛け声、爪と武器のぶつかり合う音が静寂を乱した。


「魔獣とは、人より上位の存在。『不可逆の紋章』を刻んだ『武器』か『指輪の原典』以外では、その存在に影響を与える事すら叶わん。素手も、爆薬も、毒も、全ては無意味。……戦闘本能を抑制するこの香りは、魔獣にとって毒そのもの。人に化けた魔獣を炙り出すには、最適の方法じゃろうて」

「そして、この場に集まった市民が混乱しない状況だからこそ、実行に移せる策でもある」


 老婆がヌワラちゃんを呼んだのも、万が一の保険という意味合いが大きい。お香の効果が反映されない市民がいた場合、魔獣かどうか判別する必要があるからだ。

 奴ら化け狼の行動原理は、怒り。相手の感情を色として読み取れる共感覚者ヌワラちゃんなら、魔獣と市民を見分ける事が可能なのだ。


 この作戦に不安があったとすれば、それは私達の準備が整う前に魔獣が姿を現し、内と外から板挟みにされる事だった。しかし、辛くもそうなる前に舞台を整える事が出来た。


 もうすぐ、アゼル・エメラルド・2級ハンターもここにやって来る。

 ブラウンさんと同じ、第3世代の精鋭狩人。7大魔の1匹を打倒した『チーム・ダイアモンド』の一員にして、魔獣狩りのプロフェッショナル。その彼が、ここにやって来る。


 これで、ここは安泰。揃うべき役者は、全て揃った訳だ。


「珍しい、色、だね」

 唐突に、ヌワラちゃんから言葉を投げかけられる。

「桜色、青色、黒色、緑色、紺色。色んな色が、あるけど、その全部を、綺麗な月白が、包んでる。優しい、悩みの、色。珍しい、月の、色」

 そう言って、子供のように無垢な瞳で私を視る。右目だ。綺麗な琥珀色の瞳が、黒い前髪から少しだけ私を覗いていた。

 

「人間は多面的な生き物だからね。誰だって、悩みくらいはあるさ。ヌワラちゃんにも、1つや2つはあるんじゃないかな?」

「…………」

 私の言葉に、彼女は不思議そうに首を傾げる。

「私達、初対面、だよね?」

 彼女はジッと、観察するように私を見つめる。綺麗な琥珀色の瞳が妖しく見えてしまい、私は少し、言い淀む。

「……そうだけど?」

「……へぇ。そう、なんだ」

 明らかに含みのある言い方だった。ドルルン、とチェーンソーを唸らせながら、ヌワラちゃんは前に歩み出る。

「でも、悪意は、なさそうだから、いいや。……それじゃあ、行ってくる、ね」

 歯切れの悪い言葉を発しながら、彼女は老婆を一瞥する。それから静かに、淡々と足を前に運び、彼女は戦いの音がする方へと歩いて行った。

 老婆は白い瞳でその後ろ姿を見届けて、小さくしわがれ声で笑った。


「……クカカカッ」

「……なにが可笑しいのさ」

「いや、なに。お主がこうも見透かされたとあってはな、笑う以外にあるまい」

「ほんと、嫌な人」


 そう素っ気なく答え、私は老婆に背を向ける。

 彼女との会話は、本当に骨が折れる。ああ、思い出した。私は昔から、彼女の人をくったような態度がどうも苦手だったのだ。私すら知り得ない、私という人間の全てを見透かされているようで、全身に鳥肌が立つ。

 私がそう感じるのは、多分、私が私を見失っているからだろう。私の悩みは私にしか解けない。それが分かっているから、他人に見透かされる事を嫌悪するのだ。


『言われたんだ。お前は何でここにいるんだって』

 

 頭の中で彼の声がする。月が綺麗なあの夜に聞いた、彼の言葉が思い起こされる。

 時折、彼を見ていると、鏡に映った自分を見ている気分になる。私と彼が重なって見える時がある。

 彼の悩みが他人事に感じられなくなり、ついには感情移入してしまう。封をしていた彼という物語を、読み解きたくなってしまう。

 自分が見透かされるのは嫌いなくせに、他人を知る事はどうしようもなく好きなのだ。こういう所は、ほんと私の悪い癖だなぁ。

 

 私は頭をかいたあと、ゆっくりと、1歩1歩、老婆から離れるように足を進める。

 

「ーー行くのかい?」

「うん。私のやれる事は、もうここにはないからね」

「ーー逝くのかい?」

「まさか。私を誰だと思ってるのさ」

「ーー征くのかい?」

「……ええ。組織を壊滅させるのに最も適した方法は、組織を統率しているリーダーを倒す事ーーにそう仕込んだのは、他でもない貴方ですよ」

 

 私がそう言うと、老婆は歯抜けの口を大きく開けて笑う。


「……クカッ……クカカカカッ」


 不気味に、不敵に、聞き慣れたしわがれ声で笑う。


「それは結構。では、『創造神・オーキス』の名の元に、ハンターとしてやるべき事をなしんさい。我が不肖の弟子ーールーネ・スピツリア」

『今回の話の解説』

 個人的にいろいろ補足したい事があったので、後書きに書いていこうと思います。


・ペルム副局長パート

 『10年前に魔女の嵐が起きた時、魔女の一族や犯罪者達が不法移民となってこの街に逃げ込んできた。』とありますが、これは本作に登場している魔女の娘「スノウ」や何でも屋「チェイン」の事を指しています。魔女の一族は「2章」で掘り下げようと思うので、今は『隣国から逃げてきた、人形を研究していた人達』とだけ覚えておいてください。


・ルーネパート

 コフィン局長の台詞で「よぉく、分かっとるよ。10年ぶりの特異点。大人しく塔に籠もれと言うのは、酷な話だと思わんか?」とありますが、10年前に起きた特異点というのが、隣国で起きた「魔女の嵐」の事です。作中では『魔女の一族が街に魔獣を呼び込み、災害を起こした』と説明されています。それがきっかけで、魔女の一族が本作の舞台である『メリコイル』に逃げてくる訳ですね。


 ちなみにですが、16話でブラウンさんの過去が掘り下げられた際、死の具現と言われる魔獣達『6大魔』について語られています。今回の話でそれが『7大魔』に変化していますが、これは誤植という訳ではありません。30年前まで、死の具現と言われる魔獣は6匹しか存在していませんでしたが、「魔女の嵐」で『パクタン』の首都『ドーランド』に侵入した「厄災型の魔獣・狂嵐豹」が死の具現の仲間入りを果たし「7大魔」となった、という経緯があります。


 あと、ルーネの語りで『封をしていた彼という物語を、読み解きたくなってしまう。』とありますが、それは『2章(時系列的には『1章』の前)』で「リーフ」と一線を引いていた過去があり、それを引きずって『封をしていた』と表現しています。



 ここ最近の話は書いていて本当に楽しいのですが、本来あるべき話を書かずにきてしまったせいで、そのしわ寄せが出て来ていまして……。分かりにくい表現が所々に出てくるかもしれませんが、何か疑問に思ったら気軽に感想欄に書いてください。意図的に隠している所以外は、なるべくコメントを返そうと思います。

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