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雪の涙は葉に落ちて  作者: 大塚 博瞬
第1章 メリコイル
26/30

1-25 忠実であれ1

 ラトさんはゆっくりと目を閉じる。安らかに、どこか気持ち良さそうな表情で。けれど、それが健全な眠りでない事は一目瞭然だった。

 血が、止まらない。

 傷が深すぎて、凝血剤が意味を成していない。失血性ショックによる昏睡状態に、彼は陥っていた。


 信じられなかった。未開の地で自暴自棄になった私を励まし、武器で鮮やかに魔獣を殺す彼の姿は、間違いなく魔獣狩りのプロフェッショナルだった。その彼が、着々と死に向かっている。

 まるで、あの日のお姉ちゃんみたいだ。さっきまで普通に話していた人間が、私の前から突然消えていなくなる。


 ……消えさせない。死なせるもんか。家族を離ればなれには、絶対にさせないんだから。

 涙を拭い、震える腕で応急措置を続ける。止血に邪魔な尻尾が貫通した防爪ジャケットを脱がせ、ピーちゃんが運んだ物資の中から治癒布シールを傷に貼っていく。その上から包帯を巻いていると、グレゴさんが複数人の職員を連れて私の元に来た。


「アメジスト・4級ハンター! 担架、持ってきました。後は私達にお任せを」

「は、はい。お願いします」


 私は包帯をテープで固定し、応急処置を終える。

 『狩人の門・管理局』の医務室には、輸血液と治療鞘メディカルポッドがある。肉体の再生機能を高める療水で満たされたさやは、重傷者の出血を止め、大小問わず傷を回復させる。1階は化け狼に荒らされたままだが、治療鞘メディカルポッドが機能するのは確認済みだ。

 人間は血液を3分の1以上失うと死に至るので、出血が酷い場合には迅速な治療が必要となるが、治療鞘メディカルポッドが置いてある『狩人の門・管理局』は目と鼻の先にある。幸いにも、すぐに治療を始められるだろう。

 

 ラトさんの身体をゆっくりと担架に乗せる。職員の人達が担架を持ち上げ、管理局の方へと運んでいく。

 私も着いていこうと立ち上がると、両手からラトさんの血が滴った。紅く、命を凝縮しているような水滴。ピーちゃんはそれを見て、「ピー」と短く鳴く。


「私達も行こう、ピーちゃん」

 哀しみに暮れている暇はない。私は手綱を引いて、急ぎ足で後を追おうとする。しかし、ピーちゃんはその場から微動だにしなかった。

「どうしたの、ピーちゃん。早くーー」 

 

 ペタリ、と後方から音がした。

 化け狼とリーフさん、レトさんが駆けていった後方の道から、まるで生き物が足を踏み出したような音がしたのだ。

 また、ピーちゃんが短く鳴く。

 冷や汗を垂らしながら、私はやっと理解した。ピーちゃんはラトさんの怪我を悲しんでいるのではなく、敵を威嚇しているのだ。私はゆっくりと後ろを振り向く。ニヤリと笑う、身体が半透明な化け狼と目が合う。


 姿を隠し、機を窺っていたのは私達だけじゃなかった。奴らは待っていたんだ。こうして、戦闘員と非戦闘員が離れるのを。


 今から逃げたのでは間に合わない。なら、ラトさんの武器を拾って戦う? いや、それも間に合わない。それに拾ったところで、一体何が出来るというのか。……なら、私に出来る事は1つしかない。

 私は短く息を吸う。


「まだ魔獣がいます! 振り返らず走って下さい!」

 

 私が、囮になるしかない。身体を張って、捨て駒になるしかない。

 ラトさんが傷を負った事を考えると、私も人質にされる事なく殺されるだろう。だから少なくとも私が、未開の地の時のように足を引っ張る事はない。1秒でも長く時間を稼いで、ラトさんと職員達が生き延びる確率を増やせる。


 想いとは裏腹に、再び手が震え始める。

 怖い。逃げ出したい。その気持ちを押し殺して私がここに立てているのは、私が勇敢だからではない。自暴自棄になっているから、というのも少し違う。


 私が未熟だから。その一点に尽きる。


 リーフさんは骸の山を見ても、「諦めるな」と私を励ました。ラトさんは命を振り絞って、最後までハンターの仕事を全うした。そして、レトさんもやるべき事を果たすため、死にかけている弟の側を離れ、リーフさんの元に向かった。


 誰がためにあそこまで真剣に生きれる彼らは、私よりも優れたハンターなのだろう。

 お姉ちゃんを見つけたい。その一心で行動していた私は、やはりハンターとして未熟だったのだと、今更になってようやく気付いた。


 誰がために、命を賭して他人を守る。


 それは妹としての私ではなく、ハンターとしての私がやるべき事。仲間のために命を張るという、力も技術も持たない未熟なハンターであるが故の行動だ。

 お父さん、お母さん。それから、私を心配してくれたペルムさん。本当にごめんなさい。

 今ここで、私にはやるべき事がある。私は自分の命を賭けて、ハンターとして忠実でありたいんです。そして本当に情けないけれど、時間を稼ぐには私1人では不十分で……

 

「……ねぇ、ピーちゃん。最後まで私についてきてくれる?」

 お姉ちゃんから引き継いだ陽気な相棒は、力強く「ピー!」と鳴いて、弱気な私を勇気付ける。

 ありがとう、ピーちゃん。私はお姉ちゃんみたいに強くはなれなかったけれど、貴方は見捨てずに着いてきてくれたよね。出来ればもう一度、貴方とお姉ちゃんと会わせてあげたかったよ。


 化け狼が地を蹴り、私の命を奪いに来る。私もピーちゃんも、覚悟を決める。その瞬間、恐怖が影となって辺りを染めてーー


「……え?」


 ーー空から隕石が落ちてきた。






 黒い霧を追う。奴の後ろを走る2匹の化け狼は俺の追走を許し、攻撃を仕掛ける事なくオレに抜かれてた。まるで、オレ達の分断を狙っているかのような動きだ。まあ、オレとしても1対1にしてくれたのはありがたい。背後を警戒しながら、ひたすらに黒い霧を追った。

 

 黒い霧ーーオレ達がそう呼んでいる、ラト・ガーネットの身体に穴を開けた化け狼は、俺の少し先を霧となって移動している。

 あの夜と同じ構図だ。このままナイフを投げても、アイツは再び迫り来る全ての脅威を避けてみせるだろう。オレは投げナイフを取り出さずに、氷槍を左手で構えて観察を始める。


 奴の移動スピードはオレと同じだ。狼としての習性が抜け切れていないのか、構造的に出来ないのかは知らないが、空を飛ばずに地を這っているように見える。そして、ラト・ガーネットを貫いたであろう尻尾の先端が、チラチラと目に映る。

 ここで1つ、オレはある事に気が付く。尻尾が見えているという事は、奴は今オレに背を向けているという事になる。しかし冷静に考えてみると、それはおかしいのだ。


 あの夜、オレは2本のナイフを投げた。1投目のナイフを囮に、2投目のナイフを当てるようにだ。だから、これだけは自信を持って言える。スピードを緩めず、一瞬だけ振り返って尻尾でナイフを弾くのは不可能だ。

 なら、奴はどうやってオレの投げたナイフを確認したんだ? いや、そもそも奴はどうやって視覚を確保している?

 

 走りながら、オレは黒い霧の観察を続行する。あの夜と違って今は昼間だから、見つけるのは容易だった。オレは黒い霧の中に浮かぶ、小さな眼球を見つけた。

 成る程、奴が作り出せるのは腕や尻尾だけではなかったのか。好きな場所に眼球を作り視界を確保出来るのなら、奴は前を向きながら、本来死角であるはずの後ろも向けるという訳だ。


 奴の能力はシンプルだが、純粋な戦闘において不意打ち、騙し討ちが通じないのは脅威となる。搦め手を使うオレのようなハンターにとっては、尚更戦いづらい相手だ。

 そう思ったのも束の間、黒い霧はオレに向かって走り出す。その場でクルリと、勢いを殺さず身を翻して。

 オレからの不意打ちは通じずとも、奴は容赦なくオレの意表を突いてくる。足という概念の無い黒い霧の動きを、オレは予知できなかった。


 オレは苦し紛れに、氷槍の突きを繰り出す。技としてのキレも、速さもない。奴は悠々とオレの攻撃を回避し、オレを覆うように周囲を回り出した。

 ラト・ガーネットを瀕死に追い込んだ霧の牢獄。赤黒い紋章を中心に渦巻く黒い霧に、オレは捕らわれていた。

 

「お久しぶりですね、あの夜のハンター」


 あの夜に聞いた怒り混じりの冷ややかな声が、霧の牢獄の中で響く。鋭利な氷柱を、体中に押し当てられている気分だ。

 オレは氷槍を構え直し、どの角度からの攻撃にも対応出来るよう感覚を研ぎ澄ませる。


「挨拶を返さないとは、何と教養のない人間でしょうか。先の汚らわしい賊でさえ、言葉を返してくれたというのに」

「……この期に及んで、お前は会話を望んでいるのか?」

「ええ、勿論ですよ。霧の中に入った時点で、勝負は付いていますから」


 そう言うと、黒い霧は人間の腕を無数に作り出してオレの身体を掴む。足を、股を、腕を、肩を。まるで生者を地獄に引きずり込む亡者のように、オレの動きを封じてきた。武器や手足を動かそうとするが、ピクリとも動かない。

 そうか、これにあの人はーーラトさんはやられたのか……

 

「1つ、取引をしましょう。あの場にいたハンターの武器と、戦い方を教えて欲しいのです。代わりに私が差し出すのは『慈悲』」

「……『慈悲』ね」


 仲間を売れ。そうすれば命だけは助けてやる。奴が言っているのは、つまりそういう事だった。


 すぐには攻撃してこないと踏んで、オレは黒い霧の体内を観察する。顔を上げると、不気味に輝く紋章が浮かんでいる。

 強引に腕を払えば、すぐにでも攻撃は出来るだろう。しかし、わざわざ向こうから会話を持ちかけてくれたのだ。これを利用しない手はない。

 こいつとの会話を弾ませ、情報を引き出しながら時間を稼ぐ。応援が来る可能性も考えるなら、それがオレの最善手だった。


「……その前に、1つ聞きたい事がある」

「何なりと」

 余裕のある声で、黒い霧は会話にのる。

「お前達の目的は分かっているつもりだ。15年前に殺された一族の復讐……そうだな」

「……成る程、人間は他種族の意思など理解しないものだと思っていましたが、違う個体もいるのですね。どうやら貴方は、我々と感性が似ているようです」

「…………」

 言いたい事は色々あったが、今は反論している場合ではない。

 黒い霧は、オレの意見を肯定した。それはつまり、オレの推理もここまでは合っていたという事だ。問題はここから先にある。


「どんな形であれ、復讐には必ず終着点があるはずだ。誰が死ねば復讐が終わるのか。何を奪えば幕が落ちるのか。オレが聞きたいのはその基準だ。……お前達は何を求める? 魔獣を殺すハンターの命か? それとも、ここで暮らす人間達の命か?」

 オレがそう言うと、黒い霧は心底下らなそうにため息を吐いた。

 大の大人が突然詰め寄ってきて、「呼吸をしたいんですけど、どうすればいいのか分からないんです。貴方には分かりますか?」と聞かれた時に出る反応のような、人を見下したようなため息だった。


「何を今更聞くのでしょうか。……では、逆に問うとしましょう。貴方達ハンターは、魔獣を一々区別して殺していますか? あの魔獣は、無害そうだから殺さないでおこう。安住の地に侵入されたけれど、牙を持っていないから殺さないでおこう。そう思えますか?」

「それは……」

 強い弱いに関係なく、目に入った全ての魔獣を殺す。それが答えであり、真理だ。

「思わないでしょうね。そしてそれは我々も同じ事。この世に存在する全ての賊共にんげんに対して、私達は殺戮を行うのですよ」


 何を言っているのか、オレには理解出来なかった。

 これまでオレは、化け狼を知的な魔獣だと思っていた。15年も前から計画を立て、それを実行に移し、人間社会の弱みに漬け込んで殺戮を行う。そこには明確で、実現可能な終着点が用意されているものだとばかり思っていた。

 それが、何だ? 全ての人間を殺す、だって?


「……不可能だ。通信網が麻痺しているとはいえ、時間が経てば騒ぎを嗅ぎ付けたハンターや治安維持局が押し寄せてくる。魔獣が開拓領域に侵入したとあれば、国の最高戦力ーー収穫軍ハーベスタも動くだろう。それら全員を相手取り、勝てるつもりでいるのか?」

「ええ、当然です」

 奴の言葉は真剣そのものだった。

 分からない。その自信は、いったい何処からくるのだろうか。

 奴らが単に馬鹿なだけなのか、それとも確かな根拠があるのか。オレはそれを確かめなければならないと思った。


「命の価値について、お前の仲間はオレ達に説いたな。命の価値を決めるのはお前達だと。なら、お前達はどうなんだ? お前達は命の価値を決めずにオレ達を殺すのか?」

「そうは言っていません。賊の命が全て等しいのなら、私はここで貴方と戦っていない。もっと多くの命が集まる場所で、血の美酒に酔い、暴力に身を任せていた事でしょう。しかし、今日、確実に狩らねばならない命がある以上、ハンターの数はここで減らさなければなりません」


 今日、確実に狩らねばならない命。それはつまり、化け狼の最優先目標。


「……これから全ての人間を殺すにしては、えらく弱腰じゃないか。本当に力があるのなら、オレなんかほっといてそいつを殺しに行けば良いだろう」

「事の全てには段取りが必要です。この機を逃せば、恐らくあの賊を殺すのは遙か先に遠退いてしまうでしょう。ですから、ええ、このような回りくどいやり方で狩るしかないのですよ。何を差し引いてでも、あの命だけは今日中に狩らなければなりません」

 

 黒い霧の言葉からは、絶対に復讐を完遂するという意志を感じる。しかし同時に、オレは奴から焦りのようなものも感じ取っていた。

 今日を復讐の日に選んだ理由。

 今日を復讐の日に選ばなければならなかった理由が、奴らにはあるように思えた。

 そしてやはり、化け狼が何の確証もなしに人間を皆殺しにしようとしてるように思えない。何の根拠もなく、奴らが人間を皆殺しにしようなどと言うとは思えないのだ。


 反撃の隙を窺いながら、右手に力を入れる。……問題ない、ちゃんと氷槍を握れている。後はタイミングを待つだけ。


 しかし、ここのところ自分でもどうかと思うほど、直感を頼りに物事を考えている節がある。

 勝手に化け狼の思考を追い、動機を考え、あまつさえそれに納得しかけている。他人の心を理解するのは難しいのに、魔獣の心は理解出来てしまう。


 ああ、全く。自分で自分が嫌になる。

 価値観が近いどころではない。この身体は、この魂は、本当に魔獣の同族なのだとつくづく自覚させてくれる。そういえば、レト・ガーネットも言っていたな。オレは卑しくも紋章を体に宿した氷の悪魔ーー人間の敵なのだと。


 だが、彼は1つだけ大きな勘違いをしている。確かにオレは魔獣の同族かもしれいないが、人間の敵ではない。ただの冷ややかで氷めいた、愚か者のハンターだという事だ。


「問答はもう良いでしょう。時間は充分に与えました。……さあ、答えを聞きましょうか」


 黒い霧はオレの答えを催促する。時間的に充分かどうかは疑問だが、行動を移すなら今だろうと思った。

 僅かに口を開くと、寒々とした真冬の夜のように白い息が出る。


「……答えは、初めから決まっていた」

「……何ですって?」

「聞こえなかったのか? 仲間は売らない。そう言ったんだ。逆に聞くが、オレとお前の立場が逆なら、お前は仲間を売るのか?」

 オレがそう言うと、化け狼は少し笑って、

「成る程、理解しました。貴方がハンターで、私は魔獣。初めから分かり合える筈もなく、ならば、やるべき事は1つでしたね」


 黒い霧は更に腕を増やし、オレの腕を、武器を、顔を掴んだ。そして、オレの息の根を止めるため、鏃の付いた尻尾を振るい始める。


「あの汚らわしい賊とは違い、貴方は念入りに殺してあげます故ーー安心して、死んで下さいな」

 

 ひゅん、と風を切る音がした。

 避け得ぬ一刺しだ。必中の一撃だ。死角から放たれるそれは、例え身体が動かせても避ける事は難しいだろう。あのラトさんでさえ、奴の体内、奴の手の平の上から無傷で生還は出来なかったのだから。

 しかし、彼とオレでは根本的な部分が異なる。それは武器や性格、アカデミー生や継者といた些細な違いではなく、人か悪魔か、という違いだった。


 ……ああ、息が白い。良い具合に冷えてきた。

 

「ーー『紋章起動エンブレム外界凍露トルマリン』」

 

 口を開く、その一瞬。オレに触れる全ての手は、氷浸いて砕け散る。

 

 これが、氷の悪魔の力の一片。

 これが、携帯水晶第2の能力。

 これが、絶対零度の冷気の衣。

 

 携帯水晶の4点全てが起動し、溜め込んだ悪魔の冷気を放出する。母の旧姓を冠するこの能力は、薄い衣となって全身を包み込み、迫る魔の手からオレを守った。そして、それは同時に、攻撃に移るための一手でもあった。

 狙うは核である紋章。真上に向けて氷槍の突きを放つ。勢いを付けて放ったそれは、これ以上無いほど鮮やかに、狙い通りの場所を貫いたかに見えた。だが、しかしーー


「ーーうッ、がぁアァァァッ!」

 

 奴は尻尾の起動を変えて氷槍にぶつけ、核に当たる直前で勢いを殺す。そして瞬時に本来の姿に戻り、黒い霧が消えると同時にオレと距離を取ったのだ。


 オレはすぐには追撃に行かず、再び奴を観察する。

 本来ならば眼前の魔獣は、毛並みの整った美しい灰色の身体なのだろう。しかし、今は毛の末端に霜が降り、地に着ける4足からは血が流れている。『厄災型の魔獣』の弱点である紋章かくを守るために『怪凶型の魔獣』に戻り、代わりに手足を差し出したのだ。


「はっ、はっ、はっ……ふぅぅ……」

 奴は息を吐き、呼吸を整える。足から流れる血を一舐めし、オレに向き直ってから、茶色いタイルを蹴り上げて近隣の家の屋根に飛び移る。


「油断は、ありませんでした。……ですが、遅れを取るとは思いもしませんでした」

「解せないか。確かに、オレ1人の力じゃ、こうも上手くはいかなかったさ。……お前が汚らしいと罵った勇敢なハンターが、お前を狩るためのヒントをくれなければな」

 

 ここに来る前、倒れているラトさんの身体を見て、オレは1つの疑問を持った。あのラトさんが、何故こうも一方的に負けたのかと。

 ラトさんの側に落ちていた『大盾大鎌シールドサイス』は、鎌の状態で落ちていた。盾の状態は別として、鎌は遠心力を使って中距離で戦う武器だ。ならば、詰め寄られ過ぎて武器を振れなかったか、盾に変える間もなく一撃を食らった、もしくはその両方だとオレは予測したのだ。

 そしてその予測は、たった今的中する事となった。


「あの人は、情報が少ない中でお前を倒す可能性をくれた。更にはお前を油断させ、時間まで作ってくれたんだ。だからこれは、あの人がお前に与えた一撃だよ」


 黒い霧はーー血に濡れた化け狼は僅かに怒りを見せる。

 1対1の状況を自ら作ったにも関わらず、オレに遅れを取った事。そして、過去に葬った筈の人間に一矢報いられた事に、奴は怒りを感じているのだ。狩人として最もプライドが傷つけられる瞬間は、己の得意とする狩りで負ける時だ。


「ふふフふフ……アハはははハはハははハッ!」

 奴は不気味に笑う。

 可笑しくて笑っているのではない。奴は殺意を高まりからくる高揚感によって、腹の底から笑っているのだ。

「つけアがってイたのは私の方でシタか。……優勢と劣勢、生ト死が容易く逆転するコの感覚。……狂おしい程、タマラナイ」

 奴の身体が変化を始める。ブクブクと膨れ上がったり、姿を消したりするのではない。背に灰色の4枚羽を生やし、太陽を隠すように大きく広げる。

 鷲……いや、梟の羽だ。獲物を噛み殺すための牙と、大空を舞うための翼。オレが恐れていた通り、奴には霧の他に別の戦闘形態が存在していた。


「冷静ニ務メルノハ、モウ止メデス。沸キ上ガル怒リト純粋ナ殺意ヲ持ッテ、私ハ今カラ、貴方ノ命ヲ狩リ取る復讐者ニナリマショウ」

 ドス黒い、殺意に冷えた声だった。大空に広がる翼は、次の一撃で勝負を付ける気なのだと、意思を発していた。


 先のやり取りで分かった。オレの今の槍捌きでは、奴の命までは届かない。右腕が万全の状態じゃないからではない。純粋な正面戦闘では、オレは奴には敵わないのだ。だが、勝機もある。奴が黒い霧でなくなった今なら、今度はオレが搦め手を使える。

 オレは氷槍を投げ捨てて、コートの内側から投げナイフを取り出す。




 

 互いが、互いの命だけを見詰めていた。獲物の血を求め、殺意と闘志を曝け出していた。

 ここに理解し合う道は無く、後に引ける道も無い。生は幻影となって儚く透けて、死は隣人となって互いの命を握っていた。

 また、風が吹く。

 煌々と地を照らす太陽は傾きを見せ、決着の時は刻々と迫っていた。

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