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雪の涙は葉に落ちて  作者: 大塚 博瞬
第1章 メリコイル
25/30

1-24 誇れる兄

 目の前の景色がグニャリと歪む。

 ふわふわと、ゆらゆらと、同じ事を繰り返し考える。

 



「それじゃあ、シオン。3日くらい家を空けるけどーー」

 いつもの決まり文句を言うお姉ちゃんに、私は「またその話か」、と笑って言葉を返す。

「ピーちゃんの世話をお願い、でしょ? そう何度も言わなくても大丈夫だって」

「そう? 最近のシオンは忙しいみたいだからさー。忘れちゃわないかなと思って。ていうか、どうなの? 仕事の方は」

「うん、今が頑張り時って感じ。やっとハンターの仕事にも慣れてきたし、目指すべき方向も見えてきた。あとは目標に近づくためにも、もっと頑張らなくっちゃ」

「目標?」

 私は思わず、口を滑らせる。

「な、何でもないって! それじゃあ、お姉ちゃん。行ってらっしゃい!」

 お姉ちゃんは首を傾げながらも、和やかに私に手を振る。

「行ってくるね、シオン」




 3年前のあの日。私はいつものように背中を見詰めながら、お姉ちゃんを送り出した。

 また同じ朝が来ると信じて疑わず、暢気に笑いながら。


 ずっと、憧れていた。ずっと、目標だった。

 お姉ちゃんの背中を追ってここまで来たのに、その背中はもう見えない。

 

 あの日、あの瞬間。私が呼び止めていれば、お姉ちゃんはいなくならなかったのかな……

 そんな叶わない事を考えながら、私は自嘲気味な笑みを浮かべる。


 ……辛いな。気を抜くと、お姉ちゃんの事ばかり考えてしまう。作戦の実行前なのに、私は言い表しようのない虚無感で押し潰されそうだった。

 取り繕わなきゃ。不安を押し殺さなくちゃ。このままじゃお姉ちゃんだけじゃなく、お父さんやお母さんまで失ってしまう。私の育った街を守れるのは、私達ハンターだけだ。


 私は大丈夫。私は大丈夫。私は大丈夫。私は大丈夫。私は大丈夫。私はーー

 

「シオンちゃん。準備は出来た?」

 いつの間にか、ラトさんが私の顔を覗いている。

「……勿論ですよ。私は大丈夫です」

 偽りでも、空虚でも、今は前を見なくちゃいけない。私は今から、人殺しの魔獣共を騙すのだから。

「準備は出来たようですね。……それでは、行きますよ」

 グレゴさんが勝負の合図を告げる。重厚感のある音と共に、シャッターがゆっくりと上がった。






 外に出ると、はらわたをこぼした街が目の前に広がっていた。

 道端には瓦礫ともゴミとも思える物が転がり、建物によっては火災が発生している。『狩人の門・管理局』の中よりも数段酷い。まるで、別の街を訪れているような感覚だった。


 20メートル先には化け狼が3匹と、人質に取られ、ハァハァと息を荒げている女性職員が1人。「助けて……」と声を漏らすが、黙れと釘を刺されて口を閉じる。

「待ッテイタゾ、ハンター」

 女性職員と密着している2足歩行の化け狼が口を開く。その前に立つ化け狼も目に映る者達を値踏みしながら、

「コノ臭イ、違エルハズモナイ。……本当二レオ達ハ死ンダンダナ」

 そう哀愁を漂わせるも、すぐに感情を切り替える。この街特有の茶色いタイルがもう雨水で濡れていないように、心に降る雨粒を強い意志で振り払ったようだった。


 奴らの正面に立つのは、3人の非戦闘員。先頭のシオンちゃんと、その後ろに立つ『狩人の門・管理局』の職員が2人。全員ベットリと血を滴らせた武器を構え、化け狼の動きを警戒する。


 この作戦の鍵は2つ。その内の1つは、いかにシオンちゃんが奴らの注意を引くかだ。

 シオンちゃんをやり手のハンターだと奴らが思い込めば、それだけ俺達が動きやすくなる。どこまで奴らを騙せるか、それがこの勝負の行方を左右していた。


「死に際が聞きたいなら、教えてあげますよ。最初の1匹は頭蓋に、2匹目は両肩にこれを突き立てました」

 シオンちゃんは見せびらかすように、血の付いた刀を奴らに向ける。

 これは、ナビゲートルームで死んでいた化け狼から抜いた刀の1本だ。シオンちゃんに武器を扱う技量はないが、血の付いた武器を見せれば威嚇するくらいは出来る。事実、シオンちゃんが武器を構えた瞬間に奴らの表情が険しくなった。

「……黙レヨ」

「3匹目は心臓に。4匹目は確か……すいません、忘れちゃいました。空き缶を潰すのと同じで、ありがちな死に方だと覚えられないんですよね」

 誘うように、シオンちゃんは挑発を繰り返す。化け狼から最も近い位置にいるというのに、彼女に臆した様子は見られない。

 ったく、見てるこっちが心配になるっての。この土壇場で、どんだけ肝が据わってんだよ。

「……記憶力ガ良クナイラシイナ。オレハ、黙レト言ッタンダ」

 先頭に立つ4足歩行の化け狼は、ピクピクと眉間のあたりを震わせる。


 奴らの復讐の源は、親の代の献身的な犠牲だ。それはつまり、奴らは仲間意識が強いという事。死者を貶されて怒りを覚えるのは奴らにとって当然の反応であり、思考を鈍らせるには適した手段だった。

 が、しかし。


「待タレヨ、我ガ同胞。奴ラハ、レオ達4人ガカリデモ殺セナカッタ猛者。ソレヲ忘レテハイマイナ?」

 人質と密着している化け狼が、酷く落ち着いた声色で殺気立つ仲間をなだめる。暫く睨み合いの末、殺気立つ化け狼が折れる。

「チッ、分カッタヨ」

「ソレデ良イ。……サテ、ハンター諸君。我々ハココニ、平和的ナ交渉ヲシニ来タ」

 2足歩行の知的な化け狼はとても冷静だ。普通に戦っては自分達が劣勢、人質がいて対等だという事を理解している。

「平和的? 人質を取っておいて何を……」

 シオンちゃんは嫌悪感を剥き出しにすると、

「コウシナケレバ、オ前達ハ耳ヲ貸サナイダロウ? 言葉ガ通ジテモ、会話ガ成立シナケレバ意味ガナイ。……話ヲ戻ソウカ。ソノ施設ヲ明ケ渡ス事、ソレガ我々ノ要求ダ。オ前達全員ガ施設内カラ消エ、離レサエスレバ、人質ハ解放シヨウ」

「離れるって……。一体、何のためにそんな事を?」

「殺戮ダヨ。我々ハ更ナル殺戮ヲ望ンデイル。並ビ立ツ『壁』ハ壊セナイガ、『門』ヲ開ケバ他ノ魔獣ヲコノ地二呼ベル」

「……! それを聞いて、私達がすんなり退くと思ってるの?」

「退カナクテモ構ワナイ。ソノ場合ハ、救エタ命ヲ捨テル事二ナルガナ。命ノ価値ヲ決メルノハ、他デモナイオ前達ダ」

「…………」

 奴らは俺達に選択を迫る。あくまで冷静に、悪魔で冷酷に。

 

 『狩人の門』は魔獣研究のため、魔獣の死体搬入口としての側面も持っている。つまり、『狩人の門』だけは任意に『魔獣避けの紋章』の働きを止めるシステムが組み込まれているのだ。

 もし奴らに『狩人の門』を開けられれば、この街に更なる魔獣を呼ぶ事になってしまう。しかし、奴らの要求を呑まなければ、1人の人間が死んでしまう。まー、何が言いたいかというと、俺達が選ぶのは第3の選択肢って事だ。

 『狩人の門』は開けさせないし、人質も殺させない。俺達は黙して作戦を遂行するのみだ。


 シオンちゃんも同じ事を思ったのだろう。自分に注目を集めるため、ここで彼女は勝負に出る。 

「そうですね。けど、中には入らない方が良いと思いますよ。お仲間の死体が転がってますから……あ、もしかして現物を見たかったですか? なら早く言ってくれれば良かったのに。ええ、そういう事なら良いですよ。あの土の肥料にもならない、腐りかけのミートパイを見たいなら、どうぞ中へ入って下さい」


 シオンちゃんが化け狼の心をつつくと、効果的に怒りを引き出せた。先頭に立つ化け狼も、人質の少し前に立つ化け狼も、とっくの昔にブチ切れたような顔をしていた。

「……取引ガ終ワルマデ待トウト思ッタガ、止メダ。ソンナニ死ニテェナラ、望ミ通リ報イヲ受ケサセテヤル」


 化け狼は身体をブクブクと膨れ上がらせ、『レオ』という奴と同じ筋肉質な肉食獣の姿に身体を変化させる。茶色いタイルを踏み砕き、今にも飛び掛かってきそうな奴の姿を見て、シオンちゃんは思わず半歩下がってしまう。

 後ろに武器を持った職員が2人いるとはいえ、あの巨体に迫られては為す術なく殺されるだろう。

 一瞬助けに行く事を考えるが、その考えはすぐさま消える事となる。化け狼と対峙するシオンちゃんは、あろう事か下げた足を一歩前に出し、身を乗り出して威勢良く啖呵を切ったのだ。


「……何よ。散々人を攫っといて、いざ仲間が死ねば悲しんで……都合が良いとは微塵も思わないの? いい、貴方達のやっている事はね、ただの自分勝手な憂さ晴らしよ! 沢山の人を殺しておいて、いつまでも被害者面してるんじゃないわよっ!」


 意図した演技か、それとも気持ちの振れから出たものか。気持ちの乗ったその言葉は、化け狼の注意を十二分に引きつけた。

 シオンちゃんが俺達につくった、化け狼に近づくチャンス。俺達は音を立てず、かつ迅速に距離を詰めた。

 もう相手との距離は13メートルもない。ダッシュで近づけば、すぐにでも肉食獣の化け狼はれる。だが、その後方にいる人質に密着した知的な化け狼かららなければ意味が無い。ここで順番を間違えてはいけなかった。


 魔獣狩りをするハンターの必須のスキルである『静的微動歩法』を用いて、息を殺して獲物に近づく。

 腰を低くし、踵から地に足を着ける。武器や装備品から音が出ないよう、摩擦を最小限にまで抑える。相手が自分に気づく位置、それを見極めてすぐに動ける体勢を維持するのも忘れてはいない。

 人質と密着している化け狼まで、残り10メートル。俺は勝利を確信しながらも、努めて冷静に一歩を踏み出した。

 その時、そよ風が吹いた。


 『狩人の門・管理局』から奴らの方へ流れる、予想不能な自然現象。それは、普段の狩りなら全く問題視する事のないもの。しかし、事今回の騙し合いにおいて、それは致命的な要因となった。

 兄ちゃん達についた化け狼の返り血が、風に乗って化け狼の鼻に届く。張り詰めていた空気が一気に弛緩し、化け狼の口角が次々とつり上がった。


「……動クナ。言ッテオクガ、ソコノ女二言ッテルンジャナイ。左右二別レテ迫ッテキテイル、オ前達二言ッテイルンダ。気ヅカレナイトデモ思ッタノカ? 動キヲ止メ、姿ヲ現セ」

 そう言い終わると、1番奥にいる化け狼が人質の腕を爪で切り裂く。今まで大人しくしていた女性職員は、痛みで興奮状態に陥ったのか涙を流しながら叫ぶ。


「ああ、ああぁぁあぁぁぁッ!! 動いてない、私は動いてないのにッ…………ハァ、ハァ……やめて……助けて、お願いよ……」


 このままでは危険だと判断したからか、兄ちゃんは『隠匿の指輪』を外して姿を現す。リーフちゃんも返り血を浴びた姿を晒し、指輪と氷の槍を地面に投げ捨てた。

 『隠匿の指輪』で姿を隠し、距離を詰めて人質を奪還する。残り7メートルの地点で、化け狼はその策に気づき、見破ったのだ。


 シオンちゃんの顔が青ざめる。兄ちゃんも、リーフちゃんも両手を上に上げる。もう戦う意思がない事を、ありありと見せつけていた。

「仲間ノ血ノ臭イハ分カルッツッタヨナ? オマエラヤッパリ、記憶力ガ良クナイミタイダ」

「我々ヲ舐メナイデ貰オウカ。力デハ劣ルガ、索敵能力ハオ前達ヨリモ上ダ」

 化け狼が勝ち誇った様子でシオンちゃん達を見据える。お前達にこれ以上の逆転劇はない。そう言っているようだった。


 一歩踏み出す。残り、6メートル。


「ハッ、サッキマデノ威勢ハドウシタ。策ガ見破ラレテ青ザメタカ? 謝ッテモイイゼ、ドノミチ殺スガナ」

「落チ着ケ。小細工ヲ潰シタトハイエ、取引ハマダ終ワッテハイナイ。サア、ハンター諸君。答エヲ聞コウカ」


 策を見破っても、知的な化け狼は冷静だ。自分達の能力と持てる交渉材料カードを吟味し、着実に痛い所を突いてくる。

 ほんと凄い執念だよ。復讐のためにここまでやるなんて、俺ってば敬意すら感じちゃうね。……けど、俺達だってここで引き下がる訳にはいかねぇんだ。


 更に数歩、前に足を運ばせる。残り2メートルーー攻撃圏内に入る。

「サァ、早ク答エ……」

「ーーご愁傷様。じゃあな、クソ野郎!」

 バッサリ。

 『変形武器:大盾大鎌シールドサイス』を振るい、背後から奴の首を跳ね飛ばした。






 ーー時を遡ること20分前、警備員室での事。


「1つ、確認したい事があるんですけど……『隠匿の指輪』は、まだここにありますか?」

「……! 成る程、その手がありましたか。おい、確認を急げ!」

「は、はい!」

 

 グレゴ管理官が俺達と一緒にきた職員に指示を出す。俺は話している内容が分からず、慌ててリーフちゃんに問いただす。

「ちょっとちょっと、何だよその『隠匿の指輪』って?」

「俺もルー……スピツリア・3級ハンターから聞いただけなんですけど、10年前までは未開の地の探索に『隠匿の指輪』ーー姿を消せる紋章の指輪を使っていたらしいんです。当時はシンボルが管理してたと聞いてたので、まだここに残ってるんじゃないかって」

 

 それを聞いて、俺は2日前の会議の内容を思い出した。

 あのチェインとかいう人攫いが使っていた、闇市に出回ってる紋章の指輪。リーフちゃんとルーネちゃんは偶然にも同じ指輪を使って、人攫いを追い詰めたんだっけ。

 

 息を切らして、出ていった職員が戻ってくる。

「ありました! 数は3つ。10年前に使ったきりですが、問題なく動作しています!」

「よし、これなら何とかなるかもしれない! 奴らの注意を引きつけてる間に、指輪をはめた誰かが人質を奪還する。これで行きましょう!」

 希望が見え始め、グレゴ管理官は舞い上がる。だが、その策には幾つかの問題点があった。


「後は、誰が指輪を付けるか。そして、誰が奴らの注意を引きつけるか決めなくては。戦えるのは俺と、ラトと……ブラックマン・4級ハンターだけだ」

「連携取りやすい俺と兄ちゃんが指輪はめれば良いんじゃね? まともに戦える俺ら全員が奴らに近づいたら、代わりに注意を引くメンバーが危なくなっちまう」

 ミイラ取りがミイラになったんじゃ意味ない。兄ちゃんも、リーフちゃんも、俺の提案に頷いてくれた。


「……駄目ですよ」

 しかし、唯1人、シオンちゃんだけは違った。

「指輪は貴方達3人がはめるべきです。身を守る人なんかいらない。私が1人で、奴らの注意を引きつけます」

「じ、じ、自分が何を言っているか分かっているんですか! そんなの危険すぎる。下手をすれば、死ぬかもしれないんですよ!? 未開の地でもそうでしたが……貴方は何故、そうまでして危険な道を選ぶんです!」

 グレゴ管理官は大声を出して、椅子から立ち上がる。

 無理のない話だ。彼はナビゲーターとして、ハンターを無事に未開の地から帰還させる事を信条としている。更に、彼は俺達が提案した危険度の高い行動案を1度呑んでいる。2度も危険に晒させたりはしない、と彼の瞳が俺達に訴えていた。

 しかし、シオンちゃんはその瞳を見ても尚、意見を変えなかった。


「……後悔、したくないんです」

 また、静かにシオンちゃんが呟く。

「あの日、ああしていれば良かった。こうすれば良かった。そんな事を考えて過ごすのは、もう嫌なんです。……危険でも良い。自暴自棄でも良い。最善を尽くして、私はやるべき事をやりたいんです」

 シオンさんの声は、部屋中に良く響いた。

 今の彼女は未開の地の時と同じで、直情的で危なっかしい。けれど、グレゴ管理官と同等かそれ以上の決意めいた瞳で、俺達に熱い想いを訴えていた。

 

「確かに、今は安全策を取っている場合じゃないかもしれないですね」

 リーフちゃんが賛同し、

「……最早、一刻の猶予も無い。効率的に排除するためにも、アメジスト・4級ハンターの策が1番か」

 兄ちゃんが肯定する。グレゴ管理官は縋るように俺を見るが、

「こうも熱弁されちゃなぁ。管理官殿、意見変えるようで悪いけど、俺もこっちに賛成だわ」

「また、4対1ですか……」

 頭を掻き毟り、これでもかと言うくらい悩み悩んだ後で、グレゴ管理官は大きなため息を吐いた。

「……分かりました。しかし、1点ーー自暴自棄でも良い、というのは承諾しかねます。捨て身で行動しない、という条件でなら、私も作戦内容を呑みましょう。それから、出ていくのが1人だと怪しまれる。私と、もう1人職員が同伴した上で化け狼の前に行きましょう。そこそこ戦えるハンターだと思わせるために、倒した化け狼の血を身体や武器に付けた上でね」

 「はい」、と4人の声が重なった。


 さて、こうして作戦を実行に移す事になった訳だが、さっきのグレゴさんの言葉で俺は更なる妙案を閃いた。

 警備員室から出ていくシオンちゃんを見届けてから、俺は兄ちゃんとリーフちゃんをちょちょいっと手招きする。

「どうかしたのか?」

「ああ。敵を騙すには、まず味方からってな。化け狼の血を付けるって管理官殿の案を、2人にもやって貰おうかと思って呼び止めたんだ」

「……何故だ?」

 首を傾げる2人に、俺は人差し指をピンと立てて説明する。

「2人には、わざと奴らに見つかって欲しいんだよな。ほら、血の臭いを撒き散らせば、奴らは絶対に臭いに気づく筈だろ? そこで血の臭いを消した俺が、背後からバッサリやるのよ。どう、こっちの方が確実っしょ?」

「何が確実なものか。俺達が見つかれば、奴らは他に姿を消して近づくハンターがいないか警戒するだろう」

「だーかーら、俺は2人にだけ話してんだよ。だって、」

 ここで、リーフちゃんが俺の意図している事に気が付く。

「シオンちゃんは感情を隠すのが下手くそだからさ」

「シオンさんは感情を隠すのが下手だから、ですね」






 そして、現在。化け狼の首を跳ねた今に繋がる。

 シオンちゃんの青ざめた表情。あの真に迫った顔が、この結果を呼び寄せた。この事を事前に伝えていたなら、奴らに余裕がある事を読み取られて作戦は失敗していたかもしれない。

 作戦の鍵。その2つ目である俺の働きは、万事成功を収めた。


 知的な化け狼は自らの臭いの元を撒き散らす。他の化け狼も異変に気づき、すぐさま俺に向かってくる。だが、奴らの間近に迫った兄ちゃんとリーフちゃんがそれを阻止し、人質の奪還をサポートする。


 俺は呆気に取られている女性職員に呼び掛ける。

「おい、こっちだ!」

「え!? 誰、何処なの?」

 おっと、しまった。今は『隠匿の指輪』で姿を隠しているんだった。

 俺は指輪を外し、彼女の手を引きながら説明する。

「安心しろ。俺はアンタを助けに来たハンターだよ。ま、お互い聞きたい事はあるだろうけど、それは後って事で。今はアンタの安全を確保するのが先だ」

 早口で説明すると、彼女は状況を理解し、安堵の表情を見せた。

 

 しかし、俺も一緒に安堵する事は未だ許されない。状況は好転したが、交渉は決裂。戦闘は背後で始まってしまったからだ。

 この人を安全な場所まで誘導したら、俺も兄ちゃん達の加勢に行って、残りの化け狼を狩る。悠長にしている時間は1秒だってなかった。

 俺は彼女の手を引いて走る。どこか安全な場所はないかと辺りを見渡すと、大人でも充分に隠れられる物陰を見つけた。

 ここが良いだろう。そう思い立った時、またそよ風が吹いた。


 1秒だって無駄に出来ない。俺の認識は間違っていない筈だ。

 なのに、何でかな。何故か、さっきのシオンちゃんの言葉が頭に浮かんだ。


『だから結局、相手を信頼するには疑う他にない。疑いは、信頼を得るための必要経費なんですよ』


 俺は彼女の手を離し、足を止めた。

「あの、急ぐんじゃないんですか? 早く離れないと」

「……動くな。それ以上、動くんじゃねぇ」


 俺は『変形武器:大盾大鎌シールドサイス』を彼女に向ける。いかにも非力な、魔獣に傷つけられて腕から血を流している女性職員に、負い目を感じながらも刃を迫らせる。


「何を……しているんですか? さっき、私を助けに来たって……」

「ああ、そうだよ。魔獣に捕まって人質にされた、見捨てる事の出来ない命だと思って俺はアンタを助けた。けどさ、俺は臆病だから、アンタを疑わずにはいられないのさ。……なぁ、なんで人間のアンタから、土の臭いがするんだ?」


 シオンちゃんのコイルが擦り寄って来た時、未開の地の土の臭いがした。今彼女が発しているのは、それと同じ臭い。未開の地に行った者にしか着かない筈の、土の臭いだった。

「それは、化け狼の臭いが移ったんです。貴方も見ていたでしょ? 私はアイツらに捕まっていたんです!」

「……ボロを出したな。アンタ、何であの魔獣が化け狼だって知ってんだ?」

「それは……わ、私は『狩人の門・管理局』の職員です。この辺りに生息している魔獣の情報は、一通り目を通してあります!」

「そうかい。じゃ、アンタはそこの物陰に隠れてろ。俺は兄ちゃん達と合流して、今から化け狼共をぶっ殺してくるからよ……」


 とても、静かだった。この辺りの住人は何処かに避難してしまったようで、俺とこの女しかここにはいない。

 『変形武器:大盾大鎌シールドサイス』の血に濡れた刃が、陽光を鈍く反射させる。今この手を引けば、間違いなくこの女の首は跳ぶ。あの化け狼と同じ様に、血の雨を茶色いタイルに降らす事が出来る。

 確信はあった。どう考えたって怪しい。だが、人を殺めるかもしれないという恐怖が判断力を鈍らせる。


 彼女が人間かもしれない可能性が1%でも存在していれば、俺はこの鎌を引く事は出来ない。


 頭は冷静なのに、心臓が異常に速く脈打つ。

 畜生。何ビビってんだ、俺は。もっと喋らせろ、もっとボロを出させろ。俺には時間が無いんだぞ。


 俺は不安を振り払うように、女を睨む。

 それを見て女は何を思ったのか、とても健やかな笑顔を俺に向けたのだった。

「そんなに怖がらなくても大丈夫ですよ。私を睨む必要もない。だってもうーー勝負は付いてるんですから」


 姿を現すのは、一瞬だった。俺は、腕がドス黒く変化していくのを見逃さなかった。


「そうかよッ!」

 鎌を手前に引き、首を裂く。外しようのない一撃だったそれは、虚しくも空を切った。

 霧を切った。

 黒い霧だ。こいつ、刃が当たる寸前で身体を霧にしやがった! 間違いねぇ。こいつがリーフちゃんと遭遇したっつう、黒い霧だ!

 奴は黒い粒子となって、俺の周りを渦巻くように移動する。まるで俺を包み込む、黒い霧の牢獄だ。視界の全てが黒い霧で覆われ、何も見えなくなる。太陽も、茶色いタイルも、兄ちゃん達の姿も見えない。

 ただ1つ見えるのは、太陽の代わりに頭上で赤黒く輝く紋章。『凶怪型の魔獣』から『厄災型の魔獣』に変化した弊害である、露出した弱点だった。


 『厄災型の魔獣』は病や自然現象などで身体を構築した、特定の形を持たない魔獣だ。武器で身体を傷つけようとも意味は無いが、その身体に浮かび上がるもんしょうを傷つければ殺す事が出来る。

 奴らは『厄災型の魔獣』の特性をコピーする際、弱点さえもその身に『反映』させてしまうのだ。


「もうネタは割れてんだよ! 『紋章起動エンブレム』ーー」

 『変形武器:大盾大鎌シールドサイス』に刻まれた紋章を発動させ、振り上げようとする。だが、ピクリとも動かない。霧から産まれた無数の人間の手が、武器を、腕を、肩を押さえて離さなかった。

「こ、いつ……」

 グサリ。

 動きを封じられた俺は、背中から何かに刺される。自分の胴体を見ると、先端にやじりの付いた細長い尻尾が、俺を串刺しにしていた。

 ズルリ、と尻尾が引き抜かれる。

 俺は腹に空いた穴から、口から、鼻から、血の雨をぽつぽつと茶色いタイルに降らせた。

 

 どうやら、考えが甘かったらしい。奴は霧状の身体を持ち、人間の腕と鋭利な尻尾を生やせる。それは霧の外側だけでなく、内側にもーー体内にも生やせたんだ。ここは文字通り、奴の手の平の上だったという訳だ。

 俺は逃げるべきだった。奴が黒い霧に変化した瞬間に、弱点なんかには目もくれず、一目散に奴の体内から逃げるべきだったんだ。


 立つ力もなくなり、俺は地面にブッ倒れる。地面に広がった血が顔にも着いて、流す血の色は魔獣と変わらないんだな、なんて下らない事を考えてしまった。

 

「つけあがりましたね。臆病なら、次からは自分の実力も疑ってみてはどうでしょうか?」

 黒い霧が俺に語りかけてくる。

 第一印象を疑うだけじゃ足りないってか。……ああ畜生、意識が遠退いてきた。

「しかし、狩りとは楽しいものですね。特に思い通りになったと誤解している獲物を狩るのは、いつ如何なる時でも楽しいものです。1人ずつ分断して、確実に狩る。それが私の最も得意とする狩りなのですよ」

「……んだよ。……1匹、殺され……くせによ……」

「私達はこの世の何よりも明確に、命の価値を決めています。おさのために末端が、子のために親が死ぬのです。狩りが成功して、彼も本望でしょう。……貴方も命の価値を決める事ができたなら、私を傷つける事くらいは出来たでしょうね。まぁ、それでも死ぬ事には変わりありませんが」


 俺には分かる。こいつの言っている事は本当だ。

 俺が1人で戦っても、いや、兄ちゃんと一緒に戦っても、勝てるかどうか怪しい。その位の力量差を、俺は身をもって体感したのだ。


 行かせては、いけない。他の犠牲者が出る前に、俺が、こいつを……


 黒い霧を掴もうとするが、それは叶わない。指の間から粒子となって、手の平から消えるだけだ。

「ーーそれでは、ご愁傷きげん様。土の肥料にもならない、腐りかけのミートパイのように……惨メ二死ンデ下サイナ」

 

 ドス黒い本性を見せつけて、黒い霧は俺から離れていく。

 ああ、もう思い通りに身体が動かない。俺に出来る事は、精々去って行く黒い霧を目で追う程度……


 黒い霧が去って、遅れて2匹の化け狼も黒い霧を追う。もう、姿を目で追う事すら出来ない。辛うじて足音を拾うだけ。

 

 あー、だっせー。超強いとか息巻いてたくせに、蓋を開けてみたらこれかよ。まじダセぇ。

 黒い霧が言ってた通り、今の俺には『惨め』って言葉がお似合いだ。惨めに地面を這いつくばって、一矢報いる事すら出来ずに倒れて、ほんと何やってんだよ……

 

「……ト……ラト、ラト! おい、しっかりしろ! ラト!」

 いつの間にか、俺は兄ちゃんに傷を抑えられていた。痛みで少しだけ意識が戻り、薄く目を開けると、目に涙を溜めるシオンちゃんの顔が見えた。リーフちゃんは……探しても俺の視界には入らない。

 目を閉じて意識を集中させると、微かに足音が聞こえる。それは、徐々に遠ざかっている。

 多分だけど、これはリーフちゃんの足音だ。この中で黒い霧を追えるのは、リーフちゃんか管理局の職員だけ。でも、戦えるのはリーフちゃんしかいない。簡単な消去法だった。


 伝えなければ、奴らの狙いを。リーフちゃんを、1人で追わせてはいけない……

「リーフ……1人で、行かせちゃ……駄目……だ……」

「よし、意識はあるな……。落ち着いて息を吸うんだ。今、傷の手当てをしてやる」


 何やってんだよ、兄ちゃん。俺の手当ては後回しで良いんだよ。このままじゃ、リーフちゃんも俺の二の舞になっちまう。今アイツと戦えるのは、兄ちゃんしかいないんだぞ。


「兄ちゃ……アイツを……」

「……黙っていろ。傷口が開く」

「……何、言って……。早く、兄ちゃんも……」

「黙ってろ! いいから……黙っていてくれ……」


 急に、兄ちゃんが声を荒げた。

 瞼を開けると、眉間にシワを作った兄ちゃんの顔があった。苛立ちや迷いを感じている時の顔で、今日の朝も同じ顔をしていた。


 あの時は、リーフちゃんの事で戸惑って、こんな顔をしてたんだよな。

 その時、俺はふと1つの考えが頭に浮かんだ。兄ちゃんとリーフちゃんは仲が悪い。だから、兄ちゃんはリーフちゃんを助けに行かないのではないか、と。

 

 ……はっ、馬鹿か。んな訳ねーだろ。俺の尊敬する兄ちゃんは、そんなクソみたいな理由で人を見捨てたりはしない。兄ちゃんはハンターとして、人一倍強い正義感を持っている。

 じゃあ、何が兄ちゃんをここに縛り付けいるのかといえば、それは俺だ。

 レト・ガーネットの唯1人の弟である、ラト・ガーネットという男のせいだ。


 未開の地で項垂れるシオンちゃんを見た時、俺は思った。兄ちゃんと祖父母、その3人の内の誰かが死んだら、俺もああなるんじゃないかってな。多分だけど、あの時兄ちゃんも同じ事を思ったんじゃねぇかな。

 死んだ両親の代わりに俺を守ってくれていた兄ちゃんは、俺という守るべき存在を失ったら空っぽになっちまう。生きる意味を見失っちまう。


 なぜ分かるかって? そりゃあ、俺達兄弟は2人で1人だからだ。


 今の兄ちゃんは、自分に言い訳をしている。

 本当はやるべき事が見えている筈なのに、俺が死にそうになってるのを見て、足が竦んじまってるんだ。

 問題は見えた。そして、やるべき事も分かった。

 あとは俺が、しっかりしろって、兄ちゃんの背中を軽く押してやるだけ。魔獣を殺すよりも、簡単なお仕事だ。


「兄ちゃ……」

 俺を見捨てろって、言うんだ。


「兄ちゃん……」

 リーフちゃんを追えって、言うんだ。


「だから、黙れとーー」


 兄ちゃん。頼むからーー


「兄ちゃんはーー俺の誇れる相棒にいちゃんでいてくれッ!!」


 胸ぐらを掴み、兄ちゃんの瞳を見る。いのちを吐き出し、兄ちゃんの心に呼び掛ける。

 驚き、その後に俺の手を優しくほどいた兄ちゃんは、首にかけた十字架のネックレスを握りしめた。その刹那の瞬間に、兄ちゃんは何を思い、何を決断したのか。それは最早、聞くまでもなかった。


「アメジスト・4級ハンター。ラトを頼めるか?」

「勿論です。……リーフさんの事、お願いします」

「……ああ、分かっている」

 短く言葉を交わし、兄ちゃんは俺の元を去る。


 ああ、それで良い。そんな兄ちゃんだから、俺は兄ちゃんの削ぎ落としたものを拾っていこうって、兄ちゃんのために生きようって思ったんだぜ。


 身体の力を抜くと、とても眠くなった。こんな所で眠ったら風邪引いちまうな。

 でも、良いか。今日くらいは。


 そんな事を考えていると、ポツポツと冷たい雨が降ってきた。シオンちゃんの目に溜めた涙が溢れて、俺の顔に零れていた。


 ははっ、なんでシオンちゃんが泣いてるんだよ。泣きたいのは俺の方だっての。

「大丈夫です……大丈夫だから……大丈夫……」


 シオンちゃんの顔は大丈夫じゃねぇけどな。

 そんな愚痴さえ、言う力は残ってない。けど、もう大丈夫だ。


 皆には、兄ちゃんがいる。

 俺と共に人生を歩んだ、俺の誇れる相棒にいちゃんが。


 俺は目を閉じる。今ならとっても、気持ち良く眠れそうだった。

 ちょっとした小話をさせて下さい。

 今回の話でラト・ガーネットの話が一区切りついたのですが、実は彼ら兄弟、プロット段階では存在していませんでした。本当はリーフを嫌う夫と、それをなだめる妻、という夫婦ハンターの話を書きたかったんですよね。リーフを頼らなかったせいで夫は妻を失い、自分の見識の狭さに気が付く、みたいな感じの話です。

 しかし、いざ書いてみたら筆がのらなくて。ならいっその事、キャラクターを変えてみよう、という発想に至りました。それが、1年前の話です。


 今思えば、よくそんな事をしたなと思います。でも、それが無ければ今回の話は書けませんでした。良い方向に転がってくれて、個人的には満足です。


 それと、次回からやっと主人公が動き始めます。どうか彼の活躍を、そして物語の結末を、最後まで見届けてやって下さい。

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