1-23 4人のハンター 4
俺達は化け狼を倒した後、当初の目的通り2階のナビゲートルームへと向かう。
まだ化け狼が隠れているかもしれない、と身構えながら2階を進んではいるが何者も現れない。1階と同じで、人間と化け狼の争った形跡が残っているだけだった。
息が整い始めたシオンさんは、落ち着いた様子で辺りを見渡す。
「狼の残党、出てきませんね……」
「オレ達以外の足音が聞こえない。視線も感じない。……ここの空気は、何というか、未開の地で感じた異様な静けさと似ています。……それに……」
それに、化け狼の行動には腑に落ちない点があった。この施設ーー『狩人の門・管理局』を狙った理由だ。開拓領域に侵入出来たのなら、わざわざ門を開ける必要もない。それだけに限らず、奴らの計画には不明瞭な部分がある。
それは、復讐の終着点。
これだけ計画的な犯行なら、街の人間を全員殺すとか、街を更地にするまで壊すとか、そんな単純な目標で終わるとは考えにくい。
もちろん、虐殺や破壊が最終的な目標にならなくもない。しかし、知性があるならその先を見据える筈だ。
虐殺や破壊にメッセージ性を持たせ、思いの丈を訴える。開拓記念日を復讐の日に選んだ化け狼なら、手当たり次第ではなく、何か終着点を定めて復讐を決行する可能性が高かった。
ただ、その終着点がどうしても見えない。化け狼の動機、特性、群れの規模、管理局を狙ったという事実。これらを足し合わせても、復讐の終着点には霧がかかったままだった。
オレが頭を悩ませるなか、ラト・ガーネットが話をふる。
「ちょっとちょっと、2人とも硬くない? 奴ら相手に余裕で戦えたのよ? もっと気楽に行こうぜ」
「そう、ですよね。……俺達ってば超強い、でしたっけ?」
自信なさそうにシオンさんが聞くと、
「そゆこと。ま、あんまビクついても動きが鈍っちゃうだけだしさ。こういう時は、肩の力抜いて気楽に行きゃ良いんだよ」
そう言って、場を和ませる。しかし、言葉とは裏腹に、ラト・ガーネットが気を緩める様子は無い。3級ハンターというだけあって、緊張と脱力の適度なバランスを心得ているのだろう。これは彼なりの、多くの経験に基づいた臨戦態勢だった。
しかし、それでもオレの心が安まる事はなかった。
余裕で勝てたと言っているが、あの日の夜、オレのナイフを弾いた化け狼はさっき戦った化け狼よりも俊敏で、状況判断が速かった。戦い慣れている、と言った方がいいだろうか。
そして恐らくだが、あの黒い霧はまだ力を隠し持っている。霧の状態は逃走に適していたから使っていただけで、奴にはもっと闘争に適した姿があるのではないだろうか。
オレの右手は、ジェノでの怪我のせいで本調子からはほど遠い。再び黒い霧と対峙した時、どのように立ち回ればよいか。
奴らの復讐の終着点と並行して、そんな事を考えていた。
「着いたぞ。ここがナビゲートルームだ」
レト・ガーネットの声で俺達は足を止める。
重厚な黒い扉が目の前にはある。ひっかき傷や針を飛ばされた痕があるが、壊されてはいない。どうやら他のと違い、この扉は強固な作りになっているらしい。
扉の横に目を向けると、壁に生体認証用のパネルが設置されている。しかし狼達に壊されひび割れているため、正常に機能するか怪しい所だ。
つまり、扉は壊れず、認証も不可。こちらから扉を開けてナビゲートルームに入る方法はなさそうだった。
「あーあ、こんなに飾り付けてくれちゃって。そんなに血祭りが楽しみだったのかね」
「はしゃいだ所で、扉は開かなかったようだがな」
そう言って、レト・ガーネットは扉を強くノックする。
「レト・ガーネットと他3名、只今未開の地より帰還しました。誰かいるようでしたら返事をお願いします」
扉からの返事は無い。代わりに、施設内のスピーカーから男の声が発せられる。
『こちら、ナビゲートルーム。全員無事……とは言えませんが、なんとか生きています。現在、非常事態につき扉を内側からロック中、脅威が排除されるまで開ける事は出来ません』
「俺達はこの施設内で3匹ほど化け狼を倒しました。脅威は去ったと思われますが」
レト・ガーネットがそう言うと、スピーカーから驚きの声と、小さく話し合う声が返ってきた。脅威は去ったのか、扉の外は本当に安全なのか、と。
暫くして、再びスピーカーから男の声が発せられる。
『魔獣の排除には感謝します。ただ、まだ安全とは言い切れないのです』
「まだ、この施設に魔獣がいると?」
『いえ、そうではなく……アナタ方は知らないかもしれませんが、あの魔獣共は人間に化けてこの施設に侵入してきました。そして、我々は何とか、命からがらここに逃げ延びました……。アナタ方が帰ってきたのを見計らって『狩人の門』を開いたのも我々です』
「だったら尚のこと、扉を開けない理由はない。俺達がいる限りアナタ方は安全です」
『そうとも限りません。……我々は危惧しているのですよ。魔獣共が帰って来たハンターを返り討ちにして、そっくりそのまま成り代わっているのではないか、と……。証明して下さい。アナタ方が本当に人間かどうかを』
男の怯えた声が、施設内に響いた。彼らは化け狼の特性を知ってしまったが故に、疑心暗鬼に陥っている訳だ。職員の気持ちは充分に分かるが、オレ達にとっては面倒くさい状況になってしまった。
自分の正体を疑っている相手に、身の潔白を証明するのは難しい。信頼を勝ち取れるような、自分と相手しか知り得ない情報を選び取って伝える。簡単そうに思えるが、それが案外難しい。例えば、
「『我々は、全ての人の代表として『創造神・オーキス』に其の身を捧げ、繁栄の旗の下に職務を真っ当する事をここに誓う。』……これは、シンボルが定めている『ハンターの行動理念』、その一部です。我々は未開の地に赴くとき、これが記された同意書にサインした上で仕事に臨んでいる。……この事を知っているのは局員と、我々ハンターだけだと思いますが?」
『1階にばらまかれた書類を見れば、魔獣でも知ることが出来ます。……すいません、それだけでは扉を開ける事は出来ません』
このように、化け狼でも知る事の出来た話をすれば、レト・ガーネットのようにはね除けられてしまうのだ。
彼のアプローチも悪くはない。だが、こうも用心深く構えられては警戒を解くのは難しい。どんな情報を語ろうと、「化け狼も知る事が出来た」可能性が1%でもある限り、身の危険を直に感じている彼らは扉を開けられない。
人間は、命の危険が迫った時ほど『安全』という指標に価値を見いだす生き物なのだ。
「あの……ナビゲートルームからビーコンの設置場所を知ることは出来ますか?」
頭の中から情報を絞り出すように、シオンさんが声を上げる。
『はい、こちらから確認出来ます』
「……C~D地点の中間に1個、そこから北の方角にあるマップ外の場所に2個。これが今日、私達が設置したビーコンの数と場所です。これでは判断材料にならないでしょうか?」
『…………』
暫く沈黙が続いた後、また中で話し合う声が聞こてくる。それは、彼女の指摘が良い線をついている証拠だった。
今のシオンさんは未開の地で見せた様子と打って変わって、冷静さを保っている。
限られた情報の中から正しい結果を導く。これは捜査専ハンターの専売特許であり、シオンさんも得意とする所だろう。
どうやら、やっと本調子に戻ってくれたらしい。暗い影が差す時もあるが、この様子なら大丈夫だろう。オレは少しだけ安心し、スピーカーから声が聞こえるのを待った。
「……お待たせしました」
野太い男の声と共に、派手に飾り付けられた扉が開かれる。中からオレ達の前に出てきたのは、頬や腕に傷を負ったグレゴ・クォーツ管理官。
「面倒をかけてすいません。どうぞ中へ」
彼は軽く頭を下げてから、俺達をナビゲートルームに招き入れた。
ナビゲートルームーー普段なら『狩人の門・管理局』の職員しか入れないであろう、この施設の心臓部。しかし、そこは扉の外となんら変わりなく、ひび割れたモニターに飛び散った血の跡があった。唯一違うのは、1匹の化け狼の死体がある事と、傷を負った職員達がここに集まっている事だろうか。
グレゴ・クォーツがオレ達の前に歩き出た瞬間、職員達の視線が一斉に集まる。重度の傷を負って横たわる者や、疲弊して壁にもたれかかる者、その全員がオレ達を見た。
「まずは、礼を言わせて下さい。我々を助けていただき、誠にありがとうございます。そして、アナタ方を一瞬でも疑った事をお詫びいたします。本当に、申し訳ありませんでした」
ここに集う全ての者が、俺達に頭を下げる。恐怖から解放された者達の、最大限の感謝の表れだった。
レト・ガーネットが咳払いをしつつ、話を進める。
「……早速で悪いですが、時間がありません。状況の説明をお願いします」
「もちろんです。まずは、アナタ方と最後に通信を行った後の事ーー午後2時頃の話からさせていただきます。
……大きな爆発音がありました。その後、地面が少し揺れるくらいの衝撃がこの建物内に走り、一時的なパニックになりました。状況を確認しようとシンボルに連絡を入れたのですが、通信は繋がりませんでした。恐らく、回線を繋いでいる通信棟がやられたのでしょう。我々に残された手段は、目視で情報を集める事だけ。しかし……もうお分かりかと思いますが、魔獣がこの施設に侵入してきまして。情報収集に出た職員を閉め出す形で、泣く泣く出入り口を封鎖しました。……これで、陸の孤島の完成という訳です」
それを聞いて、オレの頭の中に1つ疑問が浮かぶ。
「すいません。さっき、オレ達の通信を聞いて『狩人の門』を開けたと言いましたよね? 通信が切れていたなら、なぜ繋がったのでしょうか?」
オレの問いに、グレゴ・クォーツは生真面目に答える。
「アナタ方の携帯端末は特殊な物です。魔獣との戦闘を前提に作られており、衝撃に強い。加えて、境界の内と外とで通信形態が変わるように紋章がプログラムされています。内側にいる時は、一般の物と同じで通信棟を経由して回線を繋ぐ。しかし、外側にいる時は通信棟を経由せず、ここナビゲートルームと直接回線が繋がるようになっています。……ご覧の通り、設備の半分は魔獣に壊されてしいましてね。こちらから呼び掛ける事は出来ませんでしたが、アナタ方との通信網は辛うじて生きており、私達は門を開ける事が出来たのです。……我々は本当に、運が良かった」
そう言って、グレゴ・クォーツは自嘲気味に笑う。それから腕の痛みに顔を歪めながら、横をチラリと見た。視線の先には化け狼の死体がある。『不可逆の紋章』が刻まれた刀が腹に2本、背に1本刺さっており、傷口から出た血は水溜まりを作っていた。
「えっと、私からも1つ。あの化け狼は誰が仕留めたんですか?」
死体を指差しながら、シオンさんが質問する。
「ここに務めている職員は、門の開閉を任されている事もあって元ハンターが多いのですよ。かく言う私も、6年ほどハンター経験がありまして。私と、あそこで伸びてる2人で協力して、なんとか処理する事が出来ました」
彼の言葉と同時に、あそこで伸びている2人ーー床に倒れている男と壁に寄りかかっている男が口角を上げ、俺達に親指を立てた。
元ハンターと言うだけあって、彼らは筋肉質でがたいが良い。こういった非常時を想定して、普段から鍛えているのだろう。それでも、この部屋にもう1匹化け狼が侵入していたらどうなっていたのかは、想像に難くない。
本当に、運が良かった。彼らにとっても、オレ達にとっても、本当にその通りだった。
「我々が話せる情報はこれで全てです。……時間もありませんし、そろそろ次の話に移りましょうか」
「これからどうするか、ですね」
レト・ガーネットがそう言うと、グレゴ・クォーツは深く頷く。
「まずは怪我人を1階の治療室に運びます。傷が酷い者もいますが、ここには緊急用の治療鞘が3台あるので大事には至らないでしょう。状況が整い次第、私の絨毯で本局の方に向かうつもりです。アナタ方もそれに同行していただきたいのですが、宜しいですか?」
オレ達4人は顔を見合わせ、反対意見がないか互いに確認する。それから、レト・ガーネットが皆の総意を口にして、
「問題ありません。俺達も本局に伝えなくてはならない情報がありますから」
「と、言うと?」
「未開の地で得た情報、敵の正体と狙いについてです。それから、私見ではありますが俺の考えも……」
語尾を濁らせながら、レト・ガーネットが口を閉じる。
オレは横目でほんの一瞬、彼の顔を見る。彼は迷い、悩んでいる様子だった。
恐らく、彼の中ではまだ考えが固まっていないのだろう。彼の私見、というのをオレは聞かされていない。そして、それについてオレが追求する事もない。
勿論、気にならなかったと言ったら嘘になる。しかし、それでも尚、オレは彼の心の内を追求しない。
『だが君は、卑しくも紋章を体に宿した氷の悪魔だ。人間の、敵だ』
お互い初めて会った時、彼がオレに発した言葉。これは多分、変わる事のない彼の本心だ。
悪魔は人間の敵。魔獣の同類。だから心を許さないし、深く関わろうともしない。
今まで出会ってきた殆どの人達はそうだったし、それはオレも慣れている。そして、そんな人達との関わり方もオレ自身分かっているつもりだった。
心に踏み込まない。不用意に近づかない。仕事だけの関係と割り切る。今だけの関係だと割り切る。
深く関わろうとすれば、わだかまりが亀裂を生む。その亀裂は徐々に大きくなり、やがて致命的な孤立を呼ぶ。それだけは絶対に、ここで起こしてはいけならないと思った。
オレは彼に背を向け、傷ついた職員に肩を貸す。
理由を付けて、彼からは離れて、ほんの少しの寒さと後ろめたさを感じながら、オレは荒らされた1階の医務室に向かう。
打ち合わせを終えた俺達はナビゲートルームを後にする。
グレゴ管理官を含めたここの職員は、けがの治療、状況の整理、シンボル・メリコイル支部に向かう準備のために忙しなく動き出す。兄ちゃんとリーフちゃんは職員を手伝うために1階に向かったが、人が多過ぎても動きずらいとの事で、俺とシオンちゃんは2階で待機する事となった。
束の間の休息。未開の地の探索を終え、その直後に化け狼と戦闘をしたこの体には、それ相応の負担がかかっている。壁にもたれかかると、疲労が一気に押し寄せてきた。
昔のハンターは、今日のような未開の地の探索を日常的に行っていたらしい。魔獣の情報収集も、地形のマッピングも、全て人の手によって行われていた。人形が普及している今では考えられない事だ。
人形が未開の地の探索をするようになって、安全で生還率の高い狩りが実現した。魔獣の位置や習性、群れの規模。人形が得た情報を応用し、シンボルはハンターに安全な狩りを提供するようになった。
しかし、今はその情報が欠落している。安全というものが自分の身から離れた場所にある事を、今は何より実感していた。
なーんて、今更そんな事考えてもしょうがないけどな。情報が無いなら無いで、ハンターとしてやれる事をやる。それが今、俺に出来る事だった。
ゆっくりと息を吐きながら、背筋を伸ばすように立ち上がる。その時、俺の背後に擦り寄る影が1つ。
「ピー」
シオンちゃんのコイルが、オフィスを突っ切って俺に向かってきていた。
「待ってって、ピーちゃん! 勝手に離れちゃ駄目だって!」
すかさずシオンちゃんが近寄ってきて、慌てふためきながらコイルの手綱を握る。
「すいません、こんな時に邪魔しちゃって……」
「ああ、いいって。こんなの謝るような事じゃねーよ。つーか、俺としてはむしろウェルカム的な?」
俺ってば、実は動物好きなのよね。
俺は武器を置いて、紫色の毛並みを乱すようにコイルの頭を撫でる。すると、コイルは気持ち良さそうに目を閉じ、頭を俺の体に擦り合わせてきた。未開の地に出ていたからか、コイルからは土の匂いがした。
「それ、コイルなりの友好の証なんです。気に入られたみたいですね、ラトさん」
「お、マジで? 可愛いやつめ、このこの」
俺も友好の証として、もっと強く頭を撫でてやる。すると、コイルは嬉しそうに「ピー」と鳴いた。
兄ちゃんに見られたら「気を抜くな」なんて言われそうだけど、身体も精神も休める時に休めなきゃ最大のパフォーマンスは発揮出来ない。俺は逆に、休まず神経尖らせてる2人の方が心配になっちまうな。
コイルの頭をワシャワシャと撫でながら、俺はぼんやりと2人の事を考える。
兄ちゃんと、リーフちゃんについて。
未開の地の探索を経て、2人の間に不和は無くなったと思う。多分。
相変わらず2人の間には事務的な会話しかないけど、少なくとも敵意を剥き出しにするよな事はなくなった。
けど、それでも仲が良いって訳じゃない。
嫌悪感とか、苦手意識とか、そういうのは一朝一夕じゃ解消されない。そりゃ分かっちゃいるけど、俺は2人に仲良くなって欲しいんだよな。
だってよ、兄ちゃんが捨てた物を拾い上げる、って俺の信条は抜きにしてもだ。実の兄と可愛い後輩が啀み合ってるのは、気分が悪いだろ?
それに俺個人としては、この依頼が終わっても、リーフちゃんやシオンちゃんとは関係を保っていたいと考えてる。
情報交換したり、一緒に酒飲んだり。また依頼が被った時には、今日以上に協力して仕事をしたり。そんな関係になったら良いな、なんて俺は2人に対して思っていたりする。
あれ? そういや、俺はいつからこう思うようになったんだっけ?
バランサーを気取ってた時か、それとも洞窟の中でリーフちゃんの言葉を聞いた時か。最初は2人に良いイメージなんて持ってなかったのによ……
「人生、何があるか分からないよな」
「え、何がですか?」
おっと、しまったな。
言葉の意味をシオンちゃんに聞かれ、俺は少しばかり動揺する。
「あー、ほら。いやね、俺らハンターとシンボルの局員って、言っちゃえば市民を守る者同士じゃん。距離が近い関係って言ったら良いのかな。ま、それなりに良い関係を築けていると思ってた訳よ。それがまさか、あんな形で正体を疑われるとはなってさ」
急いで取り繕ったせいで、芝居がかった喋り方になる。しかし、シオンちゃんは大して気に止めなかったようで、なんとか話題を逸らすことが出来たようだった。
「仕方ないと思いますよ。確かに、もどかしい気持ちはありますけど、この状況じゃ他人を疑う事でしか身の安全は守れませんし」
「そりゃ、そうだけどさ。正体を疑う方も、疑われる方も、負担が増える訳だろ? 俺としては、それが面倒くさいって思っちゃうのよ」
今度は取り繕わず、純粋な本心を言う。
理想論かもしれないけど、他人を疑わずに済むならそれにこした事はない。シンプルで、面倒事が無い方が良いに決まってる。少なくとも、俺はそう思う。
「それは、ちょっと違うんじゃないですかね」
俺の意見に対し、シオンちゃんは控えめに反論する。それから手首の辺りを指差して、
「例えば、この携帯端末。他人に使われないようにロックを掛けるのは面倒だと思いますか?」
「いや、全く」
「ですよね。携帯端末にロックを掛けて、パスワードで解除する。今の状況は、これと一緒なんだと思います。違いがあるとすれば、それは守っているものが情報ではなく、命だということ。守る物の価値の重さです。セキュリティの尺度を守りたい物の価値に合わせているだけで、やってる事は変わらない。そうは思いませんか?」
「確かにな。未開の地で周囲を警戒しながら進むのと同じって訳だ。……つーかさ、シオンちゃん。こんな状況だってのに、順応すんの早くね?」
「へへ、ですかね?」
少し照れながら、シオンちゃんは頭をかく。
改めて考えてみれば、シオンちゃんは俗に言う捜査専ハンター。虚実を疑い、真実を暴く事を生業とする犯罪捜査専門のハンターだ。相手の正体を『疑う』、という行為は彼女にとって日常茶飯事であり、だからこそ、俺よりも早くこの状況に順応出来ているのだろう。
やっぱ、第一印象なんて全然当てにならねぇな。どっかで痛い目見る前に、第一印象は参考にせずに『疑う』ようにしねぇと。
「だから結局、相手を信頼するには疑う他にない。疑いは、信頼を得るための必要経費なんですよ」
そう言った所で、話は打ち止め。シオンちゃんは口を動かすのを止めると、後ろを振り返った。
理由は簡単。騒々しい足音が、ドタバタと迫って来ていたからだ。
あーあ、ピンと来ちゃったね。こいつは、今日何度も味わった『嫌な予感』ってやつだ。
「ガーネット・3級ハンター! アメジスト・4級ハンター! ……魔獣が、魔獣が出ました! 至急、警備員室までお願いします!」
「……やっぱりか」
「……ですね」
シオンちゃんも感づいていたらしく、コイルの手綱を引き寄せる。2人でため息を吐き、それから俺も地面に置いていた武器を拾い、早足で移動する職員の後に続いた。
3人で階段を上り、まだ踏み入った事のない3階へと辿り着く。魔獣と局員が争ったのは2階までだったらしく、この階はあまり荒らされていない。
左右に伸びる通路を右に曲がり、突き当たりの扉を開けると、既に兄ちゃんとリーフちゃん、グレゴ管理官が到着していた。
「来たか」
「まーな。で、魔獣が出たって何処に?」
俺の言葉を聞くと、兄ちゃんが後ろ手に1つのモニターを指差す。そいつをシオンちゃんと一緒に覗くと、3匹の魔獣と1人の女が映っていた。
「これは正面玄関前に設置された監視カメラの映像です。この施設は魔獣の侵入を想定して造られており出入り口は1つしかないのですが、その出入り口はご覧の通りの状況でして。……映っている女性は情報収集に出ていた職員の1人。どうやら、ここに戻ってくる時に捕まったようです」
それを聞いて、思わず顔が引きつるような笑いが込み上げてきた。
「はははっ……。あー、えっと、それってつまり?」
「……人質だ。どうやら、その場その場で人間を殺す事しか考えていない単細胞共とは違って、化け狼は人質の有用性を知っているらしい」
兄ちゃんの言葉に、グレゴ管理官、リーフちゃんも続く。
「果たして、彼女が生きている事を喜んで良いのやら……。人質を取る魔獣なんて聞いた事がありませんよ」
「こんな大規模な魔獣の侵略は『魔女の嵐』以来ですからね。それも、今回は人間の手引きがあったように思えない。人に化け、人と暮らし、人を化かしていた。彼らの武器は『反映の紋章』などではなく、むしろその知性にあるんじゃないでしょうか」
化け狼の武器は、身体に宿した紋章ではなく、その知性。俺もリーフちゃんの言う通りだと思う。
そもそもの話、魔獣は人語を話せない。
特有のコミュニケーション手段を持ち合わせてはいるが、声帯の構造上の違いや知性の低さから、人語を話せる魔獣は存在しなかった。
20年前の第4時未開領域開拓時に、化け狼が人語を話したなんて記録は無い。
化け狼は『反映の紋章』を持つ非力な魔獣。そう認知され、人間に淘汰される筈だった。
しかし、化け狼は得た力をその身に『反映』させ、知性を活かすだけの暴力を身につけて帰って来た。
復讐のために、復讐相手を騙すために、復讐相手に化けてまで。
……はっ、律儀なこった。だったら、20年前と同じように返り討ちにしてやるっての。
「それで、どーすんのこいつら。出入り口は1つしかないんでしょ?」
俺がそう言うと、シオンちゃんは顎に手を当てて考える。
「人質もいますし、迂闊に手出しは出来ないですよね。どうにかして、人質と化け狼を引き離せればいいんですけど……」
「……それが出来れば苦労はしないんだがな」
兄ちゃんの突っ込みに、一同が口を閉じる。
シオンちゃんの言う通り、人質と魔獣を引き離すのがベストではあるんだよな。けど、これだけ密着されてちゃ手の出しようがない。ゼロ距離よ、ゼロ距離。
普通に出ていっても結果は見えてるしよ。何か策を練らねぇと……
「……1つ、確認したい事があるんですけど」
声が上がった。静寂を破るような、張りのある力強い声。自信に満ちた声だ。
はは、俺ってばすっかり忘れてたよ。ここには、化け狼の尻尾を初めて掴んだ男がいるんだった。




