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雪の涙は葉に落ちて  作者: 大塚 博瞬
第1章 メリコイル
22/30

1-21 フラワー2

 メリコイル・東区・住宅街。

 カラフルな家々が並ぶこの場所は、平日の昼間ならば男達は仕事に出ており、女子供が公園で遊ぶ姿をよく目にする。

 だが、メリコイル開拓記念祭が開かれている3日間は祝日である。男も女も関係なく、家族全員で外に出て休息の一時ひとときを楽しんでいる者が多いようだ。


 鼻が曲がってしまいそうになる程の幸せな匂い。だが、それは不釣り合いな爆発音と共に吹き消されていく。


「きゃあぁぁぁぁあぁぁぁぁぁあ!!」


 子供と手を繋ぐ1人の女が悲鳴を上げる。女の目の前では我が同胞が姿を現し、1人の男を仕留めている。襲われ、食べられているのは女の夫だろうか。ガツガツと貪られていく肉袋を見ながら、女は口元を抑えている。暫くして、我に返ったのだろう。我が子を守ろうと手を引いて逃げ出すが、同胞は女を次の獲物と定めて襲いかかる。女は地面に倒され、必死に抵抗するが形勢は覆らない。子供はその様子を見て、ただ泣き叫ぶばかりである。


 近くの公園では、ペットの犬を連れていた老人の男が襲われている。我が同胞から逃げるにはあまりに遅く、すぐに追いつかれる。襲われている最中に男はペットのリードを離してしまい、犬は主を置いて一目散に逃げ出す。男は犬に手を伸ばしながら、縋るように助けを待つ。


「何が、起こっているんだ……? 私の街、私の平穏、私の夢が崩れて……消えていく……」

 私の隣に立つ夫ーールーター・ビスマスは目の前の惨事を受け入れられていない。頭を手で押さえ、地面を見ながらブツブツ呟いている。

「まるで、魔女の嵐と同じじゃないか……この街も再起不能なまでに追い込まれるのか? 警報はどうした、治安維持局とシンボルは何をやっている? ……本当に、終わるのか?」

 私は哀れみの目を向けながら、この男を観察する。いつもが自信に満ち溢れている男が絶望の色に染まっていく。

 見たい。夫の今の顔を、たまらなく見たい。私は夫の肩を優しく叩く。

「顔を上げて、貴男……」

 夫は私に顔を向ける。いつものギラついた目が嘘のように、生気のない目をしている。七三分けの赤髪が、水で濡れたかのように乱れている。

 しかし、夫は完全に折れてはいなかった。私を見た途端、目の奥に炎が宿る。


「……いや、終わらない。この街は終わらせない。……来年、シンボルに開拓申請を出すんだ。メリコイル付近の魔獣の数は減っていると聞くし、きっと申請は通る。そうなれば、街はもっと大きくなる。私の子供にーーお前のお腹の中にいる子供に、大きくなったこの街を見せてやるんだ。だから、そうだ、逃げよう! 今はお前を守らなければ!」


 今度は夫が私の肩を掴む。強く掴みすぎて、指が私の皮膚に食い込んでくる。私はその腕を払い除け、そっぽを向く。

 このルーター・ビスマスという盗人は、精神がとても強いのだ。どれだけ失敗を重ねようと、どれだけ踏みつけられようと、野に生える草花のように立ち上がる。流石はこの街の盗人代表と言った所か。

 でも、それは我々も同じだ。だからこそ、この場所を用意したのだ。


「イルド? どうした、早く逃げるんだ」

「嫌よ。どうして私が逃げなくてはいけないの? 折角、面白いものが見れそうなのに」

「一体、どうしたんだ? 化け物がすぐそこまで来ているんだぞ! さあ、行こう」

 私の腕を引っ張って逃げようとする夫。私も夫の腕を持ち、逆に逃げられないよう手に力を込めて引き留める。

「逃げないで、貴男。一緒にこの景色を楽しみましょう。……見て、あの子供! 親が食べられている横で、何も出来ずに泣いている。きっとこのまま、抵抗する事なく同胞達に食い殺されるのでしょうね!」

「同、ほう? 同胞ってな、何が、何を言って……」

「見て、あの老人! さっき逃げた犬が、助けに来ると信じているわ! 来る来ないに関わらず死んでしまうでしょうに。臓物をあんなに食い散らかされても助けを求めるなんて傑作よね。最近見た喜劇の中では1番の出来かもしれないわ、あれは」

「何を言っているんだ、イル…………! いや! お前は一体誰なんだ!?」

 口角が自然と上がってしまう。この時をずっと待っていたのだ。お前達に住処を奪われた、15年前も昔から。

「私は森の一族の長、フィッシュ。貴男がさっき言ってた化け物ーー魔獣よ。しかし、魔の獣とは良く言ったものよね。紋章の刻まれている生き物が魔獣で、その他の生き物は動物や野獣と貴方達は呼ぶ。同じ命を授かったもの同士なのに、その違いはどこにあるのかしらね?」

 男の目から炎が失われていく。息遣いが早くなり、夫はその場でよろめく。倒れないように私が背中に手を回して支えると、夫は目を丸くして驚く。

「今倒れては駄目よ。貴男はこの特等席で街が壊れていく様子を見ながら、私に殺されるのですから」

「殺すのか、私を……。イ、イルドは、イルドは何処へやった!?」

「酷いわね。イルド・ビスマスはここにいるでしょう? 確かに名前とこの体は、20年前に未開の地で死んだ女ハンターから貰ったものだけれど。貴男が愛し、貴男と共に過ごしてきたのは正真正銘、私自身」

 貴男が勝手に人間だと思い込んでいただけ。ただ、それだけの事なのよ、と夫に告げる。


 この日を作り出すには、人間を攫うだけでは駄目だった。仕事一筋だったイルド・ビスマスに近寄り、兎の能力を使って理想の女を演じた。付き合い、結婚するに至り、仕事の相談も少しずつ受けるようになった。この街をデザインする際に嘘の資料を作成し、『安静の紋章』を街中に刻むよう提案した。

 『安静の紋章』は医療目的で使用される、精神を安定させる紋章だ。個人に使用すれば心の不安を和らげ、ストレスケアに利用する事が出来る。だが、実際は不安を和らげるのではなく、押し留めているだけに過ぎない。溜め込んで、溜め込んで、心の中のダムが決壊すれば街の住人はパニック状態となり、冷静な判断が出来なくなる。私達でも簡単に、大規模な無秩序状態を作り出すことが出来るのだ。

 そうなれば、後はゆっくり狩るだけだ。私達の安寧が奪われた時のように、じっくりと周りを固めて、恐怖に怯える弱者を殺していくだけ。


「じゃあ、私の子供はどうなる? 私の、唯一の希望なんだ……どれだけ辛い事があっても、生まれてくる子供の事を考えれば頑張れたんだ。私の、唯一の希望……だから、子供の事だけはーー」

 覇気がなく、弱々しい声。私はトドメの言葉を、15年連れ添った夫に告げる。

「無理に決まっているじゃない。人と魔獣の間に、実りがある訳ないでしょう?」

 夫は、時間が停止したように沈黙した。あらゆる希望が死に絶えて、もうここには絶望しかない。

 どんなに屈強な野花でも日光と水無しでは生きていけないように、人間は希望無しでは生きていけない。夫の心は、完全に折れてしまった。


「そう、そうよ! その顔が、ずっと見たかったの! ああ、貴方の悲痛な心の様をどれだけ待ち焦がれた事か……!」

 夫は私達の住処に狙いをつけ、開拓するように勧めた人間。盗人達の頭目。この男だけは、森の一族の長である私がこの手で地獄に突き落とさなければならなかった。そうでなければ、死んでいった父様と母様に顔向けができない。

 ああ、私はきっと、この瞬間を何度も夢に見るのだろう! 楽しんで、楽しんで、その度に楽しんで、そっと胸にしまう。大切な、大切な、私の宝物となる。


「悪夢か……」

「いいえ、地獄よ」


 私は夫の首を片手でへし折る。グキリ、と鳩のように首を曲げ、夫は地面に倒れる。この街の象徴は、たった今肉袋に成り下がった。15年費やした復讐の第1幕は、終わりを迎えた。


 これも全て、あの胡散臭い男のおかげだ。

 人攫い、道具の調達、肉の調達、情報収集。そして、偽りの妊娠診断書。これら全てを一手に引き受けたあの男の手腕が、この結果を導いたのだ。

「ありがとう、チェイン。この光景を見て、貴方も楽しんでいるのかしら?」

 あの男が隣にいれば、胡散臭い笑みを浮かべた後に「そりゃあ、もちろん」、と返した事だろう。

 もう、言葉を交わすことはないのだけれど。私達が、殺してしまったのだけれど。

「地獄の底から見ていなさい。貴方の集大成はこんなものじゃない。これからもっと、もっと、楽しませてあげるから」

 地獄の景色を作り上げるために、私は足を進ませる。目指す場所は、南区にあるこの街の出口。






 目的の場所に向かう最中、多くの人と擦れ違った。

 性別が違った。歳が違った。傷の有無が違った。けれど皆が皆、冷静さを欠いていた。治安維持局が避難誘導をしているが、それにも限度がある。消し忘れた祭りの音楽をBGMに、住民の避難は苦戦を強いられていた。

 私は人の流れに逆らうように進む。皆自分の事で精一杯なのか、私の肩に乗っているシロや糸で作られた右腕に気付く人はいない。街の混乱状態は、今の私にとって都合が良かった。

 

 花の匂いが香る辺りまで来ると、私の足は止まった。

 確証があってここに来た訳ではなかった。ただあの人を連想した時、自然とここの風景が頭に浮かんだ。例え、どれだけ混乱の最中にいようとも、花に囲まれ、楽しそうに土いじりをしている彼女の姿が連想できたのだ。

 そして、その考えは間違っていなかった。誰もいなくなった庭園で、ミスアンノウンは空に上る煙を見詰めている。

 思えば、彼女と会うのはいつもここだった。ガーデン・ビスマス入り口付近の、人気の無い花壇。私がここに来ると、彼女は気配を感じさせずに近づいてきて、私を驚かせたものだ。


「スコッティの花にはね、ある特徴があるの。花を咲かせた2度目の満月の夜に、花弁を光らせ散っていく。そこから『満月草』なんて呼び名が付いたりしてね。……本当は貴方に、その光景を見せてあげたかったわ。スノウちゃん」

 ミスアンノウンはゆっくりと私の方を向く。あのおばさんと同じように悲しげな表情をつくり、私に手招きする。

「立ち話は疲れるでしょう。ここに座ってお話ししない?」

 ミスアンノウンはポンポン、と花壇の縁のレンガを叩く。

「……はい」

 『支配の指輪・原典オリジナル』を使った訳でもないのに、ミスアンノウンの言葉には拘束力があった。そうしなければ、2人の関係は今すぐ崩れてしまうように思えた。

 私がレンガの上に座ると、目の前の花壇にぽっかりと空いた小さな穴を見つけた。そこに注意を向けていると、ミスアンノウンが私の右肩に視線を送りながら喋り始める。


「珍しい臭いね。その子の同族さん、1度だけ森で見たことがあるわ。名前、何て言うのかしら?」

「シロって言います。ちょっぴり手のかかる子ですけど、頼りになる私の家族。貴方の本当の姿も、この子が教えてくれました」

「あらまあ。見かけによらず、優秀なナイトなのね。その小さな体でどうやって気付いたのかしら?」

 驚いた様子もなく、ミスアンノウンはシロの頬をつつく。シロはくすぐったそうに「ナー」と鳴く。

「いつもは大人しいんですよ、この子。街を歩く時も、朝食を食べる時も、ずっと静かで。多分、自分がどういう存在なのか、この子は分かっているんだと思います。気が利いて、静かで……そんなこの子がですよ。この1週間で3度だけ、声を上げて唸ったんです。とある男を捕まえた時。ついさっき私が襲われそうになった時。……そして、初めて貴方に会った時です」

「……納得したわ。つまり、シロちゃんは貴方の身に危険を感じた時だけ、警告信号を送っていた訳だ」

「はい。でも、貴方と話している内に、ちゃんとこの子は静かになった。きっと、貴方の本性を見抜いたんだと思います」

「私の本性?」

 ミスアンノウンが首を傾げる。

「ええ。貴方がとっても優しい、狼さんだって事です」

 今日の天気についてでも話すかのように、軽い口調で私は言い切った。


 私が彼女の正体に気が付いたのは、シロが発した警告からだけではなかった。

 彼女と会って2度目の時に、私は彼女の独特の価値観を聞いた。

 この世に特別なものなんて無い。人も、花も、等しく自然の一部。ありのままの自然を感じられる場所だから、この場所が好きなのだと彼女は語った。思えば、それはおかしな話だ。だって、今私達がいるこの国は、人が住みやすいように開拓された地。人の手が入っていない場所は無く、ありのままの自然なんて未開の地しかない。彼女のような価値観は、未開の地でしか培われないものなのだ。

 しかし、これだけだったら言葉の綾で済ます事が出来る。ちょっと変わった、鬱陶やさしい人なのだと。しかしもう1つだけ、彼女が『魔獣』なのだという決定的な証拠があった。

 彼女と会って3度目の時に、私は彼女にアドバイスを貰った。

 人と人とが分かり合うのに、特別な事は必要ない。今日の天気とか、朝食べたものとか、夢で見た景色とか、そういうお喋りをもっとするべきだと彼女は語った。蛮族さんに歩み寄るきっかけとなった、ミスアンノウンとのやり取りだが、あの時彼女は、この言葉でアドバイスを締めくくった。


『だって、私も人間と分かり合えたんですもの』


 人は他人と分かり合えた時、『人間と分かり合えた』なんて言葉は使わない。彼女の言葉の本当の意味は、『魔獣と人間が分かり合えた』というもの。自分が人間ではないのだと、彼女は無意識の内に喋っていたのだ。


 依然として、ミスアンノウンに驚いた様子はなかった。むしろ、私に見破られる事が分かっていたみたいに、私の言葉を受け入れていた。

「狼さん、ね。私の正体が分かってるのに怯えもしないなんて、スノウちゃんは変わってるのね」

「貴方には言われたくありません。魔獣なのに人間の味方をするなんて、貴方はとっても変わり者です」

「いいえ、私を変わり者と呼ぶのは少し違うわ。人と魔獣。そのどちらの味方も出来ない半端者。……それが正しい私の呼び方」

「…………」

 また、大きな爆発音がした。それと共に、人々の悲鳴が遠くから聞こえた。けれど、私の周囲はいつもとあまり変わらない。

 人気ひとけの無い花壇、目の前の花々、隣に座るミスアンノウン。ここでしている会話すらも、日常の延長線上のように思えた。

 

 なんで、私はこんなに落ち着いているのだろう。人は、現実の出来事が心の許容範囲を超えると思考を放棄してしまうという。私もその状態に陥っているのだろうか? いや、それは違うな。私がこんなに落ち着いているのは、私が覚悟を決めたからで、ミスアンノウンが困っているから。

 顔を見なくても、言葉を交わさなくても、一目見た瞬間に彼女が悩みを抱えていると分かった。その全身から、苦悩の色が滲み出ていた。

 私はいつかの日常をなぞるように、ミスアンノウンに提案する。

 

「悩み事があるなら、私が聞きましょうか?」

「え?」

「悩み事は他人に話したらスッキリする。ですよね?」

 私の悩みを聞いてくれた分だけ、この人に何かを返したい。私が止めた狼のおばさんのように、未練を残して欲しくない。その想いから、この言葉が出た。

 ミスアンノウンは少しだけ微笑んだ後、空を見上げる。無数の煙が線となって、空に上っている。彼女はそれを眺めながら、言葉を綴る。


「そうねえ。もう、15年も前の話になるのかしらね……。

 私達森の一族は、15年前までここに住んでいた魔獣なのよ。当時の人間達は大規模な未開の地の開拓をやっていてねえ、私達は戦いを余儀なくされた。そして、その戦いに負けて、多くの傷を負って、2度と人間と出会わぬよう森の奥地へと姿を消す。そうなる、筈だったの」

 1つ1つの過去を掘り起こしながら、彼女は語る。私はそれを、ただじっと静かに聞く。


「『食命継魂』という言葉があってね。命を食して魂を継ぐ。1人で狩りを行い、食命継魂を成し遂げて初めて私達は大人と認められた。名前もその時に仕留めた獲物の名前をそのまま貰うのよ。人間と違ってとても単調で、願いとか望みとか、そういう想いみたいなものは名前に込めないのが私達の習わしなの。……でもね、私達の一族には1つだけ例外があった。一族の長が、子供が成人する前に死んでしまった場合にのみ子が親の名を継げたの。親の死体を食し、親の持つ性質と、想いと、地位を子が継ぐ。滅多にない事だけれど、15年前の戦いでその例外は起こってしまった。子が親の想いーー死者の無念を継いでしまったのよ」


 人を憎む心。恐らくそれが、死者の無念。

「この惨事を起こしているのも、その子だと?」

「……そう。あの子は15年前の復讐をしようとしてる。あの日の地獄を再現して、今1度私達の住処を取り戻そうとしている……」

 とても苦しそうな表情を彼女はしていた。

 彼らは復讐を果たすためにこの惨事を引き起こし、人間と対立している。なら、ミスアンノウンが人間の味方をする理由はないんじゃないんだろうか?


「貴方は、その狼さんとは違うんですか? 人間が、憎くはないんですか?」

「そうねえ。確かに当時は辛かったけれど、不思議と憎しみは感じなかったわ。残された者達が一族と、長たるあの子を支えなきゃいけなかったから。あの争いだけは2度と起こさないようにしなきゃって、そう思ったのよ」

 でも、そうはならなかった。彼らは平穏を望ます、争う道を選んでしまった。街に上がる煙は、魔獣が人間の平穏を奪った証ーー空高く掲げられた復讐の御旗なのだ。


「どうして、こうなっちゃったのかねえ。この街で人間と一緒に過ごせば、憎しみは消えてくれると思ったんだけれど。憎しみの炎が大きすぎたのか、それともあの男に油を注がれたか。……どちらにせよ、あの子は争う道を選んでしまった。もう、ここでの日常には戻れないのに、私は何やってるのかねえ……」

 それこそが、彼女の悩みだった。

 人と魔獣。そのどちらの味方も出来ない半端者。彼女は人の社会で長く暮らすあまり、人間に肩入れしてしまったのだ。

 話せば分かる。彼女の性格は、極端に争い向きではない。そもそも、憎しみを感じない相手にどう復讐しようというのか。彼女には明確な、復讐相手がいないのだ。


「まだ、戻れますよ」

 唾を飲み込みながら、私はそう言った。

 私が思うに、彼女が後悔しない選択肢は1つしかない。それを選ばなかったら、彼女はきっと過去を振り返って後悔する。

 私がそうだった。自分に嘘をついて選んだ道なんて、碌なものじゃない。苦悩に頭を締め付けられて、死んだように生きるだけだ。

 だから、例えそれが自分と対立する道だったとしても。私が望んだ結果じゃなかったとしても。貴方が私にそうしてくれたように、貴方の背中を、私は押してあげなくちゃ駄目ですよね。


「とっても簡単な話ですよ。争いが嫌なら、このままどちらの味方もせず人に混じって逃げてしまえばいい。そして戦いが終わったら、何食わぬ顔で勝利を手にした方の味方になればいいんです。ほら、これなら貴方は傷つかないし、平和な日常をこれからも送れる。これで良いじゃないですか」

「確かにそれも1つの選択肢ね。……でもね、それだと逃げた事にならないかしら? 確かに魅力的だけれど、私が選んで良い選択肢では、ない、ような……」

「……良いんですよ。貴方には貴方の選択肢がある。選ぼうと思えば、同族を裏切って私達の味方になる道だってあるんです。……重要なのは、その道を選んで後悔しないかどうか。自分の信念を裏切らないかどうかなんですから。……自分の心に聞いてみて下さい。貴方は、どの選択みらいが1番誇れますか?」


 風が吹いた。

 その風は豊潤な花の香りをのせ、花弁と共に彼女を包む。彼女は揺れる髪を抑えながら、空に上る煙を見上げる。それから、「そうよね」と短く呟いた後、私の方に向き直る。


「馬鹿ね、私。同族でもない、ましてや人間の貴方に諭されるなんて。同族を、あの子を支えるって最初に決めたのに、ここで暮らしている内に未練をいっぱい残しちゃってねえ。……おさが戦えと言うのなら、私も戦わなくちゃ。例えどんなに弱くても、どんナに非力デモ、私ノ体は、アの子達ノため二あル。私の心ハ、一族ト共ニアル。ーーアア、ヤット気付ケタ」

 

 私の目の前には、1匹の狼がいた。大通りでおばさんが化けた時とは違い、彼女の本当の姿は小さく、筋肉もない。4足で大地に立ち、灰色の毛をなびかせながら、気持ちよさそうに風を浴びている。それを見て、シロも気持ち良さそうに「ナー」と鳴いた。

「助カッタワ、スノウチャン。貴方ノオカゲデ、迷イノ霧ガ晴レタ」

「いいえ、私もいろいろ教えて貰いましたから。……ここでお別れですね。永遠に」

「ソウネ。ココヲ出タラ、私達ハ敵同士。ダカラソノ前ニ、アレヲ貴方二渡サナクチャ」

 そう言って、服と共に地面に落ちた物を、ミスアンノウンは口で拾い上げる。


 それは白の花弁が閉じ込められた、小さな水晶のネックレスだった。花弁の色に合わせてチェーンも白色。雪のように真っ白なプレゼントだった。

「本当ハ、『スコッティノ花』二シヨウト思ッタンダケドネ。ホラ、手ヲ出シテ」

 私はミスアンノウンの前に手を差し出す。ミスアンノウンは私の手の上で口を開き、ネックレスを渡す。

「とっても、綺麗です。とっても……。この花は何て言うんですか?」

「『スノードロップ』。花言葉ハ、『希望』。……ウン、ヤッパリ、コノ遅咲キノスノードロップコソガ、貴方二相応シイワ。他人二疎マレヨウト、誰カニ死ヲ望マレヨウト、ドウカ貴方ノ進ム道二希望ガアリマスヨウニ」

「……貴方にも、希望がありますように」

 

 そう言ってハグをすると、彼女は静かに受け入れてくれた。彼女の体を離したくなかった。でも、それは叶わない事だった。だから代わりに手の中にあるネックレスと同じくらい、私は彼女を強く抱きしめた。

 花の匂いがした。とても、心地のよい香りだった。お日様の光のように温かい。気を抜くと、「行かないで」と叫んでしまいそうだ。せっかく背中を押したのに、指輪を使ってでも引き戻してしまいそうになる。

 ……それじゃあ、駄目だよね。この人の選択を私は誇らなくっちゃ。

 私は精一杯息を吸い込んで、言葉を吐き出す。


「ーー名前」

「……?」

「私、まだ貴方の名前を聞いていません。よろしければ、ここで教えてはくれませんか?」

 他人を拒絶せず、受け入れる。その第一歩として、私がやろうとしていた事を口にする。

 最後まで彼女の名を、『ミスアンノウン』と呼ぶのは違うだろう。彼女はもう、正体不明の老婆ではないのだから。


 彼女は少しだけ間を開けた後、私の言葉に合点がいったのかクスリと笑う。そして優しく、自身の名を告げるのであった。

「フラワー。ソレガ私ノーー争ウ事ヲ選ベナカッタ半端者ノ名前ヨ」

「フラワー……フラワーですね。忘れません、絶対に。約束します」

「……随分ト嬉シイ事言ッテクレルノネ。ソンナ事サレタラ、未練ガ残ッテシマウワ」

「最後なんです。これくらい許して下さいよ」

「私、スノウチャンハモット冷タイ子ダト思ッテタワ」

「……どういう意味ですか、それ?」

「フフフ、自分ノ心二聞イテミナサイ」


 意地悪な子供のようにそう言うと、彼女は私の体を離れる。それから私の目を真っ直ぐ見て、やはり彼女は子供のように笑いかける。

 まだ、微かに花の香りが残っている。もうすぐ、これも無くなる。物寂しさを感じるこの瞬間を、私は永遠のように感じた。

 人と魔獣は、互いが互いの存在を否定しあう。その関係は変わる事がなくて、どちらかが滅ぶまで血は流れ続けるものなのだろう。でも今この瞬間、私と彼女は分かり合えた。特別な何かがある訳でもなく、ごく普通に心が通じ合えたのだと、私は思った。

 陽気な音楽が私達の間に流れる。鬱陶しいと感じていた祭りの音楽は、私達に残された最後の日常だった。しかしその音も、遂に止まる。

 永遠が、終わる。


「アリガトウ。……サヨウナラ、スノウチャン」

「ええ、さようなら、フラワー」


 さようなら。花を愛した、心優しい狼さん。

 庭園の外に駆けていく彼女を見ながら、心の中で呟いた。

 初めてこの章のストーリーを考えた時、一番最初に頭に浮かんだのが今回の話でした。というのも、1章は童話「赤ずきん」をモチーフにしており、赤頭巾スノウの前にミスアンノウンが姿を現すという場面を印象的に書きたかったからです。

 実際にこの話に合わせてストーリーを動かしてみて、とても満足のいくものが書けたと思っています。構想からもうすぐ1年経ちますが、やっと書きたいものが書けたって感じです。いやー、長かった。

 さーて、ラストまであともう少し。最後までがんばるぞー。

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