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雪の涙は葉に落ちて  作者: 大塚 博瞬
第1章 メリコイル
21/30

1-20 フラワー1

  昨日の雨が嘘のように、雲一つない青空が頭上に広がっている。街を歩く人々はいつにも増して騒がしく、より一層の鬱陶しさを感じていた。

 赤の頭巾を被りながら、顔を上げる。

 メリコイル・南区・出店の並ぶ大通り。そこに設置された時計は、午後2時を指し示していた。


 今日はどことなく頭が重い。昨夜、愚か者さんと喋り過ぎてしまったせいか、それとも心境の変化で気が緩んだからか。起きたのは午前11時を過ぎた頃だった。

 誰かが起こしてくれれば良かったのだが、愚か者さんは朝から仕事。探偵さんも蛮族さんも出かけてしまっており、だらしのない1日のスタートを切ってしまったという訳である。

 私もやる事があって外に出たはいいのだが、祭りの最終日という事もあって今日は一段と耳を塞ぎたくなる。私が人形なら聴覚を遮断している所だが、右腕以外の部分は人間のままなのでそれは出来ない。

 まあ、私もこの街に来て1週間が経つ身だ。街を歩く人の喋り声も、主人に寄り添うペットの鳴き声も、大型水晶から発されるニュースを読み上げる声も、不快には思うがもう慣れた。今更こんな事で喚くような私ではないのだ。

 ……だが、それはそれとして、だ。ストレスとは、多大なる負の影響を人体に及ぼすものだと聞く。なんでも、最悪の場合は精神に異常をきたしてしまうとか。そうなってからでは遅いというものだ。ここは我が身を第1に考え、ストレスケアのためにご褒美を買うべきだろう。


 コイルが目印の屋台に近づき、そっとメニュー表を見る。

「おっ、いつぞやのお嬢さんじゃねえか。なんでえ、やっと買いに来てくれたのかい? かー、嬉しいねえ!」

 私を見かけると、アイス屋さんが大分大袈裟に声を掛けてくる。うん、今日も程よく不快なアイス屋さんだ。

「まあ、そんな所です。その、バニラを1つお願いします」

「カップかい? それともコーン?」

「コーンで」

 「あいよ!」と短く答えて、アイス屋さんがソフトクリームメーカーを起動させる。少し手を動かしたかと思えば、いつの間にか5重に巻かれたソフトクリームが完成していた。世界一を自称するだけあって、出来映えは大したものである。


「へい、お待ち!」

 とびっきりの笑顔で、アイス屋さんは私にソフトクリームを差し出す。あまりにも純粋な笑顔だったので、私はそれに負い目を感じる。

 依然会った時に要らないと言っておいて、1度味を知ったらこれだ。これでは尻の軽い、いや、舌の軽い女のようではないだろうか? いいや、違う違う。美味しいからソフトクリームを買いに来た。それだけだ、それだけ。


「あ、ありがとうございます」

 そう言ってソフトクリームを受け取ろうとした時、腕の中でシロが唸り始めた。私も背後に気配を感じ、固まる。

 数は3人。私に狙いを定め、迷いのない足取りでこちらに向かってきている人達がいる。人数的に探偵さんや蛮族さんである可能性は限りなく低い。であるならば、考えられる可能性は魔女の一族を追う治安維持局だ。

 ソフトクリームを受け取らない私を不審に思うアイス屋さん。「どうかしかた?」と声を掛けてくるが、それを無視して右腕の義手を強く握る。大衆の面前で義手を見せたくはないが、この際形振り構ってられないだろう。


 ドクン、と心臓が脈打つ。意を決して振り返ると、そこにはーー


「あら、ついに買いに来ちゃったのね、ここのアイス」

「最近は暑いからねぇ。そりゃあアイスの1つや2つ、買いたくもなるわよ」

「別にこの人のアイスじゃなくてもいいのよ? アイスを売ってる所なんて、この辺にいっぱいあるんだから」


 いつの日か、私を取り囲んだおばさん達だった。


 ……そうだよね。10年の間隠し通してきた本当の身分が、前兆もなくバレる筈がない。背後の影に過剰反応してしまう所も、いい加減に直さないといけないな。

 義手越しにシロを撫でながら気を静める。

「なんでぇ、お前ら。営業妨害か?」

「営業妨害も何も、ここは元々アタシらの雑談場所だよ」

「そうそう、アンタん所に茶々を入れるのはそのおまけさ」

「むしろアタシらがいることで、賑わってるように見せてやってるんだよ。営業貢献料を貰いたいくらいさ」

「くぅー、ああ言えばこう言いやがって。そこまで言うなら、お前らも買ってけ買ってけ!」

 アイス屋さんは私にソフトクリームを渡し、3人の注文を聞き始める。


 この賑やかな街中で日常を過ごす彼らは、騒がしく、鬱陶しい。けれども、この光景は今の私にとって、ほんの少しだが微笑ましくもあった。

 何だか、平和って感じだ。何も特別な事が起きない代わりに、何も悲しい事が起きない世界。私の望んだ世界は、案外すぐ近くの日常に転がっていた。

 しかし、その日常にも暗い影が差そうとしている。

 変わって欲しくないな、この景色は。そう思って、ソフトクリームを1口舐める。


 グルルルルル……


 義手の中にいるシロが唸る。おかしいな、普段はこんなに気性の荒い子じゃないのに。

 大丈夫、大丈夫。あのおばさん達は危険じゃないから。そう言い聞かせても、シロは唸るのを止めない。

 何かがおかしい。私には分からない何かを、シロは察知しているのだろうか? ……あれ? この街に来た初日にも、今のようにシロが唸っていたような……


「なあ、何かうるさくねえか?」

 シロの唸り声を聞いたのか、アイス屋さんが反応する。

「そうかい?」

「アタシには聞こえないねえ」

「何が聞こえるんだい?」

 私は急いでシロを宥める。

 当然だが、私の身分と同じくらい、魔獣であるシロの存在がバレる訳にはいかない。本当は使いたくないが、どうしても唸るのを止めなければ、私は小さな家族に指輪を使わなければならない。


「そうだなあ……動物の鳴き声と、」

 もう限界だ。そう思い、『支配の指輪・原典オリジナル』の能力を私は使おうとーー

「あと、人の悲鳴か?」


 その言葉と同時に、

 この日常を崩す、大きな、

 とても大きな爆発音が、連鎖的に聞こえた。

 

「なんだい、この音は!?」

「街の入り口と……東区、西区の方からも煙が上がってるねえ。……ああ、大型水晶のニュースも消えたよ。一体何が起こったんだい?」

「よし、落ち着け。取りあえず俺は、コイルに乗ってこの辺の奴らに呼び掛けて回るからよ。一先ずお前さんらはこの子を送ってやれ」

「わ、分かったわ」

「ええ」

 そう勝手に決めて、おばさんが私の腕を引っ張る。シロは唸りっぱなしで、周りの人達も慌てふためいていて、おまけに街の南から人が流れ込んできて、もう訳が分からない。


「ちょ、ちょっと、勝手に腕を引っ張らないで下さい!」

「大丈夫よ、私達が着いてる。ええっと、たしかこの子は観光客だったわよね」

「そのはずよ。宿屋の場所は分かるかしら? 私達もそこまで着いていってあげるわ」

「だ、大丈夫です。1人で帰れますから、腕を放して下さい!」

 駄目だ、話を全然聞いてくれない。どうやら、ありがた迷惑という言葉を彼女達は知らないらしい。

 ……しかたがない、割り切ろう。取りあえずシロは保留にして、今はこの4人から離れる事を……4人?

 1つの事実に気付いた瞬間、まるで背筋に氷を当てられたかのような寒気がした。

 

 先程から、1人のおばさんの声が聞こえない。目の前にいるのに、唯1人だけ慌てる様子もなく、もの悲しげに空に昇る煙を見詰めている。

「…………………始まったのね」


 ドクン、と心臓が脈打つ。空に上がる煙は、青いキャンバスを灰色で染めていく。次第に赤色も混じり始め、おばさんは更に悲しげに空を見上げる。


「悲しいけど。ええ、本当に悲しいケレど、やるシカ、なイノネ……」

 ドクン、とおばさんの体が脈打つ。顔の、手の、足の、体全体の形が徐々に変わっていく。筋肉は肥大化し、服は破れ、灰色の毛が全身を覆い、尖った鼻が前に突き出る。

 その姿は絵本で見た事のある、2足歩行の狼男そのもの。

 人に害をなす、魔獣そのものだった。


 手に持っていたソフトクリームが手から滑り落ちる。茶色いタイルに頭から着地してしまい、ベットリと白い痕を残す。

 もう元には戻らない。元には、戻れない。

 この街に燻る闇は、今、最悪の形で姿を現した。


「あっ……、えっ……?」

 何が起こったか分からぬまま、私の腕を掴んでいたおばさんが血を吐き出す。そいつはーー人に化けた狼は、鋭い爪を深々とおばさんの胸に突き立て、肉をえぐり取っていた。

 赤々とした血肉が飛び散り、私の頬に付着する。私は動けない。

「なん、だい……こ……?」

 遅れて声を出すが、もう遅い。先程まで談笑していた相手を見詰めながら、彼女は物言わぬカカシとなって地面に倒れる。


「きゃ、きゃあぁご、ガッ……」

 もう1人のおばさんは、悲鳴を上げた直後に喉元を噛みちぎられる。血の泡を吹きながら、おばさんは喉から溢れる血を塞き止めようとする。傷が深く、出血は止まらない。よろめき、どんどん血の気を失っていき、最後には地面に倒れる。

 地面に倒れたおばさんと、私の目が合う。

 徐々に光が失われていく最中、おばさんは必死に口を動かして私に訴える。


『……逃げ、て』


 見ず知らずの他人の身を案じながら、彼女は人生の最後を迎える。

 子供は眼中に無いのだろう。狼はおばさんの絶命を確認した後、私から離れ、腰を抜かしたアイス屋さんの元に向かう。コイルが間に入り「ピーピー」と威嚇しているが、狼は意に介さない。アイス屋さんを直視して、ゆっくりと歩を進めている。

 



 私は、何をしているのだろう?

 目の前で、2人の人が殺された。少し前まで私の身を案じてくれていた、鬱陶やさしい2人のおばさんが。なのに私は助けようともせず、ただ死ぬ様子を眺めているだけ。


『嘆かわしい。興が冷める程の哀れな弱さだ、魔女の娘よ』


 5年前のあの日と重なる。怯えて、震えて、無力だったあの頃の私。母様が壊される様を、ただじっと見ている事しか出来なかった私だ。

 ああ、そうか。これは、あの時とーー黒い霧に攫われそうになった時と同じなんだ。

 怖い。そう感じてしまったら、私の体は動かなくなる。自分の命を無防備に晒す、空っぽの人形同然。体を動かす糸は、恐怖によって切られてしまう。


 動け、動けっ……! 肝心な時に、何で、動かないんだ! ーーお願い、お願いだから……動いてよ……

 どれだけ心の中で叫ぼうとも、体は反応を示さない。体の糸は、未だ切れたままだ。

 私はこのまま、死ぬのだろうか?


『下を向くな、前を見ろ。心に消えない炎を灯せ』

 蛮族さんの言葉が聞こえる。

『……死ぬのは怖え。けど、周りの奴らが死ぬのはもっと怖え。そんな想いが込み上げてきて、不思議と体が動くのさ』

 狐の嫁入りを見た昨日の光景が、頭の中に思い起こされる。


 私の行動原理は、蛮族さんのように大層なものじゃない。他人なんてどうなったって良い。死んだって構うもんか。私はただ、あの頃の母様を取り戻したいだけ。

 そう。たったそれだけの、幼稚な我が儘が私の行動原理だった筈なんだ。なのに、私はこの惨状を見て『あの景色を守りたい』と思っている。ちゃんと、他人を想えている。

 母様と、シロと、人形達。愚か者さんと、探偵さんと、蛮族さん。守りたいものがどんどん増えていって、遂にはそこに他人の日常が加わった。

 私が不甲斐ないせいで、おばさん達はもういない。……もう、あの景色には戻れない。

 だけど、あの人達の死に報いる方法はあるはずだ。私の身を案じてくれた、心優しい他人の想いはまだ継げるはずだ。ちょっとずつ変わっていこう。昨日までの自分から、1秒前の自分から。


 さあ、そうと決まれば命令だ。

 下を向くな、前を見ろ。

 体が言うことを聞かないなら、無理矢理にでも叩き起こせ。

 心の弱さは行動でカバーしろ。

 ーー私は今こそ、私の過去トラウマを乗り越える!




「『紋章起動エンブレム幽霊白腕ゴーストアート』」

 義手の外殻が弾け、格納されていた全ての糸玉が回り出す。5指を操作していた純白糸を芯とし、他の糸も血液のように空中を流れ、大きな1つの腕を形成する。

 体は熟睡から目覚めた朝のように軽く、思考は透明な小川のようにクリア。悲鳴の代わりに心音が聞こえる。目の前の全てがスローモーションに見える。これは『支配の指輪・原典オリジナル』によって作り出された、私自身の最適な状態。闘争を開始するのに、ベストな状態。


 なんだ、ちゃんと動けるんだ、私。………………ーー。


「『行け』」

 『幽霊白腕ゴーストアート』第1の手はアイス屋さんに向かって伸びる。ただの腕じゃない。12本の純白糸で編まれた、変幻自在の魔女の腕。

 最大操作距離30メートル。最大動作速度70キロ毎秒。思考とのタイムラグは一切無し。触れた相手は誰であれ、『支配の指輪・原典オリジナル』の効果対象となる。


 飼い主が助かれば、コイルは勝手に逃げ出すだろう。今はその飼い主である、アイス屋さんの安全確保が最優先事項となる。私は『幽霊白腕ゴーストアート』でアイス屋さんを掴むと、狼と引き剥がすように私の後ろへ持ってくる。コイルもそれを見届け、私の後ろに逃げ込む。

「お嬢さん……その腕は……?」

「悪いんですけど、『そのまま動かないで下さい』。うろつかれると邪魔ですので」

 アイス屋さんを手放し、再び狼を凝視する。無力だと思っていた子供が牙を剥き、異形の腕をもってアイス屋さんを救った。そして敵意を顕わにして、目の前に立ちはだかっている。はたして魔獣は、その闘争心を抑える事が出来るだろうか?

「貴方モ、敵ナノネ。トッテモ危険ナ香リ……。子供ハアマリ殺シタクナカッタケレド、仕方ガナイワ。マズハ貴方ヲーー食ラウ!!」

 狼は私に向けて大きく1歩を踏み出す。距離は6メートルもない。このままでは2秒と経たず、私の首はへし折られる事だろう。

 だが、2秒は遅すぎる。ジェノで殺人人形を相手にしてきた私なら、対処出来ない訳がない。


「『幽霊白腕ゴーストアート多能百手トリックスター』」

 腕の形を解き、12本の糸を一斉に地面に張り巡らせる。糸の上に乗った相手を感知し、動きを止める罠。誘拐犯の男を捕らえた時と同じ罠だが、前回使用した糸は義手の先端から出せる5本のみ。あの時と比べて、今回の罠の規模は5倍以上である。

「『絡まれ』」

 よって、このように罠を起動した場合、足だけに留まらず狼の全身を覆う程の捕縛が可能となる。

 罠に捕らえられた狼は驚きを見せるが、次の瞬間には余裕を見せて喋り始める。

「コノ糸……モシカシタラ、貴方ガフクロウノ言ッテイタ危険分子ナノカシラ。デモ、アノ男ガーー人間ガ切レタ糸ヨ。コンナ物ジャ、アタシ達ハ……!?」

 狼は糸を引き千切ぎれない。どれだけ筋肉を膨張させようと、12本の糸は力を分散させ、狼の体をその場に繋ぎ止める。


「ええ、あの誘拐犯は間違いなく私の糸を切った。けれど用いたのは力ではなく、文明の利器と訓練されたナイフ捌きです。貴方がどれだけ力持ちかは知りませんが、貴方に私の糸は切れません。絶対に」

「グッ……」

 狼は更にもがく。糸が切れないのなら、その出所である私を糸ごとたぐり寄せて殺害を試みる。

 しかし、それは事前に対策済みだ。誘拐犯の男の時とは異なり、屋台や街灯、近隣の建物にも糸を伸ばし固定している。いくら糸をたぐり寄せようとも、それら全てが破壊されない限り、私の立場は変わらない。魔女の優位は揺らがない。


「ガァ、アァアアァァァ!!」

 今度は更に筋肉を膨張させて、糸を切ろうとする。ブクブクと上半身が膨れ上がる様は、腹を膨らませたフグのようだ。

 だが『化け狼』に絡まる糸は、私の腕ーー『幽霊白腕ゴーストアート多能百手トリックスター』そのものだ。糸の張りを感じ取り、それに合わせてミリ単位で操作する事など造作も無い。


 象ほど大きくなるのなら、糸が切れぬよう緩ませ拘束しよう。

 鼠ほど小さくなるのなら、逃げられぬよう締め付け捕縛しよう。


 繊細な糸の操作に特化した『幽霊白腕ゴーストアート』の第3の手は、どんな獲物だろうと絶対に逃がしはしない。


 狼は暫く足掻いた後、膝をついて脱力する。純粋な力に頼る『化け狼』では、私の糸は千切れない事が証明された瞬間だった。

「ごめんなさい。もう、終わらせますね」

 私がそう言うと、狼は空に昇る煙を見上げる。それから、自らが殺した親友を1人、2人と見詰め、目を瞑る。

「アタしノ方こソ、ゴメンなサい。2人トも、ごめんなさいね……」

「……『眠って下さい』」

 狼は静かに目を閉じる。体はみるみる小さくなり、本来の大きさに戻った所で頭から地面に倒れ込む。私はそれを見届けてから糸を解き、再び12本の糸を第1の腕『幽霊白腕ゴーストアート原典一手トゥルーフレーム』に戻す。


「……謝るくらいなら、こんな事しないで下さい」

 私は狼から目を背ける。気が付けばシロは私の右肩に上っていて、ペロペロと私の頬についた血を舐め取っていた。きっとこの子は不甲斐ない私を心配してくれているのだろう。

 大丈夫。分かってるよ、シロ。

「……行かなきゃ」

 ここの日常は崩れ去った。狼達は動き始めた。けれど、今ならまだあの人の日常は守れるかもしれない。

「終わった、のか?」

 アイス屋さんが私に問う。

「はい。……『もう、動いて結構ですよ』。貴方は早く避難して下さい。中央区が1番安全だと思うので、そっちに向かうのが良いかと」

「お嬢さんはどうするんだ?」

「私は西区の方に向かいます。私にはまだ、やることがあるので。……貴方は死なないで下さいね」

 アイス屋さんを置いて、私は走り出す。依然、思考はクリア。体の調子にも変わりはない。右肩に乗るシロの鳴き声を聞きながら、私はあの日と同じ道筋を辿る。






 周囲を警戒しながら、オレ達は全速力で森の中を走る。携帯端末のマップには『狩人の門』までの最短距離が示され、それをなぞるように進んでいた。


「最初に考えたのは、黒い霧がどういう魔獣なのか、という事でした。人を掴む手、投げナイフを弾く尻尾、そして全身を構成する黒い霧。まるで、様々な魔獣の部位を併せ持ったような姿から、オレは『化け狼』に狙いを絞りました」

「でも、『化け狼』が持つ紋章って、『反映の紋章』ですよね? それじゃあ、境界は……はっ、はっ、越えられないんじゃ……」

 オレの仮説の説明に、シオンさんは息を切らしながら口を挟む。コイルの背中には荷物が乗っているため、彼女も走るしかない。オレ達のスピードに付いてくるので精一杯のようだった。


 『化け狼』の『反映の紋章』は食べたものの特性をその体に反映させる紋章。その性質上、『魔獣避けの紋章』を超える事は不可能に思える。

「それにさあ、『化け狼』はそんなキメラみたいな見た目にはならないんじゃないの? 『反映の紋章』じゃ身体的特徴はコピー出来ないんだし」

 息1つ乱さず、ラト・ガーネットが口を開く。

「『凶怪型の魔獣・物まね猿』の特性を使えばどうでしょう? 『反映の紋章』を使えば、『1度に1種類しか模倣出来ない』という縛りがなくなる。そう仮定するなら、『模倣の紋章』で身体的特徴はコピー出来る」

「特性の変質か。……有り得なくはないのだろうが、実際に見てみなければ何とも言えん。そもそも、『化け狼』は他の魔獣を狩れないほど非力な魔獣だと聞いているが、その辺はどうなんだ?」

 レト・ガーネットもオレに突っ込みを入れる。

 正直なところ、オレの推理は穴だらけもいいとこだ。証拠不足を理由に、都合の良いように仮説を並べているだけに過ぎない。だが、この未開の地に来て掴んだ証拠が2つだけあった。決定的な、それでいてオレの仮説を裏付ける強力な証拠が。


「……思うに、『化け狼』には重大な転換点があった。他の魔獣に対抗出来る程、強力な特性を得た瞬間です。それが1個体だけなのか、複数いるのかは分かりませんが、この辺の静けさは『化け狼』が他の魔獣を狩り尽くしたって事で説明が付きます」

「何度も聞くようで、はぁ、すいませんが……境界はどうやって超えるんでしょうか?」

「そこなんです。この辺りに生息している魔獣の紋章を得ても、『化け狼』は境界を越えられそうにない。でも、よく考えればもっと近くにその特性をもつ生き物はいたんです。『魔獣避けの紋章』を軽々と超え、どの種族よりも繁栄した生き物が」

「……! そんな事が本当にあるのか? いや、しかし、それなら消失事件にも納得がいく……」

 にわかには信じがたい、とレト・ガーネットが狼狽える。ラト・ガーネットとシオンさんもオレの話の主旨を察し、顔を見合わせる。


「”『魔獣避けの紋章』の影響を受けない”という特性を持つ人間。人間を未開の地まで運び、食べていた『化け狼』。そう、消失事件とは、境界を越えるために『化け狼』が行っていた食料調達の事だったんです」

 オレの推理に、すぐさまラト・ガーネットが反論する。

「いやいや、じゃあ黒幕はどうなる訳? 会議の時は、魔獣を裏で操っている奴がいるって話だったっしょ?」

「それこそが1番の間違いだったんです。オレ達は『魔女の嵐』という前例に引っ張られ過ぎて、人が魔獣を従えていると無意識の内に考えてしまっていた。けど、そうじゃない。初めから黒幕なんていなかったんです。『化け狼』は自力で境界を超える手段を手に入れ、復讐ために15年間準備をしていた。今日のために、人の社会に溶け込んでいたんですよ」 

「じゃあ、どうして……どうして今日なんですか!? よりによって、私達が未開の地にいる時に何で……」

 

 シオンさんの疑問は最もなものだった。

 なぜ、復讐の日が今日なのか? オレ達が今日から未開の地に行く事を、彼らは見越していたのだろうか? 答えはたぶん、違うだろう。

「今日は開拓記念祭の最終日。復讐にこの日を選んだのは、おそらく彼らなりのメッセージでしょう。『この地で人間の繁栄は認めない。住処は必ず返してもらう』と」


 しかし、この考えに関しては自分でも納得出来ていない所があった。3日間開かれている開拓記念祭の内、なぜ最終日に復讐の日を選んだのか、というものだ。

 初日では駄目だったのか? なぜ2日目ではないのか? 考えても答えは出ないが、それでも心のどこかでその事が引っ掛かっていた。

 

「シンボルに内通者がいたという可能性は?」

 続け様にシオンさんが疑問を投げかけてくる。

「もしいたなら、違法なバイザー使ってまで情報収集はしないでしょう。オレ達の探索と、『化け狼』の復讐が被ったのは単なる偶然だと思います」

「くそッ、証拠を見つけた傍からこれか。……とにかく急がなければ。一刻も早くメリコイルに戻り、事態を収束させるぞ。……ペースを上げるが着いてこれるか、アメジスト・4級ハンター?」

 レト・ガーネットの問いに、シオンさんは息を切らしながら強く答える。

「……はい。まだまだ、余裕です……はっ、はっ、はっ」

 相変わらず、シオンさんは嘘が下手だ。オレ達との体力の差が、徐々に出始めている。だが、それに構っている余裕はオレ達に残されてはいない。

 遠くに来すぎた。『狩人の門』まで、あと1時間は走らなければならないだろう。

 空に昇る灰色の煙を見ながら、オレ達は否応なしに焦りを感じていた。

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