三
今日は、風が強い。
衛士用の宿舎の窓から外を見、リズミは深く溜め息をついた。
城の一番外側を囲む城壁の北側に設えられた宿舎からは、フェ・イェール河を隔てて向こうにある森が月の光で微かに見える。その森の、得体の知れない黒いざわめきに、リズミは思わず舌打ちをした。城の北側にある森には、魔女が棲むと言われている。おそらくあの少年も、あの森の眷属なのだろう。リズミは無理矢理、そうこじつけた。……こじつけないと、昔のことを思い出してしまう。
溜め息のまま、手にした剣を見る。再びこの城に来るとは、思ってもみなかったが、その城でまた、女王に拘るごたごたに巻き込まれるとは。
「やっぱり、それ、返した方が良いわ」
セアの言葉が、蘇る。そのセアは、リズミの横で安らかな寝息を立てていた。先程まで、少年からもらった剣を見ながら「どうしよう、どうしよう」と小さく呟いていたのに。やはり、昼間の訓練が過酷だったからなのだろう。リズミはふっと笑うと、ずり落ちそうになった薄い毛布でセアの身体を覆い、衣掛けから落ちそうになっていた下級衛士の制服である生成り色のチュニックを直し、そして枕元の蝋燭を消そうと手を伸ばした。
だが。蝋燭を消す前に、廊下に足音が響く。この足音は。
「あら、セア、起きて……ないわね」
部屋に現れたのは、セアと同室の先輩、ジュリア。世話好きらしく、都自体が初めてのセアに城のことや街のことを色々教えてくれている、気の良い先輩。同室の者がこの、セアより少しだけ年上の優しげな少女であることに、リズミは正直ほっとしていた。衛士の中には新人を虐める者もいると聞いていたので、尚更。セア自身も、ジュリアに対して心を許しているようにみえるのは、おそらく、昔亡くしたあの少女とジュリアとを重ねて見ているからだろう。
そのジュリアは、眠っているセアの髪を軽く撫でると、ポケットからレース編み用のシャトルを取り出して蝋燭の横に置き、そして火の付いた蝋燭を蝋燭立てごと持ち上げ、再び部屋を出て行った。おそらく、ジュリアはセアの様子を見る為だけにこの部屋に戻って来たのだろう。
真っ暗になった部屋で、そっと、セアの傍に立つ。ジュリアと同じようにセアの髪を撫でると、セアがうーんと唸って寝返りを打った。リズミの手は、ジュリアの手のように小さくも細くもない。だから、セアを優しく撫でるには向かない。だが。セアを守るには相応しい手だ。節くれ立った両手を見つめ、リズミは強く頷いた。
どんな運命が待ち構えていようとも、セアは、自分が守る。
ネイディアのようには、させない。
次の日。
セアの訓練が終わり自由時間になるや否や、リズミは魔法を使い、セアと自分を昨日の『謁見の間』に飛ばした。
あの少年が『謁見の間』にいるかどうかは、賭け。だがそちらの方の心配は要らなかった。
「あ」
すぐにセアが、女王の椅子の前で本を広げていた少年を見つける。
「これ」
セアは真っ直ぐ少年に歩み寄ると、本から顔を上げた少年に件の剣を優しく差し出した。
「ごめんね」
謝ることは、ないのに。頭を下げたセアをもどかしく思う。だが、これが、セアだ。孤児として他人の中で育って来た所為か、セアは他人に痛いほど気を使う。そんなに気を使わなくて良いとリズミが諭す度に、セアは困ったような笑顔を見せる。それが、セアだ。自分を納得させるように、リズミは小さく首を横に振った。
と、その時。セアが少年に渡した剣が、再び光を発する。不思議に思うリズミの前で、剣は再び見窄らしい王冠へと変化した。
〈あれ?〉
リズミが知っているあの金属は、このような可逆的な変化をしただろうか? しばし考える。だがすぐに、リズミは考えるのを止めた。セアが少年に剣を返した時点で、あの金属とセアとは関係が無くなった。
急かすように、セアの肩を後ろに引く。再び魔法を使い、リズミとセアは元の明るい場所へと戻った。