一七
ミーゼス王国の北部には、荒野の中に小さな村が点々と散らばっている。その更に北が森で、その向こうがアジーン王の領国だ。
「全く」
その森の手前にアジーン王の深紅の旗を認め、セアの横で馬に乗っていたジュリアが毒を吐いた。
「何であの王はあんなに図々しいんだか」
一方、同じく馬に乗ったセアの方は、俯いたまま何も言わない。何を、考えこんでいるのだろう? セアの態度に、少しだけ苛立つ。王宮を出発してから北のこの地に辿り着くまで、リズミの方を、セアは見ようともしない。自分が何か、セアに対して悪いことをしたのだろうか? いや、していないと確かにいえる。では、何故? 目の前に迫った実戦のことではなく、セアに対する懸念だけが、リズミの心に渦巻いていた。
と。
「……リズミ」
久しぶりに、セアの声がリズミの耳を打つ。
〈どうした?〉
すぐにセアの傍に近寄ったリズミが聞いたのは、思いがけない言葉。
「これって、『復讐』に、なる?」
あっと、思わず声が出る。そうだった。リズミが最初に「剣の技を『復讐』の為に使わない」とセアに約束させた。しかし、今セアが行おうとしていることは、間違いなく、掛け替えの無い友人を殺した者に対する『復讐』になる。何事に対してもすぐ悪い方へ考えてしまうセアが、思い悩むことは自明の理。
〈仕方無いんじゃないか?〉
少し考えて、なるべく軽い調子でいう。
〈今ここであの王を倒さなければ、みんなが不幸になる〉
『復讐』の所為で命を落としたネイディアのことを思い、セアにはネイディアの轍を踏んで欲しくなかったから、リズミはセアに『復讐』を禁じた。だが、セアはセアだ。
「そうね。……ありがとう」
セアは小さな声でそう言うと、久し振りににこりと笑った。
「もうそろそろ、こちらの準備は終わるわ」
こちらの話が終わるのを待ちかねたかのように、ジュリアが割って入る。
「始めは、どうする?」
「一応、名乗っておくべきだ」
馬に乗り、精鋭部隊の指揮をしていたヴェシオの声に、セアは頷くと、部隊が設えた鉄の盾の外へ馬を進めた。勿論、敵の矢が届かないよう、リズミが魔法を使って上手く馬を操るのも忘れない。
「来たな。王位簒奪者が!」
こちらの動きを見た敵部隊から、太い罵声が響く。おそらく魔法で何か細工をしているのだろう、アジーン王の声は朗々と正義に響き、遠くに見えるその姿は確かに威厳に満ちていた。そして。王の隣に、アジーン王の印である深紅のマントを羽織った華奢な影が馬に乗っているのを、リズミは認めた。おそらく、あれは。
「我を頼る正規の女王エナの代理として、そなたらに正義の鉄槌を下す!」
その華奢な影の方に腕を上げ、アジーン王が叫ぶ。その声に、王の周りに立った深紅の旗が勢い良く揺れた。
「王位簒奪者はそっちよ、エナ女王!」
罵声なら、ジュリアも負けてはいない。
「セレー女王を弑し、『女王の娘の娘』だと偽って王位に就いた」
「しかし女王の血筋は、ヴェシオ王子しか残っていなかったのでは?」
アジーン王の声に、ジュリアは更にきっぱりと言い放った。
「セレー女王とその親友の機転と、『森の魔女』達の協力で、娘が救われた。その娘が、ここに居るセア女王だ!」
「嘘だ!」
そう叫ぶなり、深紅の部隊が動く。
「セア、盾の中へ!」
ヴェシオがそういう前に、リズミはセアを馬ごと自軍の盾の中へ押し込んだ。
馬を下りたセアが、盾の僅かな隙間から敵軍を見つめる。その瞳に哀しみが宿っているのを、リズミは見逃さなかった。セアは、こういう少女だ。敵にも味方にも気を使い、繊細で優しい。だが。……優しいだけでは、通用しない場合もある。
「行くわよ! 構え!」
指揮を執るジュリアの合図で、盾の壁の中にいた長弓隊が弓を構える。
「撃て!」
鋭い声と共に、無数の矢が盾の隙間から敵に向かって飛んだ。
矢の雨に、敵が怯むのが見える。矢に当たり次々と倒れる兵士達を見て真っ青になったセアを、リズミはそっと支えた。
「どんどん打って!」
「矢が来る!」
味方を鼓舞するジュリアの声に、ヴェシオの声が重なる。
「盾を」
ヴェシオの声に、待機していた盾隊が盾を掲げ、精鋭部隊の斜め前と上に屋根を作る。敵の矢を盾で避け、隙を突いて矢で応戦する。エナ女王の許で、ミーゼスの軍は頼りないほど縮小されていたから、少数で多数を相手にするこの戦法が一番マシだと、ジュリアから兵について相談を受けた時にリズミは考えた。その読みは今のところ上手くいっている。リズミは少しだけほくそ笑んだ。
と。
リズミ自身の身体が、急に前に突き飛ばされる。
〈おおっと!〉
何とか態勢を立て直そうとしたリズミだが、勢いは止まらず、前にいた弓隊に激突した。
「リズミ!」
切羽詰まったセアの声に、ぱっと地面から跳ね起きる。
〈セア!〉
目にした光景に、リズミは動くのを忘れた。リズミだけではない。盾の内側にいた全ての人間が、セアと、いつの間にかセアの背後にいた深紅のマントを羽織った二つの影に驚き、そして圧倒されたかのように動きを止めた。
「さてさて、いつの間に、こんな精鋭を育てていたとは」
セアの首と胸をその太い腕で押さえつけたアジーン王が、戯けたような酷薄な笑みを浮かべる。魔法というものがあるのだから、このようなことは予期しても良かった。動けない身体で、リズミは舌打ちをした。まさか大将自らが、敵陣深く入り込んでくるとは。アジーン王の隣に佇んでいるエナ女王の手には、やはり、リズミが切った『力有る石』の半分がある。
「悪いが、ここで全員死んでもらおう」
アジーン王の言葉に、唇を歪めたエナ女王が『石』を持った手を自分の頭上に掲げる。すぐに、狂気が自分の頭に侵入してくるのをリズミは止めることができなかった。
〈また、セアを……〉
後悔が、胸を噛んでも、もう遅い。
だが。
「リズミ! みんな!」
セアの声に、はっと我に返る。そうだった、一人だけ、セアだけは『石』の力に抵抗できたのだ。
次の瞬間。
「痛っ!」
セアに掌を噛まれたアジーン王が、情けない叫びを上げる。僅かに気勢を崩した二人を、リズミも、ヴェシオもジュリアも見逃さなかった。
「セア!」
ジュリアがポケットから出した例のシャトルを二人に向かって投げ、たたらを踏んだセアの身体をヴェシオが支える。魔法を含んだシャトルが眩しいくらいに光ると同時に、リズミはエナ女王に向かって突進した。正確には、エナ女王の右腕に向かって。
肉を断った感触が、リズミを興奮に震わせる。返す刃で、いつの間にかリズミはアジーン王の胸倉に、いた。
声も立てず、倒れる二人。振り向くと、青ざめた表情のセアが、ヴェシオに支えられてやっと立っているのが見えた。
「セア」
促すように、ジュリアが二つの死骸を顎で示す。セアが動き出すまでには、長い時間が掛かった。
「セア」
ヴェシオに支えられるようにして、エナ王女の切断された右掌にセアが近づく。セアが義手を『石』の方へと向けると、地面に落ちた『石』は震えるように光り、セアの義手へと吸い込まれていった。
「……これで、良かったのよね」
震える声で、セアが首を横に振る。
「そうだ」
そういったのはヴェシオだったか、それともリズミ自身だったか。




