一二
〈……最悪だ〉
意識が森へ戻るや否や、舌打ちする。
自分の情けない姿を、ネイディアの姿で体験するはめになるとは。リズミはキッとリネアを睨んだ。だが。……本当は、分かっている。誰に怒りをぶつけても、仕方が無い。
そっと、セアを見つめる。青い顔をしたセアは、辛そうに首を横に振ると、しゃくり上げるように肩を揺らした。そうだ。静かに、セアの肩を抱く。他人の記憶とはいえ、こんなに生々しい記憶を体験させられたのだ。辛くなるのも当たり前だ。そして。……これからセアは、この辛さを自分の身で体験しなければならなくなる。その予感が、リズミの全身を冷たくした。
やはり、ここからセアを連れて逃げよう。勢い良く立ち上がろうとするリズミを止めたのは、またしてもリネアだった。リネアに睨みつけられると、動くことができない。大人しく、リズミはリネアの声に耳を傾ける他、無かった。
「我々の使命は、『力有る石』による災厄を無くすこと」
リネアの声が、森に重々しく響く。『石』を滅ぼすことが一番良い方法なのだが、『石』を滅ぼすことができる者は本当に稀にしか『この世界』に現れない。だから、次善の策として、『石』の暴走を止めることができる者を見出し、その者に『石』を預ける。ユール平原でその作業を代々行っているのが、『森の魔女』。
リネアがセアを見ているのが、分かる。リネアが、そしてここに居る『森の魔女』全てが、セアに何を期待しているのかも、リズミには手に取るように分かっていた。
「私に、何を……」
森の静寂に耐えきれなくなったように、セアがか細い声を出す。その声は、本当に頼りないようにリズミには感じられた。
そして。
「エナから『石』を取り戻し、女王位に就け」
セアの問いに、リネアははっきりと、リズミが思った通りの答えを出した。
「それが、民の為でもある」
リネアの言葉に、俯くセア。
セアの小さな背が震えるのを、リズミはただ、見守る他、無かった。
夏だというのに、森の夜はすっかり冷え込んでしまっている。真っ暗な空間で、リズミはゆっくりと息を吐いた。
セアは、眠れているだろうか? そっと立ち上がり、自分の上にある、セアに宛てがわれた木の洞のベッドの方を見る。洞を覗き込むと、濡れたような目の光が、セアが眠っていないことをリズミに教えた。
〈セア〉
そっと、洞に滑り込み、セアの横に座る。
〈泣いて、いるのか〉
リズミがそう問うと、セアはリズミを見、首を横に振った。
「どうしたら良いか、分からない」
呟きが、セアの口から漏れる。セアも、悩んでいるのだ。当たり前だ。重い決断を迫られているのに、泣いたり悩んだりしない方がどうかしている。
〈セア〉
だから。セアが小さかった頃のように、セアの身体を横抱きにする。セアはリズミの胸に顔を埋めると、しくしくと泣き始めた。
どのくらい、泣いていただろうか?
「でも」
不意に、セアが顔を上げ、リズミを見つめる。
「逃げちゃいけないのは、分かってる」
セアの瞳には、決意の色が宿っていた。
その瞳の色に、驚く。だから。
〈セア〉
リズミは思わず本心を言ってしまった。
〈セア、俺は、……あんたに逃げて欲しいと思っている〉
「え?」
リズミの言葉に、セアが目を見開く。そのセアに、リズミは、これまで誰にも言うことができなかった言葉を発した。
〈ネイディアを殺したのは、俺だ〉
リズミは元々、『この世界』の古き神々の一柱である『風神』に捧げられた、魔剣。今は王宮となっている、フェ・イェール河の真ん中にぽつんと浮かぶ島に祭られていた、存在。風神がこの世界を去って後は長く忘れられていたのだが、ネイディアの弟、ディアンが、『復讐』の名の下に、『力有る石』に操られるがまま古い神殿から持ち出した。
〈その時は、俺も、使ってもらえるのが嬉しかった〉
だが、ネイディアとディアンが一騎打ちをし、ディアンが操るリズミの刃がネイディアを貫いたとき、リズミは、ディアンが、そして自分自身も、『力有る石』に操られているだけの人形であることに気付いた。だからリズミは、重傷を負ったネイディアを助けてディアンから『力有る石』を奪い、ネイディアの遺体を『力有る石』と共に『森の魔女』の許へ運んだ。だからリズミは、王宮のことも、『森の魔女』のことも、知っていたのだ。
『力有る石』は、危険なもの。それが、リズミの感覚。『力有る石』に関わった者にあるのは、破滅だけだ。
だから。
〈逃げよう、セア〉
そう、セアに言う。セアには、『力有る石』が用意する破滅の運命から、逃げて欲しい。それが、リズミの本心。だが。リズミの言葉に、セアは強く、首を横に振った。
やはり、ダメか。悔しさが、心を覆う。だが。……運命に逆らわない方が、セアらしい。そう、どこかで諦める気持ちが、リズミにあったことも、確か。
だから。
〈分かった〉
リズミはこくんと、セアに向かって頷いた。
運命から、セアを、守る。リズミの望みは、ただそれだけ。




