一一
鼓動が、早まる。
初めて身に付けたタフタのドレスが、身を締め付けて痛い。
〈落ち着いて〉
ゆっくりと息を吐きながら、シフルはそう、呟いた。
落ち着く為に、顔を上げる。厳めしい両開きの扉に描かれた双頭の蛇の紋章の、眼光の鋭さが、シフルの鼓動を早くした。
シフルは、この国に広がる森の中でひっそりと暮らし続けている『森の魔女』の一員。小さな頃から、『森の魔女』として過ごして来た。そして。シフルの『才能』を知った『統べる者』が、シフルに依頼したこと。それは、『暴君』としてこの国を蹂躙している王の手から、とある『宝石』を奪い取ること。鮮紅色をしたその『宝石』は、この世界に現れては害を為す『力有る石』の一つであるらしいと、『統べる者』はシフルに告げた。その『石』の力に惑わされず、『石』を奪う力を、シフルは持っていると。
『統べる者』に信頼されることは、『森の魔女』にとっては名誉なこと。だが、これから起こることを考えると、どうしても、震えが止まらない。
と。
重々しい音と共に、扉が開く。現れた影が持つ、紋章の蛇と同じ鋭い眼光に、シフルは思わず一歩、後ずさった。
「こやつが、今日の花嫁か」
シフルを一瞥した影が、吐き出すような声を出す。これが、暴君。これからシフルは、この暴君に処女を奪われることになる。そして、一夜を過ごした後は殺されるのが、『花嫁』の定め。服を剥ぎ取られ、残酷な刃で貫かれながら、シフルは正気を保とうと努力した。毎夜行われる残酷な儀式を、自分の番で止める為に、シフルはここに居るのだから。その為には。王の服の隠し所から、言われた通りの形のものを触覚だけで探し出し、取り出す。王はシフルの身体を蹂躙するのに忙しく、大切な『石』を奪われたことにも気付かない。あとは。
残酷な痛みに気を失う前に、教えられた呪文を唱える。
数多の足音が部屋に乱入すると同時に、シフルは意識を失った。
荒野の向こうに、深紅の旗が見える。
その旗に描かれているのは、双頭の蛇。先の王の、紋章。
その紋章に、溜め息の前に哀しみが増す。先の王がどんなことをしでかしていたのかは、皆知っていると思っていたのに。風に煽られたマントと、マントを留める白金色の留め金を直しながら、ふっと息を吐く。
「……ディアン」
溜め息と共に出た声に、リズミは戦慄した。自分は今、ネイディアの意識を生きている!
〈落ち着け、リズミ〉
『統べる者』リネアの声が、夢を乱すなと叱咤する。
〈これが、そなたの試練〉
不意に、視界の先に一騎の騎馬が映る。その馬に乗っているのは、ネイディアの双子の弟、ディアン。
『森の魔女』の要請により、新王国ミーゼスの初代女王になったシフルは、時を措くことなく双子を生んだ。彼らの父は、あの暴君。それでも、シフルはネイディアとディアンの姉弟を慈しみ、ディアンを次期の王と定めていた。だが。『力有る石』はディアンの心に侵入した。ディアンは父以上の暴君に成長し、父の復讐だと言って母であるシフルの暗殺を企て、それが失敗に終わると不満を持つ前王国の貴族達を集め、反乱を企てた。姉であるネイディアは、怪我をした母の代わりにその弟と話し合う為、ただ一人、馬に乗り、敵陣の前に立っていた。
強い風に、腰の剣が揺れる。弟と同じ柄の紺色の剣帯に吊されたこの剣を、今日は抜くわけにはいかない。母も、国の民も、ネイディアにとっては大切な存在。だが、生まれ落ちる前から一緒だった弟も、ネイディアにとっては掛け替えの無い、存在。『森の魔女』として生活してきていても、それだけは、変わらない。
だから。
抜き身の大剣をランスのように真っ直ぐネイディアの方に向け、勢い良く突っ込んでくるディアンを、ネイディアは避けようともしなかった。ディアンと一緒に武術の稽古もしたことがある。避けることもできたが、それでは、何もできない。目的は、唯一つ。ディアンの持つ『石』を奪うこと。それができれば、あとはどうなっても構わない。
鋭い切っ先が、馬上のネイディアの身体を貫く。その刃が離れる前に、ネイディアの右腕は、ディアンの胸で光る鮮紅色の光の方へ伸びた。だが。……あと一歩のところで、届かない。
その時。
「あの石が、欲しいのか?」
絶望の中で、声が聞こえる。
苦しい息の中、ネイディアはこくんと、頷いた。
次の瞬間。自分の右手が『石』を掴んだのを、はっきりと感じる。
〈これで、大丈夫〉
ネイディアはにっこりと笑うと、温かく感じる腕の中で目を閉じた。




