021 離別
静まり返る旅館のロビー。
荒く息をつく俺と織斗以外、誰も身動き一つせず物音一つ立てない。
木片とガラス片が散る床には伸びてしまった真木惣一郎。彼もまた、身動き一つしない。
やがて事態を飲み込んだ『メロディーライン』の面々の間に動揺が走る。
「真木副班長が……負けた……?」
「……あのガキども、普通じゃねえ!」
「どうしよう……」
リーダーを失っておろおろする彼らを尻目に、俺と織斗はよれよれとしながらソファに横たわるカルマンの元に駆け寄る。カルマンは俺達の戦いをじっと見ていたようだ。眼元には涙が浮かんでいる。
「春待、織斗、そんなにぼろぼろになって……」
俺は足を真木にしこたま打たれたため右腕を織斗の肩に回してやっとのことで立っていた。だがまぁ、左手は空いていたので、俺達を大層心配していたであろうカルマンの頭をぽんぽんとしてやった。
「勝ったからいいじゃねぇか」
俺はカルマンの涙が止まればと思っての行動だったのだが、逆効果だったようでカルマンの眼元に溜まっていた涙は決壊し頬を伝った。
「……強くないのに、無理し過ぎだよ……!」
俺はそんなカルマンに苦笑した。織斗も同じような表情だった。さらに言うなら、こいつ心配性やな、って感じの顔だ。
「さ、はよここを離れよか」
織斗の言葉に俺は頷いた。
カルマンの体調は良くない。だがここでこれ以上じっとしているわけにもいかない。今は真木のやられたショックで動くことのできない『メロディーライン』の連中も、いつ正気を取り戻すかわからない。俺も織斗も立っているのがやっとみたいな状態で、これ以上の戦闘はとてもじゃないが無理だ。
今のうちだ。
この隙を逃すわけにはいかない。
「カルマン、立てるか?」
「福介に言われたくない」
カルマンは袖口でゴシッと涙を拭うと、気丈に立ち上がった。俺から見れば不安げな立ち姿だが、確かに自力で立つことのできない俺に比べたら幾分かマシだった。
そうして俺と織斗、カルマンは、抜き足差し足忍び足で破壊された玄関を目指す。が、
「……おい、一作目達が逃げ出すぞ!」
と、敵の一人が声を上げる。
「真木さんの仇!」
「人類の為に!」
すると程まで打ちひしがれていた『メロディーライン』の連中にすぐに逃走の意図がバレ、警杖構えてわらわらと俺らを包囲した。
あ、見つかっちゃった。
やべ。
玄関を塞ぐように警杖を構え俺達の前に立ち塞がる『メロディーライン』の面々。思わず立ち止まる俺達。
「お前達、よくも真木副班長を……!」
「ここは絶対に俺達が通さん!」
ザッと一斉に警杖を俺達に向ける。
凄い迫力。
やめて、めっちゃ怖いわ。
「通してくれ。あんたらを傷つけたくない」
俺は説得を試みる。
「ボロボロのくせに何ができるっていうんだ!」
失敗した。相手の言い分もごもっともだ。
この場を何とか切り抜けないと。
考えろ。
何か良い手はないのか……?
「地面に伏せて降伏の意思を表せ! 出なければこちらは殺す気でいくぞ」
包囲網がザッと小さくなる。
待って……!
まだ何も考えついてない……!
「春待、織斗、ここは私が」
俺と織斗を庇うように、『メロディーライン』の面々の前に進み出たカルマン。
やめろ、カルマン。
彼らの狙いは、お前だろうが……。
「降伏の意思を示すのは貴方達。十秒以内に武器を手放さなければ、即座に攻撃に移るわ」
熱の影響でまだ顔の赤いカルマンは、それでも目前の敵にナメられないよう必死に平静を装う。だが、それは意味がない。先程真木がカルマンと接触した際に、カルマンの体調が悪いということを大声で公言してしまっている。当然彼らもその声を聴いたはずで、カルマンがとてもじゃないが戦闘なんてできない状態だということを知っている。
「へぇー。やってみろよ」
だからこそのこの強気の態度。
包囲網は目標をカルマン一人に絞り、一斉に襲い掛かった。
「……まだ十秒経ってないのに」
カルマンは右手を下に突き出す。すると彼女の右手に真紅の光が溢れてくる。
あれは、電車の中でも見せた『グランツ』。
その圧倒的でどこか神々しい光が、カルマンの右手から溢れ出す。
だが、俺はその様に違和感を覚えた。よくよく見れば、以前より出力が抑え目な気がするし、電車の上半分や車掌室を吹き飛ばした時みたいに『鞭』のような形状にまでは収束していない。ただぼんやりとした光が長く伸びているだけだ。
おそらく前見せたあの『鞭』のような形状は、藁科の言っていた『具象化』ってやつなのではないかと、俺は考えている。だがおそらくあの技術はとても難しくて、体調の万全ではないカルマンではそこまで光を収束させることが難しいのではないか、とも。
「みんな、どっか行って!」
カルマンは収束しきっていない真紅の光を、それでも鞭の如く振るった。以前ほどの威力の無い攻撃だったが、それでも『メロディーライン』の面々を吹き飛ばすことに成功した。
おそらく、『具象化』しなくともあの『グランツ』というエネルギー体にはそれなりの攻撃力が備わっているのだ。あの光の正体が何かということはまだ俺にはよくわかっていないが、見たところ物性は流体のようだと思っている。それも気体と液体の両方の性質を持つ、そう、超臨界状態の物質の物性に近いのではないかと当たりをつけている。
まぁ、そんな話は今はどうでもいいのだが。
「ふぅー……」
カルマンが息をつく。
目の前には弾き飛ばされた『メロディーライン』の面々が床に転がっている。それでも真木のように意識を奪うまでは至っておらず、全員意識がある様で痛みに唸っている。
「春待、今のうちに……」
そこまで言いかけたカルマンの身体が、フラッと傾いた。間一髪、俺と織斗がその細い体躯を、倒れる前に支える。
「……お疲れさん」
俺はもう一度、カルマンの頭を撫でてやった。彼女の柘榴石のように輝く髪は、とてもサラサラとしていた。
「福介、行こか」
「ああ」
俺は一人で歩けると言い、カルマンは織斗に支えてもらった。若干羨ましいとか思わないでもなかったが、足を負傷している俺ではほぼ意識の無いカルマンを支えることは出来ない。仕方がないので今回だけは譲ることにしよう。
俺達が玄関に向かおうとすると、ふと背後から視線を感じた。振り返ると、セーラー服姿で黒縁眼鏡に黒髪三つ編みの家出少女がこちらを見ていた。
貝塚憩だ。
「……よかった貝塚、無事だったのか」
俺はほっと胸を撫で下ろした。
単独行動をとっていた貝塚のところに、『メロディーライン』の連中の手が伸びている可能性も危惧していたのだが、見たところ怪我とかはないようで、安心した。
俺は貝塚に駆け寄ろうとした。
「なぁ貝塚、俺達すぐにここを出てくんだけど――」
「――来ないで」
貝塚の固い声に俺の足は止まった。
よく見ると貝塚は手に小さなポシェットのようなものを持っていた。そして息を切らした貝塚。もしかすると貝塚は、カルマンの為に風邪薬を探していたのだろうか? 近くに薬局なんてないこの旅館で薬を手に入れるために、各客室を回り、風邪薬を持っている人から譲って貰っていたのか。なんて行動力、そして優しさ。
だがその貝塚が俺達に向ける視線は何だ。
まるで、俺達に恐怖しているような……憎んでるような、そんな色をしている。
「今の光は何……? 貴方達はいったい何なの……?」
貝塚は問う。
光というのは先程カルマンが出したグランツのことだろう。グランツの世間での認知度は低い。当然カルマンは知らないだろう。
「貝塚、聞いてくれ――」
「――嫌よ。そこに倒れてるの、テロリストじゃないの? どういう関係なの? 貴方達本当に何なの?」
『何なの?』
その言葉は俺の心を抉った。
「真っ赤な光が男の人達を吹き飛ばしたのを見たわ。あんなの人間のすることじゃないわ。――この、化物」
貝塚は、カルマンに向かってそう言った。
織斗に支えられていたカルマンは、貝塚のその言葉に俯いた。
『化物』
こればっかりは、貝塚の勘違いだと捨て置くことは出来ない言葉だった。
その言葉は、いったいどれほどカルマンの心を傷つけたのだろう。俺には想像だにできない。俺や織斗だって超能力者だ。世間から見れば『化物』で、実際今までそう呼ばれたことが幾度かあった。だがカルマンは俺達とは違う。世界唯一の人造人間。一作目と呼ばれたくないと言った彼女は、自分が人間とは違うと認めたくはなかったのではないだろうか。そんな彼女に向けられた『化物』という言葉は、彼女に対してどれほどの『否定』の意味を持っているのであろうか。
カルマンだけじゃない。
俺は貝塚の言葉で再度認識を改めた。
俺も織斗も、当然カルマンも、世間から見れば『化物』だということを。
――異常だということを。
「……福介、行くで」
織斗は踵を返し、カルマンを連れて玄関から外に出る。おそらくカルマンを気付かってのことだろう。俺は、俺達に向けられた貝塚の恐怖に染まった瞳から目を逸らした。
「……じゃあな」
それだけ言った。
貝塚からの返事はない。
俺はもう、彼女の目を見れない。
そこに移るのは、『化物』と呼ばれる俺自身。
俺も踵を返し旅館を出た。
貝塚が最後、どういう表情をしていたのかはわからない。
そして、今の俺にそれを確かめる勇気は、ない。
『第2章 旅館編』完結
『第3章 学術都市編(仮題)』へ続く