第6話 本当の戦い
ティムは自分の体が自らの意思を離れて、動かなくなったことにやっと気付いた。
全身は震え、無防備に開かれた口からはよだれを垂れ流している。その手は剣を握ることすら嫌がって、未だにこぼれ落ちていないことが奇妙にすら思える。
必死に動けと命じているのに、恐怖で麻痺した神経が心と頭を切り離し、その命令を遮断する。
訓練は何度もやった。
毎日毎日剣を振り、リオンとは実戦さながら真剣を用いて斬り合った。
痛みは覚えた、力は増した、森の魔物も切り捨ててきた。
だから、自分は戦える。
そう思っていた。
村でも五本の指には入るほど、自分は強いと思っていた。実際ティムの力量は、自信通りのものではあった。
それでも「今」、ティムの体は動かない。心の中で怒鳴りつけても叫んでも、決して体は動かずに、ただ小刻みに震えている。
逃げることすらできないティムは犬畜生にも劣ると嘆く。
胸を張っていた自分を恥じる。
自然と涙が流れていた。
リオンはそこで戦っている。
メオロが何かを口ずさんでる。
(俺は何をしているんだ、俺の体はなぜ動かない。)
一瞬何かの香りがしたが、体は何も変わらない。
ティムは初めて恐怖と出会ったのだ。
体中から勇気をしぼり、手や足を動かそうとするが、せっかく集めた小さな勇気は恐怖の風に吹き飛ばされた。
今までの訓練は幻想で、今のティムには糞の役にも立ちはしない。
不思議な匂いは消えた、音も聞こえず、目だけが正常に機能していた。
いや...主人の命には従いもせずに眼前で繰り広げられる、見たくもない現実をただ映していた・・・。
ライがゴブリンを引っかき、噛み付き、奪った命を投げ飛ばしている。
ハンスが一人でゴブリンに囲まれて、少なくはない傷を負いながらも、二本の細剣を使って、その数を減らしている。
そこらの木々から伸びてきたツルがゴブリンを縛り上げる。ゴメスがオークと戦っている。
ゴメスの体が光っている。光が外に飛び出した。
ゴブリン達の動きが止まる。
ゴメスのハンマーが地面を叩いた。
オークが下がる。
オークの攻撃、石が舞う。
オークの攻撃、ゴメスが回る。
痛そうだ、骨が折れたな、ゴメスが座る。
あっ、ゴメスが飛んだ。
オークはこけた、傷を押さえて地面で暴れている。
ゴロゴロゴロ
「お・・・や・・・じ・・・?」
飛んで来た親父はピクリとも動かない。
死ぬのか・・・親父。
「イヤだっ!! ...親父!!」
ティムは親父に駆け寄った。
皮一枚、身ごとねじれて今にも千切れてしまいそうな左腕が、皮一枚でかろうじてつながっている。
左腕の傷口からは多量の血が流れ出て、頭からも出血している。「死」それが手ぐすねを引いて親父を待っている。
【 またか...また殺すのかっ... 私の大事な×××をお前達はまた奪うのかっ!! 】
ティムの頭の中を見知らぬ声が走った。
ティムは意識を失った。
――――――
「半端なモンが垂れ下がっててもしょーがねぇやな。もぉ動くこたぁねぇんだろ?」
「ですがっ!! ゴメスさん。」
「あーだこーだ言い合っててもしゃーねーよ。
よっと!」
ゴメスの声でティムは目覚めた。
ボヤける視界で声のする方向に視線を向ける。少し顔を動かしただけなのに体が軋み、痛みが走る。
ドサッ
「親父っっっ!!」
何かが宙を舞っていた。少し前までゴメスの左側に付いていたはずのそれは、宙を舞い、藪の中に消えていった。
親父の手には先ほどまでオークが持っていたはずの巨大戦斧が握られていた。
「おぅ、目が覚めたかバカ息子。」
「ちょっとゴメスさん、止血中に動かないでくださいよ。」
「親父!! 左腕!! ......オークは!!?」
「…オーク…ですか?」
「あぁ、バカ息子が言ってるのは、あの規格外の巨大ゴブリンのことじゃねぇか?」
「ゴブ...リン...?」
「どうやら、まだ混乱しているようですね・・・。」
「そうだなぁ、オラァ気ぃ失ってたし、メオロから説明したってくれや。」
「そうですね、どこから話しましょうか。」
どうやら、俺がオークだと思っていたのは、規格外の体格と強さを持ったゴブリンだったらしい。
ハンスさん曰く、恐怖で震えていた俺は親父が気を失ったのを見たとたんに活動を再開して、奇妙な雄たけびを上げながら、もの凄いスピードで巨大ゴブリンのもとまで駆けていくと、あの巨体を片手で持ち上げ、近くの岩山に投げ飛ばし、そのまま岩山もろとも突き刺して止めを刺したのだそうだ。
その後気を失って動かなくなった俺を、周囲のゴブリンを片付けた皆が介抱してくれていたらしい。
ハンスさんとリオンとライは坑道に潜んでいるゴブリンがいないか確認にいっているそうだ。
自分でやったことながらどうにも納得出来ないでいるティムだったが、自信作だった剣に貫かれた死体が岩山の近くに転がっていることは事実である。
もしかしたら、少し動くたびに体が軋むのもそのことに関係あるのかもしれない。
「それで親父は何で腕を切り飛ばしたんだ?」
「それゃぁオメェ、メオロの奥さんでもよ、腕をつないで傷口を塞ぐことは出来ても、元のようには動かねぇってんだからよ、邪魔なモンは切り捨てたほうがすっきりすらぁな。」
「それでもこの場で切り落とすのは、いくらなんでもやりすぎです。
傷が悪化して死ぬこともあるんですよ。まだまだ教えていただいてないことも沢山あるのにこんなことで命を落とすような真似をしないでください。」
「母さんが今の話を聞いたら、間違いなく親父は殺されるな。」
「かっ、女が怖くて漢を気取れるかってんだ。」
ティムは軽口をたたきながらも、無くなってしまった父親の左腕に心を痛めていた。
自分があの時にすぐに引いていれば。
無駄な言い争いでゴブリン共の注意を引かなかったら。
そしたら、こんなことにはならなかったかもしれない。
勇んで参加したこの戦闘は、自分が記憶する限りでは何の活躍もしていない。それどころか、強大な敵に立ちすくんで邪魔しただけであった。
たとえ全員から気にするなといわれても(恐らく言われてしまうであろうが。)、なかった事に出来るほどの図太い度量など持ち合わせてはいないティムは一人思いにふけるのであった。
「まぁ、オメェはバカ息子なりに良くやったよ、俺でさえ仕留め損ねたあの怪物を一人でノシちまったんだからな。
たとえ、俺との攻防で弱っていたとしても大将首を取ったんだから大金星だ。
壊れちまったお前の長剣の代わりに、褒美として、この戦斧でもやろうか?」
「ティムさんでは、そんなの振り回せません。」
ゴメスが空気を和まそうと不器用なりにも頑張っているのを受けたメオロは、ゴメスが片手で軽々持ち上げえている戦斧を見てそう口にする。
そんな慰めを受けてもティムの心は何の変化ももたらさないが、そっと頭にそえられた父親の手に、自然と涙が溢れていた。
「俺...今日泣いてばっかだ・・・。」
ティムは父親の偉大さをその身で体感し、悔やんでも悔やみきれない記憶を心に刻み込んだ。「もぉ二度と...。」普段リオンがよく用いている言い回しを、何度も何度も心の中でつぶやいていた。
とある街道近くの森の中、木々の陰に隠れるぐらいの大きさの石材製の建物の中、今夜もまた男達は集まっていた。
「今日もゴブリンであったな。」
「あぁ、また失敗だ。」
「何を言う、あんなに巨大なゴブリンを見たことがあるのか。あれは成功のための一歩だ。」
「その通りだ。我々は必ずやり遂げねばならぬ。十や二十の失敗でいちいちめげているようではこの先が思いやられるわ。」
「うむ、確かにそうであった。我々の手に世界の命運がかかっているのだからな。」
「あぁ、我等が慈愛の神の為に。」
「「「慈愛の神の為に。」」」
慈愛神を崇拝する彼らは、今宵もまた異世界の門を開くのであった。
2013.12.25改稿 様式変更、誤字脱字訂正
2014.01.29改稿 追加・修正、大筋変更なし