009
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(株)三上人材派遣会社 広報担当:左松直老「この前書きおよび本文はフィクションです。実在の人物、団体、国家とは一切関係有りません」
「もぬけの殻か。いいや、さしずめ間抜けの空だ」
「……」
真っ暗な室内に、蠢く黒い物体。それを人間だと視覚で捉えられるモノが居たとすれば、そこにいる彼等の用いる装備を鼻で笑うだろう。熱感知式暗視装置。
物体から放出される遠赤外線を受容し、白と黒の濃淡で暗黒ですら視覚情報を与える。
しかしこの装備は現代科学の粋を集めたもので、簡単に手に入る物ではない。与えられるのは官庁の所管する機関であり、個人や企業が容易に手に出来る物ではなく、彼等の居る場所は一企業の一室に過ぎない。一民間企業の部屋に特殊な装備を用いて深夜に侵入している時点で不審極まりない行為だが、それが職務上必須であり正当なモノだと証明できるなら話は別である。
政府からこの企業の実態を聞いた時、男は耳を疑った。
『非営利民間軍事企業』
バカバカしい。実に意味不明な文字の羅列である。好きこのんで戦場で死にゆく人材を貸し出すというのだ。それも利潤追求するような営利目的ではなく、最低限の諸経費代を工面さえすれば暗殺すら請け負うという。
そんなものをこの国が『許容する』などと、夢にも思わなかった。そもそも自分達が行ってきた行為全てが『知られざる悪を根絶する戦い』であったにも関わらず、『殺人』すら許容する特別企業を容認するというのだ。
政治家達はその企業を『便利に』ご利用するのだろう。
だとすれば彼等に理解させるしかない。今まで国家の安寧を保って来たのは誰なのか、これから安全を守っていくのは誰なのか、今まさに縋る相手は誰なのか。
あの企業を利用したい人間は山ほど居る。なにせ優秀なのだ。それは男が一番知っている。まず最も早く利用したのはその男であり、最も高い評価を与えたのはその男である。
そして最も憎んでいたのも、その『谷田喜十郎』であるのだから。
ただ、彼等の能力は明らかな枷の下に存在する。使えるのは一部の人間だけ、依頼がない限り殺人を許可されないこと、そして最も重要な事として『法的根拠』がないこと。
国民を守る為に創設された機関ではなく。法律を遵守、履行することで国家の擁護下にある一企業が通常の権利から逸脱した能力を有するのはあり得てはならないのだから、表立って企業側が正当性を主張することは出来ない。その正当性を証明することが出来ない機関を一部の人間が『私利私欲』の為に用いた『事実』は国民の目にどう映るのだろうか。
楽しみで仕方がない。
十数分後、この『違法』企業への捜索は終わりにする。捜査令状を持っている訳ではないので違法捜査に違いないが『根拠の存在する暴力集団』の捜索であり、証拠隠滅を図られる可能性がある為、緊急で行った捜査である。これに反証する事は誰にも出来ないだろう。今ここには、誰も居ないのだから当然である。
谷田は部下七名に撤収命令を下し、侵入の痕跡を残さずに社屋を出る。その装備は公安警察としての範疇を逸脱している程だった。
すべて谷田が揃えさせたものだが、民間の軍事企業として秘密裏に政府が認知している機関に対し、その捜査を通常の装備のまま行うなどと言う事は自殺行為に他ならず、無抵抗のまま社屋を明け渡された事は意外だったが捜査員と自分を守る為に対テロ用装備一式を投入した事実は谷田の、この企業に対する高い評価の裏返しである。
それほどの恐怖感を谷田はこの企業に抱いた。軍事企業と言うのだから恐らく社員は元軍人だろう。そんな人間を相手にするのだから恐怖感を抱くのは当然だろう。
有る程度の訓練を受けたとはいえ、それは犯人を確保する為の捕縛術訓練が主であり、制圧、即応する為の訓練時間が軍人よりも長いわけではない。それに『実戦』で磨き上げられる感覚はどう足掻いても不足しているのだから。
平和ボケによって得られるものはそう多くない。
資本主義的な「無価値」であるモノに「評価」を与えて「金銭的価値」を付ける行為は合理性に欠ける。人間に必須ではないモノを誰かが莫大な金をかけて買うのだ。その金によって救われる命と、救われぬ命が世の中を混沌に供する。
相対して共産主義的理念は人間に均衡と平等を与えるが、生物として必須である競争力を失う。人間の欲求というシステムに対し、万人が平等というシステムは相反するのだ。その根本的な齟齬によって終着点は思想、理念の並列化だろう。
どの社会体制も全て欠陥を持っている。万全であるものなど一つもない。しかし、我が国民は何の外的脅威も知覚していない。いや、知ってはいるがそれを全て他人事のように傍観している。経済的外圧や思想的外圧、軍事的脅威、国際間権益。その全てにおいて国民は「国家」に責任を押し付けているだけだ。
民主主義国家として成立しているはずが、主権である国民がその権利の重きを知らない。
個人の利益追求を主眼に「国民の代表」が選出され、その「国民の代表」と国民の乖離を不満に思うだけだ。「誰」が『誰』を選んでいるのか、そしてそれを【誰】が理解しているのか。
今一度、その人間に本来担うべき危機感を再起させる必要がある。
十四人乗りのマイクロバス。それが街灯を厭うように暗闇の中に佇み、乗客を待っていた。「大平観光社」と古い字体で青い車体の横に白い文字でプリントされており、それは年季が入ったように所々ボロボロになっている。だがその塗装、プリント自体はつい数時間前に施されたものだった。
偽装された車両。そもそも小さな企業が立ち並ぶ場所のどこに観光する場所があるのか。場違い甚だしいが昨今では変わり種の旅行が流行っており、実際、この車に違和感を抱いても誰も興味を抱いて調べる人間はいない。
それに向かって一団が、六階建ての古めかしいコンクリートオフィスから人目に付かないよう現れた。
深夜三時。オフィス街には街灯以外に明かりは付いていない上、誰一人歩いては居なかった。ただ一人、真夏に真っ黒なロングコートを着た男を除いては。
「誰だ」
谷田、そして各捜査員は確信する。相手は手馴れた人間だという直感。八人もの武装した人間を相手にしても怖じることなく、マイクロバスの横に陣取った事がその根拠。
有る程度人払いを済ませた上での社屋への侵入だったが、まさか段取りを逆手に取られるとは思ってもみなかった。
全員手にしていた短機関銃を構え、男を取り囲む陣形に移る。熱感知式暗視装置をも装備している八人を相手に、一人黒いロングコートを着て装備が分からない程度では戦況的優位など確立できないはずである。
「私が誰かなど些末な問題だ。そうだろう、谷田喜十郎警視監」
男はそう言いながら、右の手で自分の左胸を軽く指をさす。
「……」
谷田、そして各員、気が付いた。左胸に赤い発光がある。照準されている。距離、位置が分からない。全ての照準は各員に対して一つであり、誰一人撃ち漏らさない事を誇示しており、同時に「捜査員の人数」を完璧に把握されていた事を示していた。
「谷田喜十郎警視監及び公安部各捜査員に対し、殺人及び殺人教唆の疑いがある。大人しく同行して貰おうか」
「断ったら」
「我々は裁量の自由を得ている」
「まさか」
交戦への抑止として照準されているわけではない。そう、男は言ったのだ。単純に、断れば命を奪うことも辞さないという姿勢。これほどの権限を得られる機関がこの国に存在しているのか疑問に思う。否、有り得ないはずだ。現に公安部の人間がここにいて、それと似たような行動を取ってこうして糾弾されているのだ。この男にだってその権限は存在しないはずである。
「有り得ない。法的根拠がお前達にも存在しないはずだ」
「貴様は根拠が無ければ存在できないのか」
寝苦しい夜だろう。深夜三時、熱帯夜に黒いロングコートを着て男は涼しげに言い放つ。
「……なにを――」
「根拠が無ければ貴様は存在できないのかと言った」
法の下に人間は平等である。そう、かの憲法は説いた。人間はその法を遵守するならば平等だと。だが実際に人間が平等である事はない。必ず人間は生物である限り不平等であり、法の下でも平等ではない。実際、法を作るのは利己的な人間でしかないからだ。
ならば、人間は何を根拠に生きているのか。
「下らない」
谷田はそう一笑に付す。
「それが解っているならば真っ当に生きるべきだったな。人間などその程度だ」
谷田は構えていた短機関銃を下ろし、無抵抗の意として両の手を挙げ――
「――っ」
炸裂音。谷田の左側頭部を八・五八ミリの弾丸が穿つ。その威力は人間の頭蓋が耐えきれるものではなく、谷田喜十郎の左側頭部から延髄を射貫き、右側頭部は放射状に粉砕した。
始終を目撃した人間は少なくない。黒いロングコートの男、男を取り囲んでいた谷田の部下、その男達に照準し続けている黒いロングコートの男の部下。
そして黒いロングコートの男は始終を見終わる寸前、身を翻し、谷田の部下達に背を向ける。次に男を襲うのは抗いようの無い鈍痛の雨。
無抵抗の意思を示したにも関わらず、公安捜査員の前で上司の頭右半分が吹き飛んだのだ。それを、眼前の男の仕業と瞬間的に判断しない道理はない。残された捜査員一同は生きる為に眼前の男を殺し、左方向からの狙撃に警戒しつつ遮蔽物に隠れて逃げるしかない。
だが公安捜査員の判断は根本的に間違っていた。狙撃した人間は黒いロングコートの部下ではなく、警戒する方向も間違っている。
照準していた黒いロングコートの男の部下は公安捜査員達の発砲を目視し、男を守る為に発砲を開始する。その発砲には破裂するような発砲音を伴わず、減音減光されており発射位置を特定されにくく、ほぼ無抵抗のまま公安捜査員は全員弾丸に倒れ、沈黙した。
離れた位置から有る程度の安全確認作業に入る。その間、黒いロングコートの男はある人物に話しかけられた。
「アナタは軍人に向かないって言ったでしょう」
マークしていたはずの建物と隣の建物の暗がりから女性の声がする。
そちらの方に顔を向けるのが精一杯で、男はまともに身動きの出来る状態ではなかった。防弾用のケブラーベストを中に、ロングコートには厚さ五ミリの鉄板。それを装備していてなお、男の受けた衝撃はそこに跪かせるには有り余る力だった。
「……三上、大尉」
「元大尉よ。イトウリュウ中佐」
「……」
退役したはずの人間が、自衛軍諜報局に席を置く人間の階級を知っている。それもつい先日、男の部署が行動の権限を得たばかりであるのに、それを全て知っているかの様だった。
「どうして――」
「ここはワタシの会社だもの、居てもおかしくは無いでしょう。それにどうしてここに居るのか問われたらアナタと同じ理由だと答えるわ」
同じ理由。谷田喜十郎の逮捕、及びその犯罪を公にすること。
軍を退役した人間が?
一般の会社を起こした人間が?
いいや違う。この会社はあくまでもダミーだ。その実、この会社のあり方は男が目指した物に最も近い。伊藤龍中佐率いる諜報局内調部。その国内の諜報捜査部に唯一諜報局上部が『関わるな』と言った「三上人材派遣会社」の名。人材派遣会社がどうして不可侵なのか疑問に思ったが三上の名と、有る程度聞き及んだ業務内容からその実を理解していたし、なにより、
『こうなってしまっては我々の面目は無きに等しい…… 完全に後手に回っているが。それでも?』
誰の後手に回っているのか、今まさに理解した。
同じ軍部の人間が、誰よりも早く超法規的な諜報機関を作り上げただけだ。紆余曲折、権利や権益に翻弄され、歩んできたプロセスが違うだけで三上元大尉は男の目指したものを、誰よりも早く完成させていた。ただ、ただそれだけの事。
「どうして谷田を殺す必要が」
「正当性を守る為よ」
国家に寄与する事は人間に寄与することに違いない。いつの間にか誰かの思惑のまま人は人を傷つける事は少なくない。今回、三上人材派遣会社はその責任を取っただけ。
谷田は国民に対する啓蒙の為、個人の危機管理意識を再起させる為に犯人のない連続殺人を思いついた。結局それ全ては高級官僚である谷田自身の保身と権力の掌握に繋がる事であり、実質的に国家を掌握する為の反逆行為に違いなかったのだが。
思想的殺人犯が誰かに殺害されていた場合、疑われるのは誰か。思想的背景が不明瞭にも関わらず、それに敵対しうる人間を特定できるのか。傍観し続ける国民性を持ってすればその思想犯という人間の特異性は顕著になる。
テロ行為の被害者になる恐怖感を知らない国民。
保身の為に他者を信用しない、無能な政治家。
身動きを封じられ易い、序列社会の警察機関。
全ての状況は谷田に有利だった。
政治家同士のつぶし合いの為に政府容認の「軍事企業」は大いに役立った。直接邪魔な議員を始末したのは公安捜査員。その捜査員は谷田の思惑を知らぬまま、マインドコントロール下に置かれ、本来守るべき人間を射殺する事になった。
その捜査員自体、谷田に必要な人間ではなかった。故に思想犯の一味として謎の殺人犯である「軍事企業」に殺人犯の殺害を依頼した。三上人材派遣会社には思想犯の所在を通達し「自由裁量」の下に彼等を始末して貰うだけ。既に事が成った後が依頼予定時間のため、議員暗殺後に所定の位置へ捜査員を配置しておいただけだ。もちろん一度撤収済みなのだから傍らに銃器の類はなく、身元は公安捜査員の為、暗殺の犯行現場に居ても不自然ではない。
刑事部の捜査権限は公安捜査員の身元特定をするだけの権限が無い為、単なる元自衛軍隊員や警察官として認識される。ここで重要なのが警視庁警備部所属として報告された人間はそれが事実だと言うこと。警備部は公安部とおなじく秘匿性が高いが、公安部から情報をリークしておけばそれ以上の追求捜査はないだろうという判断。
刑事部の捜査能力を持ってしても犯人は浮かばない。当然だ、不法な殺人犯人はこの世に存在していないのだから。あの人材派遣会社に偽装した軍事企業は政府の後ろ盾を持っている為、犯行集団として挙がらない。
そして高級官僚としての能力と地位を活用し、警察内部からの情報操作も容易だった。
大規模捜査と、連日各種メディアで放送され続ける政治家暗殺の事件。
政治家も、国民も無能な通常捜査に辟易する。その期を逃さず、正義を全うした者が谷田の思い描く「秩序」になる。
「ワタシ達の存在は不確かなモノよ。正当性を声にして誰かに伝えることは許されない。だからこそ、ワタシ達は理念に基づき、行動をもって正当性を主張する」
利害の一致。それが谷田と三上人材派遣会社の関係性。存在感と必要性の顕示。それに対するプロセス、アプローチが違い、谷田は三上を、三上は谷田を邪魔に思った。
「これは守るモノを違えた事による結果よ」
「しかし、これでは谷田と――」
「アナタには、何が守れたの?」
伊藤龍の部下達には三上の姿が見えなかった。それなのに、龍は話し続ける事を止めず部下に近寄ることを許さなかった。伊藤龍中佐と三上代表取締役社長との距離は十二メートルほど。それが二人を隔てる壁の厚さでもある。
「……」
「アナタのその弱さが、守りたかったモノをここに導くことになったのよ。甘い考えも、中途半端な残忍さも、軍人には不向きなのよ」
最後に、その女性はこう付け加えた。
「谷田を撃った弾丸はアナタが持っていると良いわ。それはアナタが唯一守れたモノだから」
「――っ」
某日、深夜三時五十七分。誰も居ない、暗い道。
アスファルトには真鍮で覆われた大口径の弾丸が突き刺さっていた。