008
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(株)三上人材派遣会社 広報担当:左松直老「この前書きおよび本文はフィクションです。実在の人物、団体、国家とは一切関係有りません」
人を殺すことは案外、簡単な事である。物理的に殺すのか、精神的に殺すのか、社会的に殺すのか。そのどれか一つでも満たせば、簡単に人間は崩れ去る。だが、それをしない為に秩序や法が存在し、個人の自由と存在意義、権利、幸福が守られる。
ならば守る側がそれを放棄した場合、人間の生存は難しいのか?
「ワタシ達は人を守る為の集団ではないわ。けれど、人を簡単に殺すような集団でもないの」
ある日、女傑の放った言葉である。それを直接聞いたのはリュウと呼ばれる少女と、サイという無機質な表情を滅多に崩さない男を引き連れて向かった某所での事だった。
「依頼を拒否すると言う事かな」
「そうは言っていないけれど、あまりいい気がしないのは事実よ」
女傑が座る無為に高級そうな革張りの椅子の向かいに、三人掛けの同じ様な革張りの椅子がある。それに少し離れて二人、同じサングラスをかけ、同じ生地、同じ仕立てのスーツを着た男が座っていた。
彼等の間では一般的な個性を喪失させる服装であり、サングラスは相手に視線や心理状態を読まれないようにしつつ、有る程度の威圧感を与える為の物である。だからこそどちらが上司で部下か解らない上に、話している相手が本当に重要な人物か量らせない為に個性を喪失させ、並列的な運用の中にある人間だと位置づける意味があった。
だからこそ、この人間はただの使いであること、決定権はないがしたたかに言質を取ることだけを目的としている事を女傑は理解していた。
それに引き替え、男達の彼女等に対する際の心持ちは全く違うはずである。
女傑はすぐ動ける様には座らなかったし、後ろに控えているのは足手まといになりそうな少女と、唯一危険視できる人間は表情を崩さない男だけだった。
この状況で不穏当な発言でもあれば始末するに他愛もないと判断されるだろう。確かにそれが女傑の狙いであり、実際にその通りに見積もられていた。二人の人間がいるにも関わらず左側の男しか喋らなかった。女傑の右の後ろに控えているのがサイで、明らかに右向かいの男は警戒を解かなかった。
一つ、女傑は後々の為に仕掛けておくことにした。
「サイ」
「はい、ボス」
右向かいにいた男が、明らかに動揺した。サイと呼ばれた男から目線を外さずにいたはずの右向かいの男が、サイの存在を一瞬、認識できなかった事に因る。
数秒前までは女傑から三歩ほど後ろに蝋人形のように立っていた。だが突然、少し屈んで女傑の耳元に顔をよせていた。
恐らくサイを常に認識し続けるのは生身の人間には不可能だろう。常に表情を変えず、生きているのか疑わしいくらいに生体動作を抑制し、完全に無機物のように振る舞う。
それだけならば必ず認識し続けられるが、一瞬でも別の人間とサイを比較した場合、比較対象に非常に近い性質を発揮する。
この状況であれば、サイは女傑に寄った。
物理的に女傑の耳元まで動いた事は事実だが、それよりも人間の認識中で女傑の存在に近くなったのである。
記録として完璧に残せるカメラや映像、音響機器各種では全く効力を発揮しないが、このサイの持つ能力は生身の人間であれば殆どが有効である。人間の視覚情報、聴覚情報は意外に曖昧なものであり、少し似ているだけで簡単に同じ物として認識してしまう事がある。
サイの場合、通常の人間が起こす『音』がない。
呼吸音、服による生地の擦れる音、足音、触れている物から起こるはずの音までも。人間は有る程度脳内で予想立て、それが現実と合致した場合に把握し、認識している。
このサイの行動一つで、男二人の警戒度は一気に跳ね上がる。
きっとこう思うだろう。『次はあの男にもっと注意しよう』と。
「本日より、こちらで働かせていただきます。よろしく」
「……」
仏頂面の集まり。こちらが話すと一応こちらを見るが、誰一人反応することはない。
基本的に個人に対する興味がないのだ。それは人間が本来持っている興味ではなく、社会的興味と言ってもいいモノがこの場の全員から欠如していたし、自分もその興味を抱かなかったのは自然であり、不快ではなかった。
個人に興味を抱くとすれば、それは生きているかそうでないかくらいだろう。
「彼の名はシュウ。私と組む事になった。そしてこれより、警視庁公安部の暗部を討つ」
そう宣言したのは他の仏頂面から『リュウ』と呼ばれる、白髪交じりの銀縁眼鏡をかけた男だった。
公安部とは。国家に害を為す危険性があると判断された特定宗教団体や、反体制集団の監視。スパイ活動、テロ行為の防止、摘発などを国際的な協力を関係各国から得つつ実行し、国家の治安維持活動を行っている。
その業務内容により公安部は機密性、秘匿性が非常に高く捜査員や捜査方法の一部に至っても公表されることはない。
この国で最も組織犯罪への強行権限を行使できるのはやはり彼等であり、彼等の一般には関知されぬ行いは、やはり関知されぬ間に一般が最も享受している。
見返りを求めない行為を誰かが自己犠牲と言った。それは求める術を知らない為に行われる行為か、見返りに価値がないからこそ出来る行為か。
だがそのどちらも自己犠牲を言い表していない。
自らの行いをもって他者の利益を、命を守る行為。それは、人間最大の自己陶酔である。
「国民を守る。その為に国民を監視し、逮捕する。そう決めたのは国民自身であり、それを運用するのもまた、国民自身だ」
静かに笑う。その男はこう考えた。
それならばもっと解りやすい方法で国民の正義を実現し、もっと解りやすい方法で国民を守ろうと。利益や命の為ではなく、国家の行く末の為に。
浮動し、流動的な感情論を国民の有益である方向に誘導、強制、統制し、体系化する。そしてそれに沿わないならば、守ることを止めようと。
それに異論を唱える人間が、残念ながら彼の傍には一人として居なかった。
なぜなら、そんな彼等の行いは全て、自己犠牲という結果に伏されたからである。
「賢い王は常に愚民に翻弄される。だが私は王ではないし、賢くもない。だが、私は愚かな人間に最高の栄誉を与えられる。愚か者なりの、最高の価値を見せてやれる」
庇護を受ける時、人は弱くなる。絶対に抗う時、人は強くなる。
飼い慣らされた人間を、今一度、闘争の権化に。
生きる意味を、今一度。
良いように少女二人に弄ばれたリュウは明らかに不機嫌で、事実、それを隠さなかった。
「あんたのせいよ」
「そんな事を言われても……」
前情報として説明不足だったのはリュウであり、フランツの不手際ではない。それに、すこし冷やかされたからといって別にあそこまで反応する必要もないだろう。
休みの日、あの勉強会と称した単なるお茶会を終えフランツとリュウは会社へ向かっていた。時間は午後十時をという、遅くになってからだった。
緊急招集である。それも秘匿回線を用いた。
一応だが、単なる株式会社である。その業務内容がいかに特殊で、法に触れる危険なものであろうとも簡単に機材や権利を保有できない。しかし、あの女傑は初めからこの会社に自衛軍用の軍用秘匿回線を得ており、「強行班」である特別営業部各個人に専用端末を携帯させていた。
どういう理由でその様な軍事機密用途の機材や権利を得ているのかフランツは知らないが、この会社は本来『営利目的』ではないのだろう。これが意味するところは……
「フランツ」
「んあ、なんだ」
リュウに名前を呼ばれた。おそらくコレが初めてだろう。あんたと呼ばれる事には馴れていたが、逆に名前を呼ばれる事の方が、違和感がある。
午後十時過ぎと言っても街灯や街の建物には光が有って別段暗くはないし、人通りもまばらだが他に比べて少ないわけではない。会社の近所にはバーやファストフード店があり、有る程度の集客を見据えた商業施設もある。そんな中でリュウが示す先に、二人の男が居た。スーツを着て、ファストフード店の前で談笑している。
「おかしいわね」
「……ああ」
夜十時。まだ暑い夏のその時間に着崩れていない、くたびれてもいないスーツを着た人間が居たら、疑問に思わないだろうか。その人は本当に会社帰りなのか、それとも今さっき、スーツを着たばかりなのか。
夜勤の人間ならばファストフード店の前で暇そうに談笑するのは違うだろうし、鞄も何も携えていないのは不自然である。機動力を重視した服装に見え、二人の立ち話は互いの死角をフォローし合う為の警戒用、監視、偵察用の陣形にしか見えなかった。
こちらがその男達を不審に思うとほぼ同時、一人の男がリュウを一瞬捉えた。すると目線を外して話し続けるのだが、次の瞬間、もう一人の男が胸の内ポケットから携帯電話を取り出すのが見えた。
目線で合図を出して、相方にリュウを目視したと報告したのだろう。相方はそれを受けて本部へ連絡。次にどう出るのか解らないが、そういう手合いは確実にこちらを良く思っていないはずである。
「こっち」
「……」
リュウはフランツのシャツの裾を引っ張り、会社とは別方向の暗い、ビルの間に入った。
男二人はすぐには後をつけない。恐らくこの辺りの詳細な地図情報を把握し、マッピングによる追跡方法をとるだろう。会社までのルートをパターン化して跡を追う。追い詰めてどうするのか、という所には幾ばくかの疑問があるが、大方あの女傑を「効率よく運用」するためにリュウを捕まえるつもりだろう。
少し調べれば血縁関係は無けれども、リュウはあの女傑の養子である事はすぐにわかる。調べずとも実際、役所や学校には平然と養子として登記、説明してあるので別段機密性は薄いが、それでもそれを有用と考えたらしい事は容易に想像が付く。
ゴミの散乱する、異臭漂うビルの間を少し進んだところで、リュウはとあるビルの唸りを上げる冷房の室外機の裏を漁り、なにやら棒状の物を取り出した。
「それは?」
「マンホール開けるヤツ」
そう言ってリュウは近くにあったマンホールを開けるよう、フランツにそれを手渡した。もちろん、女性であるリュウに開けさせる手間よりも、一秒が惜しいのだからフランツが一気に開けてしまった方が良いので受け取るとすぐに蓋を開けたのだが……
「隠れるわよ」
「……」
どうにもコレはブラフらしいが、それだと逃げた方が……
仕方ないので言われた通り、近くの暗がりへ身を寄せる。通路を挟んで向かい側にはリュウが同じように屈んで身を潜めていた。
予想通り、数分後男二人が現れた。もちろん、それがブラフだと言うことは一瞬で気が付いたのだろう。一人はそのまま奥へ進んでいき、もう一人は小型ライトで開け放たれた穴を確認している。確認事項は恐らく綺麗になっている部分を探すことだろう。ゴミが散乱していて綺麗とは言えない場所にあるマンホールである。降りる際、服の端でもどこかに擦れていれば結果的にマンホール付近を掃除した事になる。その痕跡を探しているのだろう。
もちろん、誰も降りていないのだから綺麗になっているはずが――
「てい」
「っ――」
屈んで中を確認していた男が、突然尻を蹴られて穴に落下した。
もちろん、フランツはそれを眺めていただけで一切手を下し――足蹴にはしていない。
男が落ちて中に敷設された鉄のはしごや、コンクリートの壁面に当たって汚い穴を掃除して落ちていった。痕跡を探す為に屈んだのに、結局痕跡になってしまった男が哀れで仕方ない。
「この穴、なんなんだ」
「下水よ、下水。汚水って書いてあるでしょう」
そう言いながらフランツに蓋を閉めるように、指さして命令するリュウ。確かに、マンホールの蓋にはフランツが読めない漢字で「汚水」とデザイン中に明記されており、ご丁寧にもフランツの読める「おすい」とひらがなでも併記されていた。これできっとフランツは「汚水」を忘れないだろう。勉強になった。
落ちた男は恐らく外部に連絡できないだろう。当然下水道には水があって精密機器はダメになっているだろうし、携帯電話などの電波が届いている可能性も低い。
これからどういうルートで会社まで向かうのかと話を始めようとしたが、リュウは先ほど来た道を戻り始めた。
「どこに行くんだ。説明してくれ」
「会社よ、会社」
そして元の通りには戻らず、先ほどと似たようなビルの間で、同じように冷房の室外機裏を漁り始める。まさかとフランツは思ったものの――
「はい、よろしく」
手渡されたのはまた、マンホールオープナー。だが、先ほどとは違い、今度開けた蓋には「おすい」とは書かれていなかった。開けて暗がりだったのは同じだが、先ほどのようなゴミ溜めの様な臭いはしない。
「ここは地下の電気関連敷設通路。インターネットのケーブルとか走ってるの。けどわたしが使いたいのはもう一つ下」
「下?」
とりあえずその穴を二人降り、入ってきた穴を閉じる。深くはなく、三メートルほど降りた先にケーブルが通る通路があった。しかしリュウはその通路をどこ行くでもなく携帯端末で明かりを付けながら、降りてきた穴近くのケーブル下を漁り始める。なんとなく、嫌な予感がする……
「はい、頑張って」
「……」
今度は先ほどの棒きれのようなオープナーではなく、両手で使える取っ手が付いたオープナーを渡された。ものすごく、嫌な予感がする。
無駄に豪華な重たいオープナーを持って十数メートル歩かされた。ただ持って歩くだけなら良いのだが、ケーブルを優先的に敷設している為に狭いのである。先に使った小さなオープナー程度であれば問題なかったのだが、何故か両手で掴む為の取っ手が付けられるほど大きいので、ケーブルに引っかかる。もちろん全てのケーブルがこの辺りのライフラインとして機能しているのは事実で、一本でも引き千切れば大事件になる。
歩くこと以外にも気を遣っているフランツを殆ど無視してリュウはずかずか進んでいってしまった。頑張ってというのはこういう事か。
リュウの持っていた明かりが止まっていた。後ろからゆっくりと追い掛けていたフランツが追いついたのは微妙に通路よりは広い空間だった。そこでリュウはなにやら壁と格闘していた。冗談抜きで。
「むぅ~」
「……ぷっ」
平手でコンクリートの壁をぺちぺちと叩いている。行動を見ていれば何か稼動する仕掛けがあるらしいが、右の頬を膨らませながら壁を叩く少女の様を見ると笑いがこみ上げて来た。もちろん、狭い通路で回避できない事を良いことに、すねを蹴られたが。
幾度かリュウが壁を叩くと一度押し込まれた状態になり、それを反動にして手前にせり出してきた。壁が外れた。
外れた壁の向こう側には更に小さな空間があり、足下には予想通り蓋があった。
それをこじ開けるのはフランツの仕事である。絶対に。
約五十キログラムの鉄の蓋を日に三回も開けさせられたのである。先の二回は軽く持ち上げて動かすだけで良かったが、今回は蓋を開かなければならない。一方に蝶番が付いていて蓋をそちらへ持ち上げなければならなかった。別に五十キログラム程度持ち上げる事は容易なのだが……
「――っ」
「……」
リュウが無言のまま半眼でフランツの脇腹を指でつつくのだ。曰く。
「笑いたいんでしょう? 笑えばいいじゃない」
完全に恨まれた、根に持っている。ちょっと年相応に可愛らしい事をしていると思っていたら、次にはこれである。さっきすねを蹴っただけではリュウの腹の虫が治まらなかったらしく、フランツが無抵抗である事を良いことにこれなのだ、既にある種の拷問に近い。
こんな事をしているが追っ手から逃げている最中だ、流石に冗談で捕まってやる訳にはいかないので、とっとと開けて逃げ切りたい……
「ぷっぷ~」
「ここは?」
あの壁を叩く特殊な壁を内側から戻し、開いた穴から更に降下した。もちろん、その穴も降りる際に閉じた。これで開けたままにしておくような下手を打つようならとっくに死んでいるだろう。
リュウの後に備え付けられたはしごを下り、床に辿り着いた。
先ほどの電気ケーブルの敷設トンネルと違い、明かりが付いていた。誰か居るのではないか……
「詳細は教えられないけど。まあ、うちのスポンサーさんが作ってくれた通路ね」
「スポンサー?」
「そ、スポンサー」
それそのものを直接語ることはないが、恐らくこの国の自衛軍だろう。軍用秘匿回線を個人に持たせ、実際に運用しているのだからすぐに思い当たる。これくらいの勘ぐりは誰でも出来るにも関わらず、仲間内で秘匿するのは『そういう事実は存在しない』事になっているからだろう。
仲間内で情報量に違いがあり、信頼感を築けないというのは単なる失敗時の言い訳であって、外部の人間が言う場合はこの職業を知らないだけだ。
「このトンネルはうちの会社にも繋がっているから、このまま行きましょう。こっち」
二人並んで歩いても広く、余裕がある。余裕どころか、車がすれ違って走れるくらいには広く、高さも申し分ない。有事の際に用いられるのだろうが、女子学生が知っていて良い『場所』ではない事にフランツは言い知れぬ違和感と恐怖感を覚えた。
あの会社がどういう会社かはおおよそ見当が付いた。
ただ、このリュウと言う少女がどういう人間なのか、ワカラナイ。