007
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(株)三上人材派遣会社 広報担当:左松直老「この前書きおよび本文はフィクションです。実在の人物、団体、国家とは一切関係有りません」
「未成年がタバコ吸っちゃあいかんだろう」
そう言いながら、黒いスーツを着たオールバックのおっさんが火の付いたタバコを素手で俺の口元から奪い取った。熱いだろうに、平然と素手で火をもみ消して自販機横のゴミ箱へ放り投げた。
当たり前だが呆気にとられる。なんせあの火は熱い。火傷するくらいには熱いはずだ。
それを素手で掴んで消したのだから、驚くのは無理もない。
「ほら、箱出せ。箱」
ガタイの良いおっさんが分厚い手を差し出してタバコを箱ごと要求する。酷いカツアゲだ。未成年だと解っていて偉そうにそんな事言いやがったんだから。
「るっせぇよ。関係ないだろ」
「んだよ、おっさん。ああ?」
普通、五人もそんなヤツらが居ればおっさんは逃げていくのだが、このおっさんは違った。
「俺はうるせえよ。ああ、黙らねぇよ。黙って欲しいならさっさと全員、タバコ出せ」
「ああっ? てめぇが出せよ。金もってんだ――」
目の前で人が飛んだ。びっくりしすぎて時間が遅い。もの凄い体勢で仲間の一人が自販機くらいの高さまでふっとんだ。他の三人全員が唖然として、俺もバカみたいに口を開けて見ていた。それは酷い一本背負いだった。
一時の記憶がない。
気付いた時にはもう一人おっさんが居て、俺達を放り投げたおっさんを叱っていた。
タバコを素手で消したおっさんが、もう一人に怒られている。
『やり過ぎだ』『責任を取らなければ』『保護者に』断片的だが、聞こえてくる。自販機の横に、座った姿勢の人形のように俺達五人は壁にもたれていた。背中と腰が痛い、あと左の肘も。ずっとここに座っていたのか、寒くてしかたなかった。
アスファルトに打ち付けられてよくもまあ大きな怪我もなかったものだと今なら思う。
まあ、派手に見えはするがあの人の投げ方は実際それほど体にダメージを与えなかったと言うのが正解か。
辺りを見回せばゴミ箱が倒れて中のゴミが散乱していた。たぶん、アレに向かって投げられたんだろう。
ケンカをしたって何が変るわけでもないが、それしか出来なかった自分達が、それも出来ないまま呆気なく座り込まされた。座るしかない。腰が痛くて立とうにも立てない。
やり返そうっていう気力も良いように削がれてしまっていて、他の四人も、俺達全員が『あのおっさんには早くどっかに行って貰いたい』と心底願うくらい酷いモンだった。
けれど、その期待には応えてくれず、俺達が気がついた事を確認しておっさん二人がこちらにやってきた。
「悪いなボウズ。このガキがヤンチャでこっちも困っているんだが、お前達のやった事は一応犯罪だ。金出せって言ったんだからな」
「……」
言い返す気力なんて無い。そして何より――
「解ってると思うが、俺たちゃこういうもんだ」
やっぱり。黒い革の手帳が出てきた。
「けどな、いきがったガキのお守りなんてしたくはないんだよ。課が違うからな。ほとんど『無かった事』にしてやるが、タバコだけ没収な」
そう言って俺達を投げたおっさんを叱り付けていたもう一人のおっさんが俺達からタバコを取り上げ、あの俺達を投げたオールバックのおっさんにタバコを渡した。
「お前が持ってろ。ショー」
「はい……」
頭が上がらないのか、センパイに怒られた様な感じだった。
その後、オールバックのおっさんはタバコを六つ持って俺達の前に来た。
「お前らいくつだ」
「あ?」
未成年だと解っていてタバコを獲った割に、歳を聞いてきた。
「じゅうはち」
「全員同い年か?」
「三月卒業だよ」
「二年したらこの自販機んとこ来い。返してやるよ」
バカバカしい。そんなもんいつでも買えるし、返して貰わなくてもタバコになんて執着しない。返すだなんて事を真に受けるヤツだって居るわけがない。
「お前らに吸うなって言うんだ。俺も吸わねぇよ」
そう言ってオールバックのおっさんは俺に年季の入ったオイルライターを寄越した。
「……あんた、バカだろ」
「俺がタバコ返すんだ、お前はそれ返せ。いいな?」
「……」
ふざけんなよ、暴力警察官が。
「バカじゃね……」
赤銅色のオイルライターを右手に握って、二年前のあの時と同じくらいの時間に、あの自販機が有ったところに来ていた。まあ、二年もしたら自販機は無くなっていたし、二、三件有った建物が壊されて新しいビルが建っていた。
何月の何日かなんて覚えていない。
糞蒸し暑かった日が終わって、冷たい風が吹く日の方が多いくらいの季節のはずだった。
たぶん午前一時、それくらいにここに――
「おい、何で居るんだよ」
「……あ?」
それはこっちの台詞だ。あのオールバックには見覚えがある。デカいビルの照明のおかげで、あの特徴的な髪型がギンギラにテカっていて正直笑いそうになった。
黒いスーツにオールバックの出で立ちなのに、なぜかスーパーでよく見かける半透明のナイロン袋にタバコを六箱入れて手に提げていた。
「あんた、マジで持ってたのか」
「お前こそ本当に来たのか」
じゃあ、あんな事言うんじゃねぇよと言ってやりたかったが、それは来たヤツが言える台詞じゃないのか。
「だ、だってこのライター高いやつだろ」
「……人に金要求したヤツがライター一つで何言ってんだよ」
このおっさん、記憶の中だと警察官のはずだけど、パクられる事前提で俺に寄越したのか……いや、そもそもあの時、金を要求したのは俺じゃない。
「あんた、わけわかんねぇよ」
「お前が俺に言うか?」
そんな身も蓋もない事を……
「……礼が言いたかったんだよ」
「は、なんで?」
オールバックのおっさんが、深夜一時半透明の袋にタバコを入れてキョトンとした顔で尋ねてきた。面白すぎる、このおっさん。
「俺、今工場で働いてるんだよ。小さい街工場。そこで金型作ってる」
「だから?」
「あの時、決まってたんだよ。そこに就職するって」
「へぇ」
聞く気があるのか、冷やかしたいのか、そんな無関心な返事をされて少しこのおっさんに対する有り難みが失せた……
「あのときの事を事件にされてたら俺、内定取り消されてたんだ」
「そりゃあ、そうだろ」
昼の対談番組くらい薄っぺらい相槌をかましてくるが、なんとなく馴れてきた。
「だから、その…… ありがとうって――」
「はぁ? そんな事の為に来たのか? タバコは?」
「い、いらねぇよ。そんなもん今更」
「……えぇ、じゃあ何で俺、タバコ机に入れっぱなしにしてたんだよ」
それは俺の知った事じゃあ無いよ……
「俺、あれ以来吸ってないし。捨てて良いよ」
「どうして?」
あんたのせいだよ。投げられたあの後、ずっと背中が痛いままで、呼吸する度に痛かった。もしかしてと思って病院に行ったら一本、肋骨にヒビが入っていた。とてもじゃないが呼吸する度に痛いのに、タバコを吸う余裕はない。中途半端なひびの入り方で、治るまで三ヶ月を要した。その間一切吸わなかったら、そもそもタバコを吸おうという気が無くなった。
それだけの話。
「とにかく、吸うのは止めたんだ。これ、返すよ」
赤銅色のオイルライターを投げて返す。
「ほいっ」
「はっ?」
それをまた、おっさんが俺に投げ返してきた。
「俺は、元々タバコは吸わないんだよ」
「じゃあ、何でこれ持ってたんだよ」
「貰ったんだよ、人に。卒業祝いだ、もらっとけ」
「二年も前だよ」
「じゃあ、就職祝いだ」
「それも二年前だっ!」
「ごちゃごちゃうるさいガキだなぁ」
自分だって大事にタバコなんて保管していたくせに、細かいのはおっさんの方が圧倒的だろうが。
「それにな、お前に礼を言われる筋合いはない」
「なんで」
「市民の『安全と安心』を守るのは、警察官の責務だ」
がははと笑いながらナイロンの袋を手に提げたまま、街の闇に去っていくおっさん。
やっと解った。タバコを返して貰いたい訳じゃなかったけど、ライターを返したい訳でも無かった。俺は、このおっさんに会いたかったんだと。
それから少し時間が経って、あのおっさんに会った。
あのときは二週間くらい、あの場所に毎日来ていたらしい。結局おっさんも正確な日時を覚えていなくて、それくらいの季節に居ただけだった。
「テキトウだ―― ですね」
「るっせぇよ、ガキが」
「巡査ですよ」
「ああ、そうですね。黒木秀司巡査どのっ」
やっぱり、オイルライターはくれるらしい。祝いだそうで。