四頭目、依頼
黒い羽が蠢いている。それは黒く、ダンジョンの外から微かに入る光を反射した羽は、黒く光っている。
大きさは四十センチ程度。見た目はオオゴキブリ。
こっちの世界、SEでは、それの名前GCらしい。
GCは、緑色の醜悪な顔面を持った、人間よりも小さな小人……ゴブリンへと噛みついていた。
元のオオゴキブリでは所詮数ミリ程度だった口も、五倍程度の大きさになり、グロテスクさを増している。
「かっけぇぇぇぇぇぇぇ!!!」
それを見て出てきたのは賞賛。醜悪な見た目のゴブリンへ、見た目ゴキブリ(大きさ十倍)が噛みついているのだから、どこに格好良さがあるのかが甚だ疑問だが、その少女……エレンは格好良さを見いだしているようだった。
「おまえの感性にはついていけない……なんであれにかっこうよさを見いだせるんだよ」
アルが言う。その右手には短剣が握られているが、接近しようにも自分が召喚したGCが居て、気持ち悪いので近づくことができない。
ゴブリンが、自分に噛みつくGCへと反撃に転じた。
ゴブリンは右手に握っているナイフをGCの腹部へと突き刺す。
GCはオオゴキブリを模して作られた生だ。背中側に有る甲殻は堅く、多くの攻撃を弾くことが出来る。
だが……腹部は?
もちろん足の部分などは甲殻に匹敵するほど堅い。だが、普通の腹部なら、簡単に貫かれるだろう。
「退け!!!!!!!」
アルの命令が、狭く、じめじめとしていて、薄暗いダンジョン内に響いた。壁は音を反射している。
その声がGCに届いた瞬間、GCは背中にある羽をはためかせた。
ゴブリンが斬りつけようとしたナイフは……後一歩で、届かない。
そのままGCは空の上方へと回避。遠距離の攻撃手段を持っていないため、攻撃は出来なくなった。
だがそこに、エレンが突っ込む。
大槍初級アビリティ、【突撃】。
初期状態で覚えるそのアビリティ、成し遂げるための技術は、単純だった。
速く。疾風く(はやく)。
大槍は、リーチを稼げ、白兵戦では最強と言われる。だが、課題として残っているのが機動力だ。
だが、【突進】は、単純な直線の速さなら、アビリティの中でも速い方だ。
それを使い、ゴブリンとの距離を、エレンは一瞬で詰めた。それはゴブリンが着けていた、革鎧が破けた……腹部を刺した。
「ぐがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
ゴブリンが断末魔の悲鳴をあげる。それと同時に、ゴブリンはドット調のモザイクをかけたみたいな体へと変化。そして、その一つ一つのモザイクが一瞬で空中へと飛散した。
ポトンッ。
一つのアイテムが落ちた。それはよく見ると、ナイフと書かれていた。
「後、七匹か……」
冷静にアルがつぶやく。
「あんたも少しは仕事しなさいよ……というかまたナイフか……一個くらいゴブリンの証がでないものかね」
ゴブリンが落としたドロップアイテム、ナイフを拾いながら、エレンが言った。
「ちゃんとGCを出して働いているだろう? 俺は短剣での攻撃程度しか出来ないからな。あと、レアアイテムがそんな簡単に出たらバランス崩壊だ」
「まぁ、そうね。短剣じゃ、ゴブリンを倒すのにも三発位要るわね」
「あぁ、短剣のアビリティはそこまで強くないからな。投剣を使うと武器がなくなるし」
「まぁ、私とGC様だけで何とか倒せるから、ゆっくりしてていいと思うわよ? MP回復してくれないと、GCがでてこれないし」
「あぁ、すまんな」
彼らは、ゴブリンの討伐任務についているのであった……
◆◆◆◆
朝。光がカーテンの隙間から射し込んでいる。
「朝か……」
日光を感じながら朝を起きたのは何時ぶりだろうか、と、たわいもないことをアルは考えた。
多分ヒモが出来なくなって以来だな。
ヒモの頃はまだ休日は早起きだった。終わってから昨日まではお昼起きだ。
「ふぅぅぅ……」
隣のベッドでは、エレンが手を上に伸ばしながら、瞼を押し開けていた。
「おはよ。今日も可愛いね」
思わずヒモ時代の習性が出て、一緒に起きた異性にキザな台詞を言ってしまう。
「セクハラ?」
それを聞いて一瞬で瞼を開け、覚醒したエレン。
「いやいや、余りに可愛くて、つい、ね」
「ついじゃねーよ。セクハラで訴えるぞ」
「こっちには警察なんて愛をじゃまする無駄な機関はないよ? さぁ、一緒に愛の逃避行を……」
「余りにふざけてると……投げるぞ?」
流石に体術スキル持ちに喧嘩を売るほど馬鹿ではないのか、アルは言葉を黙らせる。
それをみながらエレンはいい気になって、
「着替えるから覗くなよー」
と、言った。
今なら昨日のように着替えの音を聞けるように、ぎりぎりまで接近されることはないだろう。
その謎の安心感を持ちながら、エレンは着替えに行った。
「まぁ、流石に覗くほど節操無しじゃないさ」
そう、軽口を叩きながら、のんびりとアルはベッドに寝ころんだ。
◆◆◆◆
「やっぱ、あそこの飯はうまいなー」
道で、アルは思わず呟いた。
「高級な宿屋に泊まっただけあったわねー。おかげで財布はかなり薄くなったけど」
「別に一人二百五十Gだろう? 大した出費じゃあるまい。ゴブリン十匹倒す依頼で千G稼げるらしいし」
「まぁ、それもそうね……っと」
エレンは足を止めた。目的地に着いたのだ。
「おっとっ」
先行していたアルも、エレンが居る位置に戻った。
そこには、木造の建築物があった。三角の屋根。丸い扉。立て掛けられた表札。
「冒険者ギルド……か」
それをみて、思わずアルは言った。
「まぁ、早く入らない? 時間は無限じゃないんだし」
エレンはアルを急かす。
「といっても、あの声の主が言うには、不老で不死なんだろう? 急くこともあるまい」
「わくわくするじゃない! あの、ファンタジー小説とかでよく見た、冒険者ギルドよ!」
確かに胸の高鳴りは、アルも感じていた。ニートによって得た豊富な時間。それはもちろん数多くのファンタジー小説にも向けられていた。
「そうだな。入るか」
アルはエレンに同意して、その丸い扉を開けた。
◆◆◆◆
多くの人が居る。
アルがギルドに入って最初に得た感想はそれだった。
現状に気づいている、元の世界でファンタジー的なことを少しでも知っていた人間がたどり着く場所。
それがアルの感想だった。
誰の目もわくわくとしていて、希望を感じ取れた。
このはじめの街のギルドから少しずつ成り上がり、一人の勇者となって、約八千万人もの人間を元の世界に返す。
そんな希望に溢れていた。
だが、アルには勇者願望が余り無く、ただ、現状を満足がいく生活にしたいだけだった。正直このSEで強くなっても、半分ニートの生活で、時々依頼を受けて暮らせばいいか程度に思っている。
微妙に無欲なのであった。
「こんにちは、血を垂らす【雰囲気重視コース】と、簡易的なやりとりで終わる、【簡易式コース】どちらでギルド登録をやられますか?」
美女といっても差し支えがない程度の要望を持つ受付が、アルとエレンに話しかけた。
もっとも、美女といっても、平均よりは上だけど、絶賛してほめる程度ではないというレベルで美女だった。
この世界の若い二十代くらいのNPCは、大概がそんな感じで、美女か美女じゃないかと言われれば、まぁ、美女だけど、絶世の美女かと聞かれれば、NOと答える。そんな容姿だった。
ちなみにおばちゃんみたいなキャラクターは、どっからどうみてもおばちゃんというような感想しか出せないほどの、おばちゃんだった。
多分絶世の美女とか、そういう容姿的な設定がつくような重要なNPCではない限り、平均より上程度の容姿なのだろう。
勝手にアルは納得した。
「どうする?」
何かを羨望するような目で、こちらを上目遣いに見上げてきたのは……エレンだ。
軽くキャラ変わってねーかなーと、アルは心の中で毒づいた。
まぁ、ファンタジーに少しでも触れていた人間なら、この世界は嬉しいのだろう。アルだって楽しんでいる。
「かんい……」
だが、面倒なので簡易式と選ぼうとした。
俺は選ぼうとしたんだ。
空気が変わった。
エレンは、一瞬で冷たい空気を放ち始めた。それを左側の肌全部で感じて、アルは戦慄した。
この殺気……やばい!
多分、このまま簡易式を選んだら、パーティー解消されるだろう。そう思わせるだけのさっきだった。
「雰囲気重視でお願いします」
そう言わざるを得なかったのだ。
◆◆◆◆
「はい、ではこのナイフでこちらの紙に血を垂らしてください」
ギルドの受付が、アルとエレンに指示をした。
エレンは、とても嬉しそうな顔で、爛々と輝いた瞳で、ナイフを右手の指に刺した。
そのままポトリ……と、羊皮紙の上に、血が一滴落ちた。
ちなみにこの世界にはふつうの紙がある。宿屋で確認済みだ。しかもかなりやすいらしい。
アルも仕方なくナイフを右手の人差し指に刺し、血を垂らした。
「はい。これでこのデバイスと、そちらのデバイスを交信するので、少しお待ちくださいね」
この世界の文化レベルが意味不明だ。というより、多分これは俺や、エレン等の転生者用に作られた世界なのだろう。文化水準や、意味もないギルドの二択から、アルはそう仮説を立てた。
「はい。これで完了です。そちらのデバイスにギルド用のデータを送信しました。後で必ず規則等を確認してくださいね」
「はい、わかりました!」
なんで、こんな嬉しそうなんだろうなぁと、アルは心の中でため息をついた。
「では、登録記念として、武器を一つプレゼントしておきました。エレンさんは、大槍を、アルさんは、短剣です」
「ありがとうございます」
「では、今から何かクエストをお受けしますか? クエストはデバイスで確認可能となっております。雰囲気を楽しみたい方は、しっかりとボードに、羊皮紙で、ナイフでくくりつけてありますので、そちらでご確認ください」
なんでここまで雰囲気にこだわるのだろうな、と、アルは一人苦笑した。そして、デバイスの依頼を見ようと思ったのだが……
左からくる視線が怖い。
「依頼……見に行くか?」
そうアルが聞くと、睨むような目を満面の笑みに変えて、
「うん!」
と、エレンは頷いた。
こいつはどこまでこっちを楽しむんだよと、アルは少し呆れた。
◆◆◆◆
「う~ん、う~ん……」
「もうゴブリン十匹でいいだろう……」
エレンはボードの前で延々と声を唸らせながら悩んでいた。アルはそれを見て呆れ気味にゴブリンの討伐でいいだろと促している。
「だって、だってさぁ! リザードマンだよ!!!! あのヌメヌメした鱗と、手に持っている槍と盾の対比がとても格好いい、あのリザードマンだよ!!!!」
なぜこいつはリザードマンでここまで興奮できるのだろうかと、アルは疑問に思うが、それは個人の趣味趣向なので、口に出すことはしない。
「リザードマンはギルドランクE以上推奨だろう……まだSEにきてから一日も経っていない俺らが受けるには難しすぎる。始めは初級のゴブリンで十分だろう。ファンタジーで最初の敵は、ゴブリンと決まっているだろう? 古今東西いろいろなファンタジー転移小説があるが、半分くらいは序盤でゴブリンと戦っていただろう? おまえはその美しき伝統を汚すのか?」
因みに、エレンは二十分以上も悩んでいる。その間にアルは、ギルドの規約やらなにやらをとうに読み終わり、早く行きたい心の中を押さえつけながら、何とかエレンを説得しているのである。
だが、簡単にいっても聞きそうがない。なら、エレンが無駄に大事にしている様式美のようなものにつけ込むのはどうだろうかと、思ったわけである。
それを聞いたエレンは、すこしゴブリンに心が傾いたように、ゴブリンの方の依頼を見始めた。
「よし、わかった! ゴブリンにしよう!」
そうエレンは決意して、ナイフが刺さっていることも気にせずに、依頼をバリバリとはがした。これも様式美なのだろうかと、アルは疑問に思ったが、口を出しても仕方がない。とりあえず黙っていた。
「はい。ゴブリン十匹の討伐ですね。ゴブリンはこの街の北西にある、洞窟のようなダンジョンに生息しております。では、依頼の成功を祈っております」
そういうと、受付の彼女は自分のデバイスを操作した。
こちらのデバイスのギルドの画面に、依頼を受けていますというような表示が出た。
そして、アルとエレンの二人の依頼が始まったのである。