一頭目、転移
カタカタカタカタカタカタカタ……………………
薄暗い部屋。そこに延々と響いているのはパソコンのキーボードを押す音だった。
窓のカーテンは、完全に閉められており、ドアには鍵もかかっている。その完全に閉じられた部屋の中に、光源はあまりない。
パソコンの画面からと、携帯などの電子機器から漏れ出す微かな光。その部屋にあった光など、その程度のものだった。
その、薄暗く閉じきられた部屋の中で、男……霧島雅俊は、延々と、パソコンに向かい合っていた。齢は二十四歳。同い年の常人なら、社会人になった疲れを持ちながら、今後の自分の栄光へ向け、全力で会社での業務という努力しているところだろう。仕事熱心な人なら、新たな資格を得るため、努力しているかもしれない。
だが、雅俊は、自宅のパソコンに向かい合っていた。
外をみると、せいぜい歩いているのは、手袋をしている人が少し現れている小学生や、黒い学ランを着て、部活が無いのか、意気揚々と帰宅している中学生くらいなもので、社会人の姿は全く見あたらない。
「疲れたな……」
誰もいない部屋の中で、雅俊は一人つぶやいた。パソコンの画面の右下に表示されていた時刻を、軽く見た。時間はまだ三時半を過ぎたところで、そんな時刻に家にいることがおかしい。だが、雅俊はそんなことをなにも考えずに、また電脳世界の中に、意識を落とし、掲示板で徒然と、人を煽ったり、自演をしたりしていた。
要するに高等遊民……現代の貴族、自宅警備員、様々な言い方はあると思うが、有り体に言えば、ニート。働かず、教育も受けず、職業訓練も受けていない人間である。ただ、女性の場合は家事手伝いという便利な逃げ道がある。そして、雅俊は、自分たちは蔑称で言われるのに、便利な逃げ道を使った家事手伝いには明確な敵意を持っていた。
まぁ、家からでないのだから、所詮電脳世界上の敵意でしかなく、明確な意味を持っている訳ではないのだが。だが、敵意を持っていようが持って無かろうが、所詮ニートであり、引きこもりである。現実社会に発する影響など肉親を通した微妙な経済の動き程度のものだろう。
だが、
異変が起こった。
光る。光る。
雅俊は驚いた。何故なら、パソコンが尋常ではない光を発したからだ。
光を発していたのは、パソコンだけではなく、三ヶ月前にヒモにしていた彼女と別れたときから全く使っていない携帯電話も光ったし、深夜アニメを見ることにしか使われていない地上デジタルのテレビも光った。
薄暗い部屋は突如として光に包まれたのだ。
雅俊が知る由もないが、このとき、外も光った。
学ランを来た中学生が持っていた携帯電話も光ったし、雅俊の母が見ていた、ニート特集のテレビからも光った。雅俊と昔つきあっていた彼女の音楽プレイヤーからも光った。
要するに、日本全国の全国的にネットワーク、まぁ、ほぼすべての電子機器と言ってもいい。Wi-Fiにつないだことがあるすべての携帯ゲーム機からも光っていたし、電線につながっているものは大概が光った。光らなかった電子機器は、電池で動く程度のものだろう。
まぁ、簡潔に結論から言うと、その光の周りにいた人間は、消えた。
雅俊もほかの例に漏れることはなく、現世から姿を消していた。
◆◆◆◆
砂埃が舞い上がる。口の中に少し入ったかなと思いながら、雅俊は目を覚ました。
体が軽い。
瞬間的にそう思った。それもそのはずだ。三ヶ月前にヒモ生活を辞めてから段々と太っていった腹が縮んでいる。しかも、ニート生活で落ちた筋肉まで増えている。そして、ニートを初めてからなっていた猫背も直っていた。
周りを見渡す。
たくさんの人がいる。全員が高校にでも通っていそうな年だ。
自分の腕をみると、とても若々しく、数刻前の名残など、少ししか残っていなかった。
周りを見渡す。黒髪、茶髪。ここまでは普通だ。だが、こんなにも赤髪や、金髪、緑髪に青髪。様々な色の髪の毛が見えた。自分のを一本抜いてみると、先ほどまであった黒髪の名残はなにも見あたらず、赤い髪の毛が抜けた。
人間が変だ。
雅俊はそう思った。だが、人間以外も変だった。
人間がたっている場所は、コンクリートの欠片も見あたらず、なにも舗装されていなかった。道と呼んでいいのかわからない程度の曖昧な直線の両脇に建っている建造物は、現世の名残など何もなく、中世的なイメージをもてるものだった。
そして、なぜか開けた自分の周りの場所。とても大きかった。ざっと見渡しても千人以上の高校生程度の年齢の人間がいた。偶然にも雅俊が立っていたのは道路の近くだったので、道路をみることができたが、もう少し真ん中だと、人の群により道路をみることは叶わなかっただろう。
『あー、あー、ただいまマイクのテストちゅー』
唐突に声が響いた。いや、ざわめきは、声が響く前からあった、だが、不自然に拡張された声だった。
こんなにはっきりと母以外の声を聞いたのはいつぶりだろうかと思いながらも、動画サイトで、声くらいは聞いたなと、思い返した。
『みなさーん。こんにちわー。このゲーム? というか場所っすね。場所だね。うん。それを発見して、こんなゲームを企画しちゃった人達の一人、まぁ、GM一号とでも、呼んでくれよー』
ざわめきが大きくなった。怒声も聞こえる。
「ふざけんな!」「ここはどこだ!」「仕事があるんだ!」
確かな意志を持った声があちらこちらから聞こえ始める。
『あー、あー、どこも騒ぎ始めちゃって、静かにしないと説明を聞けないよぉー? 説明次第では戻れるかもしれないんだよぉ~?』
男の声はさらに響く。そして、ざわめきは少し小さくなった。
『まぁ? マイクっぽいのを使えるのは俺だけってわけだから、まず聞こえると思うけどねー』
何が起こるんだ。そんな焦燥に駆られた。
『まぁ、元の場所に戻せって奴はいるでしょ、でもざんねーん。まだもどれませーん。ざんねんでしたー。まぁ、永遠に戻れないわけじゃないんだ。許してくれよぉ?』
戻れないのか。パソコンと、三ヶ月前までたかっていた彼女に、母親の顔を少しだけ思い出した。
不思議とそれ以外の後悔はなかった。というか、後悔するものがなかった。何も残していない。せいぜい厨二病の黒歴史が残っているくらいか。
周りの人は、それを聞いて納めていた怒声を張り上げたが、永遠ではないと聞くと、また少し収まった。
『まぁ、戻り方を知りたいよね? 優しい俺はおしえちゃうよぉっっと!』
一瞬で静寂。それほど聞きたいのかと、雅俊は思った。不思議と雅俊に未練はあまりなかった。家で、パソコンの前で無為に一日を過ごすことに、いらだっていたのかもしれない。
『まぁ、この世界、まぁ、俺たちはsecondearthって言っているんだけどね、まぁ、いいや、このsecond earth略してSEかな? システムエンジニアと同じ略だねっ、そんなことはどーでもいいや。まぁ、このSE? で、じゃねーや、の、どっかにいるラスボスを、こっちにきた日本にいる人、だいたい八千万人くらいかな? 小学生以下はこさせてないしね。やさしー。俺。。まぁ、小学生以下と、偶然にも、サングラスとかで光を浴びなかった人とか、山にこもってた人とか以外はだいたいこっちにきているんだ。で、その約八千万人を47×20の940ヶ所で割って、大体8000人くらいが一つの街にいるのかな? まぁ、そいつらの誰かが倒しゃーいいんだ』
こっちが理解する間も与えず、男は延々と、語っていく。
『まぁ、俺が話すことなんて大体メニューの中の説明書に載っている程度のもんなのさー。忘れりゃー、見りゃーいいよ。要するにさ、おまえ等はこっちのSEに閉じこめられたんだ。そして、元の世界に戻りたきゃー、こっちのラスボスを倒せってこと。はい、目的の解説しゅーりょー』
ゲーム。いや、汎用的なRPGみたいだなと、雅俊は思った。周りを見渡すと、納得したようなものと意味が分からず困惑している人間の二種類に分かれていた。
『次ー、どこから解説するかね。まぁ、どこでもいっか? おまえ等ー、デバイスって唱えてみるさー。大丈夫さ、死にゃーしないよー』
「デバイス」「デバイス」「デバイス」「デバイス」………………
デバイスという音が反芻した。雅俊もそれに加わる。
そうすると、なにやら汎用的なRPGの初期設定画面みたいなものを移したスマートフォンみたいなものがでてきた。
『名前決めろよー。こっちで一生使う名前だから、大切に決めてくれよー』
延々と指示されているのは癪だが、【名前を入力してください】と、でている画面に、いつも使っている『アル』という名前を入力した。
『こっちの世界での名前はそれねー? 元の世界の名前も使っていいけど、大体の場所がこれを使うよー。君たちがお世話になるだろう冒険者ギルドとかもねー。元の世界の名前は使わなくても何とかなるよー』
デバイスの画面にアルは目を落とした。そこには、様々なステータスが表示されていた。
ジョブスキル、盗賊
サブスキル、召喚師
、探索者
そこには、スキルがあった。それと赤髪の普通より少し上くらいの顔面偏差値の男。昔のアルにとても似ていた。瓜二つだ。
『そこに表示されてんのが、スキルねー。のばすとできることが増えるよー。ジョブスキルはサブスキルがたくさんあるよー。やったねー。と、まぁ、ここらでお時間が来たようだー』
何の時間だろうか? アル始めほとんどの人間が疑問に思った。
『まぁ、デバイスをいじりゃー、説明書、取説だねっ、この世界の。が、出てくると思うわけだから、それでも見て、がんばってラスボスでも倒してねー』
いきなり説明を切る声の主に、広場に集まった人々は、憤慨したようだった。罵る声が聞こえた。アルはそれに参加せず、黙していた。
『まぁ、これが俺から君たちに伝える最後のルールだぁっ! こっちの世界では、君たちは……
不老不死で、思春期真っ盛りの十六歳だよぉっ! じゃ、がんばってねぇ~』
ブチッ
何か回線のようなものが切れる音が聞こえた。
それっきり男の声が聞こえることはなく、広場には静寂が少しの間広がった。