一人での戦い
ルインは崩壊したクロノスの街をふらふら歩いていた。
ルインの内に強い迷いが生じている。
過去から抱いていた想い。
桜沢綾香の無念を、同族の者たちに受け入れられなかったことで。
「今の桜沢一族の者は勝利も再興も望んではいなかった。綾香のために戦おうにも、私は彼の一族と決別してしまった。私はなんのために生きていけばいいの?」
歩きながらルインは涙を流す。
「クロノスは聖帝を手にした。それも儀式を済ませてさえいない状態の聖帝を。権利や支配を聖帝の血で防げても、本体の聖帝には適わない。これも最初から有紗の目論見の通りなのでしょうね」
なんとか、ルインは一人宮殿前に辿り着く。
「エージとともに二人だけでクロノスへ来なかったのが悔やまれるわ。それでも、私が先にタルワールさえ殺せば……」
瞬時にルインの発するオーラが酷く歪んだものに変わる。
しかし、普段とは様子が大きく異なる。
強力であるのは疑いようがないが、本質的な強さがそこにはない。
能力値だけで言うなら、実力の半分も出せていない。
「私は絶対に勝たなくてはならない……」
強い意志から発せられた言葉の後、ルインは宮殿の外にいた者たちを見据える。
「ルインさん。ようこそ、クロノスへ」
宮殿の外に、タルワールとジリオンの姿があった。
タルワールはルインの姿を目の当たりにしても全くの無警戒。
朗らかに頬笑み、まるで心を開いている旧友にでも再会したかのように親しげ。
「あの時はお互い上手く行かなかった。ですが、オレたちはより良い方向へ進んでいける……」
「タルワール、お前はなにを見ているのだ?」
ルインの状態からして危険であると一瞬で悟ったジリオン。
ルインに歩み寄ろうとしているタルワールの前に立つ。
「普段からおかしいとは思っていたが、お前は恐怖を感じないのか? あのような者の前に立とうとするなど狂気の沙汰だ。あの状態の相手でも未だに分かち合えるとでも?」
「ええ、勿論」
ジリオンの言葉を、タルワールは即答で返す。
「ルインさんはオレたちに攻撃をしなかった。つまりは、ルインさんがオレたちよりも先により良い仲へなろうと歩み寄ってくれたのです。オレたちがルインさんの考えを汲んでやれなくては互いにより良い方向へなど進めません」
「貴様……」
タルワールの言葉を聞いたルインは発狂してしまいそうな程、腹の底から怒りが湧き上がった。
意味不明な理屈を堂々と抜かす狂人を執拗に時間をかけ、なぶり殺しにしたいとルインは強烈に思う。
だが、激しい怒りに駆られながらもルインは冷静さを保っている。
別になにもタルワール、ジリオンがいたから、戦わずにいたのではない。
この場に来る前から感じ取っていた、ある人物の存在を認識し警戒をしていた。
それは、聖帝の存在だった。
「どうしました?」
自らのオーラが歪む程の異常な殺気を放ったまま、なんの行動も取らないルインにタルワールが尋ねる。
「聖帝?」
ルインの声色は強い怒りにより、普段とは異なっている。
「テリーさんですか? いますよ、こちらに」
タルワールの呼びかけに宮殿内から出てくる者がいた。
すたすたと宮殿内からテリーが出てきて、タルワールの傍まで歩む。
ルインを見てもテリーに反応らしき反応はない。
「聖帝は貴方たちの味方?」
「恐らくはそうなのでしょう。有紗さんの助力でテリーさんがオレたちとともに総世界を自由に導いてくれると約束してくれましたから。ですが……」
テリーの方にタルワールは視線を移す。
「テリーさんの様子がどこかおかしいのです。テリーさんは……」
「………」
視線を下ろしたまま、テリーはなにも話さない。
「………」
特になにも語らずにタルワールはルインへ視線を戻す。
「桜沢一族特有のスキル・ポテンシャル支配を有紗さんが発動させ、テリーさんの自我がなくなっているのだと思われます。オレたちは強要を是とはしません。テリーさんを一刻も早く治したい。しかし、それには二つの条件がありました。貴方を含め、桜沢一族及び一族関連の者たち全てを救うことと……」
「御託はいい……アンタの顔、忘れていない」
ルインは構えの体勢に入る。
「桜沢綾香を殺害し、私を空間隔離結界で異次元へ送り込み、数多くの桜沢一族一派の命を奪っていったクロノス首領であるアンタの顔をね」
先程よりも強い殺気と狂気をルインは放つ。
そのルインを前に、タルワールは申しわけなさそうな表情を見せた。
「桜沢一族及び一族関連の者たちには大変申しわけないことをしました。しかし、これからオレたちは同志だ。全てを水に流してほしいとは言わない、一緒に世界を自由に導いてほしい」
「誰がそんなことを……」
「禁止令を解除します」
「えっ……?」
「リザレクを扱えるね、ルインさん? 桜沢綾香さんを筆頭にオレたちクロノスが殺害してしまった桜沢一族及び一族関連の者たちの復活を阻害する禁止令を全て解除します。オレたちがこれから同志となる上で妥当な対処だと思います」
「リザレクを詠唱すれば、綾香は生き返るの?」
「はい、勿論そうですよ。桜沢綾香さんは病死などしていない、殺害されたのだから復活が可能です」
「違う、そんなこと聞いていない! 私たちは敵同士なの! なのにどうしてよ、ずっと私たちは戦い続けていたじゃない!」
「いえ、そんなはずは……オレたちは何度でも説得を試みます。手を組んでほしい、一緒に総世界を自由へ導いてほしいと」
「どうせ私たちを騙し、裏をかき、後々殺すつもりで……!」
「オレたちは信頼できませんか?」
「当然でしょう!」
「では、こうしましょう」
タルワールは復活の魔法リザレクを詠唱する。
タルワールの目の前になにかの実体が浮かび上がり、それは正体を現す。
紛れもなく、桜沢一族当主の桜沢綾香だった。
復活を果たし驚きを隠せないといった様子で桜沢綾香は周囲を見ていた。
彼にとってはまさに意味の分からぬ状況。
突然の復活、周囲に明らかな敵の存在、ルインの姿。
「ルイン?」
桜沢綾香は理解ができなかった。
「嘘……本当に綾香なの?」
「時間はかかるでしょう。しかし、必ず全ての者たちを復活させます。これが貴方たち桜沢一族及び一族関連の者たちの力を借りる際に取りつけられた条件の一つ」
「有紗が本当にそんなことを?」
「有紗さんは桜沢一族で、初めてオレたちに歩み寄ってくれた人だ。オレたちはこれでようやく同志となれた。とても嬉しい次第です」
「一体どうなっているんだ……」
急な復活によってか、ぼんやりとしていた桜沢綾香が言葉を発する。
「綾香……!」
隙だらけな状態で会話しているタルワール、ジリオンの様子を確認しながら、ルインは桜沢綾香の傍に行く。
「ルイン」
「綾香、会いたかった……」
ルインは綾香に強く抱きつく。
「私たちはどうなるの? 本当にクロノスに仕えるの?」
「そうなってしまうだろうな。こうして、オレたちが存在していても構わない程の戦力をクロノス側は有しているはずだ。ルイン、済まない。もう、どうしようもないんだ」
「そうなんだ……」
「ルイン、手を貸してくれないか。復活を果たしたばかりのせいか、身体がまともに動かないんだ」
「分かったわ」
桜沢綾香との会話で実際に存在しているとルインは強く実感していた。
「ところでだ」
不意に、ジリオンが語る。
「先程、桜沢一族関連の者から一名離反者が出た」
反応し、ルインは立ち止まる。
「我々としてもそれは大事だ。同盟を結んだ者として我々も対処しなくてはならない。それでだ、連携にこれ以上の支障を来さぬよう貴様を殺すこととした」
ジリオンは強い敵意を持って、ルインを見据えている。
「……どうした、さっさと構えろ。見かけ倒しか、今までの殺気は。無抵抗ではつまらんぞ?」
「まさかね、こんなことになるとは全く思わなかった。有紗は私にこうなるなんて一言も話さなかったの、私の離反が最初から目的だったんだ。目前で綾香を殺され復讐もできぬまま異次元に送られ生き恥を晒し続け、あげく最後には裏切られるとはね」
再び、ルインは涙を流す。
「私ね、綾香を見た時、ようやく救われると思ったの。復讐なんて関係ない、もう私には綾香がいるって。思っちゃったんだよね……私」
「勝手なことを言うな。貴様に殺されていった者たちそれぞれにも貴様同様に人生があったのだ。まさか貴様だけが特別であるなどとでも思っているのではないだろうな?」
「これは、どういうことだ? 同盟を組んだはずじゃ」
先程、復活したばかりの桜沢綾香にはルインとジリオンがなにを語っているのか分からない。
「桜沢綾香、そこにいるルインは既に桜沢一族を裏切っている。我々も同盟関係を結んだ者として対処せねばなるまい」
「ルインの離反などオレがさせない。第一、ルインはオレを気遣う行動を取ろうとしていたじゃないか。裏切っているなど有り得ない」
「貴方がいない間に様々なことがあったのです。オレたちの邪魔だけはしてもらえないだろうか。ただし、ルインへの手助けは自由としよう。それがこの先の同盟関係にどのような支障を来すのかが分からぬはずはあるまい」
「そうよ、綾香」
泣くのを止め、しっかりとした口調でルインは語る。
「貴方は私を殺しはしても、私を助けてはならない。桜沢一族の当主として貴方は行動を決して違えてはならないの」
「桜沢綾香を貴様と戦わせるなどさせない。同盟を結んだばかりの要人だ。ましてや復活を果たしたばかりだ、その手を煩わせるなどしない。オレが貴様を打ち倒す」
「そう……」
ジリオンへの返答に、覇気がない。
先程のような覇気や殺気を今のルインには微塵も感じられなかった。
勝つため勢い勇んでやってきたが最初から早々に信頼していた桜沢一族に出鼻を挫かれ、その桜沢一族を裏切る形で独断専行を行ったにもかかわらず、それ自体が敵の手の内。
桜沢綾香のため復讐しようにも敵自身が復活させ同盟締結により、結局一族のためを想い裏切った自身だけがこの有様。
全てが裏目に出て、もうルインはどうすればいいのか分からなくなっていた。
「……どうしてこうなったんだろ」
「観念したのか、抵抗したらどうなんだ? 誰も望んでいないぞ、貴様の無抵抗など」
「………」
「そうか、できないか。ならば潔く自害しろ。貴様が死ねば、貴様に殺された者たちも少しは……」
「止めてくれない、そういう馬鹿げた下らない妄想は」
「ほう、まだ威勢は残っていたか。ならば、かかってこい。死んでいった者たちへ捧げてやろう」
「調子に乗るな」
覚醒していたルインは瞬時に強い覇気をまとい、ジリオンに襲いかかる。
ルインには意地だけが残っていた。
生き残るにはもう勝利するしかないのだ。
それが分かっていても、一度は躊躇った。
一人で戦ったとしても勝てぬと、ルインは分かっていたからだ。