ルミナスの献身
アーティと別れ、クァールが空間転移した先はスロート城兵士宿舎のジャスティンとミールの部屋前。
部屋の扉をクァールは軽くノックする。
「はい」
少しの間をおいて室内から、ジャスティンが出てきた。
「“ノールさん”、決心がついたんですね」
「“ジャスティン”。アーティたちは先陣を切り、クロノスへ向かったの。私たちは彼らの働きを無駄にしないよう、一生懸命戦いタルワールを打倒しよう」
「え、ええ」
どこかジャスティンは困惑を示している。
「“ノールさん”、なにか雰囲気が変わりましたね」
「“私”はどこもなにも変わっていないよ。さあ、君も支度を済ませて。敵も時間も待ってはくれない」
「分かりました」
クァールを自室に招き、テーブルの椅子に座らせ待たせておき、その間にジャスティンは支度を整えていく。
支度を終えたジャスティンは、ミールとの写真が入ったロケットペンダントを首にかける。
「ミール」
そのペンダントを握るジャスティンの手は震えている。
ジャスティン自身もゲマ戦後のノール同様に本当は怖くて怖くて仕方がない。
「ジャスティン」
それに気づいたクァールがジャスティンに近寄り、肩に手を置いた。
「ミールがジャスティンを見守ってくれているよ。ジャスティンはこれからを、前だけを見て戦うんだ。分かったね?」
「うん……やってみます」
「良い子だね」
クァールはジャスティンの頭に手を置き、優しくなでた。
「でも、私たちだけでは戦えない。ジャスティン、君はリターンを扱えるかな?」
「リターン?」
ジャスティンには聞き覚えのない言葉。
リターンは詠唱者とは別の対象者が発動をともに納得した上で、対象者が指定した時間分だけ対象者の時を巻き戻す魔法。
時間を巻き戻せるのは非常に優秀だが、他人を一人だけ、しかも指定した時間だけしか戻せず、それも両者が納得した上での相互理解まで加味されている発動自体が困難なもの。
そのため、存在を知っている者は圧倒的に少ない。
「そっか、この魔法は“久しく扱われていないのか”」
クァールは腕を組む。
R一族が総世界を統一していた時は、よくR一族に扱われていた。
スキル・ポテンシャル権利により、発動条件や相互理解など赤子の手をひねるがごとく容易であった。
「そういえば、アクローマはリターンを扱えた。彼女が扱えるのならば、その配下もまた扱える者がいるはず。先ずは、その一人と会いましょう」
「アクローマ? 確か、天使界の女帝だとミールが話してくれたことがありました。その人と会えばいいんじゃないですか?」
「アクローマには今、為すべきことがあります。私たちがそれを阻んではならない」
「そ、そう?」
ジャスティンはクァールを不審がっている。
見紛うことなくノール本人だが、一切ノールらしさがないのが原因。
「では、ルミナスのもとへ向かいます」
「ルミナスは確か、とある世界を荒していた魔王……」
「違います、私の舎弟です。いえ、女性ですから妹分ですか」
クァールはルミナスを指定して、異世界空間転移を発動する。
クァールの異世界空間転移により、風景が一気に変わっていく。
ミール・ジャスティンの自室から、いつの間にか外にいて、目の前には豪華で大きな邸宅。
魔界の邪神への就任祝いに建築されたばかりのルミナスの自宅だった。
「へえ、これがルミナスの屋敷」
ジャスティンが邸宅を眺め、その後で周囲を見る。
邸宅の敷地は広大で、非常に均整の取れた庭が遠くまで続いている。
そして地平線の向こうに、わずかに柵のようなものが見えた。
おそらくはあそこまでが、このルミナスの邸宅敷地内。
「そこそこ良いんじゃない」
エリアースという世界で五指に入るレベルの資産家令嬢のジャスティンは他人の本当に豪華な敷地内を見るのが好き。
勿論、嫉妬しないレベルで観光気分になれる範囲という制約があるが。
「なんたることでしょうか。これが、アクローマの話した事実。まことに恐るべきことです。私が総世界を取り返した暁には、民に今一度資産の平等な分配を実現しましょう」
「えっ」
クァールのなにげない一言にジャスティンは絶句する。
クァールは邸宅の開けやすいプッシュプル型のドアノブを掴み、開く。
鍵は開いていた。
普通は邸宅の庭から通ってくるため、この玄関に鍵をかけていない。
「ルミナスはどこかな?」
邸宅内をクァール、ジャスティンは彷徨う。
邸宅内はとても広く、部屋数もまた多かった。
一つ一つ部屋の扉を開いて、室内を確認し、いなければ閉じるを繰り返した。
そして、クァールは書斎として扱われている部屋の扉を開けた。
「あっ、いたいた」
クァールは書斎の本棚の傍で、読みたい本を手に取っていたルミナスを見つけた。
今日は邪神としての仕事が休みなのか、ルミナスはノーメイクでパジャマ姿。
しかし、流石は元エルフ族。
化粧をしていないオフの日でも気品漂う、美人な優雅さに溢れていた。
「ど、どう……どうし……」
先程までリラックスしていたルミナスの表情が、一気に鬼気迫るものへと変化していく。
驚きと恐怖が同時にルミナスを際限なく襲い、呼吸が乱れて言葉を発したくとも発せられない。
「どうして貴方がここにいるのぉぉ──!」
ようやく叫べたルミナスは持っていた本をクァールに向かって放り投げ、書斎の壁際まで逃げる。
それからしゃがみ込むと、ガタガタと震え出す。
ルミナスの見せた恐慌状態から、どれ程の戦慄が彼女を襲ったのかがなんとなくクァールには分かった。
「酷いものじゃない、それが久しぶりに会った者への対応ですか」
あまりにも酷い対応なので呆れたように、クァールは語る。
「まるで怪物にでも出くわしたみたいだ。どっからどう見ても、ここにいるのは普通の女の子じゃない」
「普通の女の子……?」
顔に手を置き、その隙間からクァールを見ながら考え始める。
「一体なにをしに来たの? 脅し? たかり? 私を苛めてそんなに楽しいんだ? お金ならあるわよ、それが目的なんでしょ? それともなに? 今度は身包み剥ぎに来たの? 見た目通り本当に最低な女ね」
「相当嫌われているみたいだね、ノールは。そんな話はどうでも良いんだけど。今日はね、貴方と以前約束した通り、貴方にしてもらいたいことがあるの」
「知らない、そんなの。もう帰ってよ」
「………」
クァールの瞳が銀色へと変わる。
魔力量が増して、強力な覇気が宿り始めた。
クァールは覚醒化をしていた。
「い、いや!」
クァールの変化を目にして、ルミナスは再び震え出す。
「今は、一分一秒も惜しいの。私の言うことが分からないのなら、分からせるしかない」
「分かったから……分かったから私に酷いことしないで……」
「そう」
クァールはルミナスの傍まで歩み、しゃがむ。
「ルミナス、リターンを扱える?」
「あ、扱えるわ」
これが、ルミナスにとっての大きなターニングポイントとなった。
この状況なら普通は扱えなければ酷い目に遭うのかと思いきやである。
「そっか、なら私と一緒にクロノス本拠地へ行きましょう。クロノス総帥のタルワールを倒すの」
「はっ?」
怯えながら、ルミナスは一言だけ声を発した。
「さあ、ルミナス。早く準備をして」
クァールがルミナスの腕を掴み、一緒に立ち上がる。
「あ、あんた、頭おかしいんじゃないの……?」
ルミナスは理解が追いつかなくなり、うっかりクァールを罵倒していた。
もう意味が分からなかった。
なにが悲しくてどう間違えられたのならば、そのようなところへ戦いに行くのか検討もつかない。
「ルミナス、貴方の力が必要なの」
あの銀色の瞳で、クァールはルミナスをじっと見ていた。
「わ、分かったわ。私もどこにでも行くから……」
「良かったー、やっぱり頼れる人はルミナスだよ」
「私は、なにをすればいいの?」
「流石だね、すぐに次への行動へ移してくれるのはこちらとしても助かる。ルミナス、君はとりあえず準備を整えてほしい」
「これから戦いに行くのよね? だったら、本気で準備をしないと……」
本当に焦っていたルミナスは準備を始めようとしたが、立ち止まる。
「総世界政府に手を出したら……私、もう帰る場所までなくなっちゃうじゃない」
力が抜けたようにルミナスは床へ、すとんと座り込む。
「ジャスティン。ルミナスが準備をするから、少しの間ここで休憩をしていようか」
「う、うん……」
ルミナスがあまりにも可哀想過ぎて、ジャスティンは引いていた。
それから、なんとか立ち上がれるレベルまで復帰したルミナスが書斎から出ていき、準備を始める。
出ていってから一時間程でルミナスは書斎へと戻ってきた。
支度は整っているようで、戦闘の際に好んで着用している黒いバトルドレスを身にまとっている。
「そのドレス、見覚えがあるよ。仕込みが多そうな服だから期待できる」
「そうね。このバトルドレスには様々な仕込みをしている。戦いでは私、負けたくないから」
「でも、次の戦いでは負けるかも。再起不能なくらいとても手酷く」
「そうね……」
「危なくなったら、私に任せなさい。貴方は私の後ろにいればいい」
「えっ、ええ」
ルミナスは耳を疑った。
どう考えても弾除けに扱われるのが関の山だと思っていたから。
「それでは、ジャスティン、ルミナス。今からクロノス本拠地へ向かいますよ」
クァールは異世界空間転移を発動し、クロノスの都市へと向かう。
本当はクァールもあと数名要員を連れていくつもりだったが、ルミナス自身の能力の高さから少数精鋭での行動へ切り替えた。