力の差
スロートの街中を駆ける者がいた。
それは、スロート城へ向かうノールである。
辺りは暗く、誰も出歩いていない中、周囲にはノールの走る音しか聞こえない。
「あれ?」
その途中、ノールは急に立ち止まる。
「魔力が……」
急に魔力の流れを感じ取れるようになり、ノールは不思議に思った。
その時がスキル・ポテンシャルのルールを発動していたライルが死んだ時だった。
「まあ、いいや。天使化してスロート城へ行こう」
とりあえず、ノールは天使化して空へと飛翔した。
空を飛べば、スロート城へ辿り着くのはすぐだった。
ノールはスロート城中庭に降り立つ。
深夜であるため、城内も静寂に包まれている。
「どうせ図書館にいるでしょ」
ノールは図書館を目指す。
図書館へ着いたノールは図書館のフリースペースの机に座っているクロノを見つけた。
「ノール? こんな夜中にどうした?」
クロノは深夜でありながら、図書館で一人静かにろうそくの灯りを頼りにして書籍を読んでいた。
「ちょっと、悪いニュースがあるの。ロイゼンとラミングの混成軍がスロートのすぐ近くまで来ているの。早く迎撃の準備をしないと大変なことになっちゃうよ」
「馬鹿言うなよ、そんなことあるはずが……」
「ボクが嘘を言うために、こんな時間にスロート城へ来ると思うの?」
「嘘だったら、良かったんだがな」
クロノは頭を抱えて考え込む。
「そいつらはどこから来るんだ?」
「多分……あっちだね」
ある方向をノールは指差す。
「どういう根拠でその方向なんだ?」
「ボクは人の出す水蒸気や、体内の水分でなんとなく把握ができるの。あの方向から凄い量の水蒸気や水分を感じる。間違いなく大軍の軍隊があの方向にいる。あと、数時間の距離かな?」
「……それはもうあまり時間がないな、早急に態勢を整えないと」
クロノは椅子から立ち上がる。
「ノール、オレと一緒に兵士たちを起こしてほしい」
「勿論いいよ。ボクに任せて」
二人は一緒に図書館を出る。
その時、クロノは立ち止まり、ノールを見る。
「ノール、ミールのことはもう聞いたか?」
「なに?」
「いや、今はいいか。すぐさま迎撃態勢を整えたい。一緒に兵士宿舎まで来てほしい」
それから、クロノとノールは兵士宿舎へ行き、兵士たちを叩き起こした。
その過程で隊長格のカイトやアレスが二人の役割を引き継ぎ、迎撃態勢の準備へ移っていった。
「帰ろっか」
もうノールを頼らずともなんとかなる状態まで状況が変わっていったのを確認し、ノールは自宅へ帰ろうとする。
ゆっくりとした足取りで中庭へと向かっていった。
「さて……」
中庭までやってきたノールは天使化する。
ノールの背中には二翼の綺麗な白い羽が現れた。
「ノールさん」
ノールを呼び止める声が響いた。
呼び止めた者は、ノールよりも前に中庭にいた。
「ゲマさん?」
とっさにノールは天使化を解く。
「……今の見た?」
「ノールさんは水人でもあり、天使族でもあったんですね」
「皆には内緒してね、水人だったことでさえ厄介な目に遭ったんだから」
「構いませんよ、私は誰にも話しません」
「それならいいけど」
「そうだ、ノールさん。私の内緒にしている話を聞きませんか?」
「それって条件のつもり? 話さないということを信じてもらいたいための。ボクは貴方を信用するから、そういうのはいいよ」
「そうですか」
ゲマは普段と変わらない優しい笑みを浮かべる。
「今回の戦争を仕掛けたのは、私ですよ」
「なに?」
言葉は唐突であった。
思ってもみない言葉にノールはゲマの顔を凝視した。
「ラミング側が仕掛けたとスロート側でなっていますが、実際はスロート側が先。そして、ラミング側がスロートに攻撃を仕掛けたのも本当は事実ではありません。ノールさん、それを行える能力が私にはあるのです」
頬笑みながら、ゲマは語る。
「貴方が……どうして?」
「ラミングを狙ったのはロイゼン、スロートまでの距離、時間がとても良かったからです。おかげで消すべき目障りな存在が三名も死んでくれました」
「さっきからなに言ってんだ。本当なんだな、貴方の言っていることは!」
「ええ、事実です。私がそのように仕向けていたのですから。本来なら、ジーニアス、ジャスティン両名もさっさと死んでいたはずでした。お優しいことに貴方がジーニアスを殺さず、スキル・ポテンシャルの悟りで既に感づいているはずのジャスティンが私に戦いを挑まなかったせいで少々予定が狂いましたがね。結局ライル、ルウ、ミールの三名しか殺害できていません」
「ミールって……言ったか?」
周囲の温度が急激に下がり始めた。
ノールの強い殺気が周囲を覆っていく。
ミールの死を、それどころか首謀者に聞かされ、正気を保つどころではない。
「どうですか、ノールさんも? ミールさんの死がとても悲しいのでしょう? ミールさんが地獄で貴方に手招きしていますよ」
ここまでゲマが語った時。
覚醒化したノールが急激な勢いで迫り、ゲマの顔面を渾身の力で殴る。
殴られた反動で思いっきり吹き飛んだゲマは、城壁にぶち当たり血塗れの姿で地面に倒れた。
「だったら、お前を殺してやるよ」
「はあ、随分飛んだな」
ノールの隣から、ゲマの声が聞こえた。
即座にその場から離れ、ノールは距離を取る。
先程までいた位置のすぐ隣にゲマがいた。
「生きてたんだ……」
「生きているだと? 私になにかをしたのか? あそこに死んでいる男が、まさか私に見えたとでも?」
目の端で、ノールは先程倒した人物の方を見る。
ゲマに似ているようだが、やはりそれは偽物。
通常ならば、先程面と向かって話した時点で気づけたはず。
「あれを殺したことなら後悔しなくていい、あれは私が作り出した者だ。事実、元々存在していた者ではない」
すっと、ゲマはノールへ向き直る。
「作り出した者? まさか、あの時も……」
「ラミング帝国兵士の魔力を感じ取った時かな? 残留魔力を感じ取れるとは、流石は魔力体。魔力を扱わない単なる兵士程度であれば、この私でも作り出せるのさ」
ゲマには人らしき者を作り出す能力がある。
極めれば、旧魔界の覇王ドレッドノートのアウトブレイクやR・エールの流体兵器のように人のような者を作り出せる。
とはいえ、この段階でもまだまだ入門レベル。
とても対能力者相手に扱える代物ではない。
それでも対能力者以外では強力無比であるのは紛れもない事実。
スロートを襲ったラミング兵士たちも。
テイル将軍たちが辿り着く前に、数度ラミングに攻撃を仕掛け滅ぼしかけたスロート兵士たちも。
ゲマ個人で作り出していた。
能力者が関与してはならないという総世界法を語りながらも、その本人自身が総世界法を破り、能力を駆使する。
ゲマは相当な男だった。
「お前と会った時から、私の手でお前を殺したかった。いつでも、それができた。それが今日になっただけだ。死んでくれ、ノール」
「できないよ。どうせ、ボクに殺される。ボクがミールの仇を討つんだ」
水竜刀を両手に作り出し、ノールはゲマに突撃する。
「さっきもそうだったが、お前は接近戦が得意なのか」
ノールの攻撃を受ける直前、ゲマは封印障壁を発動。
ゲマの周囲を包み込むように半透明な円形の障壁が現れた。
そのせいか、ノールは封印障壁に阻まれ障壁にぶつかった。
「これは……封印障壁?」
攻撃を阻まれ、ノールは立ち止まった。
その間にゲマは高純度の魔法障壁も張り巡らせ、完全防衛の形へ移行する。
ただそれは、逆を言えばそれで一体どう戦うんだ?となる。
封印障壁に続いて魔法障壁があれば、障壁内にいる者は自らの行いにより武力行使の一切ができない。
「これで、私は整ったぞ。ノール、この私に勝てるか?」
不敵にゲマは頬笑み、封印障壁内で指を鳴らす。
直後、上空からノールを狙った落雷が一直線に落ちてくる。
ノールの頭部を目がけ、落ちた落雷はノールの全身を走り抜けていった。
あまりの一瞬のできごとにノールは棒立ちのまま、なんの反応もせず前へと倒れ始め、地面に全身を打ちつけた。
覚醒化していたとはいえ、ベースが水人のノールはこの一撃で筆舌に尽くし難いダメージを受ける。
「晴れている日に、人が落雷を直に受ける。その確率は一体どれくらいだろうな。私には想像もつかない」
至って普通にゲマは話している。
これが、ゲマの能力。
スキル・ポテンシャル実現の発動だった。
それは自ら以外を対象に影響を及ぼす事象を、必然的に発動させる能力。
ゲマが発動さえすれば、どんなに快晴でも人に雷が命中する確率が低くとも天文学的な数値を乗り越え、それが確実に起こる。
あまりにも強力無比な能力であり、ゲマ自身も危険性を感じて対R一族一派を葬るためだけに扱っている。
「………」
両手を地面につけ、ノールは身体を起こす。
ゲマを見上げるノールは暗く泣きそうな表情をしている。
次にノールが取った行動は天使の羽をはためかせ、一気に空へ飛翔すること。
全力でこの場から逃げ出そうとしていた。
だが、ノールが上空へ舞い上がった途端、尋常ならざる突風を受け、ゲマのすぐ傍へ墜落した。
「どこで飛び方を学んだのですか?」
静かにゲマは笑みを浮かべる。
「鳥も、それどころか羽虫でさえもこの広い空を自由に飛べるというのに。お前は惨めな女だ」
上空には、魔力体の女性天使のみが感じ取れる暴風が吹き荒れていた。
それに該当しない他の者たちはなに一つとして暴風など感じ取れない。
生物どころか、砂や埃さえも。
「お前の仕業だろ……」
ノールは非常に強く危機を感じている。
この場は紛れもなく死地であると。
「ああ、そうだ。このような現象が起きて堪るか」
再び、ゲマは指を鳴らす。
直後、先程同様にノールへ目がけ、落雷が降り注ぐ。
なにも反応ができず、ノールは地面に横たわった。
蓄積されたダメージ量は、ノールが許容できる限界を越えていた。
「ごめんなさい……」
地面にうずくまり、ノールは謝っていた。
泣き声で嗚咽が混じり、ノールの心は既に折れている。
「………」
それを確認して、ゲマはノールへと近づく。
封印障壁を解いていた。
「謝ったところで、R一族を許すつもりはない」
両手を握り締め、怒りを堪えるようにゲマは語る。
「私の家族は、お前たちR一族やその手の者たちに殺害された。彼らは能力者ではない。復活の魔法リザレクも効くことはない。もう戻ってきてくれはしないんだ」
ゲマはノールの隣にしゃがみ、ノールの肩に手を置く。
「なあ、ノール。ミールと会うのは、向こうの世界でも良いだろう? そんなに悪くない提案だと思うんだ」
痛みに耐えられず、ノールはうずくまり泣きじゃくっている。
もういつでもゲマはノールを殺せる。
なのにそうはせず、ノールの返答を待っている。
これがゲマの弱点。
クロノスはいわゆる正義の味方の組織。
無抵抗となった弱者へ非道な行いなどできない。
ノールが自ら進んで死を選ぶか、自らの矜持を通してゲマへ再度挑み悪党らしく華々しく打ち倒されるかを待っている。
泣きじゃくり弱り切っていたノールは、ゲマが待ってくれていることに優しさを感じていた。
そういえば、この者はスロート軍の将軍で一番兵士たちから好かれていた。
きっとR一族一派の前以外では、どんな者にも優しく誠実で親切なゲマでいられるのだろう。
弱っているせいか、ノールはそのような考えに傾き、自ら死を選ぼうとしていた。
ただ、なにか自らの内に引っかかりを抱く。
ゲマと同じ境遇になりつつある者を知っている。
ようやくノールはそのことに気づいた。
「お父さん……お母さん……」
ノールは立ち上がろうとする。
ノールの動きを察したゲマは距離を取り、再び封印障壁を発動した。
「エクス」
最上級回復魔法エクスを詠唱し、ノールの身体の怪我は消える。
「ゲマさん」
信念のこもった目でゲマを見据える。
「やっぱり、ボクはここで死ねない。だって同じなんだもん、ボクは貴方と」
「………」
無言でゲマはノールの話を聞く。
「ボクはもう貴方に謝らない、絶対に」
「ならば、戦おう。私の勝利でこの戦いを終わらせる」
「勝つのは“私”だ! 貴方には負けない!」
ノールは気合いを込め叫ぶ。
その時のノールの声質は、ノールのものではない。
そして、自らを呼ぶ一人称も異なる。
そのことに本人は気づかない。
唯一、ゲマは気づいた。
この戦いの流れが瞬時に変わってしまう予感と一緒に。
焦りの反応がゲマにはあった。
直ちに戦いを終わらせるため、ゲマは再び指を鳴らす。
直後、ノールの両足を貫くようにいかずちの刃が深く突き刺さる。
実体化して残存するという、水人にとっては恐るべき状況。
「うぁ……ああぁ!」
酷い激痛に即座にノールはしゃがみ、刺さっている部分を手で押さえる。
「ゲマ、絶対に許さないぞ……」
一度、水人化して魔力だけの状態へ変化して、いかずちの刃を取り外すと再び実体化。
なんとか行動ができるようになったノールは一気にゲマへ突撃する。
「無駄なことを、それでは良い的だぞ」
ゲマは指を鳴らす。
背後から急激な圧力を受け、ノールは地面に全身を叩きつけられる。
背後には物体もなにもなく、圧力だけが実体化していた。
「駄目押しだ」
上空にノールの体積を大幅に越える岩が出現し、ノールを押し潰す。
岩の下からは、流血の気配はない。
嫌な予感を感じ、ゲマは周囲を見渡す。
ノールはゲマの背後、数メートル先にいた。
魔力に変化できる魔力体相手に、ゲマは自らの視界を遮ってしまうという痛恨のミスを犯していた。
「“権利”発動! 封印障壁!」
ゲマへと駆け出しながら、ノールは叫ぶ。
瞬間、ゲマを覆ってあらゆる攻撃を防いでいた封印障壁は消えた。
「権利を発動させたのか!」
ゲマが指を鳴らし、ノールの目の前で大爆発が起きる。
まともに爆発を受けたノールは上半身に酷い火傷を負い血塗れになった。
片目を失いながらも、よたよたとした足取りでゲマに接近し、ノールは手をかざす。
「デスメテオ、発動……」
詠唱もなしに、ノールは暗黒魔法デスメテオを発動。
ノールの前に暗く禍々しい光のような揺らめきを放つ物体が現れ、ゲマを襲う。
「うわあ……!」
全身からの急激な発汗をゲマは感じた。
恐ろしいまでに強烈な死を、ゲマは実感している。
死の恐怖に身体は完全に硬直し、仁王立ちをしたまま一歩もその場から離れられない。
その間も、ゲマが保身のため張っていた魔法障壁を突き破りながら、デスメテオはゲマを死の淵へ追い詰める。
だが、ゲマの魔法障壁を全て打ち破ったところで魔力切れによりデスメテオは消えた。
ぎりぎり薄皮一枚のところで、ゲマは生き残ったのである。
「ゲマさん……」
先程の大爆発により、酷い出血をしながら血溜まりを作り地面に座り込んでいたノールが声をかける。
宙を仰ぎ、言葉を発するノールはゲマを見ていない。
既にノールは視力を失っている。
「もう、“ボク”には抵抗できる魔力がないよ……貴方の勝ちだね……」
力なく消えてしまいそうな弱々しい声を発する。
座った姿勢も耐えられなくなり、ノールは前のめりに地面へと倒れた。
「ミール、ごめんね……」
言葉の後、ノールは動きを見せなくなった。
ノールを凝視していたゲマは、両膝から地面に崩れ落ちる。
まさに恐怖していた。
自らのスキル・ポテンシャル実現を扱うゲマにとって敵となりえる者など存在し得なかった。
しかし、存在した。
自らを殺す、そのような存在が。
先程のデスメテオの物体が脳裏へと克明に焼きつき離れない。
ノールを倒した今となっても震えが止まらなかった。
「なんなんだ……どうして私は泣いているんだ……」
地面に両膝をつき、身体を震わせながら、ゲマは涙を流していた。
「ゲマさん」
ふいに誰かが、ゲマの背後から呼びかける。
声の主、ジャスティンがゲマの傍にいた。
「油断しましたね」
そういうと、ジャスティンはゲマの口を片手で塞ぐ。
もう片方の手に持っていたナイフでゲマの背中へと心臓を狙って突き刺す。
命の危機を感じ取ったゲマは暴れた。
しかし、ジャスティンは力でゲマを押さえ込み、急所となる喉や頭部を続けて刺す。
「ミールを殺したのはお前なんだろ? 絶対に許さない」
ゲマが死んでからも、ジャスティンは両手で逆手持ちしたナイフを何度も突き刺していた。