内紛
会合が続き、杏里はなかなか帰ってこなかった。
一人、自室にいたノールはいつものアウトレットソファーに横たわり、暇していた。
「ふー……」
ノールは基本一人の時はなにも食べず、なにも飲まずに過ごす。
水人の魔力体であるノールの凄い点は、食事や間食を楽しむスキルを持っているところ。
本来、通常の魔力体の食事とは、魔力の供給のみ。
空気中に漂う魔力や物に吸着した魔力を吸収するのが食事となる。
通常の魔力体とは異なり、人から生まれたノールは人との生活の中でそれらを覚え、人と同じように飲食を行う。
だが、自らが魔力体だと根幹から理解しているノールは飲食ができるからといって自らの生活に必要なものとは捉えていない。
おかげで今日は、買い出しや調理にかける時間もおやつや夕食を食べる時間も暇になり、ノールは寂しさを覚え始めていた。
「ノールさん」
そんなノールを呼ぶ声が聞こえた。
ふいに、ノールは声がした方へ視線を送る。
そこはバルコニーのある場所。
窓ガラスの向こう側に何者かがいるのが見えた。
「ジーニアス君じゃん」
アウトレットソファーから立ち上がり、ノールは窓を開ける。
「どうしたの、こんな夜に。それに、わざわざ窓から? 玄関から入ってきていいんだよ」
「そう……ですね」
招かれたジーニアスはそわそわしながら部屋へと入った。
室内を確認しながら歩む様は明らかに周囲やノールを警戒している。
「久しぶりだね、ジーニアス君。先に椅子に座ってて。紅茶を淹れるから」
普段通りの感覚で、ノールは話す。
あえてノールは全く触れていない点があった。
ジーニアスの髪色や瞳の色が元の綺麗な緑色から黒色へ変化している。
ジーニアスは最初からダークエルフ化した状態で訪れていた。
それは臨戦態勢でいつでも戦える状態を示している。
「え、ええ」
言われた通りにジーニアスは高級ソファーに座る。
「はい、どうぞ」
高級ソファーに座るジーニアスの前にあるテーブルへ、ノールは紅茶の入ったカップを置いた。
ノールはいつものアウトレットソファーに座る。
「今日はどうしたの?」
「実は……その」
言い出せずにジーニアスは口籠っている。
「言いたくないことなら、別に言わなくてもいいよ」
「いえ、言います」
少しだけ、ジーニアスは口をつぐんでいたが決心したのか言葉を発する。
「ノールさんを殺しに来ました」
ジーニアスは決意した目で、ノールを見据えた。
「うん、知っていたよ」
床に置いてある雑誌にノールは手を伸ばした。
「知っていたんですか?」
殺しに来たとストレートに伝えたのに、ノールは普段通りの生活をしている。
それが、ジーニアスを驚かせた。
「髪色が変化している。それを、ダークエルフ化というのでしょ? ボクは今総世界を股にかけたギルド稼業をしているの。とある仕事でダークエルフ化するエルフ族とも戦ったことがあるから分かるよ」
そわそわしながら、ジーニアスはノールの話を悠長に聞いている。
いわば、ノールはその道のプロ。
素人感丸出しのジーニアスの話をあえて今でも聞いてあげているのは、仲間としての優しさから。
ノールの表情から、ゆるさが消えている。
「ノールさん、死んでください」
ジーニアスは高級ソファーから立ち上がった。
「それ」
ノールがテーブルに置かれたカップを指差す。
「歓迎の印だよ、紅茶を飲んでからでもいいんじゃないかな?」
「………」
ジーニアスの視線はノールから移らない。
自らに隙をつくる行為だと受け取っている。
「はあ……」
仕方なさそうに雑誌を床へ置いた。
その間、ゆっくりとジーニアスはノールに距離感を保ちながら近づく。
「よいしょっと」
ノールもアウトレットソファーから立ち上がる。
びくっとして、ジーニアスは立ち止まった。
床を軽く蹴り、一気にノールはジーニアスとの距離を縮め、ジーニアスに抱きついた。
「はい、ボクの勝ち」
「えっ」
抱き締められたまま、ジーニアスはノールを見上げる。
「今、謝るなら許してあげる」
「まだ、戦ってもいないのに?」
「もう戦っているよ。魔力体に人が抱きつかれている。これが怖くないようでは、君もその程度だということ」
ノールの話す通り、この勝負はノールの勝ちで揺るがない。
水人の魔力体の勝ち方はなにも殴ったり、斬ったりの武力を用いなくとも良い。
対象の水分を奪い取ったり、温度を下げ凍らせたり、体内の水を振動させ失神させたりでも構わない。
水人が直に人にふれている時、それらが簡単にできてしまう。
それでも魔力の電撃攻撃でノールを撃退は可能であるが、魔力の操作をノールが許してくれるかは別問題。
戦闘経験の少ないジーニアスは魔力体の危険性を理解していなかった。
「不毛だよ、ジーニアス君。頭を冷やして、これから帰るならボクはなにも問題にしない」
それだけ言うと、ノールはジーニアスから離れた。
「あの……」
「どうしたの?」
「僕、本当はこんなこと……」
徐々にジーニアスの髪色や瞳の色が本来の色へと戻っていく。
少しだけうつむき、ジーニアスの表情は暗い。
「そんなに落ち込まなくても大丈夫だよ、ボクは気にしていないから」
そっと近づき、ノールはジーニアスの背中を擦る。
再び、ジーニアスはびくっと身体が震えた。
「これが、最後になるのは知っています」
「ん?」
「僕が知っていることは、全て話します。僕にできるのはこれだけだから」
「んん?」
なんとなくノールはジーニアスが人の話を聞けていない状態に陥っているのだと気づく。
自らが殺害するつもりで来たのだから、ノールも同様に自らを殺害するつもり。
その考えが強くストレスとなり、ジーニアスを抑制していた。
「ボクがそんなに怖い? 怖いのかなあ……」
「これから、ロイゼン魔法国家の軍隊とラミング敗残兵部隊の混成軍がスロートへ奇襲攻撃を仕掛けに来ます」
「………?」
不思議そうにノールはジーニアスを見つめる。
「全部作戦だったの、今まで起きていたことは」
「一体なんの話をしているの? まさかと思うけど……」
今までとの言葉で、ノールの中にあることが思い浮かぶ。
この戦争は、ロイゼン魔法国家がラミング、スロートをまとめて侵略するために行ったものではないかと思うようになっていた。
「となると」
すかさず、ノールはジーニアスの腕を掴む。
直後、ジーニアスはノールの方へ全体重を預けた状態で倒れ込んだ。
「面倒なことになりそうだから、このまま帰すわけにはいかなくなったよ」
ノールの水人能力により、ジーニアスの体温は急激に低下。
今の一瞬で、低体温症にさせていた。
一時的に仮死状態にさせ、ジーニアスは意識を失っている。
「君のロイゼンの連中が攻めてくるという話が本当なら、君を自由にしてはおけない」
とりあえず、ノールはジーニアスをアウトレットソファーに横たわらせた。
それから、ジーニアスにタオルケットをかける。
「早くクロノに伝えないと……」
急いで身支度を済ませ、ノールはエントランスへと向かった。
スロートから離れること数十キロの地点。
ロイゼン、ラミングの混成軍数万が進撃を続けていた。
前回のロイゼン魔法国家仲介のもと、平和的を装った協議を行い油断させてからの奇襲を計ろうとしている。
なにがなんでも、ロイゼン側はスロートに先手を取る必要があった。
スロートは救世主ノールを抱える強力な国家だと認識しているからだ。
「今回の戦いは、ミール以上に苦戦を強いられるだろう」
混成軍を遥かに先行して、能力者のライル、ルウはスロートに辿り着いていた。
二人はノールの屋敷玄関前に立っている。
「ルウ、死ぬ覚悟で戦うんだ」
ミールの尋常ならざる強さを身を持って体感したライルはノールも同様の存在と思っている。
「多分、僕は次の戦いで死んでしまうかもしれない。それくらいにノールは強いと思う。でも、僕がしくじっても、きっと兄さんとあの三人がなんとかしてくれる。そう考えていたんだ」
静かにルウが答える。
「オレたちが死ぬ時は一緒だ。この戦いでロイゼンが救われるのなら、オレはそれでもいいと思う」
ライルが玄関のL字型の開けやすいドアノブを握り、扉を開く。
丁度その時、急いでノールがエントランス前にある階段を下りてきた。
「ノール……」
ノールと目が合ったライルは玄関前から離れる。
ノールが一人だけやってきていた。
それだけで、ジーニアスが生死不明の状態に陥っているのが分かる。
事前の作戦ではジーニアスに上手いこと外に出るように促され、三対一で倒す予定だった。
杏里については、その場にいないとなぜか筒抜けの様子。
「ん?」
ノールはそういったことが仕組まれていたのを知らない。
今さっき誰かが訪ねてきたのにもかかわらず、玄関も閉めず離れたのに若干腹が立っていた。
「なんなの、これ。新手のピンポンダッシュとか?」
玄関の外に出てから、ノールは扉を閉める。
振り返ると闇夜の中に、若干距離を取ってライル、ルウの二人が立っていることに気づく。