隠し事
疲れたような声が、スロート城内の図書館内に響く。
声の主は、スロート初代帝クロノ。
クロノは普段通り、図書館内のフリースペースで大量の書籍が積まれた机にて職務を熟している。
「テイル将軍、貴方と私はいつまで経っても同じ思考には至らないようですな」
「はあ、全くそのようだ。クロノ殿、領民としての生き方が随分と長過ぎましたな。結局、領民の下賤な思考を捨て切れず、貴族としての高尚な思考を携えた我々の指示を理解できていない。それがよく分かる」
クロノと会話をしているのは、スロート貴族たちの長とされるテイル上級将軍。
彼は普段通り、領民のためならぬ貴族のための提案をクロノへしている。
テイルとクロノには大きな隔たりがあった。
堂々とクロノを殿の敬称をつけ呼べたり、提案を指示というくらいには権力の関係にも差が。
「領民としての思考を私が有しているのが気に入らないと?」
溜め息を吐いた後、クロノは返答を待つ。
「気に入りませんな。もし貴方が柔軟な思考を持ち得ているのならば、我々の指示を理解できるのですから」
「以前も言いましたが、私たちは互いに手を取り合いともに領民の暮らしを良い方向へ導いていくべきなのです。間違っても領民に苦痛を強いるのが目的ではない」
「その考えから間違っているというのですよ、クロノ殿。我々は領民を導くため日々様々なことを考案し、そして行っている。領民からは感謝され、さらに恩恵も受けなくてはならない。それが流儀であり、至って自然な行いではないのだろうか? どうですかな、そろそろ考えを改めてはいかがか?」
「それはできません。私たちの国家、スロートは過去の封建制度を取っていた国家と異なる形体となっているのです。領民主導の民主主義が私たちの目標であり、根差す目的とされるべきだ」
「はあ、そうですか。このまま無闇に互いの意見をただ言い合ったとしても時間を浪費するだけ。せっかくの提案もただただ徒労に終わるのが、私は残念でありません」
やれやれといった感じで仕方なさそうにテイルは語る。
「我々は帝であるクロノ殿を支えるため、ともに職務をしている。とはいえ、クロノ殿も慣れぬ職務でお疲れでしょう。どうですかね、一度全てを我々に任せてみては?」
「とても有り難い話ではありますが、私は二十代とまだまだ若い。若手の私が自らの仕事を投げ出すような出過ぎた真似などできかねます」
「分かりました」
溜め息を吐くと、テイルは会釈する。
「ところで」
「はい?」
テイルは不審げな表情をしている。
「どうかなされましたかな、クロノ殿?」
「以前からお聞きしたかったことが。テイル将軍は領民たちをどのようにお考えか?」
「なにを今更。領民は、我々の利益のために骨を折って働く。それでよろしい」
言い終えたテイルは再び軽く会釈をし、図書館から出ていく。
「はあ」
テイルが図書館を離れたのを見計らってから、クロノは溜め息を吐いた。
「典型的な貴族思考の持ち主だな、彼は。封建制度が今まで当たり前だった過去の国家からスロートに属してくれている貴族だったのだから無理もないのは分かるが、まさかあのような考えを今でも持っていたとは……」
とてもじゃないが貴族たちとは手を取り合えるような関係でないとクロノは深く思い知る。
彼らは領民を物程度としか見ていない。
貴族ではない自らも彼らにとっては領民と同程度であり、自らの利益のためだけに扱おうとしている。
「お疲れのご様子ですね、クロノ様」
同じく図書館内にいたゲマが気遣いの言葉をかける。
ゲマは建国後に加入された将軍職の者であり、数少ないクロノの味方。
「ああそうだね、ゲマ。オレはなんだか息苦しいよ」
「クロノ様は無理をなさっています。休まれたらいかがでしょう? 私たちをもっと頼ってください」
つい先程も似たようなことを言われた。
しかし、先程とはまるで異なる暖かさをクロノは感じていた。
「ありがとう、ゲマ。でも、大丈夫だよ。オレは休まなくても平気だから」
「全く……貴方という人は」
ゲマは率先してクロノの手伝いをし出した。
それから時間が経ち、ゲマがある提案をした。
「クロノ様、本日は予定がございまして少しの間、城を離れます」
「ああ、構わないよ。あとはオレだけでもできる」
「ありがとうございます」
ゲマはクロノから離れていった。
彼の向かう先は、R・ノールの黒塗りの屋敷だった。
「………」
ノールは三人がけ仕様の少し長めのアウトレットソファーに寝そべりながら、服の雑誌を読んでいる。
R・クァールへ変化する可能性を考慮し、ノールは傭兵稼業を休止していた。
それは、同居する杏里も同じく。
高級なソファーに腰かけながら、杏里はココアを飲み一息ついている。
「それ、気に入った?」
「このソファーかい?」
ノールはソファーの脇辺りを二度軽めに叩く。
「欲しいものがいつでも買える上に、別に大きさもなにも気にしなくていい。こんな日が来るだなんて」
どこか嬉しそうにノールは語った。
「うん……」
ノールが嬉しそうにしている反面、杏里はそうでもなさそうな反応。
ならどうして、わざわざ安物のアウトレット品を購入したのだろうと杏里は考えている。
この屋敷にある家具は全て豪華なもので統一されていたが、唯一ノールが購入したものだけが安っぽい。
「ノールは欲がないね」
「あるよ? 買っちゃったもん」
再び、アウトレットソファーの脇辺りを叩く。
ノールなりには買ってやった感があるようだが、それは数万程度のアウトレット品。
「ノール、指輪を買ってあげようか?」
「要らないよ」
「そ、そう?」
杏里的には結婚指輪の購入を勧めたのだが、一撃で切って落とされた。
「ボクは魔力体だから人のように着飾るとかに興味がないんだと思う。自分の理想としている姿を自由に得られるからね」
その時、屋敷の呼び鈴が鳴る。
「あれ、誰か来た?」
ノールはアウトレットソファーから立ち上がる。
「こういう時、大きな家は面倒だよね」
普通にすたすた歩いて部屋を出ていく。
その姿に杏里は空間転移を扱えばいいのではと思っていた。
屋敷内に独特なメロディが流れる中、できるだけノールは急いでエントランスまで向かう。
わずかな時間で三階からエントランスまで下りてきた。
「はい、どちら様ですか?」
「お久しぶりですね、ノールさん」
ノールの屋敷を訪ねた者は、城に勤めるゲマだった。
「あれ、久しぶり。どうしたの、ゲマさんが来るなんて」
「ぜひともノールさんのお耳に入れておきたい情報がございまして……」
「もしも、クロノの話ならパスで」
「実は再びスロートで大きな戦争が起きます」
「それってどういう……」
ノールは困惑する。
戦争にかかわるような兆候を、ノールには感じ取れなかった。
「ノールさん、貴方方リバースについては私も聞き及んでおります。この世界にはない戦い方もできるということも。だからこそ、貴方たちに戦争へ参加しないで頂きたいのです」
「もしも戦争が起きるのなら必ず参加するよ? 貴方は知らないだろうけどさ、これでもボクは前回の戦争でスロートの救世主だったの」
「たとえそうだとしても、控えて頂けないでしょうか?」
「ゲマさんは戦争が起きればいいなんて思ってんの?」
「無論、起きなければいいと思っています。しかし、起きた場合についても考えなくてはなりません。その際に能力者の存在は、その世界の歴史に大きな変革を与えてしまうのです」
「その口振りは正しく、異世界出身者のもので間違いないね。ゲマさんは他の世界から来たんだ」
「ノールさんと同じですよ」
「ボクはこの世界出身なんだけど」
床の方を指差しながら、ノールは語る。
「そうでしたか? それは失礼しました」
ゲマは一度頭を下げる。
「ですが、そうであったとしても戦争への参加はお控えください。この世界のパワーバランスから大きく逸脱した組織の介入をみすみす許すわけにはいかない。これは総世界法の一つです」
「もう……分かっているよ。圧倒的な力の差があるのは否定しない。なのに同じ土俵に立ったら起きるのは当然虐殺で間違いないだろうね。ボクはそんなことをしたいわけじゃない」
ノールは腕を組む。
「だからといって、スロートの街が襲撃された時に我関せずではいられない。戦争には加担しなくとも、この場所まで来たら戦うよ」
「ありがとうございます、ノールさん」
理解を得られたゲマは頬笑み、その場を立ち去ろうとする。
「あー、ちょっと待って」
「どうしましたか?」
「どうして戦争が起きるなんてことが、貴方には分かったの?」
「秘密ですよ」
再び頬笑み、ゲマは立ち去った。
「あの人……本当は怖い人なんだろうね」
なにか、ノールはひっかかりを感じていた。