エールという女性 1
「ノール、部屋についたよ」
ノールを背負った杏里が扉を開き、室内へと入る。
リビングダイニングキッチンを通り、寝室へ向かい、キングサイズのベッドへノールを寝かせた。
「少し休養を取るといいよ。ノールはゆっくりしていて」
「うん……」
ノールの寝ているベッドに杏里は腰かけた。
「なんていうか、ここって本当にアタシたちの新しい家でいいの? この屋敷は大きなマンションみたいに広いけど」
「この屋敷は本当にボクたちの家だよ。ノールが稼いだお金で購入したの。この屋敷は二億もしたんだよ」
寝ているノールの代わりに杏里が答える。
「二億? 本当に?」
随分と安いなとエールは思った。
外観を見てはいないが、内部だけでも屋敷の大きさや豪華さが手に取るように分かる。
非常に大きな屋敷であり、たったの二億では不動産を扱う者に鼻で笑われ、歯牙にもかけないレベル。
「姉貴たちって一体どういう仕事をしてんの?」
「ボクもノールも、この屋敷に住んでいる人たちは皆、ノールが作った歩合制傭兵部隊リバースの傭兵として働いているの。総世界中でボクたちは活躍しているんだ。それにノールは天使界の大天使長でもあるの」
「それってマジで? 姉貴が傭兵だなんて……しかも総世界規模の? アタシがいない間に変化が起こり過ぎでしょ。少し前までは、アタシと兄貴のために姉貴はスロート貴族の家で給仕をしていたんだぜ?」
「数ヶ月前もボクとノールでスロート城の給仕をしていた頃もあるよ」
「数ヶ月前ならもう強くなっているはずじゃない? 強い奴がそんなことをする必要なんてないでしょ普通」
「ボクは大人数相手の料理も作れるようになったから良かったよ? 以前のボクは目玉焼きも焼き飯も作れなかったの」
「いや、その。そういう意味じゃなくて、姉貴も杏里も使用人や給仕を雇えるくらいに稼いでいるでしょ?」
「考えたことがなかったな」
「そうなの?」
なんとなく、ノールも杏里もお金の使い方が下手だとエールは感じた。
「エールはどういう仕事をしているの?」
気になった杏里が聞く。
「アタシ? アタシは色々と……」
「それは、ボクも聞きたい」
ベッドに寝ていたノールが上半身を起こす。
「姉貴も? なら、話そうかな。アタシは今、複数の組織に所属している。しかも、お偉方として。アズラエルが言うには、このアタシがR一族の中でも超がつく程の逸材だからだってさ」
「アズラエル?」
「ヴィオラートの法王だよ。本名がアズラエル。アタシを全面バックアップしてくれるの。アタシにとっては姉貴や兄貴と同じくらい好きな人」
「その人……」
杏里は思い出す。
その人物を殺害しようとしていたことを。
「アタシは軽い神輿みたいな立場が嫌だから、色々と努力しているつもり。株式会社バロックではエンジニアとして働いているし、シェイプという世界の裏稼業の支配者もしている。ヴィオラートでも枢機卿の一人なの。アタシ、こう見えて凄いお金持ち」
とても自慢げにエールは話している。
「悪いことしているの?」
ノールの雰囲気が少し変わる。
「しているよ……していないに決まっているじゃん、どうしちゃったの姉貴? 見なよ、このアタシを。昔と同じで純真な心のままの妹が目の前にいるんだよ。姉貴を心から慕うエールが悪い行いをしたことが今まであるの? アタシはとってもクリーン。これ以上ないくらいに公明正大で清廉潔白。天地神明に誓って、悪いことなんてしていないと宣言できるよ」
悪いことをしていると即答したのに、急に否定してからの詐欺師のような発言。
クリーンを通り越して、間違いなく漆黒の闇が窺えた。
「姉貴はアタシを信用してくれるよね?」
「うん」
「だよね」
エールは頬笑む。
そのエールを見て、ノールは再びベッドへ横たわる。
エールの生活が安定していて、ある意味問題なく生きてこられたのが分かったから。
「エール」
「どうしたの、姉貴?」
「ボクもそうだけど、ミールも心配していたんだ。今から杏里くんと一緒にミールに会いに行ってよ」
「そうしよっかな」
楽しそうにエールは語る。
「ノールは大丈夫なの?」
「ボクは大丈夫。横になっていれば、体調も良くなるよ。ボクの代わりにエールを連れていって」
「分かったよ。じゃあ、エール。ボクについてきて」
「兄貴のところに早く行こうぜ。それじゃあ、姉貴。行ってくるよ」
杏里・エールは寝室にエールを残し、スロート城へ向かう。
スロートの街を歩いている途中、エールのゴスロリの格好が相当物珍しかったのか人々は立ち止まったり、指差したり、声をかけたりした。
その反応に嫌な気持ちを全く出さず、声をかけてきた者には優しく接し、好奇の目にさらされてもエールは穏やかな様子だった。
エールはこういう女性なのかと、杏里は感心していた。
「エールって良い子なんだね」
「別に。ただ慣れているだけだよ」
二人は歩きながら、会話する。
「アタシはアタシらしくするのが、やっぱりどうしても好きなの。だから、アタシはアタシを認めさせる」
「そうなんだ」
杏里が褒めようとした時、エールの様子が少し変なことに気づく。
自らをちらちらと見て、なにか解せないような反応をしている。
「どうしたの?」
「杏里、今アタシに凄く感動しているでしょ?」
「どういうこと?」
「違うの?」
「う、うん」
「どうしてなの……?」
エールは腕を組み、考える。
「エール」
その途中、街の人がエールの名を呼び握手する。
「はい、こんにちは」
エールも優しくそれに笑顔で応える。
「あれ?」
杏里は不思議に思うことがあった。
先程までエールを好奇な目で見ていた人はもう誰もいない。
普段からエールがそういう格好をしているのが普通であり、なおかつエールは握手を求められるくらいに街で有名とされているような。
そういった反応を周囲の人たちがしていると杏里は悟った。
「杏里はアタシの格好をどう思う?」
「初めて見る格好だなと思ったよ。ボクにとっては少し奇抜な格好かな」
「やっぱり、そう思うんだ……」
「なんとなく思ったけどさ、周りの人たちはエールの仕業?」
「うん。アタシはアタシを認めさせるのを止めたりしない」
エールはR一族固有の能力、スキル・ポテンシャル権利を発動していた。
R一族はこの能力を駆使して総世界を数万年に渡り、延々と支配し続けていた。
R一族のスキル・ポテンシャルは簡単に言えば、“できることをさせる”である。
人々は誰しも人を認められるし、親切にできるし、優しくもできるし、持てはやすこともできる。
エールも自らを対象にして人々に、させたに過ぎない。
「杏里は……どうしてなんだろう? アズラエルもそうだったし……」
「………」
杏里はエールに対して嫌な気持ちが芽生えた気がした。
しかし、エールはノールの大事な妹。
悪いようには考えたくなかった。
「ところで……杏里のこと、アタシよく知らないの」
「ボク? ボクは春川杏里。ノールと一緒に歩合制傭兵部隊リバースで傭兵稼業をしているよ」
「ふーん、傭兵稼業ね。そういえば、姉貴もそんなことを……」
「それに、ボクとノールは恋人同士なの」
「マ、マジで? どのくらい付き合っているの?」
「大体、一年ちょっとかな?」
「一年ちょっと? それならもうやることは全部やっている感じ……だよね?」
「もう何度も」
「そっか……姉貴はまだ処女だと思っていたよ、アタシは」
なぜか、エールは落ち込んでいる。
話ながら歩いていると、二人はスロート城へ辿り着いた。
スロート城内を歩いていき、杏里はある部屋の前で立ち止まる。
「以前と変わりないなら、ここがミール君たちの部屋」
杏里は扉を軽くノックした。
「ミール君、いるかい?」
その呼びかけの後、少し待つ。
眠そうな顔でミールが扉を開け、出てきた。
「どうしたの?」
ミールは目を閉じながら話している。
「眠そうだね、お仕事大変そう?」
「大変。もし、杏里くんが良ければ僕の方から軍階級者に任命するから一緒に城で働こう」
「ボクは遠慮しておくよ。総世界にはボクの救いの手を待っている弱者の方々が沢山いるんだ。それよりも、ミール君。目を開いて。君に会いたい人が来ているんだ」
「誰?」
ミールは目を開く。
杏里の隣に、ゴスロリ姿のエールが立っているのに気づく。
「エール!」
一瞬で眠気が吹き飛んだミールはエールに近づき、エールの両肩に手を置く。
ノールと同じくミールもまた、当時と見た目が変わっていたエールを自らの妹だと即座に気づいていた。
「兄貴、元気してた?」
「元気してたじゃないだろ!」
怒った様子で、エールの頬に平手を放つ。
「今まで一体どこにいたんだ! なんだ、そのふざけた格好! 顔も無駄に白っぽいし……お前それで化粧のつもりか! エール、お前今まで一体なにをしていたんだ!」
「さあね? 人生経験じゃないの?」
「ふざけんなよ! “オレ”も姉さんもお前をずっと心配していたんだぞ!」
「ありがとう、兄貴。アタシ、心配してもらって凄く嬉しい」
怒られていても、エールは笑顔で嬉しそうにしている。
反省の色が見えないエールに、ミールは溜息を吐いた。
「エール、全然変わっていないね。昔と一緒だよ」
ミールの表情にも笑みが浮かぶ。
そして、ミールはエールと肩を組み、親しげに接した。
「帰るのが遅いんだよ。お帰り、エール」
「あはは、良いね、こういうの。ただいま、兄貴」
「どうしたの、ミール? お客さん?」
様子が気になったジャスティンも部屋から出てきた。
「ん? 兄貴の部屋から女?」
相変わらず男装しているため、男の子に見えるジャスティンを女性だとエールは見抜く。
「そりゃあ、“僕”の彼女だから同棲しているの」
「彼女じゃなくて、フィアンセでしょう? もうミールは僕のお婿さんに決定しているし」
さらっと、重大発言をジャスティンはしていた。
「二人は結婚するの? これは、ノールにも伝えないと。もう結婚までの日程とかは決まっているの?」
「もう、ミールは僕の両親と会っています。杏里さん、いずれ日程が合えば食事会でもどうですか? それまでの話をしていきたいので」
それからジャスティンはミールと仲良く肩を組んでいるエールの方を見る。
「ところで、君は?」
「アタシはR・エール。姉のノールと兄のミールの妹。ちなみに貴方は?」
「ああそうだった、自己紹介がまだだったね。僕の名前はジャスティン・ルシタニア。今後はミールの妻になるよ。よろしくね」
「兄貴が結婚ねえ……姉貴しか見えていないと思っていたのに」
「ん……?」
今の言葉にミールは反応をする。
「そ、それはいいとして、僕たちもう少し寝ていたいの。職務が忙しくて最近寝る時間も削られているから」
「そう? じゃあ、話の続きは休日にでもしようか」
二人が日々の職務で疲れていたのは分かっていたので、杏里・エールは早々に切り上げることにした。