回帰
アクローマの異世界空間転移により、三人が辿り着いた先はR・ノールの黒塗りの屋敷だった。
屋敷のエントランスホール辺りに現れ、クァール・エールは周囲を窺っている。
「ここがどこだか、分かる?」
エールは不思議そうに周囲を見ていた。
「ボクにも分からない」
クァールには、ノールを通して現世を見てきた記憶が確かにある。
あるにはあるが、それは断片的であり黒塗りの屋敷内部を見たのは初めて。
「どうして、ボクたちはここに来たのだろう?」
そう言いながら、クァールは一つの疑問が頭に浮かんでいた。
アクローマと話している時辺りから、徐々に身体に力が入らなくなってきているような、そんな気がしていた。
「さあ? アタシには分かんない。ここでアタシらに待っていて欲しいんじゃないの……」
「なに?」
じっと、エールが自らを見ているのに気づき、クァールは尋ねる。
「その背負っている子は誰? あの聖堂、修道院に女の子はアタシしかいないんだよね、女人禁制の場所だから。あの教団でアタシはとっても偉い人だから別だけど」
「桜沢杏里くんだよ、男の子なの」
「男の子? 嘘だろ、見た目的に化粧もしていないのにアタシよりも綺麗とか」
「そうだね、杏里くんは綺麗だよ。ところで、エールはどうして顔が白いの?」
気になっていたことをクァールは聞く。
ゴスロリの化粧や衣装を今までクァールは見たことがなかった。
「はあ?」
若干、エールの目つきが悪くなる。
「アタシは化粧してんの。ゴスロリだよ、分かんないの? アタシが好きでやってんだから、文句言わないでよ」
「文句なんて言っていないよ。ボクは水人で化粧ができないから……」
そこまで話したクァールは驚きを表情に現し、口元へ手をつける。
「どうした?」
「そうだった、ボクは水人になったんだ。いや違う。今、ボクは無意識に話していた」
「?」
よく分からないことを話しているなと、エールは思った。
「もしかして、ボクの魔力が高ぶっている状況でないとボクはクァールでいることを維持できないんじゃ……」
ゆっくりとしゃがみ、クァールは床に膝をつく。
ノール対法王の戦いから時間が経ち、もうとっくにクァール内の魔力はクールダウンしている。
アクローマが話していた内容は事実であり、ノールが全力を出していないとクァールにはなれない。
元々、人を対象にしたはずの転生がR一族の生き残りが減った弊害により、魔力体を転生先に選ばざるを得なくなった事態が影響を強く及ぼしていた。
「どうした?」
急に床にしゃがんだクァールを心配するようにエールもクァールの目線の高さにしゃがむ。
「………」
いよいよ話す力もなくなり、クァールは背負う杏里からも手を離す。
そのせいか、杏里がクァールから落ちた。
「……ん、ん?」
倒れていた杏里が衝撃で目を覚ました。
「おはよう……ん、違うかな?」
自宅のエントランスで寝ていたのを理解した杏里は、そう口にする。
杏里の声を聞いて、クァールは杏里の方を振り向く。
「……杏里くん?」
少しだけ気怠さを感じさせる声で語る。
声は正しくノール自身のものだった。
クァールから身体の所有権が、ノールへ移行したらしい。
「立てる?」
先に立ち上がった杏里が、ノールに優しく手を差し出す。
「ん、ありがと」
笑みを見せ、ノールは立ち上がった。
「なあ……」
なにかしらの異変が起きているのは、エールにも分かっていた。
だがその理由が分からず、小さく声をかける。
「?」
呼びかけに答えるようにノールはエールの方を見た。
「エール……なんだよね?」
「う、うん」
そこまで話したエールをノールは思いっきり平手打ちで両頬をはたく。
「エール、今までどこに行ってたの! 心配してたんだよ!」
ノールはエールを強く抱き締める。
「えっ、やっぱり……姉貴なの?」
自らを抱き締め泣いている人物が誰なのか分からなくなっていた。
先程まで会話していたのは昔の姉と似た姿をしたクァールという人物だったはず。
「ボク以外に誰がいるの? お姉さんを忘れてしまったの?」
「ううん、覚えてるよ。だって、アタシやっぱり間違っていなかったもん」
姉に抱かれ、エールは声を上げて泣いた。
数分程経ってから落ち着いたエールはノールから離れようとする。
「姉貴、もうアタシは大丈夫だよ」
そう言い、エールはノールから離れた。
「もう少しボクの傍にいてもいいんだよ。お姉さんが慰めてあげるから」
相変わらずの笑顔でノールはエールの頭を撫でる。
「こ、子供扱いすんなよ。恥ずかしいだろ」
「ねえ、ノール。その子はノールの妹なの?」
「そうだよ、杏里くん。世界で一人だけのボクの大事な妹だよ」
「そういや、姉貴。よくアタシだって分かったね。昔と見た目が全然違うのに」
「一目で気づけたよ?」
「そう?」
やはり、姉には敵わないとエールは思った。
化粧をし、ゴスロリ衣装をまとうエールとすっぴんのエールではまず間違いなく同一人物とは思えない程に全然違う見た目をしている。
現に今までとは全く違う見た目のエールを見抜けたのは、数年振りに会えた姉だけ。
「それと……」
エールは杏里の方を見る。
「アタシはR・エールだよ。よろしくね、可愛らしいお兄さん」
「えっ、ボクは」
エールの可愛らしいお兄さんという言葉に対して、杏里は自らが男性だと伝えようとした。
だが、男性だと見抜いていると気づいた杏里は静かに頬笑み、少しだけ充実感を覚えている。
事前にエールは杏里が男性だと知っていたに過ぎないのだが。
「エール、一体いつ帰ってきたの? 今まで一体なにをしてきたの? ボクに聞かせて」
「いつって……」
あえて言わなかったが、エールはノールの身に異変が起きていると悟る。
意思共有のできないもう一つのクァールという人格が存在していると。
「アタシが帰ってきたのは、ついさっきだよ。ここがどこなのか分からないけど……」
「ここは、ボクの屋敷だよ。だからさ、よく家が分かったなあと思って」
「ここが? じゃあ、アタシたちが三人で暮らしていた家は?」
「以前の家は戦争の最中に燃えてなくなっちゃった。仕方がないから、同じ場所にこの屋敷を移設したの」
「ていうことは、ここってスロート?」
「そうだけど……エール、どうしたの?」
ノールはエールの言動に不思議がっている。
ノールにとっては、エールが自らの意思で帰ってきたと思っているから。
クァールに身体の優先順位を握られている間は、ノールに自らの意思はないに等しかった。
「ここに……どういう経緯でアタシたちが辿り着いたのか、姉貴は覚えている?」
「どういう?」
不思議がり、ノールは杏里に視線を送る。
「ボクは覚えていないんだ。どうも、法王の部屋に窓から侵入した辺りから」
「法王? あれ、もう行ったんだっけ……?」
「法王って、アズラエルのことだよね? もしかして、あのヤバいネコ人とかと姉貴は仲間だったりする?」
「ネコ人なら、ルインのことかな? 一緒に作戦に移ったから、多分ルインで間違いないと思うの」
「実はね、姉貴。落ち着いて聞いてほしいことがあるの。姉貴と修道院内で会った時、自らをクァールと名乗っていたの。その時、姉貴は間違いなくクァールに人格を取られていた」
「そんな……」
否定をしようにも、思い当たる節があり過ぎる。
今日が作戦決行日でありながら、ノールはその記憶が全くない。
おそらくそれがクァールに自らの身体を奪われていた事実を現している。
「あ、杏里くん……」
少し身体を震わせ、ノールは杏里に抱きつく。
「落ち着いて、ノール」
事前にクァールになってしまうと聞かされていたが、ノールは恐ろしくて堪らない。
自分の意思が全くなく、本当に自らが消えてしまうのだという恐怖が内から込み上げてきていた。
「ノール、一度部屋に戻ろう? あと、エールちゃんもおいでよ」
「……エールちゃん? 久方振りに聞いたわ、そんな敬称は虫唾が走るから呼び捨てでいい」
「そう?」
気分が悪そうなノールを杏里は背負い、三人でエントランスホールからノール・杏里の自室まで向かった。