理想郷
法王が発動した異世界空間転移により、クァールたちは天使界のアクローマの宮殿前に移動した。
「うわあ、凄え」
エールは周囲の風景を目にし、感嘆の声を上げる。
天使界の宮殿、そして地平線の先まで続く雲の大地、澄み切った雲一つない青空。
どれもこれもが、初めて天使界に来たエールに強烈な印象を与えた。
「アタシ、思ったんだけどさ。ここ、天国だよね?」
「違いますよ、エール。ここは天使界という世界。天国などという空想の産物とは異なります」
「はっ、マジで?」
法王の意表を突かれる言葉にエールは驚きを隠せない。
いつもいつも飽きもせず、人々に天国や地獄があると聖書の内容を語っていた聖職者にあるまじき発言。
「アズラエル、あれは空想なの?」
「全く以て空想です。現実ではない、あまりにも非科学的過ぎる。第一に復活の魔法リザレクで死んだ者たちを蘇生しても誰一人として天国も地獄も見てきてはおりません。あれは人々が自らの都合の良いように考えついた馬鹿げた安易な発想でしかありません」
「よくもまあ言い切ったな……面白いから今度それを主題に聖堂で説法してくれ」
微妙に、エールの声はトーンが低い。
法王のもとに身を寄せていたエールは自らが聖職者ではないにしても聖堂で法王から見聞きしたことを覚えている。
そもそも今までを根底から覆す発言に、少なからずショックを受けていた。
「ところで、どうしてここに?」
「クァール様をこの天使界を治める女帝アクローマに会わせるために来ました」
「その人、アタシたちが会えんの? 第一、女帝にって……ウチの聖堂に来てくれる天使とかとは別格なんだろ?」
「ええ、会えますよ。クァール様にお会いしたいのは、アクローマも私同様に同じなのです」
「あっ、クァールって法王が会いたくて来てくれていたの? そのタイミングであのヤバいネコ人とかと出くわしていたのか。災難だったな」
「そろそろ行こっか。エールもアクローマと会いたいでしょ?」
ふわっとした笑顔で頬笑むとクァールは語る。
杏里を背負ったまま、二人を先導するようクァールは進み、アクローマの宮殿へ入った。
数分程、クァールが率先して歩くと謁見の間まで辿り着く。
謁見の間の扉は閉ざされていたが、三人が謁見の間の前まで来ると内側へ扉が開き始めた。
「アクローマも気づいているみたい。さあ、入ろう」
クァールたちが謁見の間へ入ると、アクローマは既に近くまで来ていた。
「アクローマ、久しぶりだね!」
クァールはアクローマの名を呼ぶ。
アクローマは、クァールの前まで駆け寄ってから、ひざまずく。
「クァール様、心よりお待ちしておりました」
「今、ボクは別の姿形をしているのにアクローマにも気づけたんだね」
「姿形が変わっても貴方のオーラだけは変わりません」
「覚えていてくれて、ボクは嬉しいよ。それなら、アクローマはボクが来た理由も分かっているよね?」
「分かります。同志の集結、総世界政府クロノスとの決戦ですね」
「そう、総世界クロノスという組織の者たちとの戦い。ボクは、この子ノールの内にいる間、何度か現在の総世界の状況を見ることができた。それを知るまでボクを殺害した桜沢綾香と聖帝が、この騒動の元凶だと思っていたよ」
「そうです、クァール様の命を奪おうと画策した本当の黒幕は、総世界政府の創始者タルワールという者です。桜沢綾香とその一族一派の者たち、そして聖帝に組する者たちはタルワールの計画通りに操作され、クァール様と我ら同志たちが戦いました」
「その後の顛末は大体ボクにも検討がつくよ」
「互いに指導者を失った者たちに一体なにができるでしょうか。R一族一派の者たちを各個撃破後、タルワールは早々に桜沢一族一派や聖帝一派を裏切り壊滅させ、新たな総世界の指導者として総世界を間接的に支配しています」
「今の総世界は平和?」
「いいえ、全く。クァール様の創り上げた理想郷……戦争も貧困もなく、誰も差別されない夢にまで見たあの総世界は既に変わってしまいました。人々は言い様のない不安から有るはずのない奇妙な偶像を信仰し、自らの利益を追求し醜く殺し合い、人種に見境のない下劣とも言える価値観のみで互いを差別し合っています」
そこまで言うと、ひざまずいていたアクローマはクァールを見上げる。
「クァール様、私は一体どうすれば良かったのでしょう? 私がクァール様のご意志を貫き通せた世界はこの天使界だけ。同志たちもクロノスに殺されていき、生存している者も今ではわずかに数名程。もう、私にはどうすれば良いのか分かりません」
「アクローマ、ボクは貴方が望んだ答えを示したい。でも本当はボクにも分からないんだ。ボクは人々が平等に楽しく穏やかに暮らせていれば、全てが良くなると思っていたから。きっと、考え方が安易だったんだろうね」
「違います! 貴方が安易だと認めてしまったら、私たちの今までは一体なんだったのですか! タルワールの歪んだ思想が総世界を変えてしまったのです!」
クァールの言葉を聞き、アクローマは声を荒げる。
アクローマの望む言葉は、そのようなものでは決してない。
「その通りです、クァール様のご意志が間違っているなど考えられるはずがない。平和で平等な世界を嫌うなど……」
アズラエルもクァールの言葉に賛同しかねている。
「あのさ」
エールの問いかけに三人が振り向く。
「さっきからなんの話をしてんの?」
「総世界の話だよ」
至って普通にクァールが答える。
「だからそれが分からないんだって、分かる?」
「どういうこと?」
「一定の見識を持った学者でもないくせに勝手な推測だけで人の生き方を語り過ぎ。人の生き方のなにが分かるの? アタシだって分からないけどさ、アタシらに他人なんて関係ないんじゃないの?」
「………」
クァールはエールを見つめ、無言になる。
アクローマ、アズラエルもクァールを見つめたまま、なにも語らない。
「人々に教えを説く立場のアズラエルでも、人々を治める女帝でも分からないことなのにね」
このようなことを言われたのは、クァールにとって初めてだった。
クァールが生きていた時代。
それは、スキル・ポテンシャルの権利を扱えるR一族が総世界を支配していて当然の時代だった。
もしそれが違うとなるのなら、クァールでも理解が及ばない。
「考えつけなかった」
「一度も?」
「そう、一度も。一つの概念にボクは固執し過ぎてしまったのかな」
クァールの弱さを、アクローマは感じ取る。
「違う!」
とっさにアクローマは感情的な声を上げていた。
「貴方がいたからこそ総世界は平和で平等だった! なにがあっても貴方の意志を最後まで貫き通してもらわないと総世界は駄目になってしまう!」
「そうだね、アクローマ。君の言う通りにするよ」
「クァール様、以前の貴方とは変わりましたね。しっかりしてください!」
ふいにアクローマは謁見の間の外へ視線を移した。
「クァール様、お急ぎください」
アクローマは異世界空間転移を詠唱し、どこかへ繋がるゲートを作り出す。
「これは、どこに通じているの?」
「屋敷です」
「屋敷?」
「さあ、入ってください。最早時間がありません」
「えっ、アタシも!」
アクローマは無理矢理クァールとエールをゲートへ押し込む。
謁見の間から、二人の姿は消えた。
「……ノールちゃん、クァール様に代わってくれたんだ」
クァールたちをどこかへ送った後、アクローマは溜め息を吐く。
「いえ、そうではなさそうね。アズラエル、貴方がやったのね?」
「アクローマ、それがどうかなさいましたか?」
「どうかしているから話しているんじゃないの」
「ええ、そうですよ。私と相馬が結託して仕組んだものです。あの娘は通常ならば、20歳を迎えた際の儀式で、クァール様へと転生するはずだった」
「でも、そうはならなかった。何者かがグラール帝国を滅ぼしてしまったから」
「私と相馬はこう考えました。20歳を超えたあの娘が今もなおクァール様へ代わらないのはなにか原因があるのではないのかと。あの娘には酷い行いをしてしまいましたが、それが間違いだったなどとは今でも思ってはいません」
法王は自信を持って語る。
事実それが功を奏し、再びクァールが彼らのもとへ現れたのだから。
「どうして、私たちは平穏でいられないのかしら?」
うつむいて語っていた状態から、アクローマはアズラエルへと視線を移す。
「もうすぐ彼らが来るわ。アズラエル、貴方は早く逃げなさい」
「なぜ、彼らが来ると?」
「なにが来るのか分かっているならさっさと逃げなさいよ。この宮殿を指定して異世界空間転移や空間転移を扱うと確実に宮殿前へ現われるよう空間転移結界を張っているの。それで彼らが来たのを察することができた」
「それで貴方は?」
「彼らはクロノスを裏切った私を制裁しに来る。裏切った私は行動自体を捕捉されているから今さらどこへ逃げても無駄。というか、逆に逃げない方がいい。私が行動しなければ、シナリオではこの謁見の間に私がずっといることしか分からない」
「では……私も残りますかな」
アズラエルの一言にアクローマは鬼気迫る表情で反応する。
「このままでは、アズラエルも死ぬのよ!」
「だったら尚更離れられません。大事な同志を私が平気で見殺しにするとでも? 心外だ、見損なってもらっては困ります。一体どれ程の付き合いだと思っているのですか。第一、私も貴方と同じようなもの。ここから行動を取らない方がいい。シナリオで捕捉されない存在はR一族、桜沢一族、聖帝のみなのですから」
アクローマたちは謁見の間の入り口に注意を向ける。
そこには、二人の男性がいた。
一人は怪力無双の質量を誇る体躯をした剣士風の男性。
もう一人は、安そうなラフな格好をしている優男風の若い男性。