大事な人
一時間程度の時間を、ノールと杏里は休憩に費やした。
屋敷から出てきた二人は、杏里にノールが背負われる形になっている。
この日初めて種族一致により、ノールも行為による快楽を実感した。
初めて見せるノールの姿に、杏里は自らの欲求を抑えられず、ついノールに無茶をさせてしまう。
足元が覚束なくなったノールは、杏里に背負われてやっと屋敷から出てこれた。
「ごめんね、ノール。ここまでするつもりはなかったの」
「だったら、もっと早く止めれば良かったじゃん。まだお腹が変だし痛い、足にも力がなんだか入らない」
「嫌だった?」
「嫌だね。もっと、ゆっくりだったら良かったかな。ボクは目の前にいるし、逃げたりしないんだから」
「ごめんね」
「でも、悪くはなかったよ。またしようね」
「良かった」
杏里は少し安心した。
「夜にもしよっか」
「杏里くん、流石に怒るよ」
「皆を呼びに行こうか」
本当にノールが怒りそうな雰囲気を感じ取り、杏里は話題を変える。
「元々はこんなことをしていないで呼びに行くつもりだったんだからね」
ひとまず、二人は空間転移を発動し、スロート城の自室へ向かう。
自室兼事務所へ着いた時、室内には他のメンバーはいなかった。
既に全員が請け負った仕事をしに出かけている。
一応、ノール・杏里はその間に部屋の引っ越しを終わらせ、他のメンバーが戻ってくるのを待った。
そして、数時間後。
そろそろと考えたノールがテリーや綾香にケータイで連絡し、自室兼事務所へ来るよう電話をした。
「あれ?」
先に戻ってきたのは、テリーとリュウの二人。
室内にノール・杏里の個人的なものがなにもないのに気づき、不思議がっている。
「やあ、二人とも。部屋を見て分かった通り、今日引っ越しを行うよ」
「引っ越しって、どこに?」
急に言われて、テリーは困惑している。
「このスロートの街外れにある屋敷だよ」
「屋敷? スロートの街外れだろ? そんなのあったかな……」
「なかったよ。だって、ボクが今日買ってきて、スロートへ空間転移で移設したんだから」
「マジで! ていうか、金はあったのか?」
「お金はこれだよ」
ノールは依頼金の十億の小切手をテリーに見せる。
「わあっ、スゲー! なんだよ、この金額! これで屋敷も買ったのか? 屋敷にはオレの部屋もあるんだろ?」
「あるよ。これから、どこの部屋に住むかをテリーにも決めてもらうから」
テリーは非常にはしゃいでいるが、リュウは静かに話を聞いていた。
あまり、自らの気持ちを表現しないようにしている。
そうこうしていると、別で暮らしている綾香たち四人が空間転移で現れる。
綾香たちもテリーたちと同じような反応をしていたが、すぐに状況を理解して全員で新居の黒塗りの屋敷へ向かうことになった。
そして、黒塗りの屋敷へ空間転移をノールが発動して、屋敷の前に八人全員で移動した。
「スゲー……」
テリーは屋敷を見上げ、言葉を失っている。
普通に嬉しいのか、語彙力が低下していた。
「ここに私たちも住んでいいの、ノールちゃん?」
「うん、いいんだよ、綾香さん。皆で一緒に住もうよ」
「やったあ」
嬉しそうに綾香はノールに抱きつく。
こういった屋敷に住んでみたいという発想が綾香にもあったらしい。
「屋敷かあ……私はこの屋敷みたいに大きい住処を見ると、桜沢綾香と暮らしていた時を思い出すのよね。こう考えると本当に昔の桜沢一族は強大な力を持っていたんだなあと、しみじみ思うのよね」
屋敷を眺めながら、ルインは独り言を話している。
そのルインにエージが屋敷を見ながら近寄る。
「ねえ、ルイン」
「どうしたの、エージ」
「オレの家はどうしよっか? ここで綾香たちも暮らすんだよね?」
「この屋敷の隣にでも持って来たら? もし、解体するなら私に任せて。一瞬だから」
「屋敷の隣か。そうしよっかな、その方が引っ越しも楽そうだから」
こうして各々が暮らしたい部屋を決めていき、引っ越しの準備を始めた。
有紗は綾香たちの引っ越しの手伝いをしていたが、天使界に自宅が既にあるため、黒塗りの屋敷には住まないらしい。
「ねえ、ノール」
他の者たちが引っ越しの準備を行っている時、有紗がノールに声をかける。
「どうしたの?」
「時間があれば……アクローマ様に会ってほしいんだ。きっと、これから会えなくなってしまうから」
「会えない? ああ、天使界と聖域を統一するから忙しくなるってこと?」
「それは、しないんじゃないかな?」
有紗はアクローマにその気がないのを知っている。
アクローマは自らと同じ道を歩む者には優しいが、それ以外には非情に徹している女性。
実力で大天使長まで伸し上がり、アクローマの側近になった有紗には彼女の考えが手に取るように分かる。
「だったら、明日辺りに会ってみようかな。ボクらも忙しくなるから」
「ああ、そうしてほしい」
それだけ言うと、黒塗りの屋敷の隣へ移設したエージ宅へ他の者たちの荷物を取りに行った。
翌日の朝、ノールと杏里は四人がけの豪華なテーブルの椅子に座り、朝食を取っていた。
室内にある家具はどれもこれも高価なもの。
元持ち主のルミナスの目は確かで、どれもこれも品質が良い。
「ねえ、ノール」
「なに?」
「暮らしが一気に変わったね」
「そうだね、宿舎暮らしとは大違い。この部屋もその隣の部屋もそのまた隣も、ボクの家なんだよ。こんなに嬉しいことはないよ」
「人が住める部屋が沢山空いているけど、そこはどうする?」
「そのままにしておくしかないね。掃除はボクがするから気にしなくていいよ」
「ボクも掃除をするよ。これでも半年間、ボクもメイドさんだったんだから」
そして、二人は朝食を食べ終わり、食器を片づけた。
「今日は、天使界に行こうと思うの。杏里くんはどうする?」
「ボクも行こうかな」
「じゃあ、準備をしよっか」
二人は準備をし、天使界へ向かうため、異世界空間転移を発動する。
発動と同時に、周囲の風景は変化していき、アクローマの宮殿前へと二人は現れた。
宮殿内へ入った二人は、そのまま謁見の間へ向かう。
謁見の間にはいつも通り、玉座へ座るアクローマの姿があった。
「ノールちゃん」
謁見の間に入ってきたノール・杏里に気づきと、アクローマは自らノールの傍に来た。
「来てくれてよかった、ノールちゃんに話しておきたかったことがあるの」
「ボクもあるの」
「なにかしら? ノールちゃんから話してみて」
「この前、言い忘れちゃったけどさ。ルーシェを殺しちゃったの。やっぱり、不味いよね」
「なんだ、そんなこと。どこにだって死が転がっているような魔界で名を馳せようとしたのだから、遅かれ早かれ死ぬだろうとは彼も理解していたはず。いずれは彼を必要とした誰かにリザレクをかけてもらえるから全然問題ないでしょう」
「あれ、大丈夫だった?」
アクローマの反応に意外さを感じた。
こういうところをアクローマはしっかりしている。
天使界を捨てて出ていった者には手を貸す気が一切ない。
それを知っているから、ルミナスは天使界に熾天使として在籍したまま、魔界の魔王としての期間があった。
それは勿論、魔界の邪神となってからも。
「ルーシェなんてどうでもいいの、それよりもノールちゃん。ルミナスちゃんについてだけど」
「ルミナスになにかあった?」
「あの屋敷の代金はもう払わなくてもいいわ」
「えっ、なんで?」
「あの子、私に泣きついてきたの。だから、私が代わりにノールちゃんのお金から払っておいたから。ノールちゃんは大天使長で女神化もできる天使なのに一度もお賃金も褒賞も受け取らないのは、私も気にしていたの」
「……もしかして、ボクは毎月お金をもらえたの?」
「知らなかったの? 大体、合計で二億近くを貴方は受け取っていなかったのよ」
「………」
ノールは、なんとも言えない気分になった。
「その、それでね、ノールちゃんに言おうと思っていたことがね……」
とても言いづらいのか、アクローマはすぐに語ろうとしない。
「どうしたの?」
「覚醒化を……してみたいと思わない?」
「覚醒化を?」
以前、ルインとの会話で聞いたことがある言葉。
それを行えば、さらなる強さを手にできるが、能力が未熟なノールは二度死ぬ必要がある。
ノールの場合、一度ルミナスの手にかかっているため、今一度死ぬ必要があった。
「ストレートに死ねと言っているよね」
「そうする他ないわ」
「アクローマ、ボクは今とても怒っている。ボクはシスイ君と約束したの。絶対に生き抜くのが……」
シスイとの絆を力説しようとした時、アクローマが杏里に向かってノール側へ指を振る。
察した杏里が空間転移を発動し、自らの腰回りにトンファーのサイドパックを出現させた。
そして、ノールの背後から頭部を目がけて、トンファーで殴りつけた。
ノーガードだったノールは背後からの攻撃に声もなく卒倒する。
「これで、ノールも覚醒化ができるね」
杏里は俯せのまま、動かなくなったノールに頬笑みかける。
追撃もせず、生きているか死んでいるかの確認もしない。
それだけ、杏里には手ごたえがあった。
杏里は一連の動作を覚醒化して行っていた。
ノールでは気づけない程に速く、そしてノールでも拾えないよう魔力を最小限に抑えられる技術を備えていた。
「こんなにも眼鏡くんと力の差があったの。ノールちゃん、やっぱり一度死んででも覚醒化を手にするべきだったのね」
冷静に状況を語っていたアクローマだが、我慢ができなくなり涙が頬を伝う。
自ら指示を出したのに、アクローマは取り乱して床に横たわるノールを抱き寄せた。
「痛かったでしょう……ごめんね、ノールちゃん」
ノールの死体を強く抱き締め、アクローマは泣き続けていた。
「アクローマさん、リザレクを使うよ?」
不思議そうに思いながら、杏里は復活の魔法リザレクを発動する。
蘇生と同時にノールは即座に起き上がろうとする。
だが、抱き締めていたアクローマの顔に頭がぶつかり、起き上がるのを止めた。
「えっ? なんなの? 今、後ろから殴ったよね」
「ごめんね、ノールちゃん……」
アクローマが力いっぱいノールを抱き締める。
死んでいたことに気づいていないノールには、アクローマが泣いている理由が分からない。
「ノール、早く覚醒してみせてよ。覚醒化の変化をすると瞳の色が銀色になるから鏡を見るといいよ」
少し興奮している杏里は、空間転移で手鏡を出現させ、ノールに手渡す。
「……君には罪の意識がないのか」
事態を飲み込んだノールは、杏里に対して非常に強い不快感を覚えた。
「覚醒化については事前に打ち合わせをしたじゃん? 以前からボクはノールを覚醒化してあげたかったの。今回、無理やりにでもこうしないと、ノールは覚醒できなかったよ」
「えぇっ……」
素っ気なく酷いことを言われ、ノールは落ち込んだ反応を見せる。
「昔と杏里くん変わったよね」
「そうかな?」
変わったと口にしたが、杏里はなにも変わっていないかもともノールは思った。
殺し合いにかかわる命のやり取りでは非常に軽薄で、弱き者を救うためには非常に誠実な男だと。
「覚醒化してみない? 変化する時は一気に魔力を高めるといいよ」
「うん。アクローマ、覚醒化をしてみるから離れてくれない?」
「ええ、分かったわ」
アクローマはノールから離れた。
それからノールはゆっくりと起き上がり、体勢を整える。
言われた通り、ノールは一気に魔力を高めていく。
ノールの瞳は徐々に銀色へと変化し始めた。
水人であるため青色をした瞳の色が変化していく間、ノールはある実感をしていた。
この変化に光体化のデメリットである怒りの感情などが一切ない。
自らに枷を強いたなにかから解放されたような、とても清々しい晴れやかな気分を感じていた。
「凄いね、この感覚。こんなにも身体や自分自身のオーラを軽くできるんだから」
両手を上げて背伸びをすると、ノールは杏里を見つめる。
「どう? ノール、調子が良いでしょう?」
「そうだね。この力があるなら、ボクはもう誰にも負けないよ」
「ノールちゃん」
アクローマが呼びかける。
「アクローマも杏里くんも今回は許してあげるよ。もっと、怖い連中と戦う術をボクは手にしたから」
「ノールちゃん、実は貴方にもう一つ伝えなくてはならないことがあるの」
「なに?」
「これは、できればノールちゃんだけに知らせておきたいの」
「そんなに気にすることでもないじゃん」
「私が気にするの。私はR一族派で、眼鏡くんが桜沢一族だから」
「うーん……」
納得がいかないのか、ノールは考えごとをしている。
「杏里くん、先に家へ戻っていてくれないかい? すぐにボクも戻るから」
「いいよ。それじゃあ、ボクは先に戻るね」
杏里は異世界空間転移を発動し、スロートの自室へ戻っていった。
「杏里くんは先に戻ったよ。早く話をして」
「ノールちゃんは内から響く、女性の声を聞いたのよね?」
「聞いたことがあるよ」
「その人は、R・クァールというR一族の前当主の人なの」
「どうして、アクローマはそれを知っているの?」
「私は、昔からR一族派。クァール様の側近を務めていたの。過去にクァール様は何度か仰っていたことがあるの。自らの身になにかがあった際にその危機を乗り越えられるだけの能力を有した者へ転生なさると。貴方は、クァール様に似ている。貴方が次第に強くなり始めて、声を聞いたと話した時、確信めいたものが私の中に湧きあがったの」
「凄く嫌な気分になってきた。それって、ボクはどうなるの?」
「最終的に貴方の身体は、クァール様のものになる。クァール様は今の全てを塗り替えてくれるだろう貴方に転生をするのよ」
「ボクに拒否権はないの? 普通に止めてほしいんだけど」
とても受け入れ難い内容に、ノールは不愉快な気持ちになっていた。
「本来なら貴方はなにもしなくても良かったの。貴方はクァール様の単なる受け皿だったのだから。それは既にグラール帝国で貴方が産まれた時から決まっていたの」
「………」
「もし貴方と今のような出会い方をしなかったのなら、私とは貴方がクァール様へと変化するまで会うこともなかったでしょう。でも、グラール帝国の平穏は続かなかった」
「グラール帝国って、ボクの故郷?」
「ティストという世界にある、現在ではラミング帝国となっている国家よ。十数年前、グラール帝国で突然クーデターが起きたの。その時、グラール帝に関わる者たちは全て死に絶えたと聞いたわ。ただし、それは事実ではなかった。貴方が生きていてくれたから」
「グラールがボクの父親なの? 誰がグラールを殺したの?」
「そうよ、グラール帝が貴方の父親。そして、グラール帝を殺した人物は……私はクロノスの者たちだと考えているの」
「なら、殺ってやるよ。ボクがグラールの仇を討つ。ところで、ボクはあとどれくらいボクとして存在していられるの?」
「分からない。でも貴方が全力を出し切る程の力を出せば、クァール様へと完全な変化をすると思うの。それだけ強く万全な態勢を用意できているなら、クァール様も問題ないと思われるだろうから」
「それならもうすぐか、ボクがクァールになってしまうのは。だったら、今のうちにやることやっとかないと」
「もしかしたらだけど、逆を言うなら力を出さなければクァール様にならなくてもいいかも」
「アクローマは、ボクがクァールになってほしいの? それともボクのままでいてほしいの?」
「私は結果だけを見守ることにするわ」
言いづらいのか、アクローマは若干小さく言葉を発する。
アクローマにとっては、ノールもまたクァールと同じくらいに大事な存在だった。
「ノールちゃん」
「なに?」
「もう天使界に来ては駄目よ。私は以前より、クロノスからマークされているの」
「それっていつまで?」
「いずれ、私の方から使者を送るわ」
「そうなの。それじゃあ、ボクは帰ろっかな」
空間転移を発動し、ノールは謁見の間から消えた。
「ふう……」
アクローマは溜息を吐く。
次がないのは、自らが一番よく知っている。
だからできるだけ、いつもと変わらないようにノールを見送りたかった。