新しい家
ノール・クロノはスロート城へ向かうため、スロート市内を歩いていた。
スロート城へ着く前に街行く領民たちから、ノールは何度も声をかけられたり、握手を求められた。
元救世主であるノールは、今でもスロートでは有名。
なのに、クロノは一度も声をかけられなかった。
例のあのスキル・ポテンシャル他人に悟られない能力を発動しているのはノールにも分かった。
十数分後、スロート城へと辿り着く。
相変わらず豪華さに欠ける質素な城の造りに、ノールは疑問が生じた。
「クロノ」
「なんだ?」
城の回廊を歩きながら、ノールはクロノに声をかける。
「相変わらず質素だね」
「予算を無駄に消費したくないし、見栄えのために城内を豪華に飾るだなんて只の驕りに過ぎないだろ。そんな無駄に金をかけるのは、血税を払ってくれている領民たちへの裏切りだ」
「他の搾取した税はなにに使っているの?」
「搾取はないだろ、搾取は? 一応、税は軍事や国政、領営や人件費に全部回している。オレは議長、帝、軍総帥を兼任しているが金銭的なものを全く受け取っていない」
「本職は不動産業だもんね」
「国家運営を副業みたいに言われたのは初めてだな」
話しているうちに、二人はゲマがいるはずの図書館まで来た。
「ああ、いたいた」
クロノはある人物に近づく。
腰まで伸びた長いブロンドヘアーの男性。
細身の優しそうな外見で、戦闘とは無縁の姿をしている。
しかし、以前の弱体化したノールと異なり、今のノールならば分かる。
その外見とは裏腹に、恐るべき強さをひた隠しにしていると。
そういった点でなんとなく杏里っぽい人だとノールは思った。
「やあ、ゲマ。時間は空いているかな?」
城の図書館までやってきたクロノは図書館にいたゲマへ声をかける。
丁度、ゲマは本棚の棚から書籍を取り出し、読もうとしていたところ。
「クロノ様、いかがなされましたか?」
「以前教えてもらったスキル・ポテンシャルについてを、ノールにも教えてやってくれないか?」
「その、ノールさんにですか?」
「ノールはオレと違って魔力も有していて能力も高い。簡単に扱えるようになるはずだからさ」
「それは……クロノ様の頼みであっても私にはできません」
「どうして?」
「私は水人がどうしても苦手で。水人アレルギーなんです」
「そんな体質があるんだ、初めて知ったよ」
クロノは今の会話で納得した様子。
「残念だけど、無理みたいだ」
なぜか半笑いでクロノはノールに話す。
日頃の疲れのせいか、リアクションが変だった。
「なんなの一体」
目の前で当然のように断られ、ノールは微妙に気分がしらけた。
「初めて聞いたよ、水人アレルギーなんて。本当はボクが嫌いなんでしょ?」
機嫌が悪くなったノールはゲマに近づき、ゲマの手を掴む。
「あ、あの」
掴まれた瞬間、驚きの反応を示したがゲマはなにもせず一拍を置く。
そして、ゆっくりとノールの手を掴み、離させた。
「あれ……?」
ノールが掴んでいたゲマの手は真っ赤に変化していた。
「もしかして、本当にアレルギーなの?」
「はい、私は水人アレルギーの体質なんです」
「ゴ、ゴメンね。てっきり、ボクを嫌っているからそんな反応をすると思っていたよ」
背後へ後退りして、ゲマから距離を取る。
「いいえ、大丈夫ですよ。私がノールさんに体質を上手く伝えられれば良かったのですから。不快な思いをさせて申し訳ありません」
「そんな、ボクが無理やりやったんだから貴方が謝ることなんてないよ……ゴメンなさい」
ついさっきの強気な姿勢は既になく、ノールは申し訳なさそうにしている。
「ゲマ、今日は休んでいいよ」
ゲマの手の様子を見て、クロノは語る。
「調子も悪いだろ」
「ええ、少しだけ」
そう言いつつも、ゲマの顔色は優れない。
「無理はするな、これは命令だぞ」
「は、はい。分かりました」
クロノに頭を下げ、ゲマは図書館のフリースペースの方へ歩いていく。
「起きなさい、ソル」
「はあ?」
フリースペースにある椅子を並べて寝ていた男性に声をかける。
筋骨隆々とした、がたいの良い剣士風の男性がソルだった。
「随分忙しそうにしていたから寝ちまったよ」
ソルは背伸びをして起きる。
短髪の赤い髪、赤い瞳、剣士風なのに魔力量が桁違いに多い。
それだけでソルが炎人の魔力体なのをノールは悟る。
ゲマはソルを連れて一緒に図書館を出ていった。
「クロノ、あの二人ってなんなの?」
「昔からの親友同士と聞いたけど? でも、オレには親友というか兄弟にしか見えないな。ああいうのが絆が深いというのかな」
「ふうん」
「あとさ、あんまりゲマに酷いことするなよ」
「だって、知らなかったんだもん。ボクは魔力体だから、人にまつわる症状とか分からない。今度からは気をつけることしかできないよ」
「それなら、まあいい。そうしてくれると助かる。あいつは並みじゃない、だからできる限り良い環境でその手腕を振るってほしいんだ」
「そんなに優秀な人なの? アーティと同じくらい?」
「アーティ“たち”よりも上だ。全くあのギルドの連中ときたら正規兵にならず、それどころか正規兵を引き抜き、勝手に異世界へ行ったと思ったら急に帰ってきて、またなにも言わずに異世界へ行っているんだぞ。非常識にも程がある」
「今のは、ボクにも言っているよね?」
「ああ」
自信を持って、しっかりとした口調でクロノは語る。
「本当にゲマは優秀な男だ。ああいう男を一廉の人物というのだろうな。スロートには勿体ないくらいだ」
「スキル・ポテンシャルについて結局なにも分からなかったからもう帰ろうかな」
あまり興味がないノールは、もう帰ろうと考えていた。
「じゃあね、クロノ。ボクは帰るよ」
「おう、分かった。あと、土地契約の支払い期限は今日から一週間後までだからできるだけ早めに払ってくれよ」
「はいはい、分かっていますよ」
ノールは図書館を後にする。
それから、ノールは黒塗りの屋敷まで戻ってきた。
「んー、杏里くんだけは先に呼ぼうかな」
屋敷の前で屋敷を眺めながら、ノールはそう思う。
他の者たちを呼び寄せる前に、自分と杏里が暮らす部屋を事前に決めておこうとしていた。
そのため、ノールは杏里のケータイに連絡し、この場所に来てほしいと電話をかける。
数分後、空間転移によって杏里がノールの近くに現れた。
「やあ、ノール。急にどうしたの?」
大きな黒塗りの屋敷に視線が行ったが、別に気にしていない。
まさか、この屋敷が新たな家になろうとなど、杏里は考えてもいない。
「杏里くん、君はこの屋敷に見覚えがあるかい?」
「ううん、ないよ。こんな屋敷がスロートにあったかな?」
「実はね、ボクがこの屋敷を他の世界から持ってきたの」
「えっ、どうやって?」
「理由なんてどうでもいいでしょ? 今日からこの家がボクらが暮らす家になるよ。もう宿舎に住まなくてもいいの」
「こ、この屋敷が……」
杏里は驚きを隠せない。
他人の屋敷だと考えていた時は、あまり興味がなさそうだったが今では食い入るように屋敷全体を眺めている。
「嘘じゃないよね?」
「ボクが嘘を吐くと思う? それじゃあ、杏里くん。屋敷に入ろう」
杏里の手を握り、ノールは一緒に屋敷へと入っていく。
豪華な装飾がなされた赤い綺麗な絨毯が部屋全体に敷き詰められたエントランスが二人の目に入る。
そして、当然のように飾られている絵画やアンティークの数々。
とにかく、入口の時点からなにもかにもが豪華過ぎていた。
「わあ、すごーい!」
ノールが嬉しそうにはしゃぐ。
先程はクロノが屋敷内にいるというアクシデントのせいで、屋敷内の豪華さに目が行かなかった。
「ノール、あの……」
「どうしたの、杏里くん? 凄く綺麗だよ。驚かないの?」
「この屋敷は本当にノールが買った家なの? ノールはこの屋敷がどういうものなのかを全然知らないんでしょ?」
ノールの反応から、杏里は不信感を抱いている。
誰かから、この屋敷を奪ったのではないかと。
正義の行いをするのが好きな杏里は、いくらノールであってもこのような行いを許す気がない様子。
「うん、そうだよ。ルミナスから買ったばかりだから」
「ルミナスさんから?」
「この屋敷を二億で譲ってもらったの」
「二億もするの? 二億なんてそんなお金、ボクたちには……」
「はい、これ」
相馬からの依頼の際に受け取った十億の小切手を杏里に見せる。
「これは? 十億って……本物なの?」
「本物だよ、この依頼書を読んで」
続けて、ノールは杏里に相馬からの依頼書を杏里に見せる。
「たった一件の依頼で十億も依頼金で出す人がいるんだ……凄いね」
これを見て、杏里も本当にノールが買ってきた屋敷なのだと納得する。
屋敷の資産価値が分からなかったり、金額が高額ゆえに小切手がまだ換金できず後払いなのだろうと誤認しているからこその納得ではあるが。
「杏里くんに事前にこの屋敷へ来てもらったのは、ボクたちの暮らす部屋を決めておきたかったからなの。先にボクたちだけでこの屋敷内を探検しない?」
「いいよ。ボクもこの屋敷内がどうなっているか知りたいな」
二人は手を繋ぎ、仲良く屋敷内を探索し始めた。
数十分後、ノールたちはようやく旧ルミナス邸内部の全容を把握した。
三階建ての屋敷には、三十六室の部屋がある。
エントランスロビーから続く階段を中心に、左右に六部屋ずつ。
それが、三階まで続く。
サロン、応接間が各階にそれぞれ一つずつ。
客間、寝室全てにトイレ、バスルーム完備。
蔵書やワインセラー、さらには宝物庫までもが屋敷内にはあった。
上下水設備や電気配線は、空間転移でどこかと接続がなされ、普通に全て利用可能となっていた。
「………」
最初とてもはしゃいでいたノールだが、既に無口になっていた。
これ程まで自らを底辺だとは思わなかったからである。
命懸けで戦いを続けても、このような資産を築けなかった。
この現実にノールは無性に腹が立ってきた。
「おかしくない? こんなのってさ、有り得ないでしょ」
エントランスまで戻ってきたノールは溜まっていた不満を口にする。
「でも、ここがボクたちの新しい家なんだよ?」
どうしてノールが不満を口にするのかが、杏里には分からない。
「あっ、う、うん。そうだよね」
不満があるのは、どういう経緯で屋敷を手に入れたかを知っているノール本人だけ。
杏里は普通に自分たちの成果が今ここにあると実感している。
「屋敷の全体像を見てきたけど、ボクたちの住む部屋はどこにしようか?」
楽しそうに杏里は聞く。
「ボクは……三階の眺めの良いところに住みたいかな? 遠くまで見渡せると気持ちいいと思うの」
「じゃあ、三階に行ってみようか」
もう一度、二人で三階まで上がっていく。
階段のすぐ隣の部屋が出入りもしやすくていいだろうと判断し、二人の部屋はそこに決まった。
「ちょっと、休憩していかない?」
「休憩するの? ボクは別に疲れていないけど」
「いいから」
ぐいぐいとノールの手を引き、寝室へと入る。
「もしかして、変なこと考えているでしょ?」
「ボクはそのつもりだけど?」
「………」
こういう時の杏里はとても強気なので、ノールはどうやって拒否するかを思案する。
「ボクらが復縁した日を覚えているよね? ボクたちは、いつするの?」
「その……なんていうか」
決心のつかないノールに杏里は頬笑みかけ、ノールを抱き締める。
ノールは諦めたのか、抱き締められても振り払おうとしなかった。