新たな邪神
ルミナスは無言のまま、庭園の石畳にうつ伏せで倒れている。
黒のバトルドレスも至るところが破け、ルミナス自身も傷だらけ。
対して、ルーシェは一度もダメージを受けてはいない。
ここまでの明白な差をつけたのは、やはり禁止令という補助系魔法によるもの。
先程の暗黒魔法のように、対象となる標的の一つの能力を扱えなくさせる。
通常なら戦いの前に互いの禁止令を防ぐため、互いに互いの禁止令を対象に扱うのだが、ルミナスは禁止令を扱えない。
そのため、回復魔法を扱おうとすれば即座に回復魔法を対象にさせられ不発に終わり、その隙に暗黒魔法で反撃しようとしても同じく禁止令を即座にかけられる。
戦いは瞬く間にルミナスにとっては凄惨なリンチへと変貌し、ルーシェにとっては欠伸が出る程の楽な動きへと変わった。
「禁止令ばっかり卑怯だ……」
うつ伏せの状態から両手で身体を起こし、身体がガクガクと震えながらも立ち上がろうとする。
「卑怯とは笑わせる。なにも難しいことではありません、禁止令を禁止令で防げば良いのです」
なんとか立ち上がろうとしているルミナスにルーシェは近付き、ルミナスの頭部をいきおいをつけて踵で踏みつける。
ルミナスはなんの抵抗もできずに、そのまま頭部を地面に叩きつけた。
「先程の二人がどうも気になります。彼らはなにをしに来たのですか? さあ、死ぬ前に早く答えなさい」
ルーシェはルミナスの頭部を数回踏みつけ、次に首筋を踏みつける。
ルミナスの首をへし折り、殺害しようとしていた。
「うぅ……」
苦痛に藻掻きながら血を吐き、ルミナスは泣き始める。
「泣けば、助かるとでも?」
無様に泣き始めたルミナスに呆れてしまったルーシェは、一秒でも早く地獄へ落とそうとさらに力を込めて踏みつけようとしたが、あるものを察知する。
「光体化が来ましたね」
遠くの空にある点くらいの小さなものを、ルーシェは視認した。
「では、この場から私は離れますが貴方はどうしますか?」
「………」
ルミナスはなにも答えない。
ひとまず、ルーシェは危害を加えられぬように空間転移を発動しようとした。
ただ、ルーシェは油断をしていた。
まさか光体化が自らを狙っていたとは思いもよらなかったから。
瞬間、光体化が恐るべき速度でルーシェへと突っ込み、仰向けに押し倒した。
「な、なに……」
上空を飛行していた光体化が自らをピンポイントで狙ったのか、ルーシェには分からなかった。
しかし、すぐに理由が分かった。
目の前にいるのは、数時間前に倒したと思っていたノールだったから。
「杏里くんは……あの女の子みたいな子はどこにいる?」
「貴方が光体化だったのですか」
ルーシェの問いかけに対し、ノールはルーシェの右腕を掴み、殴り潰す。
ルーシェの右腕はまるで機械にプレスされたような損傷を受け、全く動かせなくなった。
「ぐうっ……」
常に冷静だったルーシェの顔つきが激痛により歪む。
「ボクが聞いている。ボクが聞いたことを答えていればいい」
「……彼なら、私の屋敷内にいます」
「殺した?」
「そのつもりでしたが、殺さずに済みました」
「生きているの?」
「生きています。なにも覚えてはいないでしょうけど」
「そうなの?」
光体化の象徴だった八翼の白い羽が消え、プラズマのような光もノールから消えた。
光体化が解けたようである。
「あの子に、もう手を出さないで」
そういい、ノールはルミナスの方へと向かう。
「最早これまでか……」
ノールがルミナスに向かって歩んだ隙を狙い、ルーシェは神聖魔法ハルマゲドンを放つ。
しかし、ノールはそれを最初から知っていた。
ハルマゲドンさえも凌駕する暗黒魔法デスメテオを詠唱もなく発動。
デスメテオによる黒炎の魔力による揺らめきはルーシェが放ったハルマゲドンごとルーシェの存在を消滅させた。
「結局、ボクが殺すつもりだったのは気づいていたんだね」
一人ささやき、ノールはルミナスに近づく。
「ルミナス、どうしたの?」
うつ伏せで泣いていたルミナスに、ノールはしゃがんで話しかける。
「ノ、ノール……?」
ようやく、ルミナスはノールに気づいた。
「私を……殺しに来たのね?」
「なんか、もういいかな。ボクがしたかったことはもうされたみたいだし」
「ルーシェはどうしたの?」
「さっき殺した」
「お願い、私を助けてほしいの」
「構わないけど、色々あって今は最上級回復魔法エクスを詠唱する程の魔力が残っていないから時間がかかるよ」
「うん」
ふらふらとルミナスは身体を起こす。
「あれ?」
なにかに気づいたノールがルミナスの胸部へふれる。
「どうしたの?」
「以前は男って話していたよね?」
「えっ……」
ルミナスは目線を落とし、久しぶりに自らの本当の姿を見た。
「本当は私ね、女だったの」
「ちょっと、待ってね」
疑っているノールはルミナスの前に行き、ルミナスの破れたバトルドレスの隙間から手を入れる。
「これは本物だよね。あっ、ボク初めて他の人の胸を直にさわったかも。ボクのと肌触りとか形も触り心地も少し違うんだ」
「あの……早く回復を」
意識を保つのがやっとのルミナスは無抵抗のまま、さわられている。
「なんつーか、卑猥な光景だな」
ノールの背後から声が聞こえた。
微妙な目つきで二人を見ているルークとドレアムの姿があった。
「確かお前、見覚えのあるな。どうしてお前がここにいるんだよ?」
わずかにルークはノールを覚えていた。
「そんなことより、ルミナス。光体化とルーシェはどうした? お前が女に戻っているところを見ると、ルーシェが死んだのは分かるけど」
「ああ、それなら……」
「ルミナスが両方とも倒したよ、ボクが見ていたから間違いない」
ルミナスが答える前に、ノールが立ち上がってから答える。
「本当か!」
驚いた様子のルークはルミナスの肩を数回叩く。
「私はなにも……」
「とにかく、魔界将軍も総崩れでルーシェもいなくなったとなれば光体化を倒したお前が新しい邪神だろ! ほら、さっさと新しい邪神として魔界全土に発令しに行くぞ!」
「う、うん、分かった」
半ば強引にルークに引っ張られる感じでルミナスは空間転移により消えた。
「さてと……」
ルミナスらを見送ったノールは溜息を吐いてからルーシェの屋敷内へと入る。
屋敷内へ入った時、すぐに見覚えのある人物がいた。
「杏里くん?」
執事としての整った黒い衣装を身にまとう杏里の姿があった。
「その格好なんなの?」
ノールは安堵した表情で杏里に頬笑みかけたが杏里の様子は違っていた。
「ようこそ。主人のルーシェは今、別件がございまして……」
「どうしたの?」
意味の分からないノールは不思議そうに近寄る。
「ルーシェに負けたから執事でもしているのかい?」
そう言いながらも杏里に駆け寄り、優しく抱き締める。
「でも良かった、またこうして会えて」
「貴方は……ボクを知っているのですか?」
「えっ、ちょっとなに言っているの?」
その時、勢い良く玄関の扉が開いた。
「ノールちゃん!」
入ってきたのは、アクローマとリサであった。
しかし、アクローマは普段とは明らかに違っていた。
強力な魔力を発し、とても殺気立っている。
どこか抜けている普段とはまるで異なる臨戦態勢の状態。
「ノールちゃん、もう光体化していないじゃん」
杏里を抱き締めているノールを確認し、アクローマは拍子抜けしている。
イーサンが最後の手段で頼ったのは、紛れもなく天使界の女帝アクローマだった。
「アクローマさん、どうしたの? 凄く殺気立った感じだけど」
一応、アクローマたちの目を気にしたのか、杏里からノールは離れる。
「そんなこと分かるでしょう? この私に直接救援が届く程、貴方は暴れていたの。貴方を正気に戻すため、私が直々にここへ来たの」
「ボクはずっと正気だったよ。でも、ボクはこれだけ自らが強いとは思わなかった。あの声を聞こえてから強くなったみたいなんだよね……」
「声を? それは、女性の声じゃなかった?」
「そう、女性の声……アクローマはなにか知っているの?」
「当然よ、私は荒廃の天使と呼ばれる以前からR一族派よ。貴方の身に起こる変化なら分かるわ」
「例えば?」
「説明すると貴方は本来なるべきだった姿になるの。そうさせるのが私たちR一族派の悲願でもあるの。だから貴方にはなにがあってもそうなってもらわなくてはならないの」
「なるべき姿? なんか胡散臭いな」
「貴方は貴方なりの生活を今まで通りにしていればいいわ。理由がどうあれ、貴方は今後も強くなっていけるのだから」
「なんの答えにもなっていないけど」
「それはそうと、眼鏡くんの様子がおかしくない?」
アクローマも杏里の異変に気づく。
「ボクもね、なんか変だと思ったんだよ」
「ちょっといらっしゃい、眼鏡くん」
アクローマは杏里に手招きする。
「は、はい!」
ぎこちなく反応すると、アクローマに近寄る。
近寄った杏里の肩にアクローマは手を置き、杏里を観察した。
「アクローマさん、なにか分かったの?」
ノールがアクローマに聞く。
「ええ、とても喜ばしいことが。眼鏡くんはリターンという魔法の影響を受けているわ」
「どういう魔法なの?」
「眼鏡くんに流れていた時間を巻き戻した魔法よ。多分、ルーシェがかけたと思うの。ルーシェは補助系の魔法にとても秀でていたからねえ。眼鏡くんの時間がどれ程の期間巻き戻されたか知らないけど、ノールちゃんが分からないのを見るに貴方と会う以前に眼鏡くんの全てを巻き戻されたみたいね」
「ボクに会う前……」
「気づいた? そうよ、眼鏡くんはノールちゃんと今が初対面」
「………」
無言のまま、アクローマの話を聞く。
「初対面なんだもの、対応がどこかぎこちないのも当然。ノールちゃんが眼鏡くんを愛していたとしても、それは一方的な片思いよ。さあ、これで眼鏡くんとなんの接点もなくなったわね。となると、その子はもう要らないよね?」
「アクローマ様、それはいくらなんでも言い過ぎです。それにリターンは……」
「リサ!」
「ええっ、申し訳御座いません……」
強い殺気のこもったアクローマの呼びかけにより、リサは萎縮し俯きながら謝る。
「いいのよ、分かってくれれば。ひとまず、天使界へ戻りましょうか。ノールちゃん、貴方はちゃんと眼鏡くんを逃がさないように捕まえておきなさい」
どうしたらいいのか分からなくなっているノールは杏里の手をそっと握ることしかできなかった。